第64話 決着は突然に
7月二週目から夏休みに入るまでの約三週間、城才学園では授業でプールが一日一回組み込まれる。試験が『進学期試験』という特殊な枠組みのため、この時期に期末試験が無いこの学校の特色ともいえた。
今日はプールが始まって5日目、週の終わりである7月12日。
プールは男女別ということもあり、友恵が最も押切を警戒していた時間だったのだが、今日まで特に何の動きも無い。
「チッ……いい加減にしろよ、あのクソ女」
いつ来るかもわからない"何か"に神経を研ぎ澄ますことは、いかに体力に自信のある友恵と言えど疲労する。5回目のプールの授業を終え教室に帰って来た友恵は自分の席で小さく毒づいた。
膠着状態が続けば続くほど、来るべき一撃の威力が増していくような……そんな嫌な予感がずっと友恵の胸に引っかかっていた。だが、警戒していても押切の動きが完全に止まっている以上、こちらから打てる手も無い。
ただひたすらに、苛立ちが積もっていくばかりだ。
「……クソが」
小さく舌打ちをして、友恵は窓の外へ視線を向けた。梅雨が明けて本格的な夏が到来している。ギラギラと照りつける太陽の光があらゆるものを眩しく照らしていた。
そんな、なんてことはない授業の終わりのひととき。
男子がいる教室へとプールを終えた女子たちが遅れて帰って来た――のだが。
「……?」
……何だか、空気がおかしい。
女子たちのいつもとは違うヒソヒソ声に気が付いた友恵は、違和感を覚える。普段ならプール帰りの女子たちはもっと賑やかなはずだ。髪が乾かないだとか、プールの授業要らないだとか、そんな他愛もない会話で盛り上がっているはず。
だが、今日は違う。
明らかに何かが違う、そわそわとした雰囲気。
視線を泳がせる者。口元を手で覆う者。とにかく変だった。
「……まさか」
嫌な予感が一気に膨れ上がる。友恵はすぐに立ち上がると、一番に帰って来た二人の女子に近づき何かがあったのかを尋ねる。
「おい、何かあったのか」
「え……えぇっと……」
友恵の威圧感に驚きながら女子たちが口籠る。友恵に事情を話すべきか迷いを見せているのだ。告げ口をしてしまうことで押切から報復があることを恐れている。
その表情を見て、友恵は確信した。
やはり何かが起きたんだ。それも、まず間違いなく押切と千条が絡んでいるだろう”何か”が。
「いいから話せ。押切には何もさせねえよ」
低く、しかし力強い声で告げる。
「う、うん……分かった……えっと、今プールの更衣室で……」
女子の一人が恐る恐る口を開く。
そして――。
女子たちからの報告を受けた友恵は目を見開き、颯爽とプールの方向へと舞い戻ることになる。
◇
「押切……てめぇ……」
プールの更衣室前に到着した友恵は、丁度同じタイミングで出てきた押切と千条に出くわす。押切は千条の腕を引いて出てきているような状態だ。
周囲にいる女子たちも皆が皆、千条のことを睨みつけているのが分かる。完全に、千条が悪者扱いされている。
「何? 帝。見ての通り……ウチ今忙しいんだけど?」
(くそっ……!)
相当状況が悪いことに心の中で舌打ちを打つ。
あの女子たちから聞いた限りでは、もうすでに警戒していた"何か"が済んでしまっているのだから。
何かこの場を切り抜ける手札はないかと頭を回す。
……防犯カメラ?
