065 徒花の慕情(1)【メリー視点】
爽やかな風が髪を揺らし、日の光を浴びた花々が強く鮮やかな色彩を放って咲き誇る。眩いほどに映える新緑は、初夏の訪れを告げていた。
そんな景色を望むテラス席で、メリーはあさりとアスパラのトマトリゾットを食べていた。景色も相俟って美味しいはずなのに、なぜかいまひとつ味を感じていない。
理由は至極明快で、単純に気分が落ちてしまっているからだ。魔法薬で自分の中に眠っていた願望を知ってしまったあの日から、自身の中の何かがズレてしまった。
日が経つにつれ、少しずつ緩やかに調子が狂ってきている気がする。特に今日、トラヴィスと会ってからは、まるで毛羽立った毛糸の塊を無理やり飲み込まされるかのような不快感と胸のつかえを感じ、陰鬱な気分を抱えていた。
「メリーさん、何かありましたか?」
「え?」
「今日はあまり元気がないように見えて。疲れてるんじゃないですか?」
気付けばトラヴィスの皿はすでに空になっている。それに対して自分の皿にはまだ半分くらい料理が残っていた。これでは気を使われても仕方ないと更に気分が落ちる。
「疲れてるとかではないですよ。ただ仕事の方が少し行き詰まってて。気を使わせてすみません」
何かあったといえばあったのだが、この話を誰かに相談する気はない。変に詮索されないよう仕事のせいということにしてはぐらかすことにした。
「それなら今日は気分転換に街をぶらつくのはどうですか?」
「いえ、そういうわけには……」
今日は魔術に使う触媒を店へ見に行く予定になっている。トラヴィスから魔術触媒について詳しく教えてほしいと頼まれ、実物を見ながらいろいろと解説する約束をしたのだ。
「魔術について教えるのも仕事の延長みたいで気が滅入ってしまうんじゃ?」
「うーん、そんなことはないと思うんですけど」
「メリーさんが心配なんです。触媒はまた次で構わないですから、今日はお休みってことにしましょう!」
「えっと、なら、よろしくお願いします?」
あまり否定し過ぎても疑われてしまうかもしれない。深く詮索されるくらいならと、トラヴィスの提案をそのまま飲むことにした。
「もちろん、俺に任せてください!」
トラヴィスは小さな火花を散らすようにパッと明るく笑う。今にも飛び出して行ってしまいそうな勢いに、すぐにでも連れ出されてしまいそうだと焦る。だがトラヴィスは、メリーが食べ終わるまで急かさずに待ってくれていた。
カラッと晴れた夏空のように笑うトラヴィスは、直視するのも憚られるほどに眩しく感じる。何となく、胸につかえているものがまた一回り大きくなったような気がした。
食事を終えて店を出てから、トラヴィスと二人で街を歩いている。ぶらぶらとあてもなく歩いているのか、それなりに目的の場所があって歩いているのかはトラヴィスにしかわからない。ぼんやりと移ろう街の風景を眺めながら歩いていると、それまで静かだったトラヴィスがこちらに話しかけてくる。
「歩くだけでも何となく気が紛れませんか? 俺は何か悩んでるときはひたすら動いたり運動したりするんです。その方が考えがまとまる気がして」
「それは確かにあるかもしれませんね」
メリー自身も考えがまとまらないときは外へ風に当たりに行くことがある。じっとしていると考え過ぎてしまうことも、動くことで適度に頭の容量がそちらに割かれ、余計なことを考えなくて済む。必要なことが浮き上がって見えてスッキリまとまったり、新たに閃いたりすることもあった。
「それに、運動して疲れたらぐっすり眠れるじゃないですか。しっかり寝て起きたらきっとスッキリしますよ!」
ちょっと単純過ぎますか、とトラヴィスは恥ずかしそうに苦笑した。彼の笑みはフィロメナに似ていると思うことがある。曇りがなく純粋な様子は、占術に用いる透明な水晶玉のようですらある。
いつもはそれを少しだけ微笑ましく感じていたが、今は違う。楽しそうにしている横顔に何となくもやもやとした気持ちがじわりと滲み出している。今日トラヴィスに会ってから、感情がよりこんがらがってきている気がする。糸がぐちゃぐちゃに絡んでいくような感覚から目を背けるように、メリーは街の景色へと視線を戻した。
しばらく歩き、中央区の大通り沿いにある店の前でトラヴィスは足を止めた。白を基調とした外観は洗練されていて、ほんのりと格調高さを醸し出している。主にケーキや焼き菓子を扱っているお店らしい。店内に入ると感じの良い朗らかな店主の声と共に、香ばしく甘い香りが鼻先をふわりと撫でた。
「俺、ここのシュークリームがすごく好きなんですよ」
店内のショーケースを覗くとトラヴィスが勧めてくれたシュークリームがあり、その隣にロールケーキと数種類のケーキが整然と並べられていた。
「このロールケーキ……」
どのケーキも果物が惜しみなく使われていてお洒落な見た目だが、メリーの目は淡い桃色の生地に純白のクリームが乗ったロールケーキに釘付けになっていた。
中にはふんだんに苺が使われており、クリームと苺で華やかにデコレーションが施されている。以前アイゼアが家に訪ねてきたときに手土産として持ってきてくれたロールケーキだ。宝石箱のように美しく可愛らしい見た目のロールケーキを見間違えるはずがない。
