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063 深層意識のリナリア(2)【メリー視点】

「大丈夫? ちょっと落ち着いて……」


 ぶち当たって鈍く痛む鼻面を軽くさすりながら目を開くと、また妙に近くにアイゼアが見えた。抱きとめられる形になっていることに気づいた瞬間、体がガチガチに硬直していく。


 夢の中でも感覚はしっかり機能しているらしい。触れている部分全てからアイゼアの体温を感じ、石像のように身じろぎ一つ満足にできなくなっていた。


 全身が火照り、心なしか嫌な汗で背中が湿ってきているような気もする。早く離れなくては、そう思っていたメリーの頬へ何かが触れ、慌てて払い除ける。動けた勢いのまま胸を押し返して距離を取った。


「やめてくださいっ! 距離感おかしすぎませんか!?」


 心臓が千切れ飛びそうなほど鼓動が強く胸を打ち、痛くてたまらない。意味のわからないもやもや感と苛立ちをぶつけるように顔を上げて睨みつけ、すぐに後悔した。


 酷く悲しそうなアイゼアと居心地悪そうに彷徨っている右手を見て、自分が乱暴に払い除けたものが何かを理解した。まるで責め立てられるように、触れられた頬がじんじんとひりついて熱を持ち、迫り上がる息苦しさに襲われる。


 アイゼアは単に転けそうになったところ助け、心配してくれていただけだというのに。訳もわからず取り乱して八つ当たりするなど、情けないにも程がある。所詮夢の中の偽物だとわかっていても、苛立ちが引いていくにつれて子供じみた態度を取ってしまった自分に罪悪感が湧いた。


「すみません。失礼なことをしました……」

「いや、僕の方こそごめん。驚かせちゃったみたいだね。でも、怪我がなくて良かった」


 アイゼアは怒りもせず、相変わらずこちらの心配をしていた。責めればいいのに。助けてやったのに酷い、失礼だ、と非難すればいいのに。アイゼアはそうしない。そんなことを言う人ではなかった。


 今見ている夢に理不尽な不満を募らせている。こんなものは望んでいないと思いたかった。思えたところで意味がないことには気づいている。あの魔法薬の効果は本人も気づけない無意識の願望が現れる性質のものだ。自覚などなくて当然だった。


 自分で作った薬だからこそ、効果も信頼している。言葉を並べて否定したところで事実は変わらない。ならば逆に受け入れるしかないと開き直るしかなかった。


──アイゼアさんと、一緒に暮らせる未来が欲しかった。


 恐る恐る心の中で呟くと、思いの外ストンと心に馴染んでいく。緊張が解れるにつれ、鼓動も落ち着いてきた。自分にとってアイゼアが大切な人であることに変わりはないが、冷静に考えれば一緒に暮らしたいという願いが必ずしも恋愛感情に結びつくとは限らない。


 願いの根幹を見つけるために、どうして一緒に暮らしたいのかを考えてみることにした。一人で暮らすのが何となく退屈で寂しく感じることはあった。もっと賑やかでもいいという願望が、信頼できる相手としてアイゼアを選んだのだろうか。それは可能性としてあるような気がした。


 家族のような存在になってほしいのだろうか。だがアイゼアへ抱く感情は、ミュールやフランへ抱く感情とは明らかに異なる。兄や父親の代わりとして見たことは一度もない。


 では自分はアイゼアに恋愛感情を抱いているのだろうか。それは自分ではよくわからなかった。アイゼアが別の人と結ばれることを想像してみたが、心の底から祝福できる自信がある。過去に読んだことのある恋愛小説の人物は、嫉妬したり失恋を嘆いたり悲しんだりしていた。そういった感情は自分にはなさそうだった。


 結局何が主たる原因なのか答えは定かではないが、アイゼアの言葉や存在がメリーの中で日毎大きくなっていったことは間違いない。彼がメリーの考えや価値観に少なからず変化をもたらした人物であることは紛れもない事実だ。つまりそれだけ自分の中で大きな存在になっているということでもある。


 アイゼアからもらった首飾りを服の上から握りしめると、固い感触が贈られたあの日の感情を呼び覚ましていく。無邪気に喜んでいた自身の暢気さにうんざりした。


 アイゼアの優しさに期待してしまいそうになる自分に凄まじい嫌悪感を覚える。退屈や寂しさを紛らわせるために優しさを利用しようというのなら、弱く醜く、浅ましい性根だ。


 彼は誰にだって優しい。決してメリーだけが特別というわけではない。勘違いを拗らせてこんな夢まで見るようになってしまったなんて最悪だ。殺してやりたいくらい最悪だ。何より自分の弱さをまざまざと見せつけられたことが一番心を抉っていた。


 迷っていたが……自分の感情に決着をつけたい。メリーは意を決し、目の前にいるアイゼアに一つ質問をすることにした。彼の返答によって、アイゼアへの感情にある程度の答えが出る。


 目の前のアイゼアは、アイゼアであってアイゼアではない。自身の願望が作り上げた理想という虚像であり、本来のアイゼアの感情や意思はまるごと無視されている。だからこそ聞く意味がある。夢の中のアイゼアの返答は全てメリーに都合の良い、願望が反映されたものになるからだ。


