表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

52/70

第51話 彼とカレーと偵察と……


 ――入学式から1週間が経った週の始まり。



「………ほお…………んじょうぅ…………か……なあ…………たあ…………」


「――!!?」


 朝一番に学校へ登校し、自分の席に座っていた彼方の耳に、自分の名前を叫んでいるかのように聞こえる咆哮が入って来た。


 その声はものすごく聞き取りづらかったが、激しい怒りのような感情が籠っているようにも思える。


(な、なんだ!?!?)


 彼方は思わず椅子の上で身を強張らせた。


 心臓が急激に鼓動を速める。


 しかし、本当に名前を呼ばれたのかどうかは確信が持てない。


 だって、まだ入学してから一週間だ。


 知り合いだってそんなにいない。


 さらに言うなら、名前を覚えてくれていて、且つ遠くから大声で呼んでくれるほどの友人などいるわけがない。


 ただ――


 何となくだが、嫌な予感がゾワッとしていた。


 ただ一人だけ……可能性が無くはないが、それだけは間違っていてほしいと思える人物に心当たりがあったからだ。


 彼方はいつも以上に影を薄めて、ジッと廊下を見つめる。


 息を殺し、自分の存在感を極限まで消す。


 朝のHRまで時間がまもなくということもあり、廊下を歩いていく人の数は疎らだ。


 そして、彼方の嫌な予感はある男が教室へと現れたことで確信に変わる。


 男は非常に満足気な表情をしていた。


 まるで何かを成し遂げた後のような、達成感に満ちた顔だ。


 目が合ってしまわないように、慌てて視線を逸らす。


(野内……蓮!!)


 もはや、「何で」「どうやって」なんて疑問は抱かない。


 ただただ今は、侵入者が自分だとバレてしまったということに戦慄するだけだ。


(気づかれた気づかれた気づかれた気づかれた気づかれた!!)


 まずい、という感情で胸がいっぱいになる。


 手のひらに汗が滲んでいるし、口の中が妙に乾いている。


 今まで一度たりとも調査対象に気付かれたことのない彼方にとって、この状況は完全に未知なるものだ。


 彼方とて、探偵稼業をしていた以上、ある程度の制裁を受ける覚悟は常にできているのだが、今回は相手が相手だ。


 蓮から見たら、彼方は自分の部屋に侵入してきて勝手にカメラと盗聴器を仕掛けていった害悪でしかない。


 まるでミスをした心当たりがないというのに、見事侵入者である自分を看破して見せたこの”天才くん”からの制裁は、一体どれほど苛烈なものなのだろうかと。


 それを想像するだけで、心底恐ろしい。


 恐る恐るだが、彼方はチラと蓮のほうに視線を向けてみる。


(な、なにも……ない?)


 しかし、何もしてくる様子はない。


 こちらへコンタクトを取ってくるようなこともなく、ただ静かに着席しているだけだ。


(……ど、どういうことだ?)


 てっきり、こちらをしてやったり顔で見てきているものかと思っていた。


 それだけに、戸惑いが激しい。


 単に、HRまで時間が無いからなのか、はたまたそれ以外の理由があるのかが全く分からない。


(ひ、ひとまず……HRが終わるのを待ってみよう……)