「この店はシュークリームとロールケーキが特に人気なんです。もしかしてロールケーキの方がお好きで?」
「どちらも好きですよ。ただ、ロールケーキの方は前に食べたことがあって。今日はトラヴィスさんが勧めてくれたシュークリームが食べてみたいです」
「良かった! 好きじゃなかったらどうしようかと」
トラヴィスは嬉しそうに顔を綻ばせると、すぐにシュークリームを二つ注文する。間もなくシュークリームの入った紙袋を受け取り店を後にした。
少し移動した後、公園のベンチに腰を下ろす。緑の芝と整備された花壇が美しい大きな公園だ。街の人々にも親しまれているようで、赤レンガ調の舗装された道を散歩に訪れた人々が歩いているのが見えた。
「さ、食べましょうか!」
「その前にこれ、シュークリームの代金です」
メリーはすぐに財布からシュークリーム代を取り出し手渡そうとしたが、トラヴィスは受け取ろうとしてくれない。それどころか、ずいっとシュークリームの入った紙袋をこちらへと差し出してきた。
「このくらい奢らせてくださいよ。それよりサクサクのうちに食べないともったいない」
先ほどの店では、シュークリームは生地のみがショーケース内に並べられており、注文があってから中にクリームを注入していた。サクサクが売りなのか、生地がクリームで湿気ってしまわないようにするための工夫の一つなのだろう。繊細に扱われている様子からも、あの店のシュークリームへの強いこだわりが伝わってきた。
「……すみません、ありがとうございます」
奢ってもらうのは気が引けるが、彼がぜひと勧めるシュークリームの味がもたもたして損なわれてしまうのも惜しい。メリーは遠慮気味な気持ちのままシュークリームを受け取り、早速一口頬張る。
生地からパリッと小気味良い音がし、中から滑らかでとろりとしたカスタードクリームがこれでもかと溢れる。鼻を抜ける優しい卵の風味と生地の香ばしさ、それらがもっちりとした舌触りのクリームと口の中でとろけ合って美味しい。けれど不思議と、何かが足りてないような気持ちになる。
二口、三口、とシュークリームを味わっていると、ふと誕生日のときの記憶がよみがえる。たくさんの猫が集まる公園でアイゼアと二人でこうしてベンチに座り、一つのクリームパンを分け合って食べた。食感や細やかな味こそ違うものの、そのときも今と同じ、風味豊かな優しいカスタードクリームの味がしていた。
「どうですか? 口に合いますか?」
そわそわとしながらこちらを覗き込むトラヴィスに、また何となくもやもやとした気持ちが顔を出す。再度シュークリームにかぶりつき、味や食感に意識を集中させる。
「すごく美味しいですね。トラヴィスさんが好きだと言うのも納得です」
生地とクリームのバランスもほどよいが、クリーム自体が甘すぎず素材の風味が活きている。生地は歯触りが良く、クリームと絡んでももさもさとはしてこない。シンプルなカスタードクリームのみだというのに、飽きのこない作りで最後までぺろりと食べられてしまいそうだ。
「気に入ってもらえて良かったです」
トラヴィスは屈託のない笑顔を惜しげもなく見せてくれる。彼の目映さに目を細め、もやもやした感情の中にチクリと小さな罪悪感を感じていることに気がついた。
その後もトラヴィスと共にたわいない会話を交わしながら街を散歩する。一歩歩くごとに心にかかった陰鬱な霧は濃さを増し、気晴らしになっていない理由を蝕まれるようにして理解していく。
アイゼアと一緒に行った店。買ったもの。食べたもの。見た景色。共有した経験。そうしたものを引き金に、交わした会話や表情、感情までもが鮮明に思い起こされていく。今は考えたくないはずが、逆に頭の中を少しずつ圧迫していく。メリーにとってこの街は、気晴らしをするにはあまりにも“多すぎる”のだ。
そう頭では思っていながらも、なぜもやもやが深まるのか理由を見つけたくてトラヴィスについていく。そうしてとうとう中央区の時計塔にまで来てしまった。広大なサントルーサの街が一望できる場所であり、風に当たれば気分も変わると言われるがままに展望台へと登る。登りきった先には、以前来たときと変わらない街並みが眼下に広がっていた。
初めてここに一緒に来たのもアイゼアとだった。赤く燃えるような夕焼けに楽しかった時間の終わりを感じていた。また音のない家に帰っていく。夢から緩やかに現実へと醒めていくような名残惜しさと、背後に迫る退屈や空虚を感じていた。
『ならまだ今日は終わってないよね。夜はこれから始まるってのに、もう帰っちゃうつもりかい?』
昼とは一味違う夜のお誘い。未知を予感させる言葉に、たまらないほどわくわくした。弾むような胸の高鳴りと、そのまま展望台から飛び立てそうなほどの期待に胸を膨らませていた。
誕生日というメリーにとって少し陰りのある日を一等特別にしてくれた。特別な日の特別な夜。その蠱惑な響きに酔いしれて、心のままに浮かれていた。夕日に追い立てられるように『帰らなくては』と囚われていたこの心に、アイゼアが自由を教えてくれたのだ。
涼やかな風が吹き抜け、見上げると空の青が天高く広がっている。ここに来てようやく少しだけ気分がスッキリとしていた。それはきっともやもやの答えと、自分が今すべきことが見えたからだろう。




