016 グラスを交わす夜(2)【メリー視点】
皆でグラスを交わしたあと、果実酒を口にする。爽やかな果物の香りが鼻を抜け、甘さと僅かな酸味が口内を満たす。甘ったるさはなく、料理の食べ合わせとも悪くはなさそうだ。
「これがお酒? あまり甘くないジュースって感じね。美味しー!」
フィロメナは満足そうに顔を綻ばせお酒を楽しんでいる。空腹にお酒を入れると酔いが回りやすくなるため、メリーはお酒はそこそこに、早速取り皿へ料理を取ることにした。
会話を楽しみながら料理を食べ進める。エルヴェはともかく、アイゼアもスイウもお酒にはそこそこ耐性があるのか特に様子が変わったところはない。メリー自身はほとんどお酒を飲む機会がなく、悪酔いどころか酔ったと思うほどの量を飲んだことがない。そのため、自身が酔うとどうなるのかを把握してはいなかった。
とにかく今日のこのグラス一杯が人生で一番一度に沢山飲んだ量ということになりそうだ。ただあまり強い方ではないのだろうな、ということだけは感覚的に理解はしている。それでも今日は一杯だけで、それでもまずいと思えば飲むのを止めればいい。
問題はフィロメナだ。グラスの三分の二くらいがなくなっているが、彼女の雰囲気が少し怪しい。メリーよりも弱いのかそれとも酔いやすい体質なのかはわからないが、頬が赤く普段より更によく喋る。
おそらく酔うと機嫌良く饒舌になる人なのだろう。とりあえず今はそれだけなので特に迷惑をかけているわけでもない。話を聞いているエルヴェやアイゼアは楽しそうにしているので良いのだが、その後のことに若干不安を覚える。
「どうしたの、メリー? フィロメナが心配?」
こちらの不安を察したのか、アイゼアが小さく声をかけてくる。少し普段と様子が違い心配だと伝えると、アイゼアは軽く笑って大丈夫だと言う。
「確かに強くはないんだろうけど、あの感じなら迷惑もかけないし、お酒がなくなれば少しずつ落ち着くと思うよ」
どこか経験則っぽさを感じる言葉から、アイゼアがおそらく騎士の仲間たちと飲みに行き、いろんな人を見てきたのだということがわかる。それでもまだフィロメナのグラスには三分の一が残っていた。あの三分の一が彼女を狂わせないことを今は切に願う。
アイゼアと会話をしていると、フィロメナはこちらを見つめ「思い出したー」と嬉しそうに声を上げる。
「そういえばメリーは、今日アイゼアを助けてたわねー。格好良かったわよー! あたしのこと助けてくれたときも、すごかったんだから〜」
「メリー様がフィロメナ様を? 何かあったのですか?」
「あったのよ! ちゃあんとみんなに報告しなくちゃよねー」
「はい? しなくていいんですけど、その報告」
「あんたたちを助ける前に、あたしのこともナンパから助けてくれたの!」
そう言ってもフィロメナは意に介すこともなくつるつると喋り、三人も興味を持ったのか耳を傾け始める。
「へぇ、フィロメナもナンパに遭ってたんだね……」
それを聞いていたスイウも小さく笑い始める。
「お前ら二人して引っ掛けられそうになったのか? 子守は大変だったろ、メリー。で、どうやって撃退したんだ?」
どこか含みのある言い方でスイウはこちらへ視線を向ける。普段はどちらかといえば忠告される側なこともあり、その辺りに文句を言うつもりはない。たが、どうせ魔術を使ったんだろ、と言いたげな雰囲気には不満を感じた。
「私、魔力は一切使ってないです。約束はきっちり守りきりましたからね」
「それは本当よ〜! あたしがばーっちり保証するわー」
フィロメナが肯定したことで、信じられないという三人の視線が一気に突き刺さる。いくら何でも失礼じゃないかという思いと、普段の素行を思えば仕方ないとも思えて複雑な気分になった。
「なぁ、魔力を使わずにフィロメナをどうやって助けた? アイゼアもエルヴェもいなかったんだろ?」
「それはねぇ、メリーがあたしの恋人になってくれたからよ。もー、あのときは顔が燃えるくらい恥ずかしかったんだから〜!」
