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039 君を蝕む孤独【アイゼア視点】

 夜も更け、すっかり人通りのなくなった通りを街灯の明かりに照らされながら歩く。メリーはふらつくほどではないが、若干足取りがふわふわとしており、アイゼアの肘のあたりを軽く掴んで歩いていた。


 気分が悪くなることはなかったが飲みすぎているのは明らかで、最後の一杯がメリーを変えてしまっていた。あのとき止めるか水を飲むよう勧めれば良かったと半分後悔しつつも、残り半分は現金なことに、頼りにされるのが嬉しくて浮かれている。


「今日はメリーのお祝いなのに、僕の方が楽しみ過ぎちゃったかもしれないね」

 独り言のように呟くと、メリーはまさに満面の笑みといった感じでにこにこと笑顔を返してくる。言葉もなくただただ見つめ続ける潤んだ瞳に浮かされそうになり視線を逸らした。


「……どうしたの?」

「いーえ。笑わないでやりたいことに付き合ってくれたのが嬉しーんです。私もすごく楽しかったですよー」

「そっか。また何かあれば付き合うよ」

「ふふー、ありがとうございまーす」

 名残惜しさに、歩調を少しだけ落とす。ゆっくりと別れの時が迫り、少しずつメリーの家の玄関が見えてくる。


「……あ」

 メリーが何か声を発したと思うと同時に、掴まれていた腕がキュッと引っかかる。メリーが立ち止まったせいらしい。何事かと様子を覗うと、先程の笑みとは打って変わって表情は暗く沈んでいた。


 この短時間に一体何があったのか。終わり良ければ全て良しという言葉があるが、今まさにその真逆を地で突き進みそうになっていた。


「どうしたんだい、メリー?」

 顔を覗き込むようにして、焦りが表に出ないよう微笑む。子供に声をかけるような声色で穏やかに尋ねると、腕に触れる手に僅かに力がこもった。不安定に揺れる瞳の奥は(くら)く底が見えない。いつか見た苛烈さはなく、飲まれて消えてしまいそうな弱々しさを感じた。


 メリーは無言のまま、突然天を仰ぐ。少しの間ぽーっと空を見上げた後、何か腑に落ちたのか一つカクンと(うなず)き、こちらへ向き直る。


「もう夜も遅いんでした。本当に一日のお終いってことですねぇ」

 その呟かれた言葉に似た内容を数刻前に聞いたばかりだ。夕日に照らされた時計塔でメリーはこう言っていた。


『楽しかったのに、もう帰らないと。夕日を見ると一日が終わるって感じしますよね』


 気配は薄まっていないが、あのときほんのりと感じた寂寥感(せきりょうかん)が今はありありと感じられる。別れを惜しんでくれるのは嬉しいが、今のメリーは少し痛々しいと思ってしまうほど表情が暗い。


「あ、いつまでも掴んでたら帰れませんねー」

 メリーは苦笑しながら掴んでいた手をパッと放し、腕に感じていた温もりが遠ざかる。


「ここまで送ってくれてありがとうございましたー。今日は楽しかったです。おやすみなさぁい」

 こちらの沈黙を困らせていると思ったのか、メリーは眉尻を下げながらへらりと緩い笑みを浮かべ、首だけで軽く会釈(えしゃく)する。横をすり抜けて去っていく背があまりにも小さく見えた。


「待ってよ」

 さっさと家に戻ろうとしてしまうメリーの手を半ば反射的にアイゼアは掴んでいた。


「……何かありましたー?」

 何がそこまで彼女を寂しい気持ちにさせているのか、そこまではアイゼアにはわからない。それでもこんな顔のまま今日を終えてしまうのだけは嫌だった。


「メリーさえ良ければ、もう少し話そうよ。夜遅いしさすがに迷惑かな?」

「え、良いんですかぁ?」

「いやいやいや、それは僕の台詞だと思うけどね」

 メリーの表情がふわふわっと明るくなる。元々表情に乏しいわけではないが、お酒に酔っているせいか普段より更に素直に感情が表に出ているように見えた。


「寄っていってください。私ももう少し話したいです」

「良かった。じゃあお邪魔させてもらうよ」

 家に上がらせてもらうことになったのは良いが、同時に本当に警戒心というものが削がれていることに危機感を覚える。


 おそらく一定の信頼を得ていることもあるのだろうが、ある意味自分は試されているのだろう。そして自分だからこそ絶対に間違いは起こさない。


だがここにいるのが別の男だとしたら?


