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第37話 バカと天才


 ゴールデンウィーク前、最後の学校の日。


「え!?」


 ――ガタンッ、と。


 席が思い切り後ろに引かれる音と共に、蓮の大きな声が放課後の教室に響き渡った。


 教室にいた他の生徒たちも、その突然の大声に驚いてこちらを見ている。


「二人とも、生徒会に入るの!?」


 声の大きさといい、反応の仕方といい、あからさまに驚いていますと言わんばかりの態度で、藍とつぼみに対して蓮がそう聞いてくる。


「そうなんだよー……今日言いに行く予定ー」


 つぼみが藍のように無視はせず、いつもより若干低い声音で簡単に答えた。


「あ……コホンッ……」


 そして、蓮は大きな音を出したことで集めてしまった注目を気にしてか、恥ずかしそうに咳ばらいをしてから、声のトーンを落として話を進めた。


「…………えっと……まじ?」


 誰がどう見ても本当に驚いているように見える蓮だが、藍からすれば少し……いや、大分大げさなように思えて仕方がない。


「まじなんだよー……生徒会長が勧誘に来てさー……」


「…………」


 それ故に、藍は黙って蓮の真意を見つけてやろうと真剣に観察していたのだが、やはり今までと同じで全く思考が分からない。


 表情や仕草から何かを読み取ろうとしても、蓮の内心は依然として謎のままだ。


(本当に、会長の言うように私の考えすぎだったのかしら……)


 さっきから目の前の蓮の驚きぶりが何故かわざとらしく思えて仕方がないのだが、それも考えすぎということなのだろうかと思考を落ち着かせる。


 そして藍は、昨日のマリー会長から言われた言葉を思い出す。


 ――「軽率だな、野内。多少は頭が回る部分も評価しているが、勝手な憶測だけで物事を計らない方が良い」


 あの圧倒的な存在感を持つ生徒会長に、ピシャリと言われてしまった言葉。


 確かに、自分の憶測だけで物事を判断するのは軽率だったかもしれないと昨日反省したばかりだ。


(そうね……色々、しっかり確認すればいいだけの話だわ)


 自分だけでうじうじと悩んでいても、この男の実態は掴める気がしない。


 それならば、直接本人に聞いてみるのが一番確実で合理的な方法に違いない。


 藍は反省を生かし、意を決して気になっていることをすべて聞いてみることにした。


「…………あなた一体、生徒会長に何をしたの?……昨日、生徒会室に部活の申請をしに行ったって聞いたけど」


 まずは、昨日の奇行についてのことから。


 マリー会長からは蓮への異常に低い評価しか聞けなかったので、一体何の目的で向かったのか、そして生徒会室で何をしたのかが気になっていた。


 それが済んだら次は入学式の日のことについてだ。


 伝言の件についても、今更だがしっかりと確認しておきたい。


「へ?……別に何もしてない……です、けど……何かあったの?」


 しかし――


 質問を受けた蓮は何もまともな情報を返してこない。


 そればかりか、何故か質問を飛ばした藍の方ではなくつぼみの方へと会話を転がした。


 視線も自然につぼみの方に向けられており、明らかに藍を避けるような態度を取っている。


 でも、それは結果的には良かったのかもしれない。


「あ、それつぼみも聞きたかったんだった。なんかね、昨日、会長がつぼみたちのところに来て、めちゃくちゃ野内くんのこと悪く言ってたんだよね」


(ナイスよ、つぼみ!)


 つぼみも同じことを聞きたかったらしく、藍と同じように質問をし始めたのだ。


 あまり素直になることもコミュニケーションも得意ではない藍にとっては、聞きたいことを素直に聞くのもそれなりに難しい。


 どうしても言葉に棘が出てしまったり、相手を警戒させてしまったりする。


 だから、代わりにつぼみが質問をしていってくれるのは有難い展開だった。


「え、会長が? 何て?」


 流したつもりのつぼみから同じ質問を受けて、蓮はいつもよりも真剣な顔をしている。


 さすがに自分への評価の内容が気になるのか、つぼみに詳細を求めた。


「えっとね、何か……生徒会に誘うつもりだったのにさっき見たらあいつは愚鈍だったーとか……あ、あとゲームの特別指定席の件も単なる偶然であいつに取れるわけないー……とか? そんなようなこと言ってたんだけど……これって、ホントだったりする?」


 つぼみが生徒会長の言葉を思い出しながら、少し申し訳なさそうに伝える。


 彼女なりに、極力は相手を傷つけないように気を遣っているのが分かる。


 しかし――


(……え?)


