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第62話 トイレの賢者②


 ――7月も二週目に入った。


 もうすっかり季節は夏だ。太陽はギラギラと天高く昇り、セミの鳴き声が校舎の至る所から聞こえてくる。だけど、近年の日本では珍しく今年は涼しい夏らしい。気温は高いがカラッと乾いた空気なので、日陰に入れば幾分か涼しいと感じる。外を見れば、青々とした芝生と白い校舎のコントラストが夏らしさを一層際立たせていた。


 今年の夏はまさにそんな季節。


 だがしかし――。


 今この場に漂う空気感――サクたちの周りだけでいえば、そんな涼しさなど微塵も感じられなかった。むしろ、まるで重苦しい熱気に包まれているかのような錯覚すら覚える。


 サク、みずき、あずきの三人は今、昼休みに突入したことにより何回目かの対策会議を行うため空き教室に集まっていた。


 窓際の席に三人で集まり、机を寄せ合うようにして向かい合う。その表情はまるで長期戦を強いられた兵士のように疲弊していた。


「…………お疲れ、二人とも」


 サクは静かに口を開く。自分でも分かるくらいに、その声にはどこか疲労の色が滲んでいた。


「ほんまに……なぁ」


 みずきが深いため息をつく。いつもなら鋭い目つきで状況を分析しているはずの彼女も、今日ばかりは少し目元に疲れが見える。


「うんー……」


 あずきに至っては、もはや机に突っ伏さんばかりの姿勢だ。普段から気だるげでダウナーな彼女だが、今日はさらに輪をかけて元気がない。


 ……と、まぁ。こんな空気感になっているのは言うまでもなく、押切との争いが長期戦にもつれ込んでいるからだ。


 押切は未だに一切動きを見せない。


 押切の動きが止まったあたりからこうなることは分かっていたことではあるし、覚悟もしていたのだが、圧倒的に押切側よりもサクたち側の負担が大きい戦いすぎた。なぜなら、こちらは常に神経をとがらせ警戒し続けなければならないからだ。文音を見守り、押切の動向を探り、次の一手を予測する。その全てが精神をすり減らす作業。そのため、こうやって全員が疲れを見せ始めている。


「それにしても……押切のやつ、中々動かないね」


 それでも、この場は一応対策会議。サクは当然の話題としてそう切り出す。無論、既にこの話題は口にしすぎて議論の余地もないのでただの口慰みのようなものだ。


「ほんまに……なぁー」


「うんー……」


 耳タコなその話題に、みずきとあずきが項垂れた。


「次打ってくる手も読めないしー……追跡しても必ず巻かれるしー……厄介だよねーほんと」


 あずきが続けてつらつらと文句を並べる。


「あのさ……あずきの勘の良さってやつで何とかならないかな?」


 そんなあずきに対し、サクはこの状況を脱却するための僅かな希望――【直感の天才】の力を探ってみる。


「むりー……実は初めて野内くんに会ったときも何も感じなかったし、なんか最近調子悪いかもなんだよねー……」


 あずきは項垂れた状態のまま、スライムのように机に張り付きそう言った。


「そっかー……って、ん? 蓮に何も感じなかったからって、それだけで調子が悪いってことになるの?」


 サクも「まぁさすがに無茶ぶりか」なんて思っていたし納得はしたのだが、あずきの言い方に少し引っ掛かりを覚えたので聞いてみる。


「あぁー。あずきの勘はなぁ? 本当にヤバい状況だったり、人物だったりに反応することが多いんや。せやなー、例えばやけど……あの生徒会長を見たときなんかは相当毛羽立ってたで」


 その問いに、姉のみずきが回答をくれる。


「……へぇー、そうなんだ。だから蓮に反応しなかっただけで調子が悪いって言ってるわけね」


 完璧に納得した。それは不調を疑ってしまうのも無理はない。


 だって、蓮ほどの実力者――いや、もはや怪物と言ってもいいあの”天才くん”に、あずきの勘が何も感じないというのは異常事態だろう。


 でも……。


「でもさ、それってもしかして……本当にもしかするとなんだけど、()()蓮よりもマリー会長の実力のが上だからって可能性があるんじゃ?」


 サクは恐る恐るそう口にする。


 俄には信じられないような事だが、その可能性は十分に考えられる。マリー会長と蓮。この二人が直接相まみえたとき、結果を出すのがどちらかなど全く想像がつかないのだから。