 彼方は一旦、蓮の出方を窺うことにした。



 しかし――


 その後、朝のHRが終わっても、1限の授業が終わっても、2限の授業が終わっても……蓮が彼方に接触してくることは無かった。




 ◇




「お邪魔しますよー……って、うわっ。めっちゃカレーの匂いする。そーいえば、昨日作ってたな」


 午後、彼方は早退して蓮の部屋へ再度侵入していた。


 こちらから動くことで、さすがに蓮もアイコンタクトのひとつくらいはしてくるかという探りの意味もあったが、何よりもまずは証拠隠滅を実行しておきたかったからだ。


 今日の午前中、彼方は常にビクビクしながら過ごしていたのだが、朝名前を呼ばれたのも幻聴だったんじゃないかというくらいに、蓮からのアクションは何もなかった。


 授業中も、休み時間も、蓮は至って普通だった。


 彼方のことを気にしている様子は微塵もない。


 ならば……何もしてこないというのなら、蓮が学校にいるうちにひとまずは証拠となり得るカメラを回収しておくのが賢明だと考えたのだ。


 どうしても私物のカメラだけは日常的に使っていることもあって、指紋など襤褸が出てくる可能性がある。


 そんな思惑から早退した彼方は、カレーの匂いが充満する部屋の中で真っ先にテレビへと向かい、裏にあるエロ本を取り出すと一つ目のカメラを回収し終える。


「エロ本は……まぁ処分しておくか。あとはキッチン上だな」


 穴をくりぬいてしまったエロ本は処分しておくと決め、バッグに詰め込んだ。


 続いて、キッチン上のカメラを回収したらミッションコンプリートだ。


 ちなみに、盗聴器は速攻で壊された後、あっという間に捨てられてしまっていたので回収不可能である。


 彼方はキッチンへと向かうと、カメラを外すため若干コンロへと身を乗りあげようとする。


 しかし――


「これ邪魔だな……」


 カレーの大鍋が邪魔で身を乗りあげられない。


 カメラは換気扇の外側に付けてあるため、背伸び程度では届かない場所だ。


 鍋をどかすしかない。


「溢さないように気を付けよう……よいしょっと」


 そして、重すぎてカレーを溢しそうになりながらも、何とか無事にキッチンのカメラも回収完了。


 証拠が隠滅できたことで、彼方も少し冷静になる。


「てか、よく考えたら……朝のアレ、本当に俺の名前だったのか?」


 蓮の姿を見た瞬間、間違いなくバレたと思ってしまった彼方だが、考えれば考えるほど不自然なことが多いので状況を整理し始める。


 まず、そもそもの話。


 侵入の痕跡には気付いていたとしても、それが彼方の仕業だと分かるわけがないということ。


 盗聴器には気が付いても、それを仕掛けたのは誰かなんて――特定する手段は、普通に考えればない。


 他にカメラもなければ、目撃者もいなかったのだ。


 だからこそ彼方は恐れ戦いていたわけだが、自分の思い違いだったんじゃないかと考えが変わるくらいに今日の蓮は普通だった。


 顔も名前も知らないただのクラスメイト同士、といった感じ。


 本当に、対象に気付かれているという実感が全く湧かないほどに、いつも通りだった。


「まさか、ただの俺の勘違いで、実はバレてない? いや、でも……」


 相手が蓮でなければ、絶対にただの勘違いだと言い切れただろう。


 相手が……”天才くん”でなければ。


「……やっぱり、どっちか分からないな」


 いくら考えたところで分からないものは分からない。


 推測だけでは限界がある。


 こうなったら、彼方が取れる方法はただ一つだけだ。


「喋って確かめてみるしかない、か」


 実際に喋って調査してみる。


 バレてないならそれでよし。


 バレていたならその時はその時だ。


 最悪の場合は、許してもらえるとも思えないが素直に謝罪するしかない。



 こうして――彼方は今までで一番緊張する調査を実行することになった。




 ◇




「野内、おはよう」


 翌日、一限前の時間にて彼方は一世一代の調査を始める。


「え。あ、ああ、おはよ。えっ……とごめん、名前教えてもらってもいい?」


 すると、今の彼方にとって最上級に嬉しい反応が返ってくる。


 蓮から名前を尋ねられた。


 この時点で、名前を知られていないことに対して安堵をしてしまいそうだったが、演技の可能性や策略の可能性もあるのでまずは落ち着いて、いつも通り普通に応答して見せる。


 探偵として数多くの聞き込みをこなしてきた経験が、今ここで活きる。


「あはは、だよな。野内あれからしばらく休んでたし、しょうがないよ。俺は本庄彼方だ、よろしく」


 自然な笑顔。


 適度な距離感。


 フレンドリーだが馴れ馴れしくない、絶妙なバランス。


 これが彼方の得意技だ。


「そう言ってもらえると助かるよ。よろしくな彼方。あ、俺のことは蓮って呼んで」


「おっけー、分かった。蓮、な」


「で、どうした? 急に」


 彼方も普通だが、蓮も普通。


 至って平凡な、よく見るような初対面同士の会話。


 蓮からは、目の前に現れた不法侵入者に対して非難をする様子など、微塵も見られない。


(なんだ……やっぱり勘違いだったのか)


 反応があまりにも普通すぎたので、ひとまずはこれで安心した。


 カメラも取り外し済みだし、これからバレることなど絶対にないだろう。


 物的証拠はもう完全にない。


 なので、せっかくの機会だ。


 思い切って、ずっとゲームをしていたあの自主連休についての真相を駄目元で聞いてみようと彼方は思う。


 だけどまずはアイスブレイクだ。


 本題の前に、どうでもいい話題で空気を解いていくことにする。


「あーいや、別に大したことじゃないんだけど。蓮ってあれから4組行ったのかなって気になってさ――」


 入学式の日に来た有名人の話題を振り、意識を完全に自分から切り離す。


 どうでもいい話ではあったが、蓮が本当にあの頼実リボンを知らなかったことには驚いた。


 まぁ、情報としての価値は「世俗に疎い」くらいのものしか得られなかったので大したものではない。


「じゃ、そろそろ――」


 そして、アイドルの話が一段落着いたところで、蓮の方から話を切り上げられそうになる。


「ああ! ちょっと待ったちょっと待った。あとひとつだけあんだよ、聞きたかったこと」


 ――席戻れば?


