051 虚空の輪郭(1)【アイゼア視点】
セントゥーロ王国、湖水の街リブニーク。この街に今年もランタン祭の季節がやってきた。任務で他の街へ行くことの多いアイゼアたちも、今回はランタン祭に参加するためにここを訪れている。
再びこの地へ来ることになったのは、メリーの兄妹の命日にあの旅を共にした五人が揃ったことだった。話題が旅のときの話になり、ランタン祭のことが出たのだ。
フィロメナは前回全員で祭りを見て回れなかったことがかなり心残りだったようで、今度こそみんなで行きたいと提案してきたのがきっかけだった。
メリーがすんなりと了承したのに対しスイウはだいぶ渋っていたが、フィロメナとエルヴェの押しの強さに負け、漏れなく強制連行となった。
宿泊する部屋に荷物を置き、宿のロビーで落ち合う。今回はいつもの五人と、無事に騎士養成学校の試験に合格したカストルとポルッカを含めた七人で来ている。
ランタン祭はその名からも想像できるように本番は夜だ。子供でまだまだ体力のないカストルとポルッカが人波に揉まれて早々に疲れてしまわないよう、日が暮れるまでは宿でゆっくり過ごすことになっている。
窓から差し込む西日は少しずつ朱を帯びて傾き、フィロメナとカストルとポルッカは窓際で日が沈むのを今か今かと待っている。そんな微笑ましい光景をソファに座りながら眺めていると、不意にメリーが立ち上がった。
「まだ少し時間があるんで、天灯流し用のランタンを人数分買いに行ってきます」
「えぇー、何で? 後でみんなで行けばいいじゃない!」
「確保しておいた方が確実ですし、人混みでの無駄な移動は控えたい方が良いかと」
提案に対しあからさまに不満そうなフィロメナの反応など意にも介さずメリーは淡々と答える。
祭りのために街を訪れる人は多く、その目玉でもある天灯流しは当然参加する人が多い。天灯が確保できないことや、途中ではぐれる危険性を考慮してのことだろう。皆で買いに行くという行動を『無駄な移動』と表現するあたりは、合理的かつ効率重視なメリーらしい表現だった。
「迷子になんてならないし、そんなすぐになくなったりしないわよ」
フィロメナの言う通りすぐに天灯がなくなってしまうことはないと思うが、迷子の件に関しては少々ひっかかりを覚える。前回ここでエルヴェと三人で回ったとき、人波に飲まれて流されかけていたことを忘れてあげるつもりはない。
不安に思っているのはどうやらアイゼアだけでなく、そのときのことを覚えているであろうエルヴェも心配そうな視線を向けている。スイウに至っては、そのことを知らないにも関わらず訝しむような視線をフィロメナに突き刺していた。
日頃の行いのせいか、それともやや幼い言動が目立つからなのかは定かでないが、その点においてあまり信用されていないのは間違いない。
「本当に迷子になるかの話はしてません。可能性そのものを一つでも多く潰したいだけですから」
メリーに至っては顔色一つ変えず、そもそもそんな話はしていないと一蹴する。だからどうしたと言わんばかりに踵を返し、宿の入り口へ向かっていってしまう。
「待って。それなら僕が行こうか? 土地勘もあるし」
土地勘もなく、祭りそのものも初めてのメリーよりも自分が行く方がいい。そう考えてとっさに声をかけると、メリーは足を止めてこちらを振り返った。困ったような苦笑を向けられ、アイゼアは驚きが顔に出そうになるのをこらえる。メリーの苦笑に何となく物珍しい印象を抱いていた。
「いえ、私が行きます……」
いつものようなきっぱりとした声色ではなく、何か迷っているようにも見える。メリーは少し歯切れが悪く言い淀み、やがて口を開いた。
「迷惑をかけた挽回はしたいので」
僅かな間の後、いつもより静かな低い声でメリーは言葉を付け足した。彼女が口にした迷惑という単語に、はたと思考が停止する。何かあっただろうかと記憶を探り、すぐに何のことを言っているのか察しがついた。
この街に初めて皆と訪れたときのことをメリーは言っているのかもしれない。あのときのメリーは荒みきっていた。兄のミュールを魔物にされ、救うためとはいえ──彼女は手にかけた。兄を生体兵器にされた怒りと復讐心、そして自身の無力さから、見ていられないほどにメリーは荒んでいた。
いつも通りではいられなかった彼女を迷惑などと思ったことはなかった。絶望し、立ち上がれなくなってもおかしくなかったあの状況で、十分気を強く持っていた方だとアイゼアは思う。
それでも彼女の中では返上しなければならない汚点として残っているらしく、ここで自分が全て引き受けてしまえば、もやもやとした気持ちを残すだけかもしれない。
「なら二人で行く? 僕は何度も来てて場所もわかるから」