「んーまぁ、それはありえるんだけどー。……でも、そうだとしても野内くんが相当凄いのは確かだからさー。そこで何も感じないってのは調子悪いんだよー、多分」


「なるほど……」


 あずきとてサクと同じ可能性を考えてはいるが、だからといって蓮ほどの実力者に勘が働かないのはおかしいという結論。たしかにその通りだ。


「だからってわけじゃないけどさー……わたしは今なんじゃないかなって思うんだよねー」


 そこで突然、顔をバッとあげたあずきがサクとみずきにむけてそんなことを言い出した。


「今?」


「ん? なんのことや?」


 サクもみずきも頭に疑問符を浮かべる。疲れているせいか、あずきの突然の発言に二人は一瞬思考が追いつかない。


「野内くんだよ、野内くん。今が保険の使いどきじゃない?」


「あー……」


 あずきの言っていることを理解したサクとみずきは、それぞれが考えを巡らせる。サクは腕を組み、視線を下に落とす。みずきは顎に手を当て、真剣な表情で机を見つめる。


「あずきの言う通りかもしれんなぁー……このままやと出し抜かれる危険が高くなっていくばっかやし、ここらで野内くんに相談するのが良いとウチも思うわ」


 そして少し考えた後、みずきが賛成の意を示した。その判断は冷静で論理的だ。


 確かにこのまま手をこまねいていては、いつ来るかも分からない押切による重大な行為を見逃してしまう可能性が高くなっている。もしそうなってしまえば、取り返しのつかない事態になるかもしれない。


 だからこそ、まだその事態になっていない今のうちに蓮という最大の切り札を使うべき――みずきの判断はそういうことだろう。


 しかし……サクは躊躇わずにはいられない。


「でも……じゃあ文音の気持ちはどうなるのさ」


 文音の気持ちを最大限汲みたいという方針を立てた以上、どうしても気軽には賛成できなかったのだ。


 文音は、この件で蓮に頼るつもりが全くない。


 自分で何とかしたい、蓮に心配をかけたくない――そんな健気な想いがあったからこそ、サクたちは蓮を巻き込まずに解決しようとしてきた。


 それに、ここで蓮に相談するというのは、最初から相談していた場合と何が違うというのか。サクがそう思ってしまうぐらいには何も解決出来ていない。ただ時間が経過しただけとも言える状態だ。


「それについては……もうどうしようもない。たしかに気は進まんけどなぁ……こうなったら、文音ちゃんに内緒で相談するしかないと思うで」


「…………」


 ……正論。


 サクは何も言い返せなかった。


 この行き詰まった状況において、今のサクたちができることなどそれしかないという……現実を直視した結論だから。


 それに、蓮に助力を乞うというのは、ずっと受け身だったこちらからのいわば攻撃的切り札ともいえる手段。


 まだ起こるはずの"何か"が発生していない今こそが、それを切る絶好のタイミングであることは間違いない。


 それが最善の策だと、理性では理解している。


 だから、感情がそれを拒むからと言って、サクはこれ以上反論などできない。


 ただ無言で悔しい思いを飲み込むだけだ。


「……分かった……あずきの言うとおり……蓮に相談しよう」


(文音、ごめん――)


 サクは心の中で何度もそう呟きながら、決断を下した。


「……懸命やな」

「うん」


 みずきとあずきは苦い表情をするサクを慰めるように了承をしてくる。


 文音を裏切るような罪悪感と、それでも彼女を守りたいという想いが、複雑に絡み合っている。


 表情を見るに、きっとこの二人も似たような感情を持っているのだろうことがすぐに分かった。


 三人とも、同じ苦しみを抱えている。


「よし、じゃあ……すぐに連絡しようか」


 サクはそんな灰色の気持ちを引きずることのないよう理性でキッパリと切り替えると、その場で携帯を取り出し耳に当てだした。




 ◇




「もしもし……おー、サク。何か久しぶりだなー」


 昼休み。


 俺は今、藍の鞄から手作り弁当(恐らく卵焼き)の存在を再び感じ取り、初めてこの避難場所(トイレ)に退避していた。


 あの黄色と茶色に染まった弁当は俺の新たなトラウマだ。いかに女子の手作り弁当といえど、あれだけはもう勘弁してもらいたい。その思いから、昼休みになると同時に一心に教室を飛び出してきていた。


