第43話 付き合いたい恋の始まり
「――――せん……の……みません」
「……んー……むにゃむにゃ……」
俺が相談部室で眠りこけていると、誰かから声を掛けられ意識が浮上しかける。
サクだろうか、それともみずきやあずき、文音だろうか。
何にせよ、早く起きるべきなのだが、すっかりスヤスヤと眠ってしまっていた俺の意識はまともに働こうとしない。
誰が何を言っているのか分からないし、俺の瞼もすぐには上がらなかった。
「……あの、すみません」
しかし、その声が恐らく目の前で発せられ始めたことでさすがに段々と意識がハッキリしてくる。
未だ瞼を上げられずだが、かろうじて言葉を聞き取れたので反応を返す。
「んんー……はいー……」
眠ったままの俺を起こそうとしているのだろう。
声の感じからして女子だろうか。
丁寧な言葉遣いからも俺の知り合いではないだろうなということが分かる。
俺の知り合いの女子って言ったら、対応に疲れるような元気いっぱいの奴とか、鬼が化けているんじゃないかってくらいにきつい性格の奴とかしかいないからね。
まともな女子だっているにはいるが、さっき知り合ったばかりの蕨姉妹だってどちらも特徴的な口調だったし、つぼみんはキャピキャピ派手目の女子なのでもっとラフな話し方をする。
こんなに丁寧でお淑やかな話し方をする子は、残念ながら俺の周りにはいないのだ。
……本当に残念ながら、ね。
「あの……お話があって来たんですけど……」
随分と透き通った、聞き取りやすく美しい声。
いつまでもこうして聞いていたいと思えるほどに綺麗だ。
間違いなく知らない人だし、聞いたことも無い声なのだが、どこか聞き覚えのあるような錯覚をしてしまうほどに落ち着く声。
まるで澄んだ湖の水面に石を投げ込んだ時の、あの美しい波紋のような響きを持っている。
高音でも低音でもない、絶妙なトーンが耳に心地よく、自然と心が安らいでいく。
この声の主はいったいどんな人なのだろうか。
そんな好奇心が、眠気の中にも関わらず俺の心に芽生えていた。
「きれいだなー……」
「……え?」
(あ……やべ……)
寝起きだからだろうか。
そのあまりの感動ぶりに、つい思ったことが口に出てしまう。
しかも未だ目は瞑ったまま、横たわったままで、まともに目を見て挨拶もせず、だ。
明らかに驚いている声が聞こえてきた。
俺も慌てて体を起こし、ゆっくりと目を開ける。
瞼が重く、最初はぼんやりとしていた視界が段々とクリアになっていく。
そして――
「――――!?」
――目に入って来たその姿に、思わず、驚いてしまう。
こんな体験、入学式の日以来だ。
そこにいたのは、感想すらまともに出てこないほどのとびきりの美人。
いや、美人なんて安っぽい言葉では表現しきれないほどの、まさに「美しさ」という概念そのものを体現したような人だった。
あまりに日本語が自然だったので声だけでは分からなかったが、恐らく西洋系の外国人で、目鼻立ちが恐ろしいほどに整っている。
彫刻のように完璧に整った顔立ちは、まるで古典絵画から抜け出てきたかのような神秘的な美しさを湛えていて、肌は陶器のように白く滑らかで、一点の曇りもない。
何より目を引くのは、陽の光を浴びずとも赤色に見える美しい髪の毛だ。
その髪の毛は、光が当たれば炎のような鮮やかな赤とも見えなくはないのだが、そうでなければワインレッドのような深みのある色合いをしているように見える。
光の当たり方によって微妙に色合いが変化しているようで、まるで宝石のルビーのような、内側から輝くような美しさがあった。
加えて、碧く光った瞳とのコントラストが何とも絶妙で、目を離せなくなる。
その瞳は深い海のような青さで、見つめていると吸い込まれそうになってくる。
長い睫毛が瞳を縁取り、その表情には知性と優雅さが混在していた。
「…………」
俺は完全に見惚れてしまい、しばらくの間言葉を失ってしまう。
こんな美しい人が現実に存在するなんて、まるで夢でも見ているかのようだった。
「ど、どうかしたのですか?」
俺があまりに綺麗だなと見惚れていたために、警戒したのか自然に彼女は少し距離を取る。
「いや、ごめんごめん。きれいだなと思って」
俺は素直にそう伝える。
口説いているように見えるかもしれないが、決してそういうわけではない。
人は本当に感動した時、何の恥じらいもなく思っていることが口に出てしまうのだ。
芸術作品を見た時のように、純粋に「美しい」と感じたその気持ちをストレートに表現しただけ。
嘘偽りのない、心からの感想だった。
「それは……ありがとうございます?」
これが日本人であれば、口説いていると思って恥じらいの一つでもしそうなものだが、彼女は全くそんな素振りをしない。
外見を褒められ慣れているのもあるだろうが、恐らくこれが文化の違いというものだろう。
真っ先に、お礼を口にしてきた。
誤解されそうな発言だったので、この反応は非常にありがたい。
彼女の反応からは、俺の言葉を純粋な賞賛として受け取ってくれたことが伝わってきた。
「……で、何か話があるんだっけ?」
これも文音のSNSのせいだろうか。
初日から相談者が来るだなんて想定外だ。
しかし、「話がある」って言っているんだから仕方がない。
俺しかいないことだし、話を聞いてあげることにする。
……もちろん、彼女が美人だから、なんて理由じゃないよ?