「案内板を見れば私一人でも行けると思います」
「これからの時間は更に人でごった返すし、ランタン祭自体も初めてだよね? 僕が一緒の方が効率良いと思うけど」
「……わかりました。すみませんが、よろしくお願いします」
メリーは少し悩んでから、気まずそうにアイゼアの提案を受け入れた。土地勘がないことも含めて勢いを削がれたのか相変わらず語気が弱い。
それとは対照的に、アイゼア自身は頼りにしてもらえたことを嬉しく感じてしまっている。メリーの感情そっちのけで緩みそうになる頬を皆に悟られないよう意識的に引き締めた。
「日が落ちる前には戻るから。エルヴェ、スイウ、三人を見ててくれないかな」
二人に声をかけて立ち上がると同時になぜかフィロメナが窓の側を離れてこちらへと来る。眉間にシワを寄せ、ムッと閉じられた口のせいか頬が少し膨れていた。
「三人を、ってどういうことよ。あたしだけエルヴェとスイウと扱いが違うのは何でなの?」
「そういうガキっぽいとこだろ。自覚ないのか」
スイウは率直な言葉でバッサリとフィロメナを切り捨てると、すぐに興味が失せたようにソファの上で丸くなる。愛らしい猫の姿からは想像もできない辛辣さだ。
一方でフィロメナはますます不満を隠すことなく露わにしている。表情を引き締める方にばかり気を取られ、うっかり本音そのままを言葉にしてしまった己の軽率さと浮かれ具合を後悔した。
「あんたホント失礼ね。アイゼアも、そういうつもりで言ったのかしら?」
「ごめん、そういうつもりじゃなくて……」
「じゃあどういうつもりなのよ」
更に口をむっと固く閉じ、ぎゅっと眉間にシワを寄せたままじっとりと睨まれる。怒りに本格的に火をつけたのはアイゼアではなくスイウだが、一番の元は自分の発言なだけに何とか上手く誤魔化せないかと思案していた。
「今日のフィロメナはいつもよりそわそわしてて心配だからね」
「ハッ、物は言い様だな」
スイウは祭りで浮かれるなんて『ガキっぽい』と思っているのか、言葉が違うだけで結局意味はスイウもアイゼアも同じなのだと言いたいのだろう。
フィロメナは子供っぽいところのある人だと思ってはいるが、祭りで浮かれること自体は子供っぽいとまでは思っていない。勝手に余計なことを言うなとスイウに鋭く視線を送ると、どうやら困っているのが面白いらしく尻尾をふらふらと挑発的に左右に揺らしている。
「物は言い様? それってどういうこと?」
「どういうことも何も、こういうことですよ」
スイウが答えるよりも早く、フィロメナの首筋へメリーの杖の切っ先がつきつけられる。同時にエルヴェがメリーを静止するように杖を握る手を掴んでいた。そこから一拍遅れてフィロメナの顔が緊張で凍りつく。
「メリー様、いきなり何をなさるのですか」
「えっと、冗談よね?」
「冗談じゃなければもう死んでると思いますけど」
メリーはこうして突拍子もない行動に出ることがあるが、そこには彼女なりの意図がある。意味もなくフィロメナに武器をつきつけるような人ではないはずだが、思考も感情も完全に置いてけぼりにされていた。それはアイゼア以外もそうで、スイウ以外は明らかに困惑した表情をメリーへと向けている。
「これだけ人がいれば何が起きるかわかりませんし、祭りに浮かれたあなたでは頼りにならない。そういうことですよ」
この不可解な行動は何が起こるかわからないこととフィロメナはそれに対応できないという事実をこの場で証明するためだったらしい。
メリーの杖が光の粒子となって虚空に溶けるように消えていく。武器が消えたことでエルヴェはメリーの腕から手を離し、安堵したように目を伏せていた。
メリーの本気すぎる解釈に、まるで戦場にでもいるみたいだと心の中で呟く。フィロメナの何となく納得している雰囲気を感じ、さすがにそこまでは思っていないと言い出す気も起きない。この場が収拾するならもうそれでいいやという投げやりな感情に従うことに決めた。
「何してるんです、とっとと行きますよ」
早足で近づいてきたメリーは颯爽とアイゼアのコートの襟元を鷲掴みにすると、がっと強引に引っ張る。思った以上の力強さに体がつんのめり、思わず声を発しながら空足を踏んだ。
「エ、エスコートは、もうちょっと優しくしてくれると僕は嬉しいんだけどな……」
という訴えも虚しく、メリーはこちらを見ることもなければ返事をすることもなくずんずんと歩いていく。もう何があろうと振り返らないという強い意思をひしひしと感じながら、引きずられるような勢いで入口の外へと連れていかれた。
鮮やかな朱に染まる夕暮れの街を二人で並んで歩いていく。街には少し早くランタンの柔らかな明かりが灯り、淡くも温かな風景に変わっていた。行き交う人々や祭りの様子を眺めるメリーの目は昨年訪れたときとは違い、とても穏やかに見える。
