057 君と僕の内緒の話(2)【アイゼア視点】
昨夜の、あまりいい反応ではなかった話を改めて聞くことになってしまった。『霊族と同じものを見ることはできない』それがメリーの答えだった。あまり心が抉られ過ぎないよう、静かに覚悟を決める。
「霊族と同じものを見ることはできないと、魔術を遠いものに感じさせてしまったのは私の落ち度でした」
「……え?」
すみません、と軽く頭を下げるメリーを呆気にとられながら凝視する。予想に反した言葉と反応に驚き、思考も感情も置いてけぼりで追いついてこない。
「魔術や精霊は自然と密接に関わるものです。自然と共存してる以上、種族は関係ありません」
メリーはどうやらアイゼアが聞きたかったことの本質を捉えてはいないらしく、欲しい回答からは少しだけズレていた。
元々『メリーと同じものを見て、メリーを知りたい』という本心を僅かに、だが決定的にはぐらかした質問をしたのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが。
「確かにそれはそうなんだろうけど。同じように見たり、知るのはやっぱり難しいのかなってね」
人間であるアイゼアには魔力もなければ、魔力や精霊の気配を感じる術もない。精霊の気配を感じ、魔力を感知し、術まで操る者と同じなわけがないのだ。そんな半ば諦めかけのアイゼアに、メリーはふっと小さく息を漏らして困ったように微笑んだ。
「そんなに難しくないですよ。少し見方を変えるだけで見えるようになりますから」
優しく包み込むような声色に胸の中がじんわりと熱を帯びる。まるで『しょうがない子ですね』と、拗ねた子供のわがままに付き合うような温もりと丸みを感じる声だった。
「ランタン祭りの趣旨は、精霊への感謝のためのものでしたね。街にもここにもたくさんの精霊が集まってる気配がしますよ。くすくすと楽しそうで、機嫌が良さそうです」
「そんなことまでわかるのかい?」
「声が聞こえたり視認できるわけではないので、何となくの肌感覚ではありますが」
集まっている気配というのはまだ何となく想像ができる。人も同様に一人でいるよりも複数でいる方が気配は当然大きくなるからだ。
だがどうやらメリーには言葉こそ聞こえずとも、精霊の感情……といって良いのかはわからないが、そういった雰囲気のようなものを察せるらしい。
それは誰かがひそひそとささやく内緒話や井戸端会議の内容が、良いものか悪いものかを遠巻きから判別するような感覚に近いのだろうか。持てるだけの想像力を働かせ、自分の経験になぞらえて解釈していくしかなかった。
「そういえば、霊族でも鈍感な人はあまり精霊の存在を感じられないみたいですよ」
「そうなんだ? ならメリーは察知する力に優れてるんだね」
「そういうことになりますね」
霊族でも鈍い人がいるのなら、その人は人間の感覚に近い人ということだろう。霊族ですら見え方や感じられるものが違っていると教えてくれたのはメリーなりの励ましか、それとも単なる事実として言っただけなのかはわからない。どちらにせよメリーと同じものを見てみたいアイゼアにとっては何の慰めにもなってはいなかった。
「でも鈍感なのは、見ようとする意識が低いからというのもあります。目を向けるようになればその分感覚は鋭くなるはずです」
「うん……?」
そう言われてもどう目を向ければ良いのか、どう感覚を澄ませれば人間である自分でも感じ取れるのか今一つピンとこない。
難解過ぎて表情が険しくなっているのを感じながら首を傾げると、メリーは自分の口元に人差し指を当てて静かにするように促してくる。少し子供っぽい仕草も可愛らしいなと小さく高鳴る鼓動の音を感じながら、逸らされた視線の先をアイゼアも追った。
「木々のざわめきの音。泉の水面の揺らぎ。そよ風が肌を撫でていく感触。アイゼアさんにもわかりますか?」
たんぽぽの綿毛が風に乗って飛ぶような、ふわふわとしたささやきが心地よく耳に響く。耳を澄ましてずっと聞いていたくなるのは、きっと彼女の声も好きだからなのだろう。
「精霊は自然の一部なんで、自然現象の中に宿るんです。あと、不自然な現象が起きてるときは精霊がそこにたくさん集まって騒いでいることが多いんですよ」
