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第48話 カンニングのカンニング


「うーん……」


 衝撃の、赤点即退学という事実を知った翌日。


 朝の教室に一番乗りした俺は、一人で頷きながら試験についての詳細が記されている掲示を眺めていた。


 昨日一日は完全に諦めて世界のすべてを呪っていた俺だったが、今朝目覚めてみたら不思議なことに「意外と何とかなるのでは」という根拠のない自信が湧いてきたのだ。


 ベッドの中で目を覚ました瞬間、昨日までの絶望がまるで嘘だったかのように、妙な前向きさが心を満たしていた。


 ほら、よくあるだろう。


 テスト前日に焦りだして徹夜で勉強してみたものの、範囲が広すぎて太刀打ちできず絶望した末に、「意外と何とかなるんじゃないか?」って謎の自信が湧いてくるあれだ。


 人間、追い詰められると逆に楽観的になるものらしい。


 脳が現実逃避のために都合の良い妄想を見せてくれているのかもしれない。


 まぁ、何はともあれ、テストについては詳しく知らなければならなかったので、こうして朝一番に登校しているわけだった。


 目の前の掲示には、試験の日程などが記されている。



 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


『城才学園高校・本年度第一回 進学期試験のお知らせ』


 ・6月3日~7日の5日間にて、本年度第一回目の進学期試験を実施する


 ・1年生の試験科目及び試験日程は下記のとおりである



 6月3日(月):1限 生物基礎、2限 物理基礎


 6月4日(火):1限 英語 C、2限 英語 E


 6月5日(水):1限 日本史、2限 世界史


 6月6日(木):1限 現代文、2限 古文


 6月7日(金):1限 数学Ⅰ、2限 数学 A



 ・また、各教科A4用紙1枚のみ参考資料の持ち込みを許可する


 ・この試験は第2学期への進学がかかった重要な試験のため、各自でよく精進すること


 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



 俺は掲示された内容を、一字一句逃さないように丁寧に読んでいく。


 生物基礎、物理基礎、英語、日本史、世界史、現代文、古文、数学……。


 ずらりと並んだ教科名を見ているだけで、頭が痛くなってきそうだ。


 どの教科も、俺にとっては苦手科目である。


 というより、得意科目がないと言った方が正確かもしれない。


 そして――今日は5月の最終日、31日の金曜日。


 明日と明後日の土日が明けてしまえば、すぐにテストが始まってしまうらしい。


 つまり、準備期間はあと三日しかない。


「なるほど……」


 しかし、それを見た俺は焦らない。


「これは……これなら、いけるんじゃないか!?」


 むしろ、顔が明るくなった。


 ある文言を見たことにより、一筋の希望の光を見出したのだ。



『各教科A4用紙1枚のみ参考資料の持ち込みを許可する』



 これが指しているのはつまり――


 ――カンニングペーパーのことだ。


 カンニング。


 その言葉の響きに心惹かれないバカなど、この世に存在しない。


 参考資料と書いてはあるが、これは要するに試験中に見てもいい紙を持ち込めるということだ。


 これは……これはすごい。


「これなら、サクか文音のカンペを貰えば赤点回避できるじゃん!」


 俺は思わずガッツポーズをしそうになる。


 簡単な話、全員がカンペを用意して挑むのなら、絶対赤点を取らないであろう人のカンペをカンニング――もといコピーさせてもらえばいいだけだ。


 決して自分で準備しようなんて間違った発想にはならない。


 自分で参考資料を作るなんて、そもそも何を書けばいいのか分からない。


 だから俺が確実に点数を取るためには、できる人の成果物を貰うのが一番だろう。


 絶体絶命の窮地に立たされたことにより、いつもより頭が冴えている気がした。


 我ながら、良いアイデアを思いついたものだ。


 普通なら、学力テストだし他人にカンペなんて見せてあげないだろうが、俺とあいつらの仲だ。


 今回に限ってだけかもしれないけど、頼み込めば必ず渋々ながらコピーさせてくれるだろう。


「なんだよー……ビビッて損したじゃんー」


 俺は掲示板を見つめながら、昨日の自分を笑う。


 あんなに絶望していたのが馬鹿みたいだ。


 これにて問題解決。


 サクや文音ほど優秀な人たちのカンペを見ることが出来るなら、むしろ赤点を取る方が難しい。


 あいつらなら、きっと完璧な参考資料を作ってくるだろう。


 重要なポイントだけを凝縮した、試験に最適化されたカンペを。


 それをそのまま使えば、俺だって余裕で赤点回避できるはずだ。


「なんなら、人生初の満点取っちゃったり?……はははっ、それはさすがにないかー」