「あれ、失言ですよね? 珍しい」
先程のフィロメナへの発言のことだろう。普段言葉には気をつけているため、わかっていてあえて言うことはあってもうっかり口にするということは滅多にない。珍しいというのはあながち間違いではないと自分でも思う。
「うーん……ちょっと考え事しててね。フィロメナには悪いことしたなぁ」
まさかメリー本人に、“頼られたのが嬉しくて浮かれてた”と言うわけにもいかず、何ともふんわりとした言葉と苦笑で濁した。
「そうですか? 頼りにならないのは事実ですし、言われても仕方ないと思いますけどね」
メリー自身は向けられた指摘が事実であれば素直に受け入れる。その考え方のせいか、フィロメナに対する言葉もかなり辛辣だった。まるで『事実を必死に否定したところで何になる』とでも言いたげだ。
「事実でも言わなくて良い事ってのはあると思うよ」
事実だとしても言わなくて良いこと、今回は確実にそれに当てはまる。フィロメナにもカストルとポルッカのことを任せると言っておけば良かったのだと小さな後悔を抱いていた。
街の中心に近づくにつれ往来は激しくなっていく。体がぶつかり歩きにくそうにしているメリーの腕を軽く引き、こちらへと寄せた。
それなりに身長のある自分はある程度先が見えているが、あまり背が高くはないメリーには人の背中しか見えていないのかもしれない。少しでも歩きやすくなるようにと以前サントルーサを案内したときのように腕を差し出す。
「人が増えてきたし、はぐれないように腕を」
「あっ……案内まで引き受けてもらっておきながらすみません」
「その方が良いと思って勝手にしてるだけだから、メリーは何も気にしなくて良いよ」
案内を頼んだことも含めてメリーは申し訳なく感じているようだが、迷惑とは思ってもいない。むしろ役得だと感じているくらいだ。
メリーは礼を口にすると、差し出した腕にそっと控えめに手を添えてきた。触れる手の感触が今は二人でいることを強く主張してくる。皆といるときでは恋心を悟られる可能性を考えて提案すらできないことだ。内緒で組まれた腕は、二人だけで共有する秘密のような甘さと、知られるわけにはいかないという緊張感を伴って急激に気分を高めていった。
高台にある天灯流しの池まで辿り着き、人波を乗り越えて人数分の天灯を無事に確保する。戻りましょうか、とすぐに帰ろうとするメリーの腕をアイゼアは掴んで引き止めた。
この二人きりの時間が終わってしまうことが少しだけ名残惜しいと思ってしまったからだ。
「まだ日が落ちるまで少しあるし、少し池を眺めてから戻ろうよ」
「えっ? そう、ですね。なら少しだけ」
寄り道をしようという提案に驚いたのか、メリーは目を丸くしながら時間を確かめるように空を見上げる。
提案が受け入れられたことに小さな喜びを感じながら移動するように促した。人の少ないところまで来て立ち止まり、メリーと共に池の水面に浮かぶ灯籠を眺める。
「何だかホッとする光景ですね」
メリーの言う通り、灯籠の炎は緊張感を和らげるような温かみのある色をして揺らめいている。ほんのりと薄暗くなり始めた夕焼けの空にちらほらと星が見え始め、黒みを帯びてきた池の水面には浮かべられた灯籠の明かりが映りこみ、ゆらゆらと柔らかく照り返す。その光がしっとりとした夜の雰囲気を醸し出していた。
「炎の揺らめきは、見てると心が落ち着いてくる感じがします」
ぽつりと呟いたメリーの一言は人々のざわめきの中にかき消されることなく明瞭に耳に届く。僅かに伏し目がちになった横顔はどこか寂しげで、微かに気配が薄くなる。そういえば……と見上げた空は、胸をざわつかせるような黄昏色をしていた。
あの炎の揺らめきの向こうにメリーは寂しく感じる何かを見ている。同じ時間、同じ場所で、同じものを見ているはずなのに、見えているものは全く違うような気がした。
立場や経験が違えば物事の捉え方は当然変わる。ごく当たり前のことではあるが、その差異が開けば開くほどに見えている世界は様変わりしていく。
全く同じという人を探す方が難しいのだから、違いを挙げだせばキリがない。例えば騎士と市民、男性と女性、先住民と移民、貧民街出身者と名家出身者、そして人間と霊族。
魔力や精霊といった霊族にしかわからない世界がある。魔術を学べば理解が深まり、メリーとの距離もまた近づいていくと思っていた。だが今では魔術を学べば学ぶほどになぜか遠ざかっていくような気さえしている。
魔術の話は何も感じられない人間からすればどこか空を掴むようで、理解できたようで理解しきれていない。メリーと自分はやはり違うのだという現実が大きな裂け目のように横たわっていた。




