第40話 最悪の鬼バズと豹変
「おはよう、蓮。……見たよ、SNS」
ゴールデンウィークが明けた、初めての学校の日。
朝の登校直後に、彼方がそうやって俺に声をかけてきた。
その顔は彼方にしては珍しく、普通の笑顔ではなく至って真面目なものだ。
まるで何か重要な話をしなければならないとでも言うような、普段の彼方からは想像もつかないほど真剣な表情を浮かべている。
俺は教室に入ったばかりで、まだ朝の支度も済ませていない状態だったが、鞄を机の上に置き中身を整理しながら彼方の話を聞こうとする。
「え? ……あぁー、相談部のやつね。どうだった?」
一瞬何のことか分からなかったが、SNSと言えば、そういえば文音に一任してあったのがあったなと思い出す。
さすがはザ・普通な彼方というべきか、SNSも普通に見ているらしく、昨日文音が上げたであろう投稿を見かけたようだ。
しかし俺は最初の写真を撮ったのと、最後に部長として部屋と一緒に撮られただけで、SNSは全くのノータッチ。
実際の投稿は見てすらいないので、感想を尋ねてみる。
彼方の反応を見る限り、それなりにインパクトのある投稿だったのだろうか。
まさか文音のことだから、変なコメントでも付けて投稿したんじゃ、という一抹の不安が頭をよぎる。
「どうだったって……そりゃ驚いたさ。まさかあんなところまで、ってな」
「あー、だよなー。まさかあそこまでするとは思わないよな、普通」
しかし、そんなことは杞憂だったようだ。
どうやら彼方は高性能なカメラで撮った写真から、細かいところまで行き届いた俺たち(サクと文音が大半)の徹底的な清掃と改造に驚いているらしい。
俺もあそこまで綺麗になるとは思っていなかったし、驚くのも当然だ。
文音とサクの片付け技術が日を追うごとに進化していき、挙句の果てに他の空いている部室から使えそうなものを拝借してきたりして、最初とは随分と違った様相になったのだ。
「ははは……普通、か……さすがだな、蓮は。天才くんって呼ばれてたのも納得できる」
「いやいやいやいや! そんな持ち上げるようなことじゃないから! 確かに頑張りはしたけど、別に誰でも出来る事だし」
褒められるのは嬉しいが、そこまで持ち上げられるのは望ましくない。
せっかくこのまえ天才くんはバカだったって言いふらしたっていうのに、また持ち上げられ始めたら堪ったものじゃない。
「……蓮にとってはそうなのかもしれないけどな、こんなふうに画像を広めるのなんて、誰でもは無理だろ」
そうした俺の発言に対して、彼方は真面目な顔のまま、徐に携帯を開くとこちらへ見せてきた。
「こんなふうにってまた大げさな……」
(――――って、え?)
何だか今日の彼方は大げさだなと思って画面を見てみれば、そこにあった「城才学園・相談部」というアカウントの投稿が目に入る。
そこには……
『ビフォーアフター撮ろうと思ったら心霊写真撮れちゃって今これ→(ガクガク)』
という投稿文と、俺たちが撮った二枚の写真が添付されていた。
(なんで……こんなことになってんの!?)
だが俺が驚いたのは、その投稿文に変なことが書いてあった……
なんてことなどではなく、その投稿が脅威の5万越え「いいね!」を獲得していたことだ。
たった一晩で、インフルエンサーもびっくりな鬼の大バズりを果たしている。
(は?……え?…………はあ!?)
