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第65話 退学処分


 週の明けた7月16日の火曜日。


 祝日を挟んだこの三連休は、文音にとって気が狂いそうなほどに長く短い時間だった。何故ならそれは――今日、自分がこの学校を去ることになるかもしれなかったから。


 三連休の間、文音は何度も携帯を見返した。サクちゃんからも、みずきちゃんからも、あずきちゃんからも、心配のメッセージが届いていた。でも文音はそれらに返信することができなかった。何て返せばいいのか分からなかったからだ。


「大丈夫だよ」なんて嘘は吐きたくなかったし、「嫌だなー」なんて弱音も吐きたくなかった。結局、文音はただ黙って送られてくるメッセージを眺めることしかできなかった。


 窓の外を見れば、梅雨が明けた青空が広がっている。こんなに綺麗な空を見るのもこの学校では最後になるのかもしれない。いつかこうなってしまうかもしれないと覚悟は決めていたが、いざ実際に退学の危機に晒されてしまえば怖くもなる。


 思い返せば、このいじめ問題に対し自分は何て無力だっただろうか。


 絶対に屈するわけにはいかないと自分を奮い立たせ頑なに欠席だけはしてこなかったが、出来たのは本当にそれだけ。恐怖からそれ以外何もすることなど出来ず、その結果今こうして窮地に立たされている。


 ……何て情けない。


 恐怖を克服する方法を習得すれば良いだけ。最初はそう考えていた。


 しかし……そんな曖昧なもの、一体どうやって習得すればいいというのだろうか。


 世の中のいじめを乗り越えた人たちは本当に凄い。自分は全く乗り越えられていない。


 天才くんに頼らず一人だけで克服して見せると意気込んでいながら、サクちゃんやみずきちゃん、あずきちゃん、それに帝くんにたくさん助けてもらっていた。何よりもそれが不甲斐なく、申し訳ない。


 けれど……それも今日で終わりだ。


 恐らく、良くて長期の停学、悪くて即退学になる。


 これでサクちゃんたちに迷惑をかけなくてよくなるのだ。それに……もう怯えて過ごす必要もなくなる。そう考えると気が楽になった。


 あの時、最後にあの場へ駆けつけてくれた帝くんに対し堂々と感謝を告げられて良かったと思う。多分、退学になったら話す時間もなくすぐここを出ていくことになるだろうから。