 調子に乗って、そんなことまで考えてしまう。


 さすがに満点は無理だろうが、それでも今までで一番良い点数が取れるかもしれない。


 突然降ってきた厄介な退学問題が片付いたことで、一気に気が抜ける。


「……あれ、ちょっと待てよ?」


 しかし、退学問題が解決したことで元々抱えていた問題を思い出し、踏みとどまる。


「あいつとサクって……どっちのが頭良いんだ?」


 サクや文音のカンペを使うことで、もしかしたら帝との勝負に勝ってしまうかもしれないという可能性に気が付いてしまったのだ。


「あぶないあぶない。すぐに頼んじゃうところだった」


 優先順位はもちろん赤点を取らないことのが上だが、その次の優先事項は依然として試験での点数勝負に負けることだ。


 退学はしたくないけど、このまま天才くん問題と藍の問題を抱えたまま学校生活を送ることもまた、同じくらい嫌だった。


「うーん……わざわざ自分から指定してきたくらいだし、あの帝とかいうヤンキーのが頭が良い、のか?」


 俺なりに正解の選択肢を模索し始める。


 腕を組んで、真剣に考える。


 帝は自分から学力勝負を持ちかけてきた。


 ということは、自分の学力に自信があるということだろう。


 でも……


「……でも、ヤンキーだしなぁー」


 天才学園にいるくらいだから頭は良いのかもしれないけど、やっぱり不良は不良だし、サクより頭が良いとはとても思えない。


 サクは中学の頃から常に学年上位だったし、勉強に関してもかなり信頼できる。


 サクのカンペを使えば、確実に高得点が取れるだろう。


 でも、それじゃあ帝に勝ってしまうかもしれない。


 やはり、サクは――却下だ。


「じゃあ、文音は……って、それは考えるまでも無いか……」


 次に、文音のことを考える。


 文音は国語分野こそ苦手科目だが、他が圧倒的に凄い。


 満点だって何回も見てきているし、不良と比べるまでもなかった。


 文音のカンペを使ったら、間違いなく帝に勝ってしまう。


 ――却下だ。


「え、じゃあ……どうしよう……」


 困った。


 赤点を回避するためにも、誰かのカンペをそのまま見せもらうという方針は確定しているのだが、肝心の「誰に」という部分が悩ましい。


 赤点ギリギリではダメだ。


 それじゃあリスクが高すぎる。


 かといって、満点近く取るのもダメだ。


 それじゃあ帝に勝ってしまう。


 ちょうど中間くらい、平均点より少し上くらいが理想的だ。


 確実に赤点を回避した上で、程よく、丁度いい塩梅の点数を取れる人材を探している。


「あ! 藍とかつぼみんとか……」


 そこで思いつく。


 藍やつぼみんなら、何となく程よい成績を取りそうな気がする。


 特につぼみんは天才というわけではなさそうだし。


 でも……


 正直あの勝負を受けてからというものの、この二人との間には何とも言えない気まずい空気を感じているし、頼んだところで無理なんじゃないだろうか。


 確かに藍はいつもと変わらないし、つぼみんも何も言ってはこないけれど、最近はどことなく気まずかった。


 なので――却下だ。


「うーん……みずきやあずき……は無理だろうなー」


 次に思いつくのは、相談部のメンバーであるみずきとあずき。


 でも、あの二人とはまだ知り合って日が浅いし、何となく頼みづらい。


 というか、あの二人の成績がどのくらいなのかも分からない。


 もし二人とも天才的に頭が良かったら、カンペを使っても帝に勝ってしまうかもしれない。


 リスクが高すぎる。


 ――却下だ。


「他に……他に誰か……」


 必死に考える。


 クラスメイトの顔を一人一人思い浮かべていこうとする。


 でも、そもそも俺はクラスメイトとそんなに親しくない。


 ……全く顔が浮かんでこなかった。


「あれ。おはよう、蓮、今日朝早いのな」


 そうこう俺が腕を組んで考えていると、10組に二人目の登校者が現れる。


 教室のドアが開き、見慣れた顔が入ってきた。


「あぁ。おはよう、彼方」


 ――彼方だ。


「こんな朝っぱらから何してたんだ?」


 彼方は、掲示板の前で立っていた俺に声を掛けてくる。


「いやなぁー、実はなー……」


 ……誰にカンニングペーパー見せてくれって頼むべきか悩んでいてな。


 なんてことを言いかけたところで、目の前に現れた、ごくごく平凡な男子生徒が目に入る。


 そして、ふと思う。


 彼方は……普通の男子高校生だ。


 天才でもなければ、落ちこぼれでもない。


 特別な才能があるわけでもなく、かといって劣っているわけでもない。


 ごくごく普通の、平凡な男子高校生。


 なら、成績も当然普通だろうし……。


 普通ということは、平均点くらい。


 平均点くらいということは、赤点は回避できるけど、満点には程遠い。


 つまり――


(適任……すぎる!!)


