036 一人ぼっちの僕の行き着く場所(2)【アイゼア視点】
橙色の街灯に照らされた石畳を歩く。吐く息は白く、空気が冷たく凍てついている。夜になってから降り出した雪が地面にうっすらと積もり始めていた。
見えてきたメリーの家はまだ明かりが灯っている。本当に夜通し飲むつもりなのかそれはわからないが、誰かが起きているのは間違いなさそうだ。
扉の前に立つと、中から複数の人の賑やかな声が聞こえる。呼び鈴を鳴らして少し待つと、扉がゆっくりと開いた。
「こんばんは、メリー」
目が合い、疲れを気取られないように普段通りに微笑む。メリーは驚いたのか目を丸くしながら口を開いた。
「来てくれたんですね! 寒いですし、早く入っちゃってください」
優しい微笑みと共に招き入れられ、つんと目に沁みる。それは暖房の暖かさか、人の温もりか。
メリーは雪を払うように、アイゼアのコートにポンポンと触れてくる。魔力を使っているのか僅かな温かさと共に、雪で湿った部分があっという間に乾いていった。メリーと一緒に暮らしたら、こんなふうに優しく出迎えてくれることもあるのだろうと、思わず想像が膨らんでしまう。
「てっきり来られないんだって思ってました」
「いや、ついさっきまで残業しててね。やっと終わってすぐに来たんだよ」
「え、こんなに遅くまで残業ですか……お疲れ様です」
気の毒そうに眉尻を下げるメリーの向こう側から、アイゼアを呼ぶ陽気な声がする。
「あー、アイゼアも来たのねぇー! あっははははっ!」
何が面白いのかわからないが、フィロメナはこちらを見て笑い転げている。頬はすっかり赤く、しっかり酔っ払いとして出来上がっていた。
酔っているのはフィロメナだけでない。顔を赤くしたミーリャは見たことのないふにゃりとした笑みを浮かべ、暖炉の前の椅子でぐったりと眠っているし、スイウはお酒の入ったグラスを握ったまま、テーブルに突っ伏して微動だにしない。
普段と変わらないのはエルヴェとペシェ、出迎えてくれたメリーだけのようだ。
「ヤベーなって思ったでしょ。フィロメナちゃん飲んでも大丈夫って言ってたのに全然大丈夫じゃないし、スイウくんは無言で水みたいに飲むようになってさっき電源落ちたとこ。ミーリャはまぁ、いつも通りなんだけどさ」
「あぁ……なるほど」
ペシェは肩を竦め、呆れたと言わんばかりにため息をついた。
「アイゼアさん、夕食は食べてきてますか?」
「それが……朝食を食べたきり何も口にしてなくて……」
「え、昼も夜も食べてないんですか? ミネストローネがありますけど、食べます?」
「いいのかい? 店も開いてないし困ってたとこで……本当に助かるよ」
正直へろへろで力が入らないほど空腹を感じている。強烈な空腹に、まだ盗みも満足にできなかった頃のひもじい自分を少しだけ思い出した。
アイゼアは皆がいるリビング方ではなく、ダイニングの方のテーブルの前に座る。すぐに熱々のミネストローネが運ばれ、他にも豚肉のオーブン焼きと以前も食べたアンチョビのグラタンまでついてきた。
「余り物ですみません。残ったのはこれだけしかなくて……」
「十分すぎるよ。ありがとう」
早速ミネストローネを口に運ぶと、スープが舌の上にじんわりと広がり、顔が綻ぶ。
満足に物を食べられなかった頃どころか、今でも忙しさに追われてパンや携帯食で軽く済ませてしまうことも多い。こうして温かいものが食べられるというありがたさまでが体に沁みていく。
「スープのおかわりだけはまだあるので、遠慮なく言ってくださいね」
「ありがとう。それにしても、本当に美味しいなぁ……」
「エルヴェさん直伝ですから、間違いないですよ」
小さな幸せに思わず涙ぐみそうになる。野菜たっぷりのミネストローネはスープにも関わらず食べ応え十分だ。空腹感と共に、疲れきっていた心がゆっくりと癒されていくようだった。
豚肉もグラタンも食べきり、満腹になるまでスープを堪能した頃、ペシェとエルヴェがこちらのテーブルへと移ってきた。
「アイゼア様もお酒を飲まれますか?」
「飲めるなら付き合ってよ。あっちみんな酔い潰れて寝ちゃったし、メリーもエルヴェくんも飲まないって言うからさー」
ペシェはお酒に強いのか、顔色も性格も特に大きく変わったところはない。
「そうだね、少し貰おうかな」
エルヴェが新しいグラスを一つ手に取って氷を入れ、アイゼアの前へと差し出す。ペシェが持っていたボトルから琥珀色のお酒がとぽとぽと注がれた。
早速一口含むと、まろやかな甘みとスッキリと鼻に抜けるような香りがした。強そうなお酒だが、ペシェは平然と飲み続けている。アイゼアも決してお酒に弱いわけではないが、きっとそれ以上に強そうだと感覚的に思った。
「ねー、メリー。ホントに飲まないのー? せっかくの宅飲みなのにさー」
「三人も酔い潰れてて飲めませんよ」
「アタシが面倒見るから大丈夫だって。一度くらいアンタと飲んでみたいのよねー」
「それは……そうですけど」
「メリーってペシェと飲みに行ったことないのかい?」
「ないない。ミュール兄さんの容態が急変したときに酔い潰れてたなんて冗談じゃない、が口癖だったからね」
「なるほど」
その気持ちはわかる。もし自分の油断によって取り返しのつかない事態に陥ったら必ず後悔するだろう。それもメリーの場合は兄の命がかかっていたのだから尚更だ。
