050 春待つ未来【メリー視点】
三の月某日──サントルーサの東、イルシーの森。メリーは白い花で作られた花束を手に訪れていた。
「スイウさーん」
森の奥へ呼びかけると、目的の人……ではなく猫が現れる。スイウはこの姿にもずいぶん慣れ、上手く利用しながら生活している。こちらから見ればかなり便利そうで羨ましいが、形態変化の魔法薬は残念ながら違法魔法薬に分類されているので作れない。
「兄妹の墓参りか」
「はい。あと折角来たんで薬草とかも採取して帰ります」
スイウの後ろに続き、森の奥へと歩いていく。間もなくスイウが暮らしている小屋と隣に広がる小さな泉が見えてきた。
「そういや先客が来てる」
「先客、ですか?」
「行けばわかる。この調子だと今日は忙しくなりそうだな。ったく、何で揃って来ないんだ……」
案内を終えたスイウはぶつぶつと独り言を言いながら泉の近くで横になり、日向ぼっこを始める。鞭のように地面に何度も叩きつけられる尻尾に、彼の不満さがありありと出ていた。
猫っぽさのある可愛らしい姿を横目に眺めながら、メリーは泉の縁を辿るようにして更に奥へと向かった。
泉から少しだけ奥へ行くと、森の開けた場所に行き当たる。木漏れ日の降り注ぐ陽だまりの中に建てられた墓は兄のミュールと妹のフラン、二人のものだ。
先客が来ているといった通り、墓碑の前で片膝をつき、手を組んで祈りを捧げている青年の姿が見える。木漏れ日を受けて輝く銀糸の髪、目を伏せた端正な横顔、祈りを捧げる静謐な美は、絵画の題材になれそうな可能性を秘めている気がした。
「スイウさんの言ってた先客ってアイゼアさんのことだったんですね」
声をかけられて気づいたのか、アイゼアはふと顔を上げてこちらを向く。
「どうしてここへ来たんですか?」
「赤い星の降った日にメリーはノルタンダールを出たんだよね。なら、今日がきっと君の兄妹の命日なんじゃないかって思って」
「確かにそうですけど、ミュール兄さんもフランもアイゼアさんは会ったことないですよね?」
推測通り今日は命日ではあるが、だからといってアイゼアがここへ来る義理など更々ない。もちろん二人のために祈りを捧げてくれることはとても嬉しいことだが。
理由が全く見えず首を傾げるメリーに、アイゼアはゆっくりと歩み寄り、瞳の奥を覗き込むようにして視線を合わせてくる。
「うん……でも、メリーは僕の大切な人だからね」
全く理由になっていない返答と共にアイゼアはいつもより近い距離感でふっと笑みを零す。
メリーはその絡めとるようでいて優しい瞳から視線を逸らせなくなっていた。そこに留まりたくなるような不思議な感覚と自身の鼓動の音を僅かに感じながら、少し前にトラヴィスに言われた言葉が突然頭の中に降りてくる。
『橙色のカーネーションは夫婦や恋人、片思いの相手に贈るんです』
トラヴィスはアイゼアがこちらに好意を持っていると言っていた。その話だけを真に受けるなら、思わず勘違いしてしまいそうになる雰囲気と言葉だった。
「えっと、それは……」
どういう意味か、と問おうとしてとっさに言葉を飲み込む。これではまるで自分が何かアイゼアに期待しているみたいではないか。
そもそもアイゼアはメリーを信用し、想い人がいると話してくれたのだ。これまでのアイゼアなら自身の内面を打ち明けてはこなかっただろう。
せっかく信頼してくれているというのに、彼の思いを無視してこんな勘違いをしては迷惑だ。トラヴィスが妙なことを言うせいでくだらないことに気を取られてしまったではないか。
「私の兄妹まで大切にしてくれてるってことですか?」
メリーは言葉を変えてアイゼアに尋ねる。そもそも自分も恋愛的な意味はなく『大切な人』と称することがある。
アイゼアもメリーにとって大切な人で、彼が大切にしているカストルとポルッカ、亡くなった養父母のことも大切にし、守りたいと思っているのも事実だった。
「そうだよ。メリーの大切にしてるものを僕も一緒に大切にしたいんだ」
──やっぱり。アイゼアさんも私と同じ考えなんですね。
「二人のことまでありがとうございます」
