幕間 蓮の自主連休
第二章幕間です。
――ブァーッブァーッブァーッブァーッ
「ぬぅ……ぐうんぬぅー…………ぁぁ……」
けたたましい警報音のような携帯のアラームが、俺の耳朶を容赦なく叩き続ける。
目を開けようとしても瞼が重い。
まるで海の底に引きずり込まれているみたいに、意識が浮上してこない。
それでも携帯は鳴り続ける。
仕方がないので、どうにか腕だけを動かして枕元の携帯を探り当てた。
画面を見てみれば、『4月3日 水曜日』と映された画面に、色々なメッセージ通知が溜まっている。
「…………んぅー」
……眠い。眠過ぎて眠い。
でも……何だかんだで今日も学校だ。
休むにしろ、連絡をするために起きなくてはならない。
「起きる……かぁー……」
寝ぼけ眼を擦りながらどうにか上半身だけを起こす。
布団から身体が離れた瞬間、ヒヤリとした空気が肌を撫でた。
「うぅ……さむっ……」
春とは名ばかりで、朝晩はまだ冬の名残が色濃く残っている。
早く丁度いい具合に暖かくなって欲しいものだ。
もっとも、もう春なんて夏に飲み込まれて無いようなものだから、丁度いい気温の日なんて殆どないんだろうけど。
身を起こした俺は少しボーッとしてから欠伸をすると、ふと時間を確認していなかったことに気がついた。
もう一度携帯の画面を見てみる。
「…………よし」
画面を見て、もう登校を始めても間に合わない時間だということに頷いた俺は、堂々と休みの連絡を入れることに決めた。
人間、元よりズル休みする気満々だったとしても「今から行っても間に合わないから」という理由が出来るだけで不思議と心が軽くなるものだ。
罪悪感が半減する。いや、半減どころかほぼゼロだ。
……え? 遅刻をすればいい?
いやいや、それはまったく分かっていない。ナンセンスだ。
遅刻をして目立つのが嫌な俺に、そんな選択肢などあるはずがないだろう。
教室の扉を開けた瞬間、一斉に注目を浴びるあの感覚。
想像しただけでゾッとする。
それなら最初から休んで、明日何食わぬ顔で登校する方がよっぽど精神衛生上良い。
「くぅあああ…………一眠りしてゲームかなー」
大きな欠伸をした俺は、幸せな気持ちでベッドへ再度潜り込むと最高の二度寝を満喫した。
◇
「っしゃー、ざまぁみやがれー!」
あれから小一時間ほど二度寝をした俺は、起きるとすぐにゲームを始めた。
朝飯も昼飯も食べずにやり続け、もうかれこれ6時間はプレイしている。
時間もすっかり夕焼けが映える時間帯に突入し、外からは生徒たちが帰ってきていると思われる音が微かに聞こえてきていた。
カーテンのしていない窓から差し込む夕日の色が、オレンジ色から少しずつ赤みを帯びていく。
そんなときだ。
――ピロンッ!
という音と共に、携帯へ新着メッセージの報せが届けられる。
「サクか文音か?」
あの二人には昼頃にただ「休む」とだけ事後的に返信してあったが、一応何かあったのかなと思い画面を見てみる。
そして――
「……よし、ゲームするか」
送信元の名前を見た俺はすぐに携帯を伏せた。
――ピロンッ!……ピロンッ!ピロピロピロピロ……
「!?」
ほぼ同時に、俺の携帯が壊れたかのように騒ぎ出す。
何事かと思いゲームを中断、携帯をすぐさま手に取る。
見れば、大量のメッセージ。
携帯が突然騒ぎ出したのは、先程の送信元と同じく俺がよく知る人物――妹から大量のメッセージが送られてきていることが原因だった。
『兄さん、高校生活はどうですか? サクさんや文音さんに迷惑かけてませんか?』17:31
『兄さん? 見ていますよね? 返信ください』17:32
『バレてますよ、兄さん?』17:32
『兄さん?』17:32
『……兄さん』17:32
『兄さん』17:32
『兄さん。』17:32
……怖い怖い! 怖いよ!
