020 孤高の君へ抱く、僕の密かな好奇心(1)【アイゼア視点】
昨晩の薬の密売に関する案件の報告書作成に追われ、眠気を飛ばすためにアイゼアはコーヒーを口に含む。定量よりも濃く淹れたコーヒーは思わず眉間にシワが寄るほど苦い。
目元を押さえて疲れた目を揉み解していると斜向かいの席に座っていた同僚のプルシアが小さく声を上げた。
「何かあった?」
気になり声をかけると、彼女は小さくため息をつきながら、紙で指を切ったのだと答えた。アイゼアは引き出しから小さな銀色の平たい缶を取り出しプルシアへと差し出す。
「何これ?」
「傷薬だよ」
「ありがと。へぇ、ちょっと良い匂いがするね」
プルシアは傷薬を傷口に塗っていくと、少し首を傾げた。
「あれ……何かヒリヒリしなくなってきた気がする」
「それ魔法薬だからね。痛みを和らげる作用もあるって」
「即効性なの? いいね、これ私にも頂戴よ」
「ダメだよ、それ貰い物だからね。売ってるお店は教えられるけど」
これはメリーから、少しでも役に立ててくれとお礼として貰ったものだった。アイゼアは傷薬をプルシアから返してもらいながら、貰った日のことを思い出していた。
* * *
以前梔子の木を譲るという話をし、非番の日である今日、アイゼアの実家へメリーが直接来ることになっている。
すぐに応対できるよう、学校へ行くカストルとポルッカを見送ってからずっと庭の椅子に座っている。ただぼんやりとしているというのも暇なので、先日買ったばかりの冒険小説を読んで待つことにした。
すっかり夢中になって読み耽っていたが「アイゼアさん」と名前を呼ぶ声に顔を上げる。鉄格子の門の向こうから手を振るメリーの姿を見つけ、心の奥がふわりと軽くなるような心地がした。その隣には連れて行くと宣言していた通り、彼女の学生時代からの友人であるペシェとミーリャの姿もある。
アイゼアは門の鍵を開け、三人を庭の中へと招き入れた。ペシェとミーリャは物珍しそうに庭の様子を観察している。
「へー……アンタってホントに貴族の坊っちゃんだったのねー。おチビちゃんたちにも『兄様』って呼ばれてたもんねぇ」
「似非貴族っぽい」
「まぁ、僕はただの養子で元々貴族じゃないしね」
貴族と言っても取り立てて位も高くない。おまけに自分は付け焼き刃みたいなもので、元を辿れば貧民街育ちの子供だった。貴族に見えないと言われても仕方ないだろう。
「それより、依頼の梔子はどこ?」
「庭の隅にあるあの木だよ」
ミーリャにせっつかれ、庭の片隅に植わっている梔子の木まで三人を案内した。
「本当に移植する手配とか全くしてないけど大丈夫?」
いつ梔子の木を引き取りに来るか相談したときに、何も準備はしなくてもいいとメリーは言っていた。その言葉通り庭師にも、譲渡することを伝えただけで声をかけていない。
「大丈夫です。そのために二人に来てもらったんですから」
「そうそう。前に頼まれた爆弾作りに比べたら平和的だし、こんなのお安い御用よ」
「うん、キミは大人しく見てて。それより、もう始めていい? さっさと終わらせたい」
「あぁ……よろしく頼むよ」
何か物騒な単語が聞こえたような気がしたが聞かなかったことにしておく。二人は余程自信があるらしく、ペシェに至ってはやる気満々で腕捲りをしていた。
「アイゼアさん、少し離れますよ」
メリーに袖をつんつんと小さく引っぱられ、二人よりも離れたところで様子を見守る。ペシェとミーリャが手をかざすとミシミシと音がし始め、梔子の木の周囲の地面が割れた。そこから下へ掘るようにみるみる地面が削り出されていく。
何とも豪快なその作業を眺めていると「アイゼア! 他人の家の庭で何を勝手なことを!!」という、癇癪を起こしたような声が屋敷の方から飛んでくる。その一声にペシェとミーリャが作業の手を止めた。
「アンタねぇ、他人の家の庭ってどういうことよ?」
「ウチ、泥棒は手伝わないけど」
「えぇー……アイゼアさん、どうなってるんです?」
三者三様の感情が込められた視線がアイゼアを刺す。叔母には事前に話を通しておき、了承も得ていたはずだ。
「ごめん、ちょっとうちの事情は複雑で……少し待っててくれないかな?」
アイゼアは叔母と話をつけるべく赴こうとしたが、叔母の方から凄まじい形相でこちらに迫ってきていた。
「叔母様。梔子の木を友人に譲る話はしてあったはずです。一体どういうおつもりですか?」
