表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/88

010 こんぺいとうの精の憂鬱(2)【アイゼア視点】

 アイゼアは両手に背の高いグラスを一つずつ手にし、スイウとエルヴェのいるパラソルへと戻る。口を開きかけるエルヴェに、人差し指を口に当てて声を出さないよう牽制した。ちょっとしたイタズラ心だ。グラスの片方を、眠っているスイウの頬にくっつけようと近づけたところで腕を掴まれる。


「捩じ切られたいのか?」

「おっと、残念だなー」

 スイウに鋭く睨まれ、その視線をグラスを渡しながら躱す。


「すごく鮮やかな色の飲み物ですね。グラスの飾り付けも綺麗です」

 興味深そうにしているので、自分の分をエルヴェへと渡すと、くるくるとグラスを回しながら観察し始めた。


「先に言っておくけど、お酒だからね」

「へぇ」

 オレンジやパイナップル、花などで飾り付けられたグラスにカエルレウムの海を思わせる青い色のお酒が入っている。スイウは飾りのオレンジをさっさと取って食べ、お酒を一口含んだ瞬間、呆れたような表情へと変わる。


「俺を酔い潰したいのか?」

「あれ……もしかして、結構お酒苦手?」

「別に。飲みやすい高そうな酒だと思っただけだ」

 アイゼアもエルヴェから受け取り、一口飲んでみる。見た目は青くて爽やかだが、口当たりは柔らかく女性にも好まれそうな味をしている。油断して飲み過ぎてしまいそうだと思い、スイウの言葉の意味を理解した。


 魔族は毒すら自力で治癒できるだけの力がある。アルコールも物ともしないとある程度踏んでのイタズラ心ではあるが、妖魔となった今でもそうなのだろうか。更に続けて飲んでいるあたり、スイウは元がお酒に弱いというわけではなさそうだ。


「スイウ様はどのくらいお酒が飲めるのですか?」

「今の体でってのはわからん。昔はそこそこ強かったってことだけはわかるが」

 スイウは魔族になる前──生前、人間だった頃のことを思い出しているのか、ふっと懐かしそうに微笑む。


「……安酒で勝負を吹っかけられる度に、返り討ちにしてやった。どこまでなら平気なのかって加減も知らんからあっちが潰れて眠るまで延々飲み続けて……翌日は毎度最悪な気分だったな」

「あの、今更かもしれませんが、どうかお体は大切になさってください……」


 どうやら二日酔いは経験したことがあるらしく、特別懲りているわけでもないらしい。騎士仲間と飲みに行くと、どちらが飲めるか競いたがる者はいる。だがこういうとき大変なのは酔っ払いを介抱する方だ。


 アイゼアは自分を失くすような飲み方はしないせいで、よくその役目を押し付けられている。頼むから自力で帰れる程度に留めてくれと声を大にして言いたい。スイウはすでにグラスを半分空けており、飲むペース自体はかなり早い方だろう。


「今は魔族のときとは違って多少は酔えるかもしれんな」

「へぇ。スイウって酔うとどうなる?」

 酔う可能性があるというのなら、万が一に備えて聞いておいた方がいいだろう。もし手のつけられないほど荒れるのであればその前に止めなくてはならない。


「多少なら変わらん。かなり飲むと思考が鈍ってくる。あと、自覚はないが口数が減るらしい」

 スイウの過去に関しては簡単にだが話を聞いている。婚約者を魔物に殺され、復讐に身を落とした。加減も知らずその体質なら、酒に逃げて気を紛らわせることもあったのかもしれない。


 しかし普段から口数が少ない性格だと気が緩んで饒舌(じょうぜつ)になることが多いが、更に輪をかけて喋らなくなるとは思いもしなかった。


「安心しろ。思考が覚束(おぼつか)なくなるまでは飲まん。お前も介抱が面倒なら闇雲に酒を勧めないことだ」

「ごもっともで」

 スイウはあっという間に飲み干すと、パイナップルをかじりながらサイドテーブルに空のグラスを置く。


「そんなことよりお前らも海に行ってきたらどうだ? 荷物番くらいはしててやる」

 今度こそ俺は寝るからな、と呟いてスイウは目を閉じた。アイゼアはグラスを煽りながら、目の前に広がる海を眺める。泳ぐつもりはなかったが、海を一切感じずに帰るのも少し勿体無い気がした。


「エルヴェ、せっかく来たんだし海を近くで見てみないかい?」

「……そうですね。せっかく長靴も買いましたし、近くまでなら行ってみたいです」

「よしよし、なら行こうか」

 エルヴェが長靴に履き替えるのを待ち、二人で波打ち際まで歩く。波が足にかからないギリギリのところでエルヴェは立ち止まった。


「もう少し前に出てみなよ。もし高い波が来たら僕が抱えてあげるから」

 エルヴェを促すと、波で砂の色が変わっているところまで進み出る。波音と共に海水が押し寄せ、やがて静かに引いていく。


「砂が波に浚われていく感覚がわかります……! あ、綺麗な貝殻もたくさん落ちているのですね。青い小さな石もあります……これがメリー様の(おっしゃ)っていた潮騒(しおさい)の青でしょうか?」