 ……と、まぁそんな感じで改装したトイレにて寛いでいたんだが。


 ホッと一息つき始めたところで、久しぶりにサクから電話がかかってきたためそれに出た次第である。


 かれこれ二週間以上は話してないので本当に久しぶりだ。


『うん。久しぶり。……って、あれ? もしかして蓮、今教室じゃないの?』


「あーうん。……ちょっと、ね。よく分かったね」


 詳しく場所を説明しようとも思ったが、それでは避難場所としての意味が無くなってしまうので適当に誤魔化した。我ながら素晴らしい判断だ。


 この秘密基地の存在は誰にも知られてはならない。だって秘密だからね。


『あ、そうなんだ……まぁ、蓮の声以外聞こえないから、それぐらいは分かるよ』


 なるほど……。さすがサク。目が聡い……いや、耳が聡い、か。


「で? どうかしたの?」


 昼休みが始まって今は10分。50分ある休憩もあと残すところ40分だ。


 あまり長話はしたくなかったので話を進めようと早速用件を尋ねる。


 ()()()()面倒事ではありませんように――などと祈りを捧げながら。


『あー……えっと……実は、さ。蓮に相談があるんだけど……』


 ……うん、やっぱり面倒事だったね。


 願わくば――なんて祈りもしたけど、そもそも俺の願いがまともに叶うことなんてほとんど無いんだ。だからどうせそんなことだろうと思ってましたよ、はい。


「相談、ねー……」


 前に困っていたら相談くらいは乗ってあげようなんてことを考えていたりもしたけど、正直面倒くさいことには変わりない。気乗りなんてするわけもなくて気怠げに言葉を返す。相談って大体面倒なんだもの。


「まーそんな気はしてたけどさー……あ、これって長くなりそうだよね? ねぇ?」


『……え? あ、うん。そこそこ長くはなる、と思うけど……そんな気がしてたってどういうこと?』


「あー気にしないで。こっちの話だから。……で。長くなりそうなら、その相談の前に質問があるんだけど」


『質問?』


「あのさ、旧部室棟の物置に扇風機が無かったんだけど……サクどこにあるか知らない?」


『え、扇風機? そういう使う人が多そうなものは多分新しい部室棟の備品室にあると思うけど……部室にはエアコン付いてるからいらないんじゃ?』


 ほう、備品室か……。なるほどなるほど……。


 そんな場所があること自体初めて知った。やっぱりこういうことはサクに聞くに限るね!


「いやー、部室じゃないところで必要でさー。助かったよサク。……それじゃ、相談の前にちゃっちゃと取りに行ってくるからちょっとこのまま待ってて」


 今年の夏は大分涼しいし、このトイレもそこそこ風は通ってていいんだけど、やっぱりちょっと暑い。より快適さを求めるなら扇風機は必要だと思って探していた。学校の備品なら俺がここで使ってもいいだろうし、このまま(長い)相談に入ってしまう前に持ってこようと、改装しているトイレの個室に携帯を放置したまま扉を開け飛び出す。


『……え? ちょ、待っ!! 蓮!! 相談を先に――』


(……おっと、そうだそうだ)


 ――ガチャガチャ。


 その際、個室に外から鍵をかけられるようにしておいたことを思い出し、忘れないようしっかり戸締まりをした。サクが何か言っていたが聞こえなかったことにする。


 え、普段から部屋の鍵をかけないくせに何で今だけそんなことをするのかって?


 そんなの……決まってるだろう!


 俺がいない間に便器を使用されでもしたら不快どころの騒ぎじゃないからだ。臭いも充満するわ汚れも付くわで嫌すぎる。


 なので、現在このトイレで使用できるのは手洗い用の水道だけになっている。というのも、改装を始めた時から今日に至るまで、小便器、大便器ともに『使用禁止』の紙を貼ってあるからだ。これならば万が一にもトイレを汚される心配がないという、神的なアイデアだった。


 我ながら完璧な対策だと自画自賛する。


 この秘密基地はいわば俺の聖域。誰にも侵されてはならない。


 ……さて、と。


 そんな秘密基地の紹介はともかくとして、早いとこ扇風機を確保しに行こうじゃないか。


 悪いけどサクの相談は後回しだ。だって、どうせ長くなるんだし、扇風機を設置してからゆっくり聞いた方が快適だからね。


 早足で、けれども走ることはなく。俺は備品室を目指し軽快に足を進めた。


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