第45話 不良との邂逅
――「ガシャン!!!!」
言い訳が出来ないほどの大きな音が廊下中に谺する。
俺の右足が、廊下に置いてあるロッカーの扉を蹴ってしまったのだ。
(ま、まずい! ……はやくここから離れないと!)
しかし、大急ぎで階段へ戻ろうとしてももう遅い。
「……あぁん? おい、そこに誰かいんのか?」
身体を動かすよりも先に、誰かの荒々しい声に呼び止められてしまった。
(最悪、だ……)
こうなってしまえば、もう誤魔化せない。
知らない人たちだけならば何とか逃げおおせたかもしれないが、ここにはみずきもあずきも、サクだっているのだ。
旧部室棟に出入りする人なんてそうはいないし、この時間まで残っている人間となればまず俺だと分かってしまうだろう。
「出てこいよ」
知らない声が、こちらを挑発してくる。
低く、威圧的で、明らかに好戦的な声だ。
(出てくしか……やるしか、ないのか……)
既に退路は途絶えた。
俺に残された選択肢は、たったの一つしか残されていない。
そうだ――
嵐の中へと進路を進めるしか、ない。
「……ゴクリ」
緊張からか、ほとんど唾など出ていなかったのだが、覚悟を決めるため無理矢理に喉を鳴らす。
(ふぅーー……よし……)
――コツ
こういう覚悟を決めたときの俺の足取りは、非常に穏やかで堂々としたものだ。
実際は足が震えそうなのを必死に抑えているのだが、表向きは平静を装う。
――コツ、コツ
あと数歩で、俺の視界は再び右側に開ける。
心臓の鼓動が早くなっていくのを感じる。
――コツ、コツ、コツ、コツ
そして――
ついに、俺の姿が衆目に晒されていく。
視界には八人の生徒。
各々がそれぞれバラバラの表情をしているせいで、誰か一人に絞った感想を抱くことができない。
でも、特に目を引いたのは顔も名前も知らない一人の女子生徒だ。
目を引いたと言っても一際綺麗だったとかそういう話ではなく、単純に俺を見て一番驚いていたから印象深かったのだ。
まるで幽霊でも見たかのような顔をしている。
「誰だ? ……てめぇ」
大柄な体格をした、ガラの悪い男に遠くから目と声だけで詰め寄られる。
さっきまで言い争っていただろうに、俺が登場したことで今だけはすっかり全員が大人しくなっていた。
「蓮!!」
中でも矢面に立っていたであろうサクが、俺の登場に嬉々として声を上げる。
その後ろに立っていたみずきも何だか楽しそうな顔をしていた。
「何? ……蓮、だと?」
するとどうしたのだろうか、俺の名前を聞いたことで男の顔が途端に喜びを表し始める。
「くく……そうか、てめぇが例の……”天才くん”か」
男は不敵な笑みを浮かべながら話を続ける。
「初めましてだなぁ、おい。お前に会えるのを楽しみにしていたんだぜ? 俺はよ」
「…………」
集団から離れ、こちらへと詰め寄ってくる。
それに対して、俺は何も言わないし、何も反応しない。
表情は姿を現したときのまま、ずっとにやけ面で固定されている。
「……おい、何か言ったらどうだ?」
こちらの無反応を見てか、男はすぐに苛立ちを見せてきた。
「…………」
しかし俺は、何も、言わない。
「てめぇ……シカトとはいい度胸してんじゃねぇか……」
気が付けば、男は俺の目の前に立っていた。
「…………」
それでも俺は、無言を貫いている。
――否。
訂正しておこう。
何も言わないのではない。
何も言えないのだ。
(……こ、こえぇぇええええええ!!!!!)
俺は、今――
不良という生き物に、人生で初めて遭遇してしまっているのだから。
(何でこんなおっかないやつがこの学校にいるんだよ!? おかしいでしょ絶対!!)
びびりまくっていて、声なんかとても出せない。
現代日本において、こんな漫画に出てくるような不良はまずいない。
だというのに、何故か天才学園という場違いな場所にそれが居て、自分の目の前に現れたのだ。
驚かないわけがない。
だけど、天才くんとして数多の窮地に立たされてきた経験からだろうか。
先程姿を現すと覚悟を決めてから今に至るまで、それでも俺は無意識のうちに余裕を醸し出してしまっていた。
「て、天才くん……」
集団の中から細々とした文音の声が聞こえてくる。
こんな状況にのこのこと現れた俺を哀れんでいるのだろう。
あぁ、俺はきっとこのまま殴られて殴られて、痛い思いをして……
そして、休養のため学校をしばらく休むことになるんだろう。
……なんて、自分でも自分のことを哀れんでみる。
(ん? ……あれ? でも……殴られれば俺、学校休めるのか?)