 その想像が頭をよぎるだけで体の芯から冷えていくような心地だった。



 家に入ってすぐ、メリーは紅茶を淹れると言ってくれたが代わりに自分がやると申し出た。正直火を扱わせるのも怖く、無事に茶器を運べるかも怪しい。ひっくり返して火傷でもしたらと思うだけで肝が冷える。


 そんなことよりメリーにはシャワーを浴びるよう言いたいのだが、変に下心があると思われるのはかなり困る。ただ自分が帰った後でシャワーを浴びてるときに寝落ちしないかだけが心配だった。


 同僚が酔っ払って一晩全裸で浴室で寝てたと笑って話していたがそれは夏の頃の話で、この真冬に一晩浴室に全裸で放置というのはあまりにも恐ろしい。室内の冷え具合によっては凍死してもおかしくない。


 そしてあの感じは酔いが覚めるより前に寝落ちすると経験則が訴えている。どうするべきなのか悶々と頭を抱えて悩み、結局メリーにシャワーを浴びるように勧め、その理由も懇々と説明させてもらった。たとえ言い訳がましいと思われても、弁解の余地もなしに変な目で見られるよりは余程マシだ。


 浴室へ行くメリーを見送り、紅茶の準備にとりかかる。眠そうにし始めたら帰ろうと思いながら湯を沸かし始めた。


 しばらくして浴室から出てきたメリーに紅茶を差し出す。


「遅くまで付き合わせてしまってすみません」

「いや、僕が先に言い出したことだし。こっちこそ図々しかったね」

 まだお酒は抜けきっていないのか、力なく微笑む表情にいつものような凛々しさはない。それでも先程までよりは幾分かスッキリしているように見えた。


 メリーは暖かそうなもこもこの部屋着に身を包み、ふんわりと下ろされた髪は普段とはまた一段と雰囲気が違う。旅のときは入浴後も軽く髪をまとめていたせいか、今の姿はかなり新鮮に見えた。


 メリーはティーカップを手にし、ふーふーと冷ましてから口をつける。瞳はまだ寂しさを湛えており、こんなにも弱々しく見えるメリーは初めてだった。


 メリーがアイゼアにいろいろな面があると言ってくれたように、メリー自身も鋭く強いところだけが全てではない。普段は見せなくとも、弱いところや脆いところはあって当然だ。


「さっきは落ち込んでたみたいに見えたけど、気分は落ち着いた?」

「あ、気を使わせてしまったんですねー。すみません」

「気にしないで。楽しそうにしてたのに急に表情が暗くなったから勝手に気になっただけだよ」

 しゅん、と縮こまってしまったメリーは紅茶の水面をじっと見つめながらぽつりぽつりと話し始めた。


「……一人で暮らすようになって、家に明かりが灯ってないことが当たり前なんだって知りました。そのせいかはわかんないですけど、夕方になると何となく寂しくなるんです」

「夕方に、寂しくなるって?」

「はい。みんな帰ってしまいますし。うっかり夕飯を三人分作ってしまったときに虚しくなったり、誰かと会っていても夕日を見るともう終わりなんだな、帰らないとなって思うんです。結局帰っても誰もいないんですけどね」

 お酒の力なのか、メリーは普段絶対口にしないような心情を素直に吐露していく。


 サントルーサで暮らし始めて、寂しそうな素振りなど一度も見せたことはなかった。むしろ毎日を楽しそうに過ごしていると思っていたくらいだ。その裏に一人ぼっちの寂しさが隠れていたとも知らず。


 思えば自分は養父母に拾われてから、孤独は感じても一人で寂しいという思いをしたことがなかった。二人が亡くなった後もカストルとポルッカはいつも自分を待っていてくれて、宿舎にはたくさん友人や同僚もいる。むしろ本当に一人になる時間は任務中くらいしかなかった。


「そんな子供みたいなこと言ってられないって、わかって……るんですけど、ね」

 メリーはずっと兄妹と暮らしていたと言っていた。料理や他の家事に慣れていても、それは一人暮らしゆえの慣れではない。


 アイゼア自身一人ぼっちの孤独も、誰かと一緒に暮らす温かさも知っている。だからこそその温もりを奪われ、ただ一人静かな世界に取り残されてしまった寂しさや恐怖、苦しみがわかる気がした。