 ――その内容を聞いた瞬間、蓮の顔が綻び始めた。


 表情が一気に明るくなったのだ。


 それは喜びと安堵が混じったような、複雑だが確実にポジティブな反応だった。


「――ああ、なんだ、そのことね! それはそうでしょ! あんなの偶然以外の何物でもないよ! マジで! 俺、なーんにもしてないから」


 すると蓮は、自らの功績を何とも思っていないかのような、ものすごくあっけらかんとした声でハキハキとそう告げる。


「ホ、ホントだったんだ……」


 左後ろの席にいるつぼみは素直な性格なためか、その態度を気にすることもなく言葉を真に受けている。


「なんか、ごめんね。ずっと勝手に勘違いしちゃってて……その、学年で一番の天才だーとか……」


「ああー、いいっていいって。分かってくれたならそれでいいから」


 これは、悪い噂が実は間違っていて、そのことについて謝られたから許している――のではない。


 その逆だ。


 蓮は、せっかくの良い評判だったものにケチが付けられたというのに、そのことに全く腹を立てるでもなく、むしろ歓迎しているかのような態度を取っていた。


「……でもほんと、俺って実は()()()()()()()()だからさ……だからさ、これからは、そういう感じでよろしく!」


 そればかりか、いつもの気だるい雰囲気から一転、見るからにどんどんテンションが高くなっている。


(どういうこと……? 普通は、もっとこう……自分のことは大きく見せたがるものなんじゃないの? 人間って)


 会長に言われたとおりに色々なことを確認してみようと意気込んだ結果がこれだ。


 頑なに功績を譲らないわけでもなく、申し訳なさそうに真実を吐き出すでもなく、曖昧に誤魔化し判断をこちらに委ねるでもない。


 事実が何にせよ、既に良い評判が立っているのだから何かしらそういったリアクションが来ると思っていた。


 プライドを傷つけられたとか、誤解だと言い出せなかっただとか、そういった一般的な反応を予想していたのだ。


 だからこそ、事前に想定していたどのパターンにも当てはまらない、「喜んでその事実を受け入れる」という反応に藍は戸惑いを隠せない。


 理解の範疇を超えている。


「うん了解! あらためてよろしくね、野内くん!」


 そんな自分とは別に、つぼみは全く何も思うところなどないようで握手なんかを交わしている。


 藍は思考が追い付かず、ただそれを見ていることしかできない。


「…………」


「……な、なに、なんか付いてる……ます? 俺の顔」


 そんな藍を不審がったのだろう。


 蓮が不自然な敬語を使って話しかけてくる。


 なので、この際だし分からないことは正直に聞いてみようと思い質問を返す。


「……いや、そうじゃなくて……貴方、なんで自分のことがコケにされているのにそんなに嬉しそうなの?」


「あのゲームの結果は本当の本当に偶然なのか?」なんてことも深く確かめたかったが、そんなことよりもまずはこの不自然にしか思えない反応の方が先だ。


 前からそうだが、この男の思考回路が、藍にはまったく理解できないのだ。


「え? なんでってそりゃ……」


(…………?)


 流れるように話し始めたかと思ったら、すぐに言葉が止まってしまう。


 一体どうしたというのだろうか。


「……なんだっていうの?」


 気になる部分で止められて、肝心なところを何も聞けていないのでつい催促を飛ばしてしまう。


 すると、蓮らしくないやや慎重な口調で話が続けられた。


「あぁー……ほら、やっぱり()()()()()が欲しかったから、みたいな?」


 嫌がらせで始めた敬語の強制がさすがに嫌になったのか、何故かこの場面で自然を装って普通の話し方に変えてきた。


 恐らく、今の間はそのことを内心で葛藤していたのだろうなと藍は思う。


「正当な、評価……?」


 しかし、今はそんなことはどうでもよく、話の内容の方に集中する。


 ――正当な評価。


 その言葉が今回の場合、どういう意味で使われているのかを考える。


 話の流れからすれば、バカな自分をバカだと評価してほしかったと解釈できるのだが、それはありえないだろう。


 本当にバカで無能な人物だったとしても、それを自ら晒したい人はもちろん、実際に暴露されて喜ぶ人なんてまずいないからだ。


 それに、バカは自分で自虐的に打ち明けたりはするが、他人から馬鹿にされるのは最も嫌っている者が多い。


 人間の自尊心というものは、そういうものだ。


 ここまでテンションが高くなっていることからもそれはないだろうなと判断できる。


 しかし、ではどういう意味で言っているのかという部分がいまいち分からない。


 そんなことを藍が考えていると、蓮からの話が続けられる。


「そうそう正当な評価!……もうこの際だから正直に言うんだけど、()()()()で『天才!』とか『最強!』みたいに言われてたの凄い嫌だったんだよね」


(――――え……)


「…………あんな、形!?」


 その言葉を聞いた瞬間、どういう意味だったのかを理解してしまう。


(まさか……正当な評価が欲しいって、あれくらいじゃ自分の価値が正確に計れてないって言いたいの?)