「ああー……最後に皆にお礼を言わなくちゃなー……天才くんとも、久しぶりに話したいなぁー」


 そんなことを呟きながら、三連休で密かに荷造りを済ませておいた寮の部屋を見渡し、文音は最後の登校を始める。


 ――登校といっても、向かうのは教室棟ではない。


 目的地は特別教室棟――生徒会室。


 昨日のうちに呼び出しの連絡を受けていた。そこが文音にとって、天才学園生活最後の瞬間を迎える場所となるだろうことは想像に難くない。


 誰にも会わないよう早めに部屋を出た文音は、道中なるべく地面の感触を味わうように、丁寧に足を前に進めた。


 早朝の学校はとても静かだった。まだ生徒たちが登校してくる時間ではないこともあり、廊下には誰の姿も無い。


 文音の靴音だけが静寂の中で小さく響いている。


 一歩、また一歩。終わりへの距離が近づいていく。


 窓から見える中庭の景色。すっかり見慣れた風景が、今日は何だか違って見えた。


「……もっと、ちゃんと見ておけば良かったな」


 一人、ボソッとそう呟く。


 すっかり夏仕様になった桜の木も、花壇の花も、噴水も。当たり前にそこにあると思っていたものたちが、急に愛おしく感じられた。


 部室棟に入った文音は、特別教室棟へ続く渡り廊下を渡る。


 直に、生徒会室の扉が見えてきた。文音の足が自然と遅くなる。


 そして到着してしまった生徒会室の前で、深い深い呼吸をした。


「……よーし」


 覚悟を決めて、文音は扉をノックした。




 ◇




 ――ついにこの時が来た。


 生徒会室に呼び出された押切は、渡り廊下を歩きながら微笑みを溢す。


 ここまで本当に……本当に長かった。ずっとずっとずーっと、()()()の復讐のために千条文音を追いかけ続けるだけの執念の日々だった。


 それが、ようやく一段落着くのだ。嬉しくないはずがない。


 ――トントントントンッ。


「失礼します」


「ああ、入れ」


 押切は生徒会室へとスムーズに辿り着くと、丁寧に四回ノックをして返事を待ってから入室する。


 そこには当然千条文音がいて、教師がいて、会長がいて……あとは帝と自分がいて、当事者が揃えられ断罪がされるものとばかり思っていたのだが――。


(……!?)


 生徒会室に揃った面々を見て押切は心の中で顔を顰める。


 何で? どうして? どういうこと?


 似たような疑問が頭の中を埋め尽くした。


 押切が入室した際、部屋にいたのは会長、千条文音、帝友恵……の他に四名。ここまで押切の邪魔をしてきた連中、島田朔、蕨姉妹、それに副会長と思われる理知そうな男子生徒だ。


 千条は部屋の中央付近・右側に寄ったところで小さくなって立っていた。その左隣には島田が寄り添うように立っている。帝はそこから少し離れた中央の場所に位置し、その鋭い目つきでこちらを睨んでいた。蕨姉妹は島田と帝に挟まれる形で並んでいて、姉のみずきは相変わらず他人のことを値踏みするみたいな嫌な視線を向けてきており、妹のあずきは気だるそうな表情ながらもどこか緊張した面持ちだった。


 副会長らしき男子生徒は会長の横で書類を手にしている。


 そして会長――桜崎茉莉伊は、押切が入室しても表情一つ変えず、ただじっと全員のことを見ていた。


 何で教師がいない? あいつらが何故この場にいる? まさか付き添いが許可されたのか?


 ……などと押切は考えてみるも、まったく意味が分からない。どういう趣旨だろうか。


(会長が千条に情けをかけて付き添いを認めた? ……いや、違うか)


「超実力至上主義」と名高い生徒会長のことだ。それはまず違う。だとすると、双方の訴えを聞いて自分で判断するためといったところだろうか。


 ならば、ここで千条たちを無意味に煽ったり、不満気な態度を取るのは愚策。今は何よりもこちらが可哀想な被害者代表として振舞わなければならない。弱気だが強気ぐらいがベストだ。こいつらがいるならば間違いなく過去の行動も晒され考慮されることだろうし、より冷静に対処していかなければならなくなる。


 押切はそう考え、驚きや苛立ちを表には全く出さず、会釈をしてから左寄りの待機ゾーンに立ち位置を移した。


 生徒会室にはひたすらに重苦しい空気が流れている。


 誰も口を開かない。


 ただ、時折聞こえる誰かの呼吸音と壁時計の秒針の音だけが静寂を刻んでいる。


 押切は密かに千条の様子を窺った。


 千条は俯いたままただじっと立っているだけだ。しかし、その目には諦観の感情が見て取れた。


(アハハッ! すっかり諦めてやがんのー)


 心の中で豪快な笑みを浮かべる。これから千条が浮かべる表情は泣き顔だろうか、それともこのままただ諦めて絶望するだけだろうか。その二択ならきっと泣き顔なんだろうなと想像しながら楽しく動きを待つ。


 そして――立ったまま待つこと十数分。


 無言の待機時間。きっと、千条文音からしたら無限にも感じられるほど長い時間だっただろう。


 時計の秒針が一周、また一周と回っていく。その間、会長は一度パソコンを開いたりもしていたが、基本的には何もせず座っているだけだった。


 これから起こるであろう裁決を思えば、押切にとってはそこまで苦ではない待ちぼうけだ。楽しみで仕方がない。


(……って、あれ?)