ペシェは空のグラスに氷を入れてからお酒を注ぎ、メリーの前へ有無を言わさず差し出した。せめて何かで割った方が良いのではないかと不安に思うが、割れるような隙間もないほど容赦なくなみなみと注がれている。
メリーはじっとそのグラスを見つめた後、一杯だけですからね、と不満そうに漏らしながら口をつけた。
その様子をこっそりと眺めながら、アイゼアもお酒を飲み進めていく。メリーは断るかと思っていただけに少し意外に感じた。
こくりとメリーの喉が動き、お酒を飲み下す。その瞬間、思いきり顔を顰めて再びグラスを凝視し、手を口元に当ててけほけほと咽せる。
「ぅ……食道が焼けるような感じがします」
「あははっ、アンタには強すぎたみたいねー。酔うの怖がるからあんまり強くないんだろうなーとは思ってたけどさ」
「口に含んだ瞬間吐き出しに行ったフィロメナさんよりはマシですよ。それと、飲めないとわかっててなみなみと注ぎましたね? これじゃジュースで割れないじゃないですか……」
メリーは眉間をしわしわにしながらも、グラスの中身を減らすため、ちびりとまた一口飲む。本当に舐める程度にしか飲んでいないのか、中身は笑ってしまいそうなほど減っていない。
「メリー様、無理せず新しいものをジュースで割って飲んだらいかがですか?」
エルヴェがジュースのボトルとウィスキーのボトルの両方をメリーへ差し出す。
「それがいいわね。美味しく感じないものを無理して飲む必要もないし。アタシまだ注いだばっかだから、アイゼアくん代わりに飲んだげてよ」
確かにペシェのグラスは注がれたばかりなのか、必要以上にスレスレまでお酒で満たされている。比べて自分のグラスは半分は空いていた。元々ペシェが控えめに注いでいたこともあるが。
ペシェはサッとメリーからグラスを取り上げ、さも当然のようにアイゼアの前に置く。視線をグラスからペシェへ移すと、軽くウインクをされた。
完全に嵌められた。これを狙っていたからメリーに必要以上にお酒を注いだのだ。最初からペシェの企みだったのだとようやく理解した。
「うん。僕が飲むから、メリーは新しく注ぎ直すといいよ」
「すみません。じゃあ、お願いします」
自分が飲んでいたものを相手が飲む。多少意識してくれなくてはこの一連の流れは全く意味を成さない。だがメリーは全く気にもしていないのか特別期待するような反応もなく、すぐに新しいグラスにお酒とジュースを注ぎ始めた。
これ、僕が無駄に意識して緊張するだけでは……?
そう心の中で呟きながら、自分のグラスに入っているお酒を飲み干した。
いつも通りの笑みを貼り付けながらペシェを凝視すると、メリーを一瞥し、肩を竦めて眉尻を大げさに下げる。「残念、ダメだったわー」と言いたげな表情だった。要らぬ協力というやつである。ペシェに気持ちを明かしたのは時期尚早だっただろうかと早くも後悔が半分くらい占めていた。
アイゼアは極力意識しないようにしながら、メリーの飲んでいたグラスに口をつける。できるだけ早く空にするためにいつもより多く口に含み飲み下す。度数の高いお酒が熱さを伴って喉を通り過ぎていき、じんと痺れるような熱にくらりとした。それをどこか心地良く感じてしまって危ない。
普段酔っても性格が変わったりはなかったが、今日は普段通りでいられるだろうか。正常な思考を保っていられるか若干不安になってくる。
「アイゼアさん大丈夫ですか、ぼーっとしてますけど。ジュースで割りますか?」
「ありがとう。でも大丈夫だよ。少し考え事をしてただけだから」
適当に濁しながら、グラスの中身を減らしていく。これさえ空けてしまえば、きっと大丈夫なはずだ。
メリーはジュースで割ったお酒を飲みながら、ペシェやエルヴェと楽しそうに談笑している。すでにほんのりと酔っているのか、浮かべている笑みはいつもより僅かに緩い。本当に小さな違いでしかないが。
それをぼんやりと眺めていると、不意に外から鐘の音が聞こえてくる。三人はピタリと会話を止め、不思議そうに耳を澄ましていた。
「サントルーサは新年になった瞬間、時計塔の鐘を鳴らすんだよ。十二回ね」
生まれたときからサントルーサで育ったアイゼアとは違い、三人はこの街で新年を迎えるのが初めてなはずだ。
「新年おめでとうございます、ですね」
十二回鐘が鳴るのを静かに聞き届けたあと、メリーが顔を綻ばせながら祝いの言葉を口にする。
「新年おめでとうー!」
「おめでとうございます。誰かと一緒に新たな年を迎えるなんて、何年ぶりでしょうか……!」
「おめでとう。僕も本来なら寮で新年を迎えてただろうねー。誘ってくれてありがとう、メリー」
「いえ、私もみんなと新年を迎えられて良かったです。来てくれなかったら一人でしたから」
そう言って笑うメリーの表情は、少しだけ悲しく寂しそうなものだった。きっと今までは亡くなった兄と妹と、三人で過ごしていたのだろう。今年はメリーにとって、初めて兄妹のいない年越しだ。
「さ、新たな新年を楽しくやってくためにも、飲も飲もー!」
「ペシェ! 私はもうジュースで良いんですって」
ペシェは容赦なくメリーのグラスにお酒を注ぐ。まだまだメリーとお酒を酌み交わしたいらしい。
だが、注がれたグラスの中身はお酒よりもジュースの割合がかなり多いところに、彼なりの小さな気遣いを感じた。
賑やかな夜の宴はまだまだ続く。楽しげな笑い声を聞きながら、アイゼアはふと笑みを零した。




