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059 思いの欠片【メリー視点】

 楽しかった時間ほど過ぎるのは早いもので、今はもうサントルーサへ向かう列車の中にいる。クランベルカ家の引き起こした例の件で破壊された魔術鉄道も、今はすっかり修復されていた。


 列車は汽笛を鳴らして走り出し、祭りの喧騒を置き去りに駆け抜けていく。動力に使われている魔晶石の魔力と独特の規則正しい揺れを感じながら、メリーは窓の外へと目を向けた。


 窓枠によって切り取られた夕日の平原は、まるで大胆に描かれた絵画のようだ。景色はにわかに移ろい、黄金色はやがて紅玉のような紅へ。一面の草花は焔のように煌めき、海原のように波打って見えた。黄昏の空は表情を変え、外はゆっくりと幕が下りるように黒く暗く塗り潰されていった。


 夜の闇の中、そこだけに世界が存在するかのように車内を照明がぽっかりと照らす。和やかな話し声が空間を包み、柔らかなひとときが流れていた。


 メリーは皆の会話を聞きながら、退屈な絵画となってしまった窓の外へ何となく視線を向ける。窓枠の絵画は黒一色のようでいてそうではなく、ガラス面が鏡のようになって友人たちの姿を映す。


「メリー、何見てるのかしら?」


 唐突にフィロメナに声をかけられ、何となくで眺めていた窓ガラスに映る光景へと意識が引き戻される。真っ先にアイゼアの姿を捉えたことに気づき、ギシッと心臓が軋んだ。


 目を逸らすように振り返ると、不思議そうに目を丸くしたフィロメナと視線が合う。隣に座っているフィロメナはメリーの肩の辺りまで顔を寄せて窓の外を覗くと、小さく首を傾げた。


 いつも思うが、彼女は警戒心が薄いのか常に他人との距離感が近い。もうわかっていることとはいえ、なかなかこの距離そのものには慣れない。


「真っ暗なだけじゃない」


 つまらなさそうに口を尖らせたフィロメナに、メリーは軽く窓硝子を指でコツコツと叩いて示す。


「みんなの姿が映ってるなーって、ぼーっと見てたんですよ」

「あ、本当! でもぼーっとしてたなんて、疲れてるのかしら?」

「そうですね。少しだけ」


 短く返して、メリーは再度窓の方へ視線を戻す。フィロメナも気遣ってくれたのか話すのをやめ、皆との会話へと戻っていった。内心胸を撫で下ろしながらも、メリーは困惑していた。


無意識にアイゼアを目で追っていたのではないか。


 ぼんやりしていたせいで明確に何を見ていたとは言えないが、声をかけられたときに真っ先に視界に入ったのはガラスに映ったアイゼアだった。


 やはり自分は『あのこと』を相当気にしてしまっているらしい。そこからずるずると『今朝の泉での出来事』を思い出し始め、記憶の水底へと落ちていった。



 体勢を崩した瞬間、メリーは後悔した。一際強く朝日が当たっている場所の水を手に入れようとしたことを。


 朝日の力を強く宿した泉の水が欲しかった。より質の良いものを、と文字通り身の丈に合わない遠くのものを得ようとして失敗したのだ。


 身を切るような冷たさが全身を襲う。このまま沈んで死ぬわけにはいかないと、鈍る頭で考えた次に見えた光景は、光の届かない水底の闇でもなければ、手の届かない水上の煌めきでもなかった。


 朝日を受けた銀髪が透明感を持って柔らかく輝く。伝う雫が磨いたダイヤモンドのようにチカチカと眩く光を反射して閃き、さながら朝日を受けて光を放つ氷柱(つらら)のようだと見入っていた。


 冴えるような美しさでありながら、どこか懐かしい気持ちを抱き、気づけばアイゼアの髪に触れていたのだ。幼い頃、宝石のように煌めく氷柱(つらら)に胸を高鳴らせて手を伸ばしたように。


 あの光景が、頭の中かまぶたの裏にでも焼き付いてしまったかのように離れてくれない。そのときに感じた、胸の奥から何かが湧いて溢れてくるような感覚までもが今も微かに残っている。