「…………ふっ」
なら意外と悪くないのかもしれない、なんてことを考えてしまったせいで、思わず笑いが零れてしまう。
「……あぁ?」
おっと、いけない。
挑発みたいになってしまった。
そのせいで、見るからに臨界点ギリギリと言った表情になってしまっている。
男の眉間には深い皺が刻まれ、拳が固く握られている。
「いいぜ、喧嘩なら買ってやるよ」
男は俺の制服の胸倉を掴むと、顔を近づけそう言った。
タバコの匂いがする……のかと思ったのだが、そんなこともなかった。
「…………ふっ」
何だ、意外と真面目なんじゃないかと、またもや笑ってしまう。
「……てめぇ」
おっと、いけないいけない。
ここまで挑発した感じになってしまってはもうどうしようもないので、来るだろう痛みを覚悟して目を閉じる。
「…………(ニヤッ)」
諦めからか、そんな中でも不思議と自然に笑ってしまっていた。
「どこまでも舐め腐りやがって……ならお望み通り、一発くれてやろうじゃねぇか!」
拳を振り上げた音が聞こえてくる。
あぁ――
ついに殴られるんだな、俺。
親父にもぶたれたこと――なくはなかったか。
小学生の頃、悪さをしたときに一度だけあった気がする。
……じゃあ、別にいいか。
刹那、走馬灯というほど大げさなものではないが、色々なことが頭を過る。
中学時代のこと。
天才くんと呼ばれ続けたこと。
この学校に入学してからのドタバタ。
そして、さっき出会ったばかりのレティのこと。
あぁ――レティに会いたい。
出来る事なら、さっきまでのあの素敵な時間に戻りたい。
それが、ちょっと時間が経っただけでこんなことになるんだから、俺の人生って本当に忙しない。
そんなような思考が頭を駆け巡りながら、俺は殴られるのを待っていた。
――のだが。
「やめなさい!」
聞き馴染みのある大嫌いな声が耳元に響くと同時に、男の動きが止まる。
目を開けて見てみれば、藍が傍まで駆けつけて男の腕を止めていた。
かなり近くにいるので分かるのだが、きっと相当に怖いのだろう。
唇が震えている。
声も、わずかに震えていた。
それでも、藍は必死に男の腕を掴んでいる。
「あぁ? ……邪魔すんじゃねぇよ」
「いいえ。私は生徒会よ、止めるに決まってるでしょう。それに……そうでなくても、暴力は見過ごせないわ」
今日がまだ活動初日だというのに、藍は既に生徒会としての仕事をきちんとこなさなければと動いているようだった。
生徒会としての権力を使って、何とかこの場をとりなそうとしている。
「離せ」
だがそれに対し、男は全く引く気配が無い。
低い声で、威圧的に命令する。
「離さないわ」
藍とて同じだ。
震える声で、それでもはっきりと拒絶する。
「女を殴るのは趣味じゃねぇが、やるとなったら俺は生徒会だろうと女だろうと……容赦はしねぇぞ?」
藍が退かないという気配を感じ取ったのだろう。
手を離さなければお前を殴る、という意味の脅迫まがいなことを言い出した。
その言葉に、この場の空気が一気に張り詰める。
「三度目は言わねぇぞ。……離せ」
そして、それを受けた藍は――
「――離さないわ」
「藍ちゃん!!」
――分かったうえで、堂々とそう告げた。
ただ見ていることしか出来ていなかったつぼみんが、「ダメ!」と言って藍の名前を大きく叫ぶ。
「…………」
「…………」
男と藍が、お互いに睨みあう。
誰も動けない。
誰も声を出せない。
時間が止まったかのような、重苦しい沈黙。
しかし突然――バッ、と。
少しの間が空いた後、俺の胸倉を掴んでいた手が開かれる。
(――おっ、とと!? あぶねー……)
急に離さないでほしい。
転びそうになったじゃないか。
「……お前、名前は何だ」
何事かと思っていたのだが、男は俺から藍へと興味の対象を移していたようだ。
おもむろに名前を尋ねだす。
「野内藍」
対する藍は、淡々と名前だけを簡潔に答えた。
今から殴られるのではないかと、怯えている気持ちを必死に隠しているようにも見える。
そこまで怖いのなら、出てこなければよかっただろうに。
訳が分からない女だ。
「野内藍? その名前……お前、こいつの彼女か?」