既読なんて付けていないのに、俺がこのメッセージを見ていると確信している様子だ。
まったく、我が妹ながら末恐ろしい。
「スルーだ。ここは、スルーしよう……」
この学校を選んだ理由の一つに、全寮制を理由にこの妹から離れられるというのも少しだけあった。
俺の妹は何というか……見ての通り、俺にやたらガミガミと煩い。
「兄さん、ちゃんと勉強してますか」「兄さん、部屋片付けてますか」「兄さん、朝ちゃんと起きてますか」――など、うんざりだった。
そのくせ、サクや文音にはすごく懐いてると来たもんだから兄としては世知辛い。
あの二人の前では、「サクさーん」「文音さーん」と甘えた声を出して、まるで別人のように可愛らしく振る舞うのだ。
俺の時とは大違いである。
最後のメッセージに『兄さん。』と句点が打ってあるのが何とも不気味だったが、まともにメッセージを返すのも面倒なので放置を決めこむ。
また明日返せばいいだろう。また明日、ね。
「……てゆーか、腹減ったなー」
ゲームを中断させられてしまったことで、急にお腹が空いていることを実感してしまう。
考えてみれば朝から何も食べていない。
いくらなんでもそろそろ限界だ。
「何か買いに行くかー……あ、ここ敷地内にコンビニあるんだっけ」
俺は部屋着のまま、財布だけをポケットに突っ込んで部屋を出た。
◇
翌日、4月4日、木曜日。
――ピンポーン
「あー、先行っててー、遅刻しそうだからー……」
そうやってわざわざ呼びに来たサクと文音をインターホン越しに追い払うと、俺はすぐさま学校側へ欠席の連絡を入れる。
「……よし、これで今日も休みだぁぁあ!!」
謎の達成感と半端じゃない幸福感。
ズル休みは……癖になる。
一度味を占めたらやめられない。
昨日の二度寝の快感が忘れられない。
あの背徳感に満ちた幸福感が、また俺を誘惑してくるのだ。
「さてと……とはいえちょっと身体は動かしたいよなー」
ずっとゲームをしているだけでは、俺の数少ない長所である運動能力も衰えてしまう。
筋肉は裏切らないというが、使わなければ確実に裏切られる。
それは避けたい。
そろそろひとっ走りしておきたいところだ。
「よし、みんなが学校行ったら走りに行くか」
そして時間を見計らい外に出た俺は、広い学校敷地内を探険するように走り出した。
朝の空気は心地良い。
風を切って走る感覚が久しぶりで、身体が喜んでいるのが分かる。
普段使わない筋肉が少しずつ目覚めていく感じ。
――それから30分ほど走っただろうか。
程よく汗をかいたところで寮に戻り、シャワーを浴びてもう一着のジャージへと着替える。
そしてまた……ゲームの時間だ。
◇
夜。
ゲームに勝てなくなってきたので一息吐きたかった俺は、コーヒーを淹れようとキッチンに立っていた。
湯沸かしポットでお湯を沸かし、インスタントコーヒーの粉をマグカップに入れて、お湯を注ぐ。
立ち上る湯気と共に、コーヒーの香りが部屋に広がる。
今は熱々のコーヒーが熱すぎて飲めないので、少し冷めるまで待っている最中だ。
「…………」
大体5分ぐらいだろうか。
コーヒーから立ち上がる湯気が立ち上がっては消え、立ち上がっては消えていくのをひたすら眺めているだけで時間が過ぎていた。
「そろそろかなー……」
湯気がそこまで立ち上がらなくなってきたので、そろそろだと思い口に運んでみる。
「あちっ」
まだ、熱い。
舌が少しヒリヒリする。
「まだかー……そろそろあっちで座って飲みたいし、もうこんくらいでいいか……」
でもいつまでも眺めているのも飽きてきたので、カップを手に取りベッドのほうへと足を向ける。
ベッドに座ってゲームをしながら飲めばいい。
そう思っていた。
「……いや、待てよ?」
数歩歩いた先、ベッドとキッチンとの中間地点あたりでふと立ち止まる。
歩くことで後ろに流れていく湯気を見て、名案を思い付いたからだ。
「これ……クルクル回せばすぐ冷めるんじゃ?」
ほら、あれあれ。よくあるだろう。
バケツを持って腕を回しても水が零れないっていう、あれだ。
「俺、天才か?」
コーヒーカップだって、小さいバケツみたいなものだ。
手元でこう……くるくるっと回せば、コーヒーも零れずに風を受けてすぐに冷めるはず。
「よし……」
革命的アイデアを思いついてしまったので試さずにはいられない。
早速、右手にあったカップを胸の前へと持ってきた。
「じゃあ、行くぞー……」
そして、勢いよくカップをくるりと回してみると――
「――あっっっつ!!!」
ビシャッビシャッ、と熱いコーヒーが全て下に流れ落ちた。
床に広がる茶色い液体。
そこらへんにあった段ボールにもべっとりと染みが広がっている。
「……うーわっ! 最悪……」
何でだ……話が違うぞ……。
想像上ではこう……手元でコーヒーの入ったカップがくるくると回っているはずだったのに。
分からない……遠心力が、分からない。
「あぁーもう……ビチャビチャじゃないか……って、あ!!」
下に履いた新品のジャージをすぐに脱ごうとすると、床にあった延長コードが目に入る。
昨日コンビニで買ってきた、買ったばかりの延長コードだ。
「さ、最悪だ……まじで……」
妙な事をしたせいで、延長コードがダメになってしまった。
いや、正確にはコーヒーがしっかりとかかってしまってる。
もしかしたら乾かしたら使えるのかもしれないが、漏電して火事なんてことになったらシャレにならないので使う気にはなれない。
「はぁー……どっか捨てる場所探して捨ててこないとかー……」
燃えるゴミとも思えないし、不燃で出していいものかも怪しい。
電化製品の処理方法なんて、真面目に考えたことがなかった。
なのでとりあえず、ゴミ捨て場に捨てる場所があるのかを見に行かなければならなかった。
「俺のバカ野郎め……恨むぞまじ……」
こうして、俺は学校に行かずとも自分のバカさ加減に嫌気が差していくのだった。
蓮「遠心力って回せばいいんじゃないの!?」