 と、押切はここでようやく一つの疑問に気が付いた。


 これは何を待っている時間なんだろうか? ……という当然の疑問だ。


 会長はただ座っているだけで何も話を始める気配がない。


(もしかして……まだ誰かが来るの?)


 まさか……上垣内?


 そうだとすると……それはあまり嬉しくない展開だ。


 もちろん上垣内と繋がりがあることはあまり知られたくないので連絡先も知らないし、会う時も誰にも見られないようカメラのない講堂近くまで行って注意深く密会をしていた。一緒にいる場面など誰にも見られていない自信はある。


 しかし――それでも、だ。


 この待ち時間は不可解で仕方がない。悪い想像をするなという方が無理があるだろう。


 そうして、押切がこの待機時間に違和感を覚えてから数分が経った頃。


 未だ状況は変わらずだったのだが――。



 ――キーンコーンカーンコーン。



 朝一番のチャイムの音が学校中に鳴り響く。どうやら、気が付けばもうそんな時間になっていたらしい。


 やがてそのチャイムも鳴り終わり、再び生徒会室に無音の時間がやってきた。だが同時に、そこでようやく会長の様子に変化が訪れる。


 会長は手持ち無沙汰に手にしていた書類を机に置くと、ゆっくりと顔を上げた。その動作だけでさきほどまでの部屋の空気がより厳しい体感温度へと一変する。全員の視線が自然と会長に集まった。


「……ハァ。すまないなお前たち。察しの通りあと一人呼び出しをかけていたんだが……もう時間が時間だ。これ以上は待たずして、手早く要件を済ませるとしようじゃないか」


(よし……)


 その決断に押切は安堵する。ずっと待っていたのが上垣内なのかは不明になったが、誰かが来るよりは誰も来ない方が断然いいからだ。


 これで、今からはただちょっとした議論を交わし千条文音に処分が下されるのを見届けるだけ。ようやく押切のこれまでの努力が報われる時が来る。


 押切は喜びの感情などが万が一にでも外に出ないよう、密かに太ももをつねりながら会長の次の言葉を黙々と待つ。


 そして――念願のその時が来た。


「さて。今回君たちを呼び出した理由は……分かっていると思うが、そのとおり。先週起こった水泳授業での盗撮騒動についての話だ」


 全員が無言で会長の言葉に耳を傾けていた。会長の声は氷のように冷たく、厳格な響きを帯びている。


 ここから両者の意見を聞いて、総合的に判断を下すのだろう。


 実質五体一の構図なため、押切は最後の局面を乗り切るために一人密かに意気込んだ――のだが。


「では早速だが……学園側の結論を下そう」


 ……何?


 会長から発せられたまさかの発言に、押切は耳を疑う。


 ……早速、結論だって?


 それは……随分、予想と違う。


 議論もなく、奴らに弁明の機会もなく、いきなり結論?


 この後はちょっとした議論をさせられるんだろうとばかり思っていただけに、驚きを隠せない。だって既に結論が決まっているのなら……帝はともかく、島田や蕨姉妹に関してはこの場にいる意味が分からないからだ。


 だとすると、本当に付き添いとして認められただけだろうか? ……それとも、何か別の理由が?


(まぁ……それならそれでいいか)


 予想外な展開に押切は一瞬驚きを露わにしてしまったが、考えてみれば議論が無い方が押切からしたらラッキーである。


 さっさと結論を出してもらった方が、退学処分が確実になるからだ。


 そのため押切は心を落ち着かせ、待ちに待った千条の「退学」という二文字を聞くため全意識を耳に集めた。


 部屋の空気がさらに重くなる。


 そして――。


 会長の視線が、全員の目を一度真っ直ぐに捉えた。


 その瞳には何の感情も読み取れない。


 ただ、冷静に、淡々と。


 会長がゆっくりと、丁寧に口を開く。



「今回の盗撮騒動について精査させてもらった結論だが――押切芽衣、貴様を退学処分とする」



「………………は?」



 その瞬間、自分の物とは思えない間抜けな声が静かな生徒会室に響いた。


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