 閃いた。


 これだ。


 これしかない。


 判断は一瞬だった。


「彼方を待っていたんだ」


 俺は笑顔でそう言う。


「へ?」


 突然待っていたと言われて、彼方は唖然としている。


「……え、俺を? 待ってた? 何で?」


 当然、疑問をぶつけてきた。


 そりゃそうだろう。


 朝一番に登校してきたら、クラスメイトが「お前を待っていた」なんて言ってくるんだから。


 不審に思われても仕方ない。


 しかし、俺には勝算がある。


 以前、彼方が言っていたことを思い出していたのだ。


「ほら、前にお願いがあったら聞いてくれるって言ってただろ?」


 俺は自信満々にそう言う。


 確か、何かのときに彼方がそんなことを言っていた気がする。


 詳しい経緯は覚えていないが、「何でも言ってくれ」みたいなことを言っていたはずだ。


「え……あ、あぁー……そういうこと……」


 彼方はお願いと聞いて納得の表情を浮かべる。


「そうそう」


 俺はにっこりと笑う。


 分かってくれて良かった。


「で……その、お願いってのは?」


 お願いを聞いてほしいと言われた彼方は真剣な表情をしている。


 退学がかかった試験についてのお願いだし、責任としては重大ではあるので少し申し訳ない。


 でも、背に腹は代えられない。


「あぁ、えっと――」


 俺は出来る限り、彼方が気負いすぎないよう気を遣って淡々と内容を口にする。


 深刻になりすぎないように、軽い調子で。


「彼方に、俺が今度の『進学期試験』で使う参考資料を用意してほしいんだ」


「――!?」


 言った瞬間、彼方の目が大きく見開かれる。


 口も、ぽかんと開いている。


 このくらいのお願いだったらしてもいいんじゃないだろうかと思った上でのお願いだったのだが、見るからに彼方は驚いてしまっていた。


 そんなに非常識なお願いだったのだろうか。


 とてもオッケーが貰えるような表情には見えない。


 彼方の顔は、困惑と戸惑いで一杯だ。


「あぁー……いや、やっぱりまぁ、無理、か」


 断られそうだったので、先に逃げ道を作っておいてあげる。


 俺は気が遣える男なのだ。


 断りやすいようにしてやるくらい、なんてことはない。


 相手に気を遣わせないのも、普通の友情の一つだろう。


 すると――


「……っ! ……いや、分かった。任せろ」


 一瞬の躊躇の後、彼方は力強く頷いた。


「あ、まじ?」


 嫌がっているようには見えた彼方だったが、何と渋々ながら了承してくれたのだ。


 やはり持つべきものは普通の友だということだろう。


「ああ。ただ……その……もう時間も無いし、あんまり期待されても、困るというか、だな……」


 彼方は自信なさげにそう言う。


 確かに、あと三日しかないんだ。


 一から参考資料を作るのは大変だろう。


 でも、彼方なら大丈夫だ。


 普通の成績を取る人間なら、どう頑張ったところで普通のカンペを作ってきてくれるはずだ。


 それで十分なのだ。


 もとより高得点の期待など、これっぽっちもしていない。


「あはは、分かってるって。彼方なりに準備してくれたらいいから。これも、ただのテストなんだし」


 俺は上機嫌に、彼方の背中をバシバシと叩く。


 重みは違うが、赤点を取ったらいけないのは別に普通のテストと同じことだし、こんな緊張状態なのは困る。


 だって、彼方が赤点を取ったら、同じカンペを使った俺も退学になってしまうのだ。


 とにかく、彼方なりに精一杯頑張ってもらわなければならない。


「ッ!! ……わ、分かった」


 俺の激励を受けて、彼方は再び頷く。


 まだ固い感じではあったが、俺の激励と感謝の気持ちは伝わっただろう。


 了解してくれた。


 良かった良かった。


「じゃ、そゆことでよろしくな。あ、俺、トイレ行ってくるから」


「あ、ああ……」


 そして、これにて万事解決とばかりに俺は廊下へと軽い足取りで歩き出す。


 天才くん問題、藍の問題、退学問題。


 それらすべてが綺麗に片付いたことで安心感と幸福感が、尿意と共に押し寄せていた。


 これで俺は当初の予定通り、寝て起きて寝て起きて寝て起きて学校に行くだけでいいのだ。


 勉強なんてしなくていい。


 カンペは彼方が作ってくれる。


 試験当日は、そのカンペを見ながら答えを書けばいい。


 何て簡単な話だろう。


 幸せを感じずにはいられない。


 いつぶりだろうか、こんなにもストレスが無い状態なのは。


 胸の内から、喜びが溢れてくる。


 廊下を歩きながら、俺は思わず鼻歌を歌いそうになる。


「ひゃっほうー!!」


 誰もいないトイレで思わず声を上げてしまう。


 静まり返った朝のトイレでは、俺のテンションだけが異様に浮いていた。



 全ての問題が解決した今、俺に怖いものなど何もない、と。


 ――そう、思っていた。



 この時の俺は、まだ知らなかったのだ。


 自分が、とんでもない不幸の道を歩んでしまっているということを。


(エ)蓮「これが……自由だ」

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