 ――正当な評価。


 確かに、普通は間違って悪いように評価されている場面で、評価の改善を求めるときなどに使われるのが一般的だ。


 この場面でその通りに解釈をすれば、今の評価に悪い意味で納得がいっていないということになる。


 つまり、現在の評価では自分の本当の実力が正しく測れていない、ということだ。


(そういえばこの男……あの時、特別指定席を取ったときも嬉しくなさそうだったような……)


 そんな過去の違和感も、ここに見事に繋がる。


 今までの思考がたった一つの道に繋がった。


 繋がってしまった。


 この発言の意図は、もうそういう意味だとしか受け取れない。


 しかし――


(いや、でも……だとしたら、何で今よりも下の評価を喜んでいるの? 理由になってないような……)


 質問に対する回答として、一番最初の部分だけが嚙み合わない。


 自分の実力がもっと上だと言いたいなら、なぜ低い評価を喜んでいるのか。


 それに、会長からの異様に低い評価のことも依然気になったままだ。


「……だからさ」


 それらの疑問に答えを出すためさらに質問をしてみようかと考えていたのだが、藍が何かを言う前に蓮はさらに説明を続けてきた。


「生徒会長が俺のことをちゃんと()()()()()()に見てくれてたって分かって安心してるんだ」


 そういうふう……とはつまり、自分のことを低く見てくれていた、ということを言っているのだろう。


(そんなことが分かって、安心してる?……それってどういう――)


「――――!?」


 その時――


 蓮がどこを目指しているのかは分からないが、ひとつの結論が藍の頭に降りてきた。


(まさか――――!?)


「わざわざ生徒会室まで部活申請しに行った甲斐があるってもんだよ」


 加えて、決定的な一言まで付け足されたことにより確信する。


(まさか――あの会長を……欺きに行ったってこと!?)


 そう――


 導き出される結論はひとつ。


 この男は……


 マリー生徒会長から低い評価を受けるためだけに生徒会室へ赴いたのだ。


 そうすれば、現在広まってしまっている自分への評価を自然に白紙に修正することができるから。


 そして、ここから再び実力を示し、正当な評価を得ようと画策しているのだろう。


(し、信じられない……そんなこと……できるものなの?)


 生徒会長の圧倒的なカリスマ性や天才性を見せつけられた藍からすれば、俄かには信じられないことだ。


 あのマリー会長を騙すなんて、本当にそんなことが可能なのだろうか。


 桜崎財閥の令嬢で、この学園のトップに君臨するあの本物の”天才”を、一介の高校生が欺けるものなのか。


 しかし、直接その言葉を、この姿を目にしてしまえばもはや疑いようがない。


 彼の行動すべてに一貫性があり、明確な目的があったということが分かってしまった。


「……まぁとにかく、そういうわけだからさ。藍もこれからは()()()()()()()()な男として俺のこと扱ってよ?……めちゃくちゃ、バカとして」


「…………」


 蓮の明るい調子の発言を受け、藍は無言でそれに応える。


 ”めちゃくちゃバカ”という部分を大きな声で周知させるように強調しているのが、この考えが合っていることの証明だ。


 どうやら、自分の実力を正確に示すためならば、周囲からの一時的なイメージダウンなど気にもしていないようだ。


 むしろ積極的に、”バカ”だと周囲に思わせようとしている。


 それほどまでに、自分の真の実力に自信があるということなのだろう。


「…………さて、と」


 蓮は話が一段落したと判断したのか、椅子から軽快に腰を上げ立ち上がる。


「じゃあもう今日は帰ろうかな、俺」


 そんな独り言も、藍やつぼみに言っている、という声量ではない。


 教室にいる他の生徒たちにも聞こえるように、わざと大きめの声で言っているのだ。


 抜け目なく、間抜けな感じを周囲にアピールしている。


「じゃ、また休み明けから改めてよろしく、二人とも」


 そしてそのまま、藍たちの返事なんて待たずそそくさと出ていってしまう――


 ――ように見えた蓮だったが。


「……あ、そうだそうだ」


 ふいに何かを思い出したかのように立ち止まると、教室の入り口から藍たちの方を振り向き、こう言った。


「生徒会、頑張ってな!ファイトー、いっぱーつ!なんつって」


「シ――――――――ン…………――――――――」


 その瞬間――


 虫が飛ぶ音すら聞こえない静寂の空間が生まれた。


 教室に残っていた全ての生徒が、一斉に言葉を失ったのだ。


 その寒々しいまでの沈黙は、まるで時が止まったかのようだった。


「……う、うん……もちろん頑張るよー