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062 深層意識のリナリア(1)【メリー視点】

 メリーは鼻歌を歌いながら水差しとグラスをベッド脇のサイドテーブルへと置く。


 半年以上の月日をかけ、今朝ようやく“あの魔法薬”が完成した。水色(すいしょく)は深い赤色へ変化し、最後の確認のために薬瓶を月の光にかざすと赤いはずの液体が澄んだ濃い青色へと変わった。本に記されていた通りに完成した証だ。


 グラスに半分ほど水を注ぎ、その中へ魔法薬を一滴垂らす。月に照らされた魔法薬の青が透明な水にもやもやと広がり、マドラーで崩すようにかき混ぜる。


 これを飲めば、無意識の海に沈んだ秘められし願望というやつを、夢の中で現実のように体感することができるらしい。珍しい薬草が一面に生い茂る森か、はたまたシフォンケーキの城か。想像は留まるところを知らず、高鳴る鼓動と抑えきれない好奇心に任せて一気に飲み干した。


 そのままベッドへと潜り込むと、少しして頭がぼんやりとしてくる。ふわふわと波間に揺蕩うような感覚と共に眠気を感じ、メリーは抗うことなく素直に身を委ねた。



* * *



 ふと目を覚ますと、すでに窓から朝日が差し込んでいるのが見える。周囲の景色を観察し、寝る前と何一つ変わらないことにがっかりしてため息をつく。夢を見るどころか、どう見ても見覚えのありすぎる自分の寝室だった。どうやら効果が出ず、そのまま朝を迎えてしまったらしい。


 薬はきちんと完成していた。きっと薬の用量が少なかったのだろう。以前違う魔法薬を試用した際に、用量が多すぎたのか効果が出すぎて地獄を見た経験がある。


 そのせいかどうも最初の一回は様子見を兼ねて慎重になってしまう。今晩はもう少し増やして試してみよう。そう考えながら、いつもよりややスッキリした頭で寝室を出た。


 一階に下りて身支度を整え、朝食がわりの紅茶を飲もうと洗面所を後にする。キッチンへ向かう途中、ダイニングテーブルの上に置かれている何かに気づいて立ち止まった。


 たった一つポツンと置かれいるのは片付け忘れたカップなどではなく、小さな一輪挿しの花瓶だ。何か花が生けてあるようで、よく観察すると数本の白いリナリアの花だった。


 裏庭にリナリアは育てておらず、誰かからもらった覚えもない。身に覚えのないこの花を一体誰が飾ったのか。


 気づかないうちに不審者に侵入を許していたのではないかと急ぎ他の部屋も確認したが、荒らされた形跡も失くなった物もない。ただただ、そこにあるはずのない花が飾られているという奇妙な状況に首を捻った。


 花を含め、どうすべきかと考え込んでいると、不意に玄関の鍵が勝手に解錠される。半ば反射的に杖を呼び出し、玄関へ向けて構えた。


 鍵を複製されていたことに動揺しながらも、白昼堂々正面から侵入してきた命知らずを迎撃するために魔力を練る。ゆっくりと開く扉を睨みつけていると、現れた人物が見知った相手であることに驚き、声を失った。


「ただいま、メリー。朝から殺気がすごいね。どうしたの?」


 朝の日差しのように朗らかな声に、高まりまくっていた殺意が急速冷却され、杖を握る手をそろりと下ろす。


「……アイゼア、さん?」

「うん。何かあった?」


 そこにいるのは泥棒でも不審者でもなく、友人であるアイゼアだった。見慣れた銀髪と花のように鮮やかな紅紫色(こうししょく)の瞳を見間違うはずがない。彼はここにいることがさも当然と言わんばかりの態度で、ずかずかと上がりこんでくる。


「いや、いやいや、何かあった、じゃないんですよ。何でアイゼアさんがここに?」

「何でって、別に何もおかしくないと思うけど?」


 否、どう考えてもおかしい。いくら親しくなったからとはいえ他人の家の鍵を無断で複製して侵入しているのだ。図々しすぎるという次元の話ではない。完全にダメな一線を越えてしまっている。


「他人の家に好き勝手上がりこんで、無断で鍵まで複製して異常だと思わなかったんですか? こんな犯罪に手を染めて、カストルさんもポルッカさんも泣きますよ!」


 矢継ぎ早に言葉をぶつけると、アイゼアは呆気に取られ、ぽかんと口を開いたまま目を瞬かせる。間抜け面まで晒して恥ずかしくないのかと罵倒したくなるくらいだ。


「反論もできないみたいですね。今すぐに出ていってもらいます」


 杖の水晶の部分を素早くアイゼアへと向けると、アイゼアは慌てたように両手を上げた。


「待って待って! どうして急に追い出そうとするんだい? 今日の君はおかしいよ!」


 アイゼアは立ち去るどころか、当然のようにこの家に居座ろうとしている。なぜか少し悲しげな表情までしながら。おまけにこちらがおかしいときた。アイゼア相手といえど、あまりの意味のわからなさに苛立ちが頂点に達しようとしたときだった。