メリーが導いてくれた感覚に集中すると、今まで気づかなかった違和感に気づく。風が強いわけでもなく不自然に揺れる水面や木々のざわめきの音。風の方向も一定ではなく、縦横無尽に駆け回る無邪気な子供のように定まらない。
「確かに、ちょっと騒がしい感じかも?」
「自分たちを祀る祭事を歓迎してるんだと思います。浮かれてるような楽しげな感じがしますので」
「だからさっき機嫌が良さそうって言ったんだね」
この違和感の正体が精霊という存在らしい。その真偽は確かめようがないが、メリーがそう教えてくれるのならそのまま信じる。
アイゼアにとっては正しいか正しくないかは些末な問題に過ぎない。たとえ間違っていたとしても、それがメリーの見えているものであり感じている世界なら、それがアイゼアにとっての“正解”だからだ。
自然現象に精霊が宿ると知ってから感じるそよ風は、こちらと交流を図ろうと喋りかけてくれているような気がした。
「どうでした? 期待してたより普通過ぎて拍子抜けしたんじゃないですか? 実際そんな大げさなものじゃなくて、こんなもんなんですよ」
拍子抜けとまでは言わないが、思ったよりずっと単純で身近なものだったとは思う。意識が低いから、目を向けていないから気づかないというメリーの言葉の通りだった。
「未知のもの、知識には貪欲であるべきと私は考えます。常に好奇心を絶やさず燃やし続けなければ、どんなに単純な答えだとしても真実には近づけません。それは霊族も人間も同じですよ」
もちろんどんなにあがいても霊族のように魔力を感知したり、自然現象以外から精霊の存在を感じる機会はない。それでも求め続けることで一握りでも掴めるものがあることを知れた。これは何もこの件に関することだけでなく、他の事にも同じことが言えるのだろう。
「ありがとう。メリーのおかげで新しいものが見られたよ」
スイウが示した、理解できなくとも心を開いて相手を尊重することの大切さ。相手を知りたい、理解して同じものを分かち合いたいという気持ち。どちらかしか選択できないというわけでもない。答えはもっと単純なもので、相手に寄り添いたいという気持ちに従い、できることを尽くせば良かっただけの話だ。
「なら良かったです。挽回できて安心しました」
「挽回?」
「魔術を教えてって言うから、てっきり霊族との戦闘に関する知識を求めてるのかと思ってたんです。ほら、アイゼアさんは人間で騎士ですから」
そう言われてみれば確かにメリーから教えてもらったものは基礎から始まり、魔術士の戦闘や戦術などの実戦に関わるものが大半だった。魔術に関して広く知識が欲しかったので決して間違いではないのだが、それだけが目的かと言われると、それは違うと言える。
「最初に謝った理由はそれです。そういうことばかりを詰め込んだから、こんな気持ちにさせてしまったんだと。次からは違う話もさせてもらいますね」
「ありがとう。メリーさえ良いならぜひ」
「もちろんです」
すっかり顔を出した朝日に照らされるメリーは、いつか抱いた感想と同じく森の妖精のようだと思った。夜明けを閉じ込めたような瞳も、花のように鮮やかな薄紅色の髪も、この泉にはない色なのに当たり前の風景のように馴染んでいる。
「あっ、そろそろ泉の水を汲めそうですね」
カバンから瓶を取り出しながらメリーは泉の畔に向かう。瓶の蓋を取ると、膝をついて泉の方へ手を伸ばしている。その姿を横目にアイゼアも途中だった朝露を集める作業へと戻った。
メリーが気になり作業しながら何度も確認するが、なかなか水を汲もうとはしない。ぐっと奥の方へ向かって身を乗り出し、しなやかな腕がピンと張りつめた糸のように伸びている。同じ格好で固まったまま、じっと瓶の先を真剣な表情で見つめていた。
目の前で行われている奇妙な行動に思わず首を傾げる。何か理由があってできるだけ遠くで水を汲みたいのか、それとも機を見計らっているのか。その瞳は一瞬を逃すまいと鋭く向けられている。
何か手伝えそうなら頼ってくれれば良いのにと思いながらも、集中しているところを邪魔してしまいそうで声をかけにくい。
そんなふうにもたもたしていると、唐突にその瞬間は訪れる。均衡が崩れたかと思うと、ぐらりとメリーの体が前に傾いていく。激しく水の音を立てながら、彼女の全身が泉の中に飲み込まれた。




