052 虚空の輪郭(2)【アイゼア視点】
一度で良い。メリーが見ている世界を見てみたいと願うのは傲慢だろうか。同時に思う、霊族であるトラヴィスにはメリーと同じものが見えているのだろうかと。
不意に彼女の兄妹の命日の日に交わした会話のことを思い出し、何とも言えない苦々しい感情が込み上げる。トラヴィスとメリーの関係の進展は想像以上に早い。
メリーはトラヴィスの恋心に困ったような反応をしてはいるが、その拒否反応は当初に比べて格段に弱い。それは友人として親しくなってきていることが大きいが、一方で少しずつ恋愛対象として『悪くはない』範囲に食い込んできているということでもある。
何より『魔力ごと受け入れる』という言葉は、メリーの心に相当刺さったらしい。トラヴィスという存在から先の未来への希望を芽生えさせ、嬉しそうに語っていた。
それはとても喜ばしいことではあるのだが、トラヴィスに気持ちが傾いているという一点においては快く受け入れられそうもない。たとえ狭量と罵られようが、手放しで喜べないことは事実だった。
そしてもう一つ。こちらが好意を寄せていることを意識させても、全く望むような反応を示してはくれなかったことだ。
メリーは橙色のカーネーションの意味を知りながら、トラヴィスの指摘を誤解だろうとあっさり両断している。少しくらい『もしかして』を想像してくれても良いのではないかと絶望的な気分を味わった。
だからこそアイゼアはメリーの方が誤解していると指摘してみたのだ。あれはほぼ『好意を抱いている』と言ったようなものだというのに、照れるでも戸惑うでもなく、ただただ訳がわからんと言わんばかりに呆然としていた。
結局返ってきた言葉は『からかってる』だ。メリーはこちらが自分に対して好意を抱くなどとは全く想像もしていないらしい。つまり完全に友人としてしか見ていないということだ。脈がなく、全く意識されないというのも、ここまでくるといっそ清々しい。
アイゼアはそこで退くことにし、特に言及することもなく流した。誤解されたままで良いと言った言葉をメリーはトラヴィスのことだと思っている。あれは本当はメリーへ向けた言葉だった。
遠い。近づいては離れて、離れた分を取り戻すように近づこうとして。重ねてきた時間はトラヴィスよりも長いはずだが、それでも彼よりずっと遠くにいるのだと痛烈に思い知らされた。
かといって今はまだ告白もできない。メリーを幸せにする方法を見つけない限り、たとえトラヴィスに先を越されようとするわけにはいかない。生きられる時間の長さや年老いる速度でさえ、自分とメリーでは大きくかけ離れてしまっているのだから。
──さん。アイゼアさん」
メリーの呼び声にハッとし、ずっと黙ってしまっていたことに今更気づく。その瞬間なぜかメリーに手を握られ、思考が全て吹っ飛んだ。突然の行動に戸惑い、まさに頭の中が真っ白という表現がぴったりの状態だった。
「は……え、メリー?」
何が起きているのかわからず、こちらの手を優しく包み込む両手とメリーの顔をかわるがわる凝視する。
好きだとは口にしていない。つまりこの行動はこちらの想いとは関係ないはずだ。ならばなぜなのか。わからないなら聞かなくては。ぎこちない思考でのろのろとようやくそこまで辿り着いたとき、メリーの静かな声がそよ風のささやきのように穏やかに耳に届く。
「……不安そうな顔してどうしたんですか? 私でできることなら力になります。言いにくいことなのかもしれませんが、ゆっくり話してみてください」
「え?」
「何か困ったことがあって相談したかったんですよね? 先程も考え事をしてたって言ってましたし。同行を買って出たのも、ここに引き止めたのも、本当は話すタイミングを探してたのでは?」
どうやらこちらの様子から深刻な相談事があるのだと思ったらしく、心配しながらも強く勇気づけるような眼差しで見つめ返してくる。とにかく何か言わなければととっさに口を開いた。
「あぁ……その……今サントルーサで霊族の失踪事件が連続しててね。霊族狩りって僕たちは呼んでるんだけど、とにかくその……メリーも気をつけて」
「心配してくれてたんですね。ですが、私は戦えますから。もちろん今まで通り依頼も受けますし、有事の際には遠慮なく頼ってください」
「うん、ありがとう。すごく頼もしいよ」
霊族狩りの話は本当だ。近いうちに話をしようと思っていたのだからちょうど良かったのかもしれない。だがこうして濁したまま終わらせても良いのかという迷いは、まだ胸の奥にしこりとなって残っていた。
