035 一人ぼっちの僕の行き着く場所(1)【アイゼア視点】
十二の月、三十一番の日。国民の大半が休暇を取り、各々家族や友人と過ごす日でもある。
そんな一年の最後の日の夜、アイゼアは何をしているかといえば……残業である。なんとしてでも年が明ける前に終わらせようと、死に物狂いで書類作業を進めていた。
本来なら、昼勤であったため夕方には帰宅できるはずだった。カストルとポルッカと過ごし、夜にはメリーに会いに行こうと画策していたが、全ての計画が丸潰れである。
「ふざっけんな、あのクソハゲ野郎!! 来年会ったらブッ殺す!! むしろ今年のうちに死ねぇぇーっ!!」
「ルーズ先輩、めちゃ口悪ぅ〜い。でも気持ちはめちゃわかりますぅ」
同じく昼勤から働いている同僚のルーズが怒りで発狂し、ラセットがそれに賛同している。
「ラセット煽らないで。ルーズもちょっと落ち着いてよ……っていうか、二人とも手! 手を動かしてくれないかなぁ?」
「アイゼア、お前珍しく苛立ってるな。大丈夫か? 後は夜勤の俺らでやるから帰ったらどうだ?」
「スマルトさんやめてくださいよっ。こんなんオレら夜勤三人で終わる量じゃないっすよー!」
夜勤組のスマルトの提案は、同じく夜勤組のシャルの嘆きによって阻止される。
「……だよなぁ。日付変わる前には何とか終わらせて帰してやれるといいんだけどな」
スマルトの言葉と思いやりが沁み、少しだけ頑張ろうという気力が湧いてくる。そもそも彼も所帯を持っていながら、年末の夜に仕事をしているのだ。文句などぶつける気にもなれなかった。
元々年末年始は緊急の任務や長期任務でも帯びていない限りは業務を抑え、治安維持と内勤の仕事のみに絞られている。特殊任務隊は仕事柄、人員も平常時より少人数配置だ。年末の少し前がかなり忙しくなり、年末自体はさほど忙しくならないというのが通例だった。
ならなぜ残業しなければならないほど膨大な書類作業に追われているかと聞かれれば、ルーズが叫んでいた『クソハゲ野郎』のせいとしか言いようがない。
特務騎士は場所を問わず任務に赴く性質上、報告書をそれぞれ依頼してきた部署へと送ることになっている。そしてその報告書は上半期と下半期の年二回に分けて上へ提出されるのだが、ここで問題が起きた。
北西区の区隊長が、報告書が一枚も提出されていないと言いがかりをつけてきたのだ。大方紛失したのだろう。
失態を揉み消すため、提出を怠ったのではと無茶苦茶な言い分で罪をなすりつけられた。責任を持って報告書を用意しろと命令され、当然貴族の上官に逆らえるはずもなく従うに至ったわけだ。
ルーズが直接文句をぶつけそうになっていたが、言っても無駄だという分別がつくからこその特務騎士なわけで、そこで楯突くようでは問題ありだ。
「あのクソハゲ、なーにが『精々汚名返上できるよう頑張りたまえ。私は君たちの働きに期待しているぞ』だ。何様目線だよ、クソが。で、自分は別荘で長期休暇〜ってか? マルアースルの海に沈んじまえっ」
ルーズの呪詛を聞きながら、書類の記入を急ぐ。速さ重視のため普段よりも乱雑な字で、最低限の情報を任務記録簿から写していく。
北西区関係の任務を洗い出すのに思いの外時間がかかり、夕方からようやく報告書の作成に着手し始めた。こんなことを昼前からずっと続けている。
手元の懐中時計が十九時を差していた。あと五時間、自分含め日勤の騎士が放棄しなければ年が明けるより前には帰れるかもしれない。
「あーん、恋人と過ごす約束してたのに、また会えないなんてあんまりですぅ〜! これじゃ、あたしもアイゼア先輩みたいに拳で殴られちゃうかもですよぉー!」
まるで事故のように突然ぶつけられた嫌な記憶に不要な力が入る。ペン先がバッキリと折れ、あふれたインクが紙を容赦なく汚していく。