仕方なくだ。
仕方なく。
「ええ。その……貴方にお礼を言えてなかったので」
「ん? ……お礼?」
そうやって、「さて、では話を聞いてやろうじゃないか」と、俺にしては珍しくやる気を見せていたのだが、早速出鼻を挫かれてしまう。
話というから当然相談事なのだろうと思っていたのだが、そういうわけでもないらしい。
まったくお礼をされるようなことに身に覚えがない俺なので、とりあえず話を聞いてみるしかない。
お礼って何だろうか。
俺がこの美しい人に何かしてあげた記憶はまったくない。
というか、この人のことは今初めて見たはずだ。
「何で……俺にお礼?」
「入学式の日にポイントを分けてもらいましたので……そのお礼です」
「え? ……あ、あぁーーー…………」
――入学式、ポイント、分ける。
三つのワードから連想された、まさかの話題に言葉を詰まらせる。
(そーいえば、適当に二つのクラスに分けたんだっけ……)
前にも聞いたことがあるような話だ。
すぐに何のことかは分かったし、身に覚えがありすぎたのだが、掘り起こされたくはない話だった。
こういう、俺のおかげでというようなニュアンスの話は口に出したくない。
「おかげさまで、私たち9組は元の教室より大分下駄箱に近くなりました。ありがとうございます」
ぺこりと。
俺の目の前で美人が頭を垂れる。
言葉だけでなく、礼儀まで日本に染まっているらしい。
こんな綺麗な人に頭を下げられると、何だか申し訳ない気持ちになってくる。
「いやいや、いいってあんなの。持っててもしょうがないポイントだったし、そもそもあげるクラスは適当に選んだしね」
余剰ポイントをあげるクラスは本当に適当に選んだのだ。
何組にあげたのかさえ覚えていないほど、適当に。
だから、あのアイドルだという子にも言える事なのだが、お礼なんかしてもらった方が困る。
面と向かってお礼をされるような善行などではない。
「そうだとしても、貴方からポイントを頂いたのは事実ですから」
しかし、それは俺側の主張であって、彼女たちからしたらただの無償の善行だ。
お礼をして当然だと言わんばかりの態度をしている。
彼女は未だ頭を下げたままだ。
その真摯な態度に、俺の方が恐縮してしまう。
彼女にとっては、俺がどんな気持ちでポイントを分けたかなんて関係ない。
結果として助かったという事実があるだけなのだ。
この誠実さも、きっと彼女の人柄の一部なのだろう。
外見の美しさだけでなく、内面もしっかりとした芯のある人だということが伝わってくる。
「あー……まぁ……そう、だね。どういたしまして」
ひどく居心地が悪かったので、早く頭を上げてもらうためにも仕方なく感謝を受け取る。
その言葉を聞いた彼女は、ようやくゆっくりと姿勢を戻した。
「それで、ですね……私たちは何のお返しをしたらいいのか、とクラスで話し合いになりまして……」
「ん? ……お返し?」
「はい。ですが、何がいいのかが分からなかったので、今日はそのことについてもご相談できればと思い伺いました」
話はさらに発展していくらしい。
「……さっきも言ったけどそんなの要らないって。クラスのみんなにも忘れて大丈夫だって伝えといてよ」
下手に騒がれでもしたら迷惑なので穏便に済まそうと、そう伝える。
しかし――
「いえ、そういうわけにはいきません」
――そういうわけにもいかないらしい。
「恩を受けたまま、そのままにしておくなんてこと、私には出来ません。もちろん、クラスのみんなも同じ意見です」
「そんな……恩だなんて大げさな……」
「大げさじゃありませんよ。教室が近くなることは有難いことなんです」
「まぁ……それには同意だな」
確かに、逆の立場なら俺も有難いと思うだろうなと納得してしまう。
下駄箱に近いということは、朝の準備や移動教室も楽になるし、毎日の移動時間も短縮される。
些細なことかもしれないが、確実に学校生活を快適にしてくれる要素だ。
「なので、何か私たちにお願いしたい事はありませんか?」
「うーん……そうだなー……」
とはいえ、大々的に俺を持ち上げられても困るわけで。
何か望むものをと言われても、「じゃあ俺の抱えてる諸問題を解決してください」なんて本当の願い事をできるはずもなく。
とりあえず、欲しいものなんかを考えてみる。
(ふっと思い浮かぶのは、優しい彼女とか、甘くておいしいお菓子とかなんだけど、お菓子は解決したばかりだしな……)
しかし、大して良い案が思い浮かばない。
意外と俺は物欲が無いのかもしれない。
……いや、彼女は物じゃないか。
(ん?……いや、待てよ?)
だがここで、藍がいることで無意識に排除してしまっていた、その”彼女”というワードに活路を見出す。
(まぁ、相談部で失望させる作戦は失敗したわけだけど……そもそも藍と別れた後、彼女になってくれる人がいなかったな)
これは盲点だった。
今まで藍と別れることばかり考えていて、その後のことまで頭が回っていなかった。
考えてみれば、藍と別れたとしても、すぐに新しい恋愛ができるわけではないのだ。
つまり、理想の高校生活を充実させるためには、付き合ってほしい人と良い人間関係を築いておくことが重要だということだ。
そして、俺は顎に手を当て目の前にいる彼女をまじまじと見つめ始める。
「……?」
彼女はそんな俺を不思議そうに見ている。
その反応を見て、俺は頼むことを決めた。
「……よし。お願い事、決まったんだけど。いいかな?」
「はい。私たちに出来る限りのことはさせていただきます。それで……どんなお願いでしょうか?」
「俺と友達になってよ」
「はい、分かりまし――って、え?」
綺麗な顔が、驚きの表情に満たされていく。
「え?……そ、そんなことでいいんですか?」
こちらの要求が想像していたよりも低いものだったことに驚いているみたいだ。
「うん、それでお願い。まぁ、嫌なら断ってくれてもいいんだけど」
「い、いえ……嫌だとかそういうことではなくて、その、あまりにも対価が見合っていないような気がしまして……」
「そうかな? 俺はそうは思わないけど……まぁそうだとしても、嫌じゃないならそれでお願いしたいかな」
しかし、彼女の言い分は間違っている。
これは俺にとってはかなり大事なことなのだ。
そう――
俺の願い事とはつまり、藍と別れた後のために「彼女候補が欲しい」というものなのだから。
「そう、ですか……分かりました。では、今日から私たちは友達、ということで」
これならお返しとしてのハードルも低く、口説いているともハッキリ言えないくらいの自然な流れのため、抵抗なく良い関係性を築けるだろう。
そんな俺の考えが的中したのか、彼女もすんなりと了承してくれた。
(よっしゃー!)
内心、戦略がハマったことでかなり喜んでいたが、表には出さず冷静を装う。
「ああ、よろしく。……っと、そういえば自己紹介まだだったか。俺は10組の野内蓮。苗字でも名前でも、好きに呼んでくれ」
彼女の名前は何だろうかと、ドキドキしながら自己紹介を始める。
「分かりました、では野内くんと呼ばせていただきますね」
「おっけー。それで、君の名前は?」
「はい。私は――」
そして――
目の前の麗しい彼女の名前が、明かされる。
「9組の、スカーレット・イヴ・ブラックストーンといいます。よろしくお願いします」
ぺこりと。
彼女が再び頭を下げた。
(かっこいい名前だなー……って、ん?)
前にもこんなふうに、その名前に感動したことがあったような気がする。
しかし、どこで聴いたのかは思い出せない。
(まぁ、気のせいか)
なので、思い出そうとすることを諦める。
「へー、良い名前だな。何て呼んだらいい?」
「何と呼んでいただいても大丈夫なんですが……クラスのみんなからはレッドだったり、イヴちゃんと呼ばれていますよ」
「うーん。レッド、イヴかー……」
何だかかっこよすぎる呼び方だ。
確かに赤い髪の毛からも連想される色だしかっこいいんだけど、彼女のイメージとは違いすぎる。
(何か、違う愛称のがいいと思うんだけど……)
代わりに何かいい案が無いだろうかと考えてみるが、出てこない。
(調べてみるか……)
仕方がないので、携帯を取り出し愛称を調べてみることにした。
(えーっと……でも、なんて調べればいいんだ? とりあえず、スカーレット……でいいか)
しかし、見たことのないテレビドラマだったり、子供の頃やっていたゲームの続編だったり、聞いたことのあるロックシンガーの名前だったりと、様々な役に立たない情報だけが出てきてしまう。
当たり前だが、これだけでは欲しい情報は見つからない。
(んー……じゃあ、スペース……愛称……と)
すると、何とも単純な検索にも関わらず、たくさんの愛称が画面に表示された。
(レッド、スカーレ、スカー……うーん、何か違うなー……あっ!)
ざっと画面をスクロールしていくうちに、印象に合った呼び方をすぐに見つける。
そして、「これだ!」と言わんばかりに、自信満々にその名を呼んでみせた。
「おっけー。じゃあ、俺は……”レティ”って呼ばせてもらおうかな」
「……え?」
(――って、あれ?)
しかし、名前を呼ばれた彼女はキョトンとした顔をしてしまった。
反応が何やらおかしい。
俺のことだから、何かまずい地雷を踏み抜いてしまったのかもしれないと思い、すぐに自分のフォローに入る。
「ごめん、呼び方、嫌だった?」
「い、いえ……そういうわけでは……なくて……」
だが、どうやら俺が失敗したというわけでもないらしい。
ではどうしたというのだろうかと言葉の続きを待ってみると、何とも拍子抜けな返答が戻って来た。
「その……家族以外からレティと呼ばれるのは、初めてでして……少し、驚いてしまいました」
「あー、そうなんだ? じゃあ、違う呼び方にしようか」
それくらいの理由ならば、違う呼び方にすればいいだけだ。
言ってはいけない禁句みたいな感じだったらどうしようと焦っていたので、軽い調子の驚きで本当に助かった。
ならば違う呼び方を探さなきゃなと、俺は再び携帯をいじりだす。
「いいえ、そのままで大丈夫ですよ……その、野内くんが良ければ、ですけど」
「え? ……いいの?」
「はい。何だか一気に親しくなったような気分になりますし、私も嬉しいです」
「じゃあ、そう呼ばせてもらおうかな……改めて、よろしくな――レティ」
まだ持ったままだったスマホをポケットへと滑らせると、右手を前へ差し出す。
「はい、こちらこそよろしくお願いします。野内くん」
差し出した俺の右手を、レティの手がやんわりと握り返す。
冷たく、細く、女の子らしいきめの細かい肌をした柔らかい手。
ただ握手をしただけなのに、その感触に胸がときめく。
彼女の手は想像していたよりもずっと小さくて、俺の手がすっぽりと包み込んでしまいそうだった。
肌は驚くほど滑らかで、まるで絹のような手触りをしている。
指先は少し冷たかったが、それがかえって上品な印象を与えた。
きっと彼女は、普段から細かなところまで丁寧な手入れをしているのだろう。
握手という些細な接触だったが、俺にとっては大きな意味を持っていた。
そう――
この瞬間。
(――――っつ!!)
俺は――
(つ、付き合いてーーーー!!!!)
一瞬で、恋に落ちてしまったのだ。
蓮「か、可愛いと綺麗って同時に存在するんだな……」