アイゼアの優しい言葉にじんわりと胸が熱くなる。同じ熱量でアイゼアから大切な人として認識され、もう忘れ去られて風化していくしかない兄妹を思ってくれる人がいることが素直に嬉しかった。
持ってきていた花束を墓前に供えようとし、小さな白い花の野草が二輪と、その隣に白いカーネーションといくつかの白い花で構成された花束が供えられているのが目に留まる。おそらく野草がスイウ、カーネーションの花束をアイゼアが持ってきてくれたのだろう。
「そういえばトラヴィスさんから、感謝祭の橙色のカーネーションの意味を聞きました」
「確か、夫婦とか恋人とか片思いの相手に渡すってやつだよね?」
「そうです。そのせいでアイゼアさんのことすっごく警戒してましたよ。誤解だって伝えたんですけど、わかってもらえなかったかもしれないです。すみません」
アイゼアが供えた白いカーネーションの花束を見て改めて思い出し、少しだけ不安になった。万が一を考え、トラヴィスがアイゼアに何か問題を起こす前に警告しておくことにしたのだ。そんなことをする人ではないと思っているが、痴情のもつれというのは時として人を狂わせることもある。念には念をというやつだ。
あのときのトラヴィスはアイゼアがメリーへ好意を抱いていると決めつけ、こちらの話などほとんど聞き入れてくれなかった。言うことは言ったつもりだが、まだトラヴィスは誤解したままになっているだろう。こんなことで勝手に敵視され、とばっちりも良いところだとアイゼアの巻き込まれ体質を少々不憫に思った。
アイゼア自身は特別不満を抱いていないのか、それとも気を使って隠しているのかはわからないが、いつも通りの何とも読めない笑みを浮かべていた。
「ねぇ。もし誤解してるのはトラヴィスじゃなくて、メリーの方だって言ったら……どうする?」
「へ? 誤解? トラヴィスさんじゃなくて私が、ですか?」
確認するために問いかけたが、アイゼアは穏やかに微笑んで口を噤んだまま何も言ってはくれない。
沈黙が訪れた二人の間に、微かに春の気配を帯びた冷たい風が吹き抜けていく。風に木々の葉が揺れ、さわさわとざわめいた。
自分の方が誤解だということはつまり、橙色のカーネーションの意味通りアイゼアはメリーへ好意を抱いているということになってしまう。忘れていたはずの緊張感がぶり返し、妙に鼓動が耳についてうるさい。
なんか、今日のアイゼアさんは少し変な気が……
訳のわからない不安感まで感じ始め、一度落ち着いて状況を整理する。こちらに好意を寄せているような素振りは今まで一切ない。想い人がいるとも教えてくれた。
そして目の前のアイゼアは真意の読めない相変わらずの胡散臭い微笑みを浮かべている。普段の彼の素行を考慮すれば自ずと見えてくる可能性は一つしかなく、呆れを込めて一つため息をついた。
「私をからかってるつもりかもしれませんが、フィロメナさんじゃあるまいし引っかかりませんって。まったく、こっちは真剣にトラヴィスさんの誤解を解こうと頑張ったのに、それはあんまりなんじゃないですか?」
「……ごめんごめん。誤解したままで良いから、気にしないで。そのうち自分からきちんと話すよ」
「ふーん? なら、精々巻き込まれてくださいねー」
誤解されたままで良いなんて言われてしまったらあの努力は一体何だったのか。懸命に弁明した自分の方が滑稽ではないか。
もやもやした気分を断ち切るため、本来の目的を果たすべく花束を墓前に供える。そのまま膝をつき、手を組んで祈りを捧げた。死後冥界へ送られた後のことをメリーは知らない。それをスイウが教えてくれることもなかった。
だからどうか、この祈りが少しでも二人に安らかな眠りをもたらすよう願いを込める。これ以上苦しまないように、心穏やかでいられるように。何年でも、何十年でも、百年を越えても、この命が尽きるその日まで祈り続ける。自分にできることはもうこれくらいしか残っていないのだから。
「あれから一年経ちました。私は一人でも楽しくやってるし、大丈夫だから。ミュール兄さんもフランも、もう私の心配はしなくていいからね」
声に出して紡いだ言葉は二人には届かない。わかっていても口にせずにはいられなかった。
祈りを捧げ終わり、立ち上がる。アイゼアは傍でずっと待っていてくれたらしい。