 なんてことを言われてしまう前に、無理矢理に割り込む。


 本題はここからなのだ。


 まだ話を終わらせるわけにはいかない。


「まだ何かあるの?」


 露骨に面倒くさそうな顔をされたが、今を逃したら二度と聞けなくなりそうな気がしたので彼方は食い下がる。


「一個だけだから、な? いいだろ?」


「……分かった分かった。何でも聞いてくれ。俺に答えられることなら何でも答えるよ」


 それが功を奏し、質問を許可された。


(よし……)


 彼方は内心でガッツポーズをする。


 さぁ、本番だ。


「じゃお言葉に甘えて……蓮、先週休んでただろ?」


「あぁー……うん。まあね」


「……あれって、入学式みたいに何か企んでる、とかだったりするのか?」


 満を持して、彼方は本題に切り込む。


 すると――


「ははっ、まさかそんな。ただちょっと体調が悪かっただけだよ」


 おどけた様子でただ体調が悪かっただけだと返される。


 まぁ……初対面での情報収集なんてこんなものだ。


 望んだ成果が得られなくても仕方がない。


「あー、やっぱりそうだよな。ごめんな、変なこと聞いちゃって」


 あまり踏み込むのも変なので、ここらが潮時だ。


 それに、今日はそれよりも、自分が侵入者であるとバレていなかったことを喜ぶべきだろう。


 気を持ち直し、彼方は撤退を始める。


「いいよいいよ、全然問題ナッシング」


 蓮もあまり気にしていないようで、気持ちよく会話が終わった、かのように思えたのだが――


「あー……でも休んだおかげで連休になったからさー、この通り……休みすぎて元より元気になってるかも」


 蓮が元気ですと言わんばかりに腕を組んで見せてくる。


「やっぱりほら、一昨日カレー作って食べたから、俺」


 そして突然、まったく脈絡のないカレーの話を出してきた。


「…………カ、カレー?……ふ、ふーん」


 どうして急にカレーの話をしてきたのかと勘繰ってしまったことで、少し動揺が外へ出てきてしまう。


 声のトーンが微妙に上ずってしまった。


(やば……)


 変な動揺から侵入がバレてしまったら目も当てられないので、会話は発展させずもう退くことにする。


 一刻も早く、離れるべきだ。


「あ、もうすぐ授業始まっちゃいそうだから俺戻るよ。じゃ、またな、蓮」


 そう言って彼方は蓮へと背を向けると、自分の席へと足早に戻ろうとする。


 ――そのときだった。


「あ! 待ってくれ彼方」


 後ろから、今度は逆に彼方が蓮に引き留められてしまう。


「ん? どうした?」


 彼方は出来る限り動揺を悟られないように、完全には振り返らず、左半身だけを蓮の方へ顔ごと向けた。


 まだ何かあるのだろうか。


「何かついてるぞ、彼方……ほれ、そこそこ」


(……?)


 蓮が彼方の制服を指さす。


 その指先が示す場所を、彼方はゆっくりと見た。


「え?……何かって何が…………っ!?」


 瞬間、時が止まったかのような動揺が彼方の身体を支配する。


 指摘された部分を見てみると、そこにはなんと――


 ――カレーが、付いていたのだ。


 カピカピになっているが間違いない。


 それは昨日、彼方が蓮の部屋へと侵入したときに付いてしまったであろうカレーだった。


 プロとして、侵入したという状況証拠を残すとはあってはならないミスである。


 もはや動揺というか、悪寒というか、とにかく恐怖にも近い感情で胸が一杯だ。


「あ、あぁ……ほんとだ。ありがとう……洗ってくるよ」


 何とか口を開くと、彼方は廊下へと飛び出し冷や汗を拭う。


「……っ」


 そして制服に付いたカレーを洗いながら、下唇を噛んだ。


 ずっと手のひらで踊らされていたのか、はたまた鎌をかけられたのかは分からないが、服についたカレーを指摘されたことで一つだけ分かったことがある。


 あの男――野内蓮は、彼方に気付いていないのではない。


 気付いたうえで、気にしていないのだ。


 普通に初対面として接してきたのも、きっと面白おかしく思っていたのだろう。


 そうとしか考えられない。


 休みの間ずっとゲームをしていたのだって、見られていることを知って愚鈍を演じていただけにすぎないんだ。


 調べていたつもりだったのに、逆にこちらの実力を計られ嘲笑われていたということ。


「くそっ……」


 彼方はプロとしてのプライドを貶された気がして、恐怖の中に怒りの感情が芽生え始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