「あぁ……すみません。こんな話、聞いてても面白くないで、すよね……大丈……夫、すぐ……慣れ……平気、に……か……何か……を……」

「え、メリー?」


 落としかけたティーカップを慌ててメリーの手から取り上げる。むにゃむにゃと何か言葉を口にしながら、ずるずると体勢を崩し、ソファへ横になった。お酒に酔っていたことに加え一日街を歩き回った疲労もあったのか、うとうとどころかぱったりと眠り始めてしまった。


 あまりにも突然のことに思考が追いつかず、しばらくティーカップを取り上げたままの変な姿勢で停止していた。目の前に横たわった警戒心のなさ過ぎる無防備な姿にカップをソーサーへ戻しながらため息をつく。


「君は僕を何だと思ってるのかな……」

 これでも一応は男性なのだから、アイゼアに対してもそれなりの緊張感や警戒心を持って接するべきだろう。家に入れるとこまではともかく、目の前で寝落ちはさすがにまずいとしか言いようがない。


 お酒も飲み方を気をつけなければだいぶ危うい酔い方をする体質だ。これはしっかり忠告しなければという静かな使命感に駆られる。


 そして同時に感じるのは、きっとメリーにとって自分は安心できる存在なのだということだ。信頼されているということに関して言えば心から嬉しく感じる。一方で異性としては、清々しいくらいに全く意識されていないのだという現状に、何とも言葉にし難い虚無感に苛まれた。


「メリー、起きて。こんなとこで寝たら体冷やすよ」

 揺り動かしながら声をかけるが、目を覚ます気配はない。顔にかかってしまった髪を手でそっと払い、耳の後ろへと流す。指先に触れた柔らかく滑らかな髪の感触に小さな胸の疼きと僅かな罪悪感を覚えた。


「ねぇ、どうしたらメリーの目に僕は映るかな? 少しは異性として意識してくれると嬉しいんだけど……」

 暢気な寝顔から返事が返ってくるはずもなく、問いかけは二人きりの部屋に溶けて消えていく。


 とにかくこんなところで寝たままでは体調を崩してしまう。その後何度もメリーを揺り起こしてはみたが、やはり全く目を覚ましてくれない。すんなり起きてくれるときとそうでないときとまちまちで、疲労と酔いが入っているのだから尚更だ。


 真冬にソファの上に寝かせたままでは浴室に放置するのと結局大した差はない。申し訳なさを感じつつもメリーを抱えて寝室まで運ぶことにした。



 階下に降りてからティーセットを片付け、手帳に今日のお礼とお酒の飲み方に関する注意や男性には十分に警戒するようにと書き記していく。紙面は上から下までびっしりと文字で埋まってしまったが、こればかりは仕方ない。アイゼアはそれを破り取り、書き置きとして机に残した。


 人目につかない裏庭の扉から外へ出て、鍵明け道具を使って手早く施錠する。妙なところで貧民街育ちの能力が役に立った。今まで開錠しかしたことがなかったが、まさか施錠に使う日が来るとは。


 庭の端にある塀に登り、そこを伝って歩く。まるで泥棒だなと心の中で呟きながら、通りに出て帰路についた。



 街灯に照らされて長く伸びた影を追うようにして夜の街を歩いていく。アイゼアは自身の影を見つめながら、あることを考えていた。


 メリーが消えそうになるときの条件のことだ。今日一緒に過ごし、本音を聞けたことで一つハッキリしたことがある。

 あの言葉をそのまま受け取り、これまでの状況と照合するのなら、『夕方』に『寂しい』と感じたときに人ではない方へ傾くと考えて間違いないだろう。


 以前感じなかったときは本人の意識がなかったり、誰かと一緒に過ごしていて相手が帰る素振りがなかったからだ。そして先程消えそうだと感じなかったのは夕方ではないからだと結論づけた。


 メリーが孤独に慣れたら、あんなふうに消えそうになることもなくなるのだろうか。それとも慣れきって諦めの境地に立ったとき、いよいよ消えてしまうのか。そのあまりにも不安定過ぎる状態に、アイゼアは焦燥を感じずにはいられなかった。

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