 不躾に髪に触れてしまった理由はいまだ掴めない。衝動的な行動には必ず何かの感情が反映されているはずだが、その輪郭が見えてこないのだ。


 やはり望郷の念に駆られて手を伸ばしてしまったのだろうか。ノルタンダールを出たのはあの旅が初めてだった。漠然と故郷には戻らないと思いつつも、そのまま他国へ移住することになるとも思ってはいなかった。


 ノルタンダールの街は好きだ。残酷で美しい白銀の景色も、対照的に温かな街並みも、人が暮らすには厳しすぎる気候すらも愛していた。たまにふと思い出しては恋しくなることがあるのも事実だ。


 とはいえ、いくら故郷を重ね見たとしても触れて良い理由にはならない。侵入してはいけない距離を侵害される不快感は、メリー自身にも経験がある。


 そもそもなぜアイゼアを見てそんなことを感じたのか、そして思ったことをなぜ彼に伝えてしまったのか。メリーとしてはただの率直な感想でしかない。特別思うところも他意もなかったというのが答えだが、口にしたことを珍しく後悔してしまっている。


 アイゼアはメリーの意に反して予想外の反応を見せた。彼の照れた表現や反応を思い出すと、動悸がして落ち着かなくなる。変な意味はなかったのに、まるで下手くそな口説き文句でも言ってしまったような感じがして落ち着かない。


 自身がアイゼアを口説く様を想像し、気色悪さに背筋に寒気が走る。本当に恥ずかしい。動悸がして落ち着かないのは、取り返しのつかないミスを短時間で何度も重ねてしまったせいだ。それはもう、ミスでミルフィーユが作れそうなくらいに。


 わーっと叫び出したくなるようなそわそわした感情を無理やり押し込め、代わりに手を組んで握りしめて目を閉じる。自己嫌悪に沈む心は、質量があるのではないかと思うほどみぞおちのあたりを重くしていた。


 誰も知らない、当事者であるアイゼアですら気にしていないのだから早々に忘れてしまえばいい。そう何度も頭では考えているが、心はどうやったって上手くは忘れてくれない。


 こんな些末なことでうじうじと思い悩むような性格ではなかったはずだ。一体あの出来事の何がそこまで心に引っかかってしまっているのか。


 思い当たることばかりのようでいて、どれも普段であれば気にも留めないような些事にも思える。恥ずかしいミスも、別に生まれて初めてというわけでもないのに。結局何度考えてもこれといった答えが見つけられないでいた。



* * *



 列車は順調に帰路を進み、夜も深まったサントルーサの街へと到着する。王都であるサントルーサは国で最も栄えた街ということもあり、中央区の駅はまだ多くの人が行き交っていた。


 この日はこのまま解散ということになり、方角が同じ関係でスイウと、途中まではアイゼアと双子たちとも一緒に帰ることになった。それを見越してか、スイウは駅に着いたときからメリーの左肩に乗っている。


 疲れた体には荷物だけでも重く、降りて自分の足で歩いてほしいと伝えた。だがスイウは短く拒否の意を示し、降りる気配も全くない。彼自身も楽をしようとしているらしい。振り落とすのも疲れるので特に何も言わずそのままにすることにした。


 アイゼアたちとも大通りで別れ、少し細まった路地へと歩を進める。少し歩いたところで、別れたはずのアイゼアの声がして立ち止まった。気のせいではないようで、気配と足音が慌ただしく後ろから近づいてくる。


「メリー、落とし物!」

「え?」

「カバンに入れ直してあげるから待ってて」

「ありがとうございます。助かります」


 お土産や魔法薬運搬用のカバンで両手が塞がっているせいか気を利かせてくれたらしい。たすき掛けした旅行カバンは背中側に回っているため、代わりに入れてくれるのはかなり助かる。


「はい、もう大丈夫だよ。それじゃ、おやすみ。スイウがいるから心配ないと思うけど、気をつけて帰ってね」

「おやすみなさい。アイゼアさんも気をつけて」


 軽く別れの挨拶を交わし、アイゼアはすぐに待たせている双子の元へと走って戻っていった。



 家まで続く道をスイウを肩に乗せながら歩く。思えば、スイウと二人だけでこうして街を歩くのはかなり久しぶりだ。メリーの周囲はあの旅を通してずいぶんと賑やかになった。街を歩くときは大抵一人だったが、今となっては複数人でいることの方が多いのだから驚きだ。