「恋人……?」
「ちょっと、フィロメナさん! そこまで説明する必要ないですから!」
「みんなにメリーの頑張りを証明しなくちゃ、でしょ〜。ね、ね、みんなもメリーのこといーっぱい褒めてあげてー」
「証明しなくていい、いいんですって!!」
抗議も虚しく酔いの回ったフィロメナは、あの時のことを身振り手振りまで交えて事細かに語り始める。そのときのフィロメナの心境まで興奮気味に実況しながら。
魔術で黙らせることもできず、席を立ってフィロメナとごちゃごちゃ揉み合いになるのもさすがに周囲の迷惑になる。最初こそ必死に訴えて止めようとしたが、勢いは全く収まらずどんどんと語られていき、羞恥に耐えられなくなって死んだ。
今のメリーはテーブルの真ん中に置かれた、白目の頭と骨だけという無残な姿を晒す白ワイン煮の魚のようだった。
「あれがメリーじゃなくて素敵な男性だったら、あたし恋に落ちてたのかもしれないわ〜……はぁ……」
赤らめた頬に両手を添えてにやけているフィロメナを、死んだ魚のように見つめることしかできない。
アイゼアは自分も助けられた手前笑うわけにはいかないと肩を震わせながら必死にこらえているし、エルヴェは呆けて口を開いたままぱちぱちと目を瞬かせている。スイウはこれでもかというほど無遠慮に爆笑しているし、料理は全く味がしなくなった。
「でもよくあの場であんなの思いついたわよねぇー。メリーったら大胆〜」
「……いや、あれは……この状況をアイゼアさんならどう覆すかなって考えてたら閃いたんです」
「僕!?」
笑いが収まりかけていたスイウが吹き出しまた爆笑し始める。突然とばっちりを食らう形になったアイゼアは「君は僕を何だと思ってるのかな……?」と戸惑っていた。
アイゼアならきっとフィロメナの恋人を演じて、あの場を上手く収めるだろうと思ったのだ。確かに自分がそれを真似するのは苦しいものがあったのかもしれないが、結果的に上手くいったのだから何でもいいではないか。
「確かに、アイゼア様なら男性ですしメリー様の対応でも驚かれることなく通りそうですね」
エルヴェは包み込むような穏やかな笑顔で、合点がいきましたと頷いてくれる。変に色眼鏡をかけず客観的に評価してくれるところには本当に救われる。彼のそういうところが好きだ。
「メリーって器用なのか不器用なのかよくわからないよね。旅してたときから、感情とか隠せない性格だと思ってたから、演技があんなに上手くてさすがにびっくりしたよ」
「クランベルカ家に対する感情の話なら隠す気がないですし」
嘘を並べ立てるのは決して苦手ではなく、多少演じることだってできる。そこまで馬鹿正直に生きているつもりはない。アイゼアやスイウ、エルヴェほどではないかもしれないが、差し迫った状況でもなければ表情もそれなりに取り繕えるつもりだ。
「私は自分に素直に生きてるだけですよ。必要と思えばいくらでも嘘をつきますし、どんな演技でもします。それだけの話です」
「なるほど、そう言われるとメリーらしいのかも……?」
そうは言ったがやはり自分の演技も嘘も決して上手いものではない。もし次に今日のようなことがあれば、そのときはもう少しまともに立ち回れるようになりたいとメリーは思う。
「それと、約束を守るために頑張ってくれて僕は嬉しいよ」
アイゼアの晴れやかな笑みに、心の底から約束を守って良かったという思いが生まれる。やっと努力が報われたような気がした。労ってくれたことで、もやもやとした気持ちも同時に晴れていった。
「えへへ〜、褒められて良かったわね、メリー?」
「まぁ、そうかもですね……」
フィロメナの締まりのない上機嫌な笑みに思わず苦笑しながらも、確かに努力を認められたのは悪くないと思えた。さすがに恥ずかしかったが。
一波乱あったとはいえ、他に楽しい思い出を作って埋め尽くせばいい。そう思いながら、メリーはグラスに残った果実酒を飲み干した。