「そろそろ戻らないと、日が暮れるまでに間に合いませんね」
メリーは夕闇の空を見上げてから、こちらに視線を向ける。そうだね、という同意の言葉を待ってくれている彼女を見ながらも未だ迷い、探していた。
知れば知るほど離れていってしまうメリーを繋ぎ止められる言葉を。一歩でも距離を縮める言葉を。こちらへと引き寄せられる言葉を。自分が思っているほど遠くはないと……確かめるための言葉を。
「……戻る前に一つ聞いても良いかな」
暗闇を灯りもなしに手探りで歩くかのような心細さを、いつも通りの明るく軽めの声を意識して吹き飛ばす。メリーは嫌な顔一つせず小さく首を傾げながら「どうぞ」と続きを促してくれていた。
「メリーは、僕には霊族の人たちが見ているものと同じものを見ることはできないって思う?」
聞いてしまった。口にした瞬間、後悔なのか期待なのかわからない緊張が胸の奥をざわりと撫でる。聞きたいような、聞きたくないような、相反する思いがせめぎ合っていた。
「霊族が見ているものというと……?」
「僕には魔力もないし、精霊の気配も感じない。君に魔術について教えてもらう度に、少しずつ遠いものに思えてきてね」
笑いながら冗談めかしたつもりだったが、メリーはハッとしたように途端に目を見開く。答えを探すようにして彷徨わせた視線が池の方へと向けられ、メリーは無言のまま目を伏せる。
答えが聞ける。メリーが何か言おうとしているのを察すると、賑わっているはずの場が急に音を失ったかのように静まり返ったような錯覚がした。
やがて心臓の鼓動と自身の呼吸の音がやけに大きく聞こえてくる。彼女の横顔を答えを待ちながら見つめていた。
今何を考えてくれているのだろう。それほどまでに答えるのが難しい質問を投げかけたつもりはなかった。もしかしたら珍しく傷つかない言葉を探してくれているせいで時間がかかっているのかもしれない。
飛び交う予想を頭の中で巡らせていると、メリーの目がぱちっと開いてアイゼアの姿を捉える。
「アイゼアさん、せっかく魔術に興味を持ってくれたのにすみません」
本題より先に謝られ、この先の答えは何となく自分にとって良くないもののような気がした。聞きたくない言葉をメリーの口から聞くことになるのだと、胸の奥が鉛のように重く鈍くなっていく。
「霊族と同じものを見ることはできない──」
「あー!! まだこんなとこにいたのねっ!!」
メリーの返答は最後まで言葉になることはなく突如大声にかき消され、反射的に声の方向へ視線を向けた。周囲の人々の視線まで集めながら、不満を爆発させたフィロメナが勢いよくこちらへ向かってくるのが見える。
かなり遠くにいるが、よく通る声だった。その後ろにフィロメナを追ってきたらしき三人と一匹までついてきている。
「酷いっ、道草なんかして。あたしたちずーっと待ってたのよ? 日が落ちる前には戻るって約束だったじゃない!」
「フィロメナ様、まだ日は落ちていませんよ」
「もう暗くなりかけてるんだから落ちたようなもんよーっ」
「お二人とも、探しに来てしまって申し訳ありません。全員でお祭りを見て回れるのが嬉しかったのです。私たちの気持ちをどうかご理解いただけるとありがたいのですが……」
つんと口を尖らせて怒るフィロメナの様子から、待ちきれなかったフィロメナを止めきれなかったのだと理解する。だがエルヴェも今度こそ皆で祭りを見て回れるのが嬉しいらしく、素直に感じていることを話してくれていた。
「ほーらほら、ぼーっと突っ立ってないで早く行きましょー!」
「え、ちょ、フィロメナさん!? あの、まだ私……」
「もたもたしてたら損よ! だって祭りを楽しめるのは今夜だけなんだもの!」
フィロメナは満面の笑みでメリーの腕を掴むと、強引に引っ張って連れて行ってしまう。エルヴェたちが慌てて追いかけていく後ろ姿をただただ見送ることしかできなかった。
その場にポツンとアイゼアは取り残され、徐々に緊張が緩んでいく。無意識にメリーの背へ伸ばしかけた手は空を掴み、虚しく彷徨っていた。
一人になってようやくメリーの『できない』という返答が、ささくれのように心に刺さる。現実を改めてメリーの口からつきつけられてしまった。
無意識に伸ばしかけた手は一体何を掴もうとしていたのだろうか。何にも触れられない無意味な手に、空気でも撫でたかったのかと自嘲気味に問いながらため息をつく。
「お前、メリーに惚れてるのか」
突然耳元でささやかれた言葉と、不意を突くように現れた気配に肩が跳ねる。それは紛れもなくスイウの声だった。