「何だかあっという間でしたね」

「俺はやっと子守が終わったって感じがするな」

「楽しくなかったですか?」

「楽しくないとまでは言わんが、人混みは体質的にどうも疲れる。俺はしばらく森に引きこもる」


 と言いつつも、スイウは週に三度双子へ剣術の指導をしに行っていたくらいだ。何だかんだと言いながら適度な距離でなら人と関わること自体は嫌いではないのだろう。


「じゃあ近いうちに薬草摘みに遊びに行きますね」

「話聞いてたか……?」

「もちろんですよ」


 恐らく一人で静かに過ごしたいであろうスイウが、不満そうにふすっと小さなため息をついた。


 それきり沈黙が訪れる。コツコツと石畳を叩くメリーの足音と、疎らにすれ違う人の気配のみ。お互い積極的に話題を探して喋る方でもなく、特別気まずさはなかった。


 必要なとき、話したいことがあるときだけ話す。それは二人だけで旅を始めた頃から今のように親しい関係になっても変わらない点だ。


「騒々しいな……」


 肩に乗っているせいか、耳元でぼそっとスイウが囁いたように聞こえた。周囲を見回しているらしく、頭を忙しなく動かしている気配がする。騒々しいと彼は言ったが、人通りもさほど多くなく騒いでいる者もいない。


「メリー、これからは夕方から夜明けまでの時間は気をつけろ」

「急に何ですか」


 スイウの声は潜めるように低く、少しだけ緊張感が伝わってくる。物々しい雰囲気に、警戒の糸がピンと張り詰める。


「妖魔共が騒いでる」

「何で騒いでるんですか?」


 確かに何となくざわざわとした気配はあるが、悪い気配や妙な雰囲気は感じられない。


「お前の魔力を狙ってる。もしあちら側へ引き込まれたら飲み食いだけはするなよ。戻れなくなる」


 妖魔側へ引き込まれるということは、『神隠し』のことを言っているのだろうか。突然よくわからない知識を叩き込まれたような気がするが、とにかく引き込まれたくないなら物を口にしなければ良いということだ。


 それにしてもなぜ今になって妖魔たちが騒ぐのか。魔力が欲しいならもっと前から、それこそ子供の頃にそういう体験があっても不思議ではないはずだが。


「覚えておきます」

「散らしておくか。つけ込まれるなよ」


 スイウはイルシーの森を中心にこのあたり一帯を管轄にしている妖魔だ。精霊や妖魔の監視も仕事に含まれているようで、彼が森に住むようになってからは変に迷ったり惑わされにくくなったように思う。


 以前の無法地帯から、多少秩序のある迷いの森へと変化しつつあった。森に引きこもっているだけに見えて、きちんと役目は果たしているということだろう。


「ヤツらは人の常識が通用しない。節操がなくて困る」


 スイウは妖魔になる前は魔族、そしてその前は人間で、生前の記憶も今は取り戻している。そのせいか以前よりも少し人っぽさを垣間見せるようになっていた。


 それが原因かはわからないが、全く常識の通用しない精霊や妖魔に手を焼いているとよくぼやいている。彼の心労はそのげんなりとした声色からも容易に察することができた。労いになるかはわからないが、今度行くときはドライフルーツを差し入れよう。


 そんなことを考えながら歩いているうちに家へと到着する。やはり誰かと話しながらの帰路はあっという間だ。スイウを見送ると、すぐに家の中へと入った。



 部屋の明かりをつけ、見慣れた風景に静かに息を吐く。ガランとした静けさは、楽しかった旅行も終わりいよいよ日常に戻ってきたのだという実感をメリーに与えていた。


 両手に持っていた袋やカバンをソファへと置き、肩にかけていた旅行鞄を下ろすと旅の疲れが一気に押し寄せてくる。荷物を整理するために旅行カバンを開くと、一番上に見覚えのない手のひらの半分程度の大きさの小さな紙袋が入っていた。


 不思議に思いながら手に取ると、中には何かが入っているらしく固くて小さいゴツゴツとした感触が伝わってくる。袋の口を開いて逆さまにすると、四つ折りの紙片と共に何かが滑るようにして手のひらの上にころんと落ちてきた。