いや……プールサイド自体には付いているが、更衣室周りにはプライバシーの観点からカメラは付いていない。
くそっ。一体どうすれば……。
友恵の脳内では、猛スピードで思考が回転していた。
しかし、考えれば考えるほどこちらに有利な材料が何一つない。
その間、少しの沈黙が訪れる。
そして、すぐにその沈黙を破る声が響く。押切だ。
「これから、この盗撮犯を職員室に引き連れていくんだからさぁ? 邪魔しないでくれる?」
高らかに、真剣な正義の怒りを含んでいる――ように聞こえる嫌な声がこの場に木霊する。本心ではほくそ笑んでいることが、その目からはよく伝わって来た。
「はっ盗撮だ? どうせ千条はやってないんだろ。さすがにその嘘は……バレたらお前、退学だろうぜ?」
せめてもの抵抗。今の状況が非常にまずいということは、今駆けつけたばかりの友恵も当然分かっている。
だからこそ、少しでも押切の方向を変えさせることに注力するしかないのだ。
だが、押切の表情に全く焦りの色はない。それどころかむしろ余裕すら感じられる。こちらをあざ笑う雰囲気。為す術がないことを確信している表情だ。
……まずい。これは、本当にまずいぞ。
「嘘? いやいや、私もみんなもしっかり見ちゃったから確かなんだよねー。ねぇーみんなぁー?」
押切が周囲の女子たちに同意を求める。
「う、うん。携帯でバッチリ撮影してあったよね……」
「さすがにあれは言い逃れできないって言うか……」
押切の声に周囲の女子たちが同意を見せた。やはり……もうすでに押切の行動は完了していると見て間違いない。
こちら側が圧倒的に不利な状況に陥っている。いや、不利というか……もはや絶望的に近い。
千条が盗撮をしたという証拠だけが残っており、やっていない証拠などほぼ確実に残されていないのだろう。
……完全にしてやられた。
もちろん友恵も島田朔たちも、千条だってまったく油断などしていなかった。
しかし長引いた膠着状態の中、5回目のプールの授業という絶妙な塩梅。それも授業中ではなく着替え最中を狙うという、いわば間隙を突かれた形での出来事。
押切は虎視眈々と、意図的にここを狙っていたのだ。
計算高い。そして何より周到だ。
「何ならほら、証拠品もバッチリ抑えてあるし? まぁ着替え映ってるからあんたには見せられないけどねー」
押切は千条の携帯と思われるものをしっかり手に持ち、高らかに上に掲げた。
……上手い。
この大衆の前で自然に指紋を残している。これで押切の指紋が残っているんじゃないかを指摘するという、反論の最終手段も消え失せたといってもいい。
友恵は歯噛みする。
くそ。くそくそくそっ!
……一体、どうすればいい。
何か……何か手は……。
だが、どれだけ考えても妙案は浮かんでこない。
「てわけだから……千条さん、職員室行こっかー?」
そうこうしているうちに、意気揚々と押切が千条を引きつれ、無言でたたずんでいる友恵の横を通り過ぎようとする。
友恵はそれを――ただただ、無言で通せんぼすることしか出来ない。
「は? え、何? あんた、まだ文句つけてくんの?」
押切がわざとらしく驚いた声を上げる。だが、これは演技だ。本心では、友恵がこうして無様に抵抗してくることを楽しんでいるに違いなかった。
「必死に庇う帝も哀れだよねー」
「盗撮って普通に犯罪だしねー。もう無理でしょー」
周囲の女子たちの声が、千条を糾弾しながら友恵を哀れむ。それでもこのわずかな時間に友恵は押切を睨みながら、必死に頭を働かせていた。
だけど、思いつくのは実現不可能な案ばかり。
タイムマシンで時間を戻すとか……。神様にお願いして奇跡を起こしてもらうとか……。
そんな馬鹿げたことしかない。
――そのときだ。
「……ありがとう、帝くん」
ずっとただ手を引かれていただけの千条が声を発した。
その声には意外にも震えはなく、しっかりと力が込められていたように思える。
友恵は思わず思考を止め千条の方を見る。
「大丈夫。私は……大丈夫だから」
千条は強く……ただそう強く、口にした。
何が大丈夫なんだ。どこが大丈夫なんだ。こんな状況で……大丈夫なわけがないだろうに。
「アハハ! 盗撮犯が何言っちゃってんだか。……ほら、千条さんもこう言ってんだから早く通しなよ。み・か・ど・く・ん?」
押切の挑発的な声が耳に刺さる。
でも、大丈夫というからにはもしかしたら何か根拠があるのかもしれない。それを見極めようと友恵は千条の目をしっかりと見る。
しかし……そこに根拠なんかあるとは思えなかった。ただ、覚悟のみがそこにあるだけ。
「…………」
千条の言う「大丈夫」というのはつまり――「もう大丈夫」ということなのだろう。
でも……それが分かったからといってここで友恵がどうこうできることもなく……。
友恵は渋々ながら押切に道を明け渡すしかない。
今これ以上抵抗しても無駄だからだ。ここで友恵が暴力沙汰でも起こせば、それこそ押切の思う壺だろう。
……悔しい。
本当に悔しい。
友恵と押切の勝負は、これにて押切の勝ち。
完璧な……完全な敗北だった。
「……くそが」
出ていく押切と千条の背中を見ながら、友恵は小さく、誰にも聞こえないような声でそう呟く。それは押切に向けての言葉ではない。想像以上に無力な自分に対しての悪態だった。
――その日、1組の教室へは押切しか戻ってこなかった。
千条文音は、職員室へと連れて行かれた後早退したらしい。
そして――何も報せが無いままに突入した三連休最終日。友恵のもとにある一通の連絡が届く。
『7月16日(火)、自教室へ登校する前に特別教室棟・生徒会室へ来ること。以上』
それはつまり――。
事情聴取の末、事の顛末――千条文音の退学が明日、決定されるということなのだろう。