「僕も一緒にここで暮らし始めたんじゃないか。まさか、寝ぼけてる?」

「……今、何と?」


一緒に暮らし始めた。


 聞き間違いでなければ確かにそう言った。一体いつ了承したというのか。そもそも一緒に暮らすような関係でもない。彼は気でも狂ったのか。それとも自分の気が狂ったのか。


 訳のわからない状況に、思うように思考がついてきてくれない。なぜ、どうして、どういうこと、と無意味な言葉だけがぐるぐると渦巻く。渦巻きすぎて何周も同じところを延々と巡り続けている。


 力が抜けそうになる体をテーブルに手をついて支えながら覚束ないもう片方の手で椅子を引き、蹌踉(よろ)めきながら座る。机に突っ伏し、混乱した頭を何とか冷却しながら、起きたことを一つずつ遡って整理していく。そうして昨日までなかったはずのリナリアの花を見て、ハッとした。


「……まさかっ!」


 ここまできてようやく一つの答えに辿り着く。景色にほとんど変化がないせいでずっと魔法薬の効果が出ていないと思い込んでいた。もしこれが魔法薬の見せた幻だというなら、アイゼアが意味のわからない主張を真面目に続けている理由に合点がいく。


「え……てことはこれが、私の中に眠る無意識の……願望……?」


 冗談じゃない。ザワリと背筋に嫌な寒気が奔る。叩きつけるような動悸を感じながら、血の気が引いて手先が冷えていく。


『お前、知らぬが仏って言葉を知らんのか……』

『好奇心は猫をも殺すぞ』


 警告するように以前言われたスイウの言葉が鮮明に蘇り、頭の中で反芻(はんすう)する。今まさにその言葉の意味をまざまざと見せつけられている最中と言っていい。全身の毛が逆立ち、冷や汗がどっと噴き出してくるような嫌な心地がした。


「信じられない……何で? いや、待って……これ、もしかして?」


 ふと『冥月の夜』のことが頭をよぎる。アイゼアには上手く取り繕った気でいたが、伝承の本質が変わったわけではない。やはり恋愛関係の伝承は恋愛関係に効果があるということなのだろうか。あの蜂蜜酒の効果で友情が恋愛感情に捻じ曲げられたとでもいうのか。


 冷静に考えればそんなことがあるはずもない。伝承は伝承、所詮言い伝えにすぎない。気づかないうちに人心を捻じ曲げる力のある言い伝えなどあまりにも恐ろしすぎる。


「いやいやいや、呪術じゃあるまいし……」


 そもそもそんなものは祝祭の儀式とも伝承とも呼ばない。凄まじく強烈な呪い、禁忌に含まれる呪術の類に該当する。もっと触媒も準備も必要で、蜂蜜酒ごときで遂げられるようなものではない。


 他の可能性として、あの蜂蜜酒が惚れ薬にすり替わっていたと仮定する。だとしてもここまで効果は持続しない。惚れ薬といえど薬なのだから、いつか効果は薄れる。恋愛感情を保つには継続的な服用は必須だ。だから惚れ薬という線もありえない。


 至って普通の状態で、妙な力の干渉は受けていないというのが結論だ。よって、アイゼアに抱く感情は間違いなくこれまで通りに友情のはずだ。そうだと言ってくれと返事のない自分の心に何度も訴えた。


「メリー、今日は本当にどうしたんだい? 怒ってたかと思えば今度は思い詰めたような顔して」


 机に頬を押し付けていたメリーの顔を覗き込むように、ふっとアイゼアが視界に入る。いつもよりずっと近い距離感に心臓が跳ねた。


「なっ……!」

「メリー!?」


 弾かれたような勢いで身を引いたせいか、ぐらりと椅子ごと後ろへ傾いていく。やけにゆっくりと景色が変わっていくが、体はそれ以上に鈍くしか動いてくれない。


 気づいた頃にはもう天井が見え、立て直せる状態でもなく反射的に目を閉じた。だが背中を打つより先に強く腕を引かれ、顔面がばふっと何か固いものに当たり、背中を支えられる。直後、椅子が床に倒れる乱暴な音だけが部屋に響いた。

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