カストルとポルッカの生活を保証する約束で土地も財産も全て譲った。だが貴族位や形見に相当するものの所有権、カストルとポルッカの親権は、サヴァランがラウィーニア公爵家お抱えの法律家をつれてきてくれたおかげで交渉の末勝ち取れた。その中に形見の保護義務も含まれているため、今日までこの木は守られてきたのだ。
「木は貴方のものなんだから切るなり焼くなり好きにしてもいいわ。でもね、庭を荒らして無茶苦茶にしていくなんて許さないよ! ここはもう私たちの庭、貴方は余所者で所有権もないの。財産分与のときに貴方も承諾したはずでしょう、わかる?」
「それはもちろんです、叔母様」
癇癪を起こし捲し立ててくる叔母に対し、あくまでも冷静に対応する。だが地面は割れ、無残に掘り起こされかけているのは事実だ。これを元通りにと言われると相当骨が折れるだろう。庭を荒らされて怒り心頭な気持ちはわからなくもない。
とはいえこれを整地するのには相当費用がかかるだろうなという考えがよぎり、気が遠くなった。
「不毛な言い争い。くだらな、もがっ!」
「ちょ、ミーリャ言い方……!」
バッサリと切り捨てるミーリャの口をペシェが慌てて両手で塞ぐ。ぼそっとした小さな声だったが、叔母はしっかりと拾っていたらしくますます眉を吊り上げた。
「不毛ですって? 他人の家の庭を荒らしておいてなんて失礼なの!」
「敷地に立ち入っておきながらご挨拶もせず、大変失礼いたしました」
見かねたのか、矢面に立つようにメリーが叔母の前に進み出る。
「お初お目にかかります。私はアイゼアさんの友人のメリーと申します」
メリーは左手を胸元に添え、丁寧にお辞儀する。そのしなやかで美しい所作に思わず目を奪われた。流れるような鮮やかさとまとう風格は、彼女が曲がりなりにも御三家と呼ばれる名家の生まれであったということを証明しているようだった。
「心配されるのも無理はないでしょうが、どうぞご安心ください。まるで最初から木などなかったと思うくらい綺麗に整地してご覧にいれましょう」
できますよね、と声をかけながらメリーはペシェとミーリャへ目配せした。
「当たり前よ、アタシを誰だと思ってんの? そもそも文句言われるの大っ嫌いだし」
「この程度なんてことない」
「……最後まできちんと責任取ってくれるなら文句はないの。見てるからさっさとやってちょうだい」
「はぁ……本当……誰のせいで中断したと……」
「はーいはいはいはい! 作業頑張るわよ〜?」
ペシェは笑みを引きつらせながら、ミーリャの腕を引っ掴んで離れていく。二人は手をかざし、中断していた作業を再開した。
「奥様。今、地術で根を傷つけないように土を掘り起こし、風術で掘り起こされた土を払い退ける作業をしております」
「地、術?」
「私たちは霊族なので、魔術が使えるのです」
怒りと不安が入り混じった表情のまま作業を凝視する叔母へ、メリーが何が行われているのかを解説する。
アイゼア自身も見ただけでは何がどうなっているのかわからなかったため、かなりありがたい。やがて梔子の木が根まで露わになると、ゆっくりと空中へ浮かび上がり、少し離れた所へ横たえられる。
「風術で梔子の木を浮かせて根ごと抜きました。ここからは風術で土を戻し、地術で整地していきます。瞬きせず、よくご覧になっていてくださいね」
メリーの説明通り、掘り起こされた穴へと吸い込まれるように土が戻っていき、瞬く間に埋め立てられていった。ぽっかりとそこだけ茶色くなった地面にミーリャが手を触れる。しばらくそうした後、今度は芝生の茂る位置まで移動し、再び地面に手を触れた。
するとその手の先から芝生が育ち、茶色く剥き出しになっていた地面がじわじわと緑に覆われていく。
「草術で芝生の成長を促し、掘り起こした痕跡を消しました。どうですか? 木を抜いたばかりには見えないと思いますが」
なぜか誇らしげに、満足そうな笑みをメリーは浮かべていた。叔母は驚いて声も出ないといった様子で、呆然と梔子の木があった場所を見つめている。
「何か気になる所はございますか?」
「……いいえ、何もないわ」
感嘆のため息と共に叔母は呟く。
「メリー! 梔子の木、ちゃっちゃと運ぶよー!」
ペシェは横たえていた梔子の木を風術で浮かせて運びながら、門の方へと歩いていく。
「お騒がせして申し訳ありませんでした。それでは、私たちは失礼させていただきます」
メリーは叔母へ軽く会釈をし離れていく。その颯爽と去りゆく背中には寸分の隙もなく、何とも凛々しい。叔母の非礼に怒ることもなく気丈に振る舞っていた。最後まで誠実に仕事を果たしてくれた三人にアイゼアは心から感謝した。
「叔母様、僕もこれで失礼します」
アイゼアは叔母へ会釈し、三人の背中を追った。