「えっ、これ……でもなんで?」


 それは紛れもなく、祭りを見て回っていたときに買うのを諦めた小さなランタンのお守りだった。どうやら首飾りらしく、アンティークゴールドの繊細なランタンの飾りに、同色の金糸のように細いチェーンが通されている。ランタンの中には橙色の石が入っており、照明の光をチカチカと反射していた。


 紙袋に入っていたもう一つのもの……四つ折りの紙片を開くと、短い手紙だったらしく文字が書かれている。


【メリーと一緒に天灯流しが見られて嬉しかった。祭りも泉へ行ったことも楽しかったよ。これは僕から君へ、日頃の思いを込めて贈らせてほしい。お守りが君の幸せを守ってくれるよう、心から願ってる。 アイゼア】


 相変わらずの丁寧かつ端正な字で綴られていた。文字をそっと指でなぞると、アイゼアの思いと優しさがじんわりと胸の奥に染み込んでくるような気がした。ゆるゆると頬が緩み、口角が上がっていくのが抑えられない。嬉しさに、胸の奥がじんと熱を帯びて震えている。


 いつの間にカバンに入れたのかと疑問に思ったが、帰り際に落とし物を拾ってもらったことを思い出す。きっとあのときにカバンに忍ばせたのだろう。カバンの一番上に入っていたのだから間違いないはずだ。


 直接渡せば良かったのにと思いつつも、こちらを驚かせようという心憎い演出がどこかアイゼアらしいとも思った。


【メリーと一緒に天灯流しが見られて嬉しかった。祭りも泉へ行ったことも楽しかったよ】


 あの泉での出来事すら、彼の中では楽しい思い出の一つになっているらしい。もしかしたら、こちらの気持ちがいつまでもうじうじと沈んでいることを察しての言葉かもしれない。


 それでも、メリーの重く固まった心を溶かすには十分だった。アイゼアにとっても、記憶に残るような旅行になったのならそれが一番何よりだと今なら思える。


 それにしてもランタンのお守りに興味を抱いていたのは会話していたからわかるとはいえ、鉱石の色も彫られた模様も様々あった。だがアイゼアが贈ってくれたものは欲しかった橙色の鉱石が入ったもので、ランタンに彫られた模様も悩んでいたうちの一つである月桂樹の枝葉と小鳥をモチーフにしたものだった。


 橙色の石の色は天灯の温かな灯の色を彷彿とさせる。その色の向こう側に、旅行の間の穏やかで楽しい思い出が見える。いろんなことがあって、心がくるくると走り回るように忙しくて疲れて。でもそれは決して嫌な感じではなくて、こうして家に帰って思い返せばむしろ楽しくて嬉しくてたまらないことばかりになっていた。


 そして今、全てが終わっても旅行後の寂寥感はなく、幸福感が増している。『あぁ、楽しかった』と心から笑って言えることが嬉しい。胸が詰まって苦しいくらいの高鳴りだ。高揚する感情は留まるところを知らず、胸の奥は更に熱を帯びていく。このランタンのお守りが、そんな気持ちにさせてくれていた。


 明日から早速つけさせてもらおう。それだけで明日が一気に楽しみになった。そのまま軽い足取りで窓辺に置いてある写真立てへお守りを見せる。


「見て、アイゼアさんからもらったんですよ。旅行もすごく楽しくて……一度くらいはこんなふうに、三人でどこかに行けたら良かったんですけどね」


 四つ折りのシワの入った写真の中で、ミュールとフランは変わらず笑っている。返事は当然返ってこないが、何と言われるかはわかるような気がした。


 メリーはペンを取り、使い魔に送らせるお礼の手紙を書き始める。今度アイゼアに会ったときには、改めて直接言葉でお礼を伝えたい。前に優しい言葉をかけてくれたときには嬉しかったと伝えられなかった。次はきちんと、とても嬉しかったとありったけの思いを込めて伝えよう。


 月明かりにかざすと、ランタン飾りの中の石がどこか懐かしく温かな色で煌めく。その美しさにふわふわとした喜びを感じて顔が綻ぶ。旅の思い出に思いを馳せ、胸が弾むような気持ちを乗せてペンを走らせた。一つでも多く、この気持ちが伝わるように。

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