「待っててくれたんですか?」
「話でもしながら戻ろうかなって。せっかくメリーと会えたんだし」
言われてみれば、立場が逆なら自分も待っていたかもしれない。アイゼアの提案通り、話をしながらスイウの所へ戻ることにした。
「そういえば、メリーはサントルーサに来てもう半年くらいになるよね。街には慣れた?」
「はい、おかげさまで。ノルタンダールにいた頃よりサントルーサにいる方が伸び伸びと暮らせてる感じがします」
サントルーサに住む人々の大半は人間で、人の流入出も多いせいか個人の細かな事情を極端に詮索してこない。人同士の関係が淡白で希薄だと言えばそうなのだが、その頓着しないカラッとした性質はメリーの肌に合っていた。
「あ、この前トラヴィスさんと会ったとき、私の魔力ごと受け入れるって言ってくれたんですよ」
「えっ……もしかして付き合ってもいいかなーって思ってたりする?」
アイゼアが少し驚いたように食いつき、珍しく目を丸く大きくしている。少し考えればそんなはずもないとわかるだろうに。
「何でそうなるんですか。そういう話じゃないです」
「ならどういう話なんだい?」
「スピリアの霊族は偏見を持ってましたけど、そういうもののないセントゥーロの霊族は案外平気なものなのかなーと不思議に思ったんです」
「うーん……魔力のことは僕にはわからないけど、もし魔力を恐れられてもメリーが本当は優しい人だってきちんと伝われば、みんなに受け入れられていくって僕は信じてるよ」
魔力まで含めた自分が当たり前のように人々に受け入れられる日が来る。漠然としていた希望をアイゼアが肯定してくれたことで、不思議と強気になれた。
彼の言葉はいつも力をくれる。もしかしたら人より少し強い魔力が言葉に秘められているのかもしれない。口にした言葉の言霊の力が全て現実にしてくれるような、そんな気がした。
「サントルーサに来て良かった。こんな私でも社会に馴染んで、人の中で暮らしていけるって思えるんです。それってすごく『普通』って感じがしませんか?」
「そうだね。今はちょっと不思議かもしれないけど、きっとこれが当たり前になる日が来るよ」
アイゼアは前向きな希望を否定せず、むしろ見えなかった明るい道を示してくれる。いつも穏やかに笑って、そっと背中を押してくれる何気ない優しさに強い安心感を覚えた。
「そうなるといいなって、今は素直に思えます」
以前の自分であればそんなことはあり得ないと断言していたに違いない。考え方や価値観が少し変わったのだと、変化しつつある自分を素直に受け入れられた。
スイウの元へ戻ると、フィロメナとエルヴェがそれぞれ白い花の花束を持って泉の近くにいるのが見えた。
「えー! もう二人で先に行っちゃったの?」
「たまたま会っただけだし、僕は誰とも会わないと思ってたよ」
アイゼアを含め、フィロメナもエルヴェも示し合わせてここへ来たわけではないようだった。
「二人とも、ミュール兄さんとフランのためにありがとうございます」
「おそらく今日が命日なのではないかと思って、僅かでも私に何かできることはないかと……」
アイゼアだけでなく、ミュールとフランのことを気にかけてくれる仲間たちがいる。赤い星の降った夜、あの日に自分の世界の全てが奪われ、破壊しつくされた。砕け散った世界にたった一つだけ残った復讐心という欠片を握りしめ、壊れた世界をただただひたすらに駆け抜けた。心身を削るようなあの日々が、今は遠い昔のように感じられる。
崩壊したメリーの世界は少しずつ再生し、今ではこんなにも温かな場所になった。ミュールとフランへの罪悪感と寂寥感をほんの少しだけ抱きながらも、幸せな未来を諦めたりはしない。二人の願いを受けてメリーは生きている。
「十分すぎますよ。どうか、二人の存在を覚えててあげてください」
ゆっくりと目を伏せると、目頭が熱を帯びていくのを感じていた。静かに一度深呼吸し、ゆっくりと目を開く。
今があるのは『未来を切り拓ける』と信じてくれた仲間たちと、メリーの中に人の心を育ててくれたミュールとフランがいてくれたからだ。目の前が、先に見える未来が、驚くほどに輝いてこの目に映った。