「え、ええ……まぁ一応、ね」
噂程度だとしても、学年中に俺と藍の名前だけは確かに広まっていたようで、野内藍という名前を聞いただけで、男が俺たちの関係性を言い当てた。
「なるほどなぁー」
藍が認めたことによって、男は何かに納得している。
「どうりで、ビクビク怖がってるくせして楯突いてくるわけだ」
俺から見ても震えが分かったくらいだ。
同じくらい近い距離にいるこの男からでも、藍が怖がっていることは一目瞭然だっただろう。
「――怖がってなんか、いないわ。それに、言ったでしょう。関係性がどうとかではなく……生徒会として、人間として許せることではないと」
藍は断固として、男に対抗する。
「はっ、御託はいい」
しかし、男はそれをバサリと切り捨ててしまう。
「彼氏のために身体を張れるなんて、いい女じゃねぇか……嫌いじゃない」
「……だから、そんなんじゃないって言ってるでしょう」
その言葉は恐らく……マジだ。
しかしいくら藍が否定しようとも、本当にそんなんじゃないということは付き合っている俺にしか分からない。
だって、付き合っているというのも嘘みたいなものなんだ。
よく考えてみたら、俺のために身体を張るわけがなかった。
本当にただ、暴力が許せないだけなのだろう。
「照れ隠しか? ……へぇー、可愛らしいなぁー。こんな彼女がいるなんて幸せもんだなー、天才くんはよぉ?」
(ここで俺に振ってくんなよなー……)
突然、会話のラリーに俺まで参加させられてしまう。
ここまで無言でほくそえんでいただけなので、どんな言葉を吐けばいいのか分からない。
「……ふっ、そうだな」
なので、とりあえず会話の流れに乗っておくことにした。
ひたすら流れてくる無駄な思考を無視して、ただただ何も考えず、爽やかな笑みだけを浮かべながら適当に会話を合わせておく。
「そうだろうなぁ……でもよー、天才。こういうとき、普通は彼氏が彼女を守るところなんじゃねえのか?」
「そうだな」
「だよなぁ? じゃあ今、何も出来ず女に守られてるだけのてめぇは……彼氏として、男として、人間として、どうなんだろうなぁ」
何かを言いたいのか、男は藍から俺へと向き直ると、この場にいる全員に聞こえるように声を張り上げて話を続ける。
「それに、だ。今まさに、てめぇを助けたせいで大事な彼女が殴られそうになってるってのに、これっぽっちも動く気配がねぇ。……それってよー、自分は助けてもらったくせして、てめぇはこの女を助ける気がねぇってことだろ?」
「そうだな」
「……はっ、まじかよお前。普通、彼女がいる前でこんなことあっさり認めるか? そんなんじゃ、明日にはフラれちまうだろうぜー?」
「そうだな!!」
あまりにも心躍るような内容に、自然とテンションが上がってしまう。
「……てめぇ、バカにしてんのか?」
おっと、いけないいけないいけない。
何を言われようとも聞き流さなきゃな。
平常心平常心。
無心で、荒波を立てないように、ただ会話を合わせることに専念しなくては……。
「……そうだな」
「……良い度胸だな……てめぇ」
「そうだな」
「ッ!!」
(――って、あれ?)
何故だろうか。
会話の腰を折らないためにもひたすら適当に肯定していたら、また男がいきり立ってしまっている。
再び俺の胸倉を掴もうと動き出してしまった。
「ちょっ、やめなさい!」
それを止めようと、藍も再び制止にかかる。
「退け!」
「――キャア!!」
だが、男の怒り具合はさっきよりも上を行ってしまっているらしい。
男を止めようとした藍が振りはらわれ下駄箱に衝突する。
――ガシャンッと、金属製の扉が大きく音を立てた。
「藍ちゃん!!」
怖くて今まで成り行きを見守ることしか出来ていなかったつぼみんが、友達の危機に際し恐怖を振り払い、こちらへ駆け寄ってくる。
「蓮! 挑発しすぎだ!」
サクもこのタイミングでこちらへ来ようと、動き出していた――その時だ。
「――――『そこまでだ!!!!!』 」
空気を震え上がらせ、思わず耳を塞いでしまうほどの声量が正面玄関に響く。
それは、まるで爆音のような大声だった。
蓮「まさかまた新キャラ!?」