 宝物を掬い上げるように貝殻や石を拾い、新しい発見をした子供のようにエルヴェは目を輝かせてこちらを見上げる。その無垢な笑顔が世俗に塗れて疲れ切ったアイゼアの心を癒やす。


 エルヴェは貝殻を追いかけるようにして波打ち際を辿るように歩いていく。彼を海の近くまで誘って正解だったようだ。その背中を遠目から見守っていると「ねぇ、ちょっといい?」と、背後から突然声をかけられる。振り返ると、アイゼアと同年齢か少し下くらいに見える女性が二人立っていた。


「何かありましたか?」

 想像よりも近い距離感に少しだけ嫌な予感がし、アイゼアは気圧(けお)されて数歩後退(あとずさ)る。


「ちょうどお昼だし、わたしたちと一緒にご飯食べに行きません?」

 アイゼアは瞬時にこれが俗に言う『逆ナン』というものであることを一瞬で察し、返事をしてしまったことを心底後悔した。


「悪いけど、僕一緒に来てる人いるから……」

「えぇ〜? 奢ってあげるし、いいじゃない。ね、お昼だけなんだから」

 何となく昼食だけでは済まなさそうな気配を感じ取り、アイゼアは心がスッと冷えていくのを感じていた。二人から視線を逸らし、エルヴェの姿を探す。


「エルヴェ、あんまり遠くに行かないようにね!」

 これみよがしにエルヴェへと声をかけるが、女性たちは一歩も引く気配がなかった。それどころか、「あの子も一緒にどう?」と誘ってくる。


 押しが強い……自分が最も苦手としている手合いの女性たちだ。どう出れば諦めてくれるのか、この手の女性の思考が最もよくわからない。実際しくじってトラウマが一つできているせいか、より苦手意識が強くなっていた。


 あの経験から推測するなら、ここでとりあえずご飯に行けば気が済むだろうというのは下策中の下策だ。断固として断りきるという固い決意を胸に弱気になりかけた心を叱咤する。


「どうかなさりました?」

 様子が変だと感じたのかエルヴェがこちらへと戻ってきてくれた。巻き込んでしまった負い目を感じながらも、一人でないことに思わず安堵(あんど)してしまう。


「あら、近くで見るとすっごくかわいいじゃない。お兄さんに、わたしたちと一緒にご飯に行かないかって誘ってたの。あなたも一緒に行かない?」

 エルヴェはきょとんとした様子で女性たちを見つめている。彼の性格を思えば、気を使って承諾しかねない。


「いや、僕は行かないよ。それに恋人にも怒られちゃうから」

 この場を穏便に乗り切るなら嘘も辞さない。だがエルヴェの反応次第ではそれも無駄になる諸刃の剣だ。


「……なら、私も行きません」

 エルヴェは恋人がいるという嘘に言及することなく、行かないと強く断言した。彼の察しの良さには本当に感謝するしかない。


「こんな素敵なのに恋人に放ったらかしにされちゃってるの? かわいそー……」

「お兄さん、寂しいんじゃないの〜?」

 両腕を掴まれそうになり、避けながら後退する。うっかり掴まれ、それを無理に振り払えば、暴力を受けたと言いがかりをつけられるかもしれない。


 できれば穏便に相手を傷つけることなく終わらせたい。自身の不誠実さで怒らせ、傷つけたであろう女性の姿が脳裏にチラついて離れてくれなかった。今ひとつ集中力に欠け、普段抱かないような恐怖心を抱き、喉が乾いて引きつれる。


「アイゼア様、顔色が良くないですよ」

「大丈夫、大丈夫……ちゃんと話せば納得してくれるはずだから」

 不安そうなエルヴェを安心させるように、できる限りの笑顔を作ってみせたが、それすらも引きつっているのが自分でもわかる。エルヴェをこれ以上巻き込まないためにも、今回こそ失敗するわけにはいかないというのに。


「僕は恋人を泣かせたくないし、友人たちのことも放置していけない。他の人を誘って行けばいいんじゃないかい?」

「お兄さんが放ったらかしで泣かされてるのに?」

「わたしは他の人じゃなくてお兄さんがいいんだけどな〜」

 どこまで強い拒絶の言葉が許されるだろうか。過去の記憶が足を引っ張り、言葉に(きゅう)する。


「あのっ、お言葉ですが……嫌がっている方を強引に誘うのはどうかと思います!」

 珍しく語気を強めて主張するエルヴェに、女性二人は少し馬鹿にしたようにクスクスと笑い始める。


「お子様には大人の事はわからないのよ」


 どうやら二人はこちらと駆け引きをしているつもりらしい。駆け引きと呼ぶにはかなり強引だが、それでも自分の都合の良いように丸め込めるのなら、それが駆け引きと呼べるものでなくとも勝ったも同然だろう。

 ならば勝負しなければいい。会話を放棄してひたすら諦めるまで無視するしかない、そう決め込んだときだった。


「そんなところで何してるんですか?」


 常夏の海には似つかわしくないほど凍てついた、真冬の北風のように冴え渡る声が聞こえた。そのよく知った声にアイゼアは酷く安堵を覚え、一縷(いちる)の望みをかけて振り返った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