画面を見つめながら、俺の頭の中はパニック状態に陥る。
5万いいね、なんてとんでもない数字だ。
これまでの人生で、さすがにこんな大勢の人に注目されたことなんて一度もない。
しかも、最悪な事にバズっている原因はビフォーアフターのアフターの方について、つまりは俺が部長だからという理由で部屋と一緒に写されている画像の方だった。
投稿文のとおり、俺が鎮座している椅子の後ろには確かに何かがうっすらと写りこんでいるようにも見える。
パッと見ただけでは分かりにくいのだが、よく見るとぼんやりとした白い影のようなものが、まるで人の形をしているかのように椅子の背後に浮かんでいる。
光の加減なのか、それとも本当に何かが写り込んでしまったのか、素人目には判断がつかない絶妙なクオリティだった。
コメント欄を見ると、「これガチでヤバくない?」「マジで心霊写真じゃん」「怖すぎる」といった反応が大量に書き込まれている。
中には「城才学園って噂あったよね」「昔から出るって言われてた」なんて書き込みまであった。
「……確かに、誰でもは無理だな」
だけど、そっちに対しては特に驚かない。
文音の仕業なんだろうなということを察したからだ。
(加工は無しだろ、加工は……)
これは文音が編集で撮って付けた偽物の心霊写真に違いないだろう。
あの習得の天才だからこそ、昨日のうちに短時間で成し遂げられたこと。
このクオリティの心霊写真を作り出すなんて、誰でもは無理だ。
文音のことを知っている俺からしても本物と見間違えるほどなのだから。
一体どこでそんなスキルを身につけたのか。
中学時代から何でもすぐに習得してしまう天才的な能力の持ち主だったが、画像編集まで完璧にこなせるようになっているとは思わなかった。
きっと昨夜のうちに、何かの編集ソフトを使って巧妙に加工を施したのだろう。
心霊写真として成立するギリギリのラインを狙った、絶妙なバランス感覚は流石としか言いようがない。
というか、こんなことになるなら任せるんじゃなかったという後悔しかないが、一任していたことを嘆いてもももう遅い。
SNS云々は任せておけばいいだろうと思ってしまったのは俺自身だ。
まさかこんな形でバズることになるとは、想像すらしていなかった。
「…………」
彼方は俺が功績を認めたと思ったのか、ただただ投稿を改めてじっと見ていた。
だが、どうしたのだろうか。
彼方はそのまま少し経つと携帯をしまい、俺の方へと改めてしっかり向き直る。
その表情からは、何か深刻な雰囲気が漂っている。
まるで重要な話をしなければならないとでも言うような、緊張感のある空気だ。
そして――
「すまん! 俺が悪かった! その、入学式のこともあるからつい気になっちゃってさ……それで……」
――突然、頭を下げだした。
「え! 何、急に!? 別にいいって、そんなに謝らなくても!」
どうやら俺が持ち上げられることを嫌っていると察したのか、天才くんというワードが出てきた会話について謝ってきているようだった。
今更彼方ひとりに謝られてもどうしようもないことだし、それに今は割と噂も収まってきている。
だからそこまで気を張ることでもないので、むしろこんなに謝られると俺が困ってしまう。
「もう二度とこんなことしないし、何か頼みごとがあったらタダで絶対に請け負うからさ……それで、許してくれないか?」
「ああ、うん。分かったから! それでいいから、とにかく頭を上げてって……ほら」
大げさに何でも言うことを聞くとまで言ってきた彼方だったが、とにかく注目を集めないうちにこの状況を何とかしたかったので適当に了承して頭を上げさせる。
「……ありがとう、蓮。本当に俺、何でも請け負うからさ。何かあったらマジで頼ってくれよな」
一体何をそこまで重く受け止めてるというのか。
もしかしたら彼方はただ普通なんじゃなくて、どこまでもお人好しな人種なのかもしれない。
(それか……こいつも実は変な奴だったりして?)
そんな疑問が頭をよぎる。
「分かったって言ってるだろ? もう良いから席着けよ」
「そうする。じゃ、またな蓮」
そのまま、彼方は自分の席へと駆けて行ってしまう。
さっきまでとは違って、今はいつものように普通の笑顔を浮かべていた。
(……いや、彼方に限ってそれはないか)
そんな彼方を見て、一瞬抱いてしまった疑いを首を振って頭から消し去る。
彼方に関しては、疑いようもなく普通の生徒だ。
こんなに真面目に謝ってくる姿を見ていると、むしろ俺の方が申し訳なくなってくる。
というか、そんなことよりも、だ。
(はぁー、それにしても、鬼バズか……)
文音のやつめ。
余計な事をしてくれたもんだと心の中で溜息をつく。
せっかく天才くんの噂も落ち着いてきたっていうのに、まさかの方向から攻撃を食らってしまった。
しかも、部活としてではあるが、今度は学校内だけでなくSNS上での拡散という、より広範囲での注目を集めてしまった。
これまでとは規模が違う。
5万いいねという数字の重みを改めて考えると、背筋が寒くなる。
こんなに避けているというのに、「注目される」という状況が、より最悪の形で実現してしまっている。
部活としての注目ならば許せるかと言えば、そうでもない。
投稿のコメント欄には「この部活の部長?」「部長さんカッコいい」「心霊写真より部長に注目」なんて書き込みまであるのだ。
完全に予想外の方向に話題が発展している。
(これで、今日からの部活が忙しくなりでもしたら最悪だな……ははは……)
本当にありえそうなことなので笑えないが、こうやって心構えをしておかないと実際に起こったときにダメージが大きいので心の中で笑っておく。
相談部に興味を持った生徒が押し寄せてきて、静かに過ごすつもりだった放課後が台無しになる可能性は十分にある。
特に好奇心旺盛な生徒や、心霊現象に興味のある生徒が集まってきそうで恐ろしい。
するとそこで、目の前の席にいた藍がこちらへ振り向き珍しく声を掛けてきた。
「貴方、会長に提出しに行った部活動って、これのことなの?」
藍も彼方と同じように、問題の投稿を映した携帯の画面を俺に見せてきたのだ。
「え? あ、あぁそうだけど?」
急に話しかけられたことで、ちょっと慌ててしまう。
それにしても、藍がSNSを見るのは少し意外だ。
……ほら、私以外のことなんてどうでもいいみたいに思ってそうだから。
「……そう。断られたって聞いたからてっきりやらないものだと思ってたけど、ちゃんと活動はするつもりだったのね」
「あー……まぁ、ね」
ちゃんと藍に嫌われるためにも、まともに活動はしないつもりなんだけど、そんなことを口にするわけにはいかないので適当に相槌を打つ。
しかし、そんな俺を見た藍は耳を疑うような言葉を吐き始めた。
「素直に……学校で生徒が気軽に相談できる場所を作りたいっていうのは……凄く、良い活動内容だと思うわ」
「…………え?」
「私も、そういう場所は学校にあるべきだと、ずっと思ってたから」
(ん?――――)
頭の中が真っ白になっていく。
「でも、今日から私とつぼみも生徒会だから一応言っておくけど、相談部は非公式なんだから問題を起こしたら即活動停止よ、それは覚えておいて」
「…………」
「……なによ、私の顔に何か付いてるの?」
(――――え)
なんか……
(……俺、褒められてない?)
藍から褒められたことなんてあのゲームの結果発表の時に「おめでとう」なんて不愛想な顔で呟かれたことがあるくらいで、それ以外にはない。
だというのに、今はごく普通に褒められてしまっている。
藍の表情を観察すると、普段の冷たい仮面とは違う、どこか真剣で誠実な雰囲気を感じる。
嘘をついているようには見えない。
本当に心からそう思っているようだった。
俺の計画では、相談部の活動を通して藍に「この人とは合わない」と思わせ、自然な形で別れ話を切り出してもらうつもりだった。
それなのに、まさか活動内容を評価されるとは想定外すぎる。
最後の一言も、生徒会の一員として警告をしているのだろうが、その口調は威圧的というよりも、むしろ心配しているような響きがあった。
まるで「頑張って活動を続けてほしいけれど、問題を起こさないように気をつけて」と言っているかのようだ。
……一体、何がどうなっているというのか。
まるで想定とは違うこの事態に、思考が全く追い付かない。
「い、いや、えっと、そうじゃなくて……」
しどろもどろになってしまった言葉を一度区切り、冷静を装いなおして話を続ける。
「申請が通らなくて断られたから、今こうして非公式で活動始めてるわけじゃん? 実際会長にも認めてもらえなかったわけだし、ホント無駄でバカな活動だなー……なんて、自分でも思ってたりするんだけど?」
だからというわけでもないが、もはや謙虚というより卑屈なほどに自分の始めた部活を否定してしまう。
もとよりちゃんとやるつもりのない部活だったので、全部本当のことなんだが。
「非公式でまでやりたかった……いえ、貴方にも何か目的があって始めたことなんでしょう? でなきゃ、こんなに早く動き出せないでしょうし」
「ま、まぁ……目的は、あった、けど……」
(たった今、その目的とやらが達成困難になっているんですけど……!?)
そうやって思ってはいたが、とてもこの場でそれを口に出せる勇気はないので、ただあったとしか答えられない。
「ならそんなに卑下することでもないでしょう」
藍は話を続ける。
「……悔しいけど、こんなに早く全校に対して部の存在をアピールできるのも貴方くらいでしょうし。すぐに実績も出来るわよ」
「いや、あの……」
「もういいわよ、謙遜は。私はただ、素直にこの活動だけは応援したいって思っただけだから。それじゃ、くれぐれも問題を起こさないように」
……そのSNSバスらせたの、俺じゃないんです。
なんて反論する暇もなく、藍は言いたいことだけを一方的に言ってきて前を向いてしまった。
最後に見えた藍の横顔には、微かだが確かに笑みが浮かんでいた。
それは普段の作り笑いとは明らかに違う、心からの笑顔のように見えた。
「…………」
ガヤガヤとしている朝の10組の教室で、俺はただただ机を眺めることしかできない。
「…………」
無言でただ一点だけを見つめて、思考をひたすらに放棄し続けているのだ。
だが、それでも――
(――――ど)
――俺という、無能を絵に描いたような生き物の脳みそが言うことを聞くはずもなく。
次から次へと、今後起こりうる最悪のシナリオが頭の中に浮かんでくる。
相談部がさらに注目を集めて、実際に相談者が押し寄せてくる可能性。
文音とサクが張り切って本格的な活動を始めてしまう可能性。
そして何より……
藍との関係がますます複雑になってしまう可能性。
(どうして……こうなっっったぁぁぁあああああ!!!!!)
相談部の鬼バズと藍の豹変。
そんな二つの新たな頭痛の種に、俺の心は悲鳴をあげていた。
蓮「…………」