ただでさえ計画を潰され、気が立っているような、それでいて虚しくて吐きそうな気分を抱えて仕事しているのにあんまりだ。本当にあんまりだ。
「ちょ、何か拭くもの!」
「アイゼア? おーい、戻ってこい!」
「お前は馬鹿か、ラセット! 空気読め! アイゼアにトドメ刺してんじゃねーよ! 戦力減らしてどうするんだぁぁー!!」
「ごめぇーん、悪気はなかったんですぅー!」
「待ってぇ、頼むから行かないで〜っ!!」
アイゼアはもう帰ろうかと立ち上がりかけたが、シャルに縋りつかれ抵抗する体力もなく断念した。
それから愚痴を聞いたり、雑談を交わしながら、何とか紛失された分の報告書を作成して提出した。
懐中時計の針はもうすぐ二十二時半を指そうとしている。すっかり遅くなってしまい、カストルとポルッカはもう布団に入ってしまっているだろう。
同僚たちと軽く挨拶を交わして別れ、騎士団の宿舎にある自室へと戻る。年末年始の宿舎は家に帰省する者も多く、異様なほどに静かだ。
実家には部屋はおろか、自分専用のベッドすらない。アイゼアにはこういうときに帰れる場所がなかった。
コートを脱いで適当に椅子へと放り、ふと鏡を見ると、死人のような顔がまるで亡霊のように映り込んでいるのが見えた。本当に酷い顔で、乾いた笑いが小さく漏れる。
何もかもがどうでも良くなり、冷え切ったベッドへ倒れるようにうつ伏せで沈み込んだ。シャワーを浴びないといけないのはわかっているのだが、面倒で気が重い。
別に仕事自体は大変だったわけではない。戦闘を伴う任務の方がよほど神経も体力も使う。だがそういった任務よりずっと疲れているのは、心が追いつかず荒んでいるからだ。
なぜ一年の最後の日まで、こんな馬車馬の如くこき使われているのか。北西区の区隊長は全てを丸投げにして勝手に長期休暇に入っておいて。
虚しい……疲れた。
カストルとポルッカに会いに行く約束を守れなかった。
夜にはメリーに会いに行けたらと思っていた。
なのに結局仕事に明け暮れ、誰にも会えず終いだ。
もう何も考えたくない。
泣きたくなるような重苦しい感情を乗せ、体から全ての空気を抜くように深いため息をついた。そこから少し遅れて、静かな部屋にお腹の鳴る音が響く。
「あぁ……何も食べてないんだっけ」
思えば昼食も夕食も食べ損ねてしまっており、今日は食堂も休みだ。この空腹も翌朝まで我慢しなければならないらしい。アイゼアはベッドの上でごろりと仰向けになり、窓の外へと目を向ける。雪が降っており、月も見えない暗い夜だった。
窓の外側にいつもはないはずの丸い何かがあることに気づく。体を起こしてよくよく見ると、それはふっくらとしたふさふさの小鳥だった。この三毛猫みたいな色の可愛らしい小鳥はメリーの使い魔とよく似ている。
窓を開けて小鳥を招き入れると、アイゼアの膝の上にちょこんと飛び乗り、シュルシュルと一枚の小さな紙片に変わっていく。二つ折りになっている紙を開くと、少し癖のある丸い字で何かが書いてあった。
【年越しパーティーをやると、突然家におしかけられました。アイゼアさんも時間があればぜひ来てください。ペシェとフィロメナさんが今日は夜通し飲むと言って聞きません。むしろ助けてください。 メリー】
「ふふっ、困ってる」
文字からもペシェたちが押しかけてきたときのメリーの困惑ぶりと表情が想像できるようで、思わず小さな笑いが漏れる。先程までの陰鬱とした気分はどこへやら、この小さな手紙一枚に救われている自分がいた。
アイゼアは軽くシャワーを浴びてから私服に着替え、宿舎を出て足早にメリーの家へと向かう。雪が降っているのに、不思議とあまり寒さを感じなかった。