「アイゼアさん、一つ聞きます。一緒に暮らし始めたって言ってましたけど、私たちの関係って何ですか?」

「メリーと僕の関係? 今更そんなこと聞くなんてどうしたんだい?」


 少しだけ嬉しそうににまりとアイゼアは笑う。その目は何か面白いものを見つけた子供のような、いたずらっぽい色を帯びている。すんなり答えれば良いものを、どこか含みのある言葉で聞き返してくるところが無駄に再現度が高くてかなり腹が立った。


「早く答えてください」

「ふふ、わかったよ。僕とメリーは──」


 アイゼアの唇がゆっくりと言葉を紡ぎ、夢の中での関係を口にする。それはつまりメリーの心が、アイゼアの顔で、声で、答えを出した瞬間であり、アイゼアでなくてはならないと悟った瞬間でもあった。


『孤独』を埋める、揺るぎない『約束』が欲しい。


 関係性を表す短い単語の中に潜む、信頼と憧れと甘えと執着。なんて馬鹿なのだろう。寄りかかれる存在なんて必要ない。一人でだって十分生きていけるはずなのになぜ、という思いが頭を離れない。


 絶望に近い感情に項垂れていたメリーの頭上に影が落ちる。見上げるとすぐ近くにアイゼアが来ていた。穏やかに微笑みながら、先程よりもゆっくりと壊れ物に触れるようにして頬に手を添えてくる。


 柔らかな手の温かさに、じわりと満たされるような感情が顔を出す。もう手を払い除けようとは思わなかった。


この感情は──


 そこまで考えて、あえて答えを出しきってしまわないよう思考を遮断する。もうどの感情が原因かなんてどうでも良かった。自分自身に失望しきってしまう前にこの想いを断ち切らなくてはならない。


 言葉や態度に出さなければ、それは『存在しない』も同然になる。そうしていつかは死んで、心の墓場へと葬られていくことを知っている。まだ取り返しはつくはずだ。


 短いアイゼアの時間と命を犠牲にはできない。もう友人を私利私欲のために利用するような真似はしたくない。自らの手でアイゼアを不幸に突き落としたくもない。彼の過去の姿を垣間見、その苦労性な性格を知っているからこそ、この先の未来は最後まで幸せであってほしいと心から願っている。


『僕は誰かと一緒に暮らしたいなぁ。ずっと一人だったから、憧れが強いのかも』


 以前アイゼアが口にしていた言葉を思い出す。家族との暮らしを夢見ているからこそ、同じ時間を同じ歩幅で共に歩める人と一緒にいるのが一番だ。


 何より、アイゼアにはすでに想い人がいる。メリーにできるのは、その人とアイゼアが上手くいくように願うことくらいだ。


 今まで通りの関係で、頼れる友人になれていたら十分嬉しい。将来アイゼアが想い人と結ばれたときは、幸せを願って全力で祝福しよう。アイゼアの笑顔が曇らないよう、彼の大切にしているものも守ってみせる。少し離れたところで、幸せに暮らしているのをたまに見るくらいがちょうどいい。


 メリーは自身が霊族として生まれたことを心から感謝した。この体は余程のことがなければアイゼアより先に朽ちることはない。彼の終わりのときまで守ることができる。


 頬に添えられた手にメリーは自身の手を重ね、強く握りしめた。


「アイゼアさん。最期のときまで、私が必ずあなたを守ります……あなたの友として」


 口にすれば、決意はより強固になった。大切な人たちを守ること、それがメリーの矜持であり、生きる意味であり、唯一無二の存在価値であった。


 誰に頼まれたわけでもなく、自分自身が望んで選んだ道だ。欲しかった現在を思いのままに生きている。過去の自分の環境を思えば、それだけでも十分に幸せなことだとメリーは感じている。


「待って、それってどういうこと?」

「さぁ? あなたは知る必要のないことですから」


 戸惑うアイゼアの表情が霞み、薄れていく手のひらの感覚を突き放す。そろそろ魔法薬の効果が切れるらしい。飲んだ量が少なめだったため持続時間は短いようだった。


 少しずつ幻は消え、ゆっくりと闇が迫る。視界が黒く塗りつぶされると同時に本来の体の感覚を取り戻し、目を開けた。外はまだ暗く、時計の針は深夜の二時をさしている。薬を飲んでから一時間半くらい経過しているようだ。


 メリーはサイドテーブルに置いてある魔法薬の瓶を手に取り、窓を開け放つ。冷たい夜風が優しく吹き込み、髪を小さく揺らした。


 心の底に重く淀むような不快な感覚と、清々しいくらい爽やかな感覚が入り混じっている。それらを全て吐き出すように冷えた空気を胸いっぱいに吸い込み、息を吐いた。


「私には必要ない」


 窓の外へ薬瓶を突き出し手を放すと、重力に従って落ちていく。硝子質の瓶が地面に叩きつけられ、粉々に砕け散る音と共にメリーは窓を閉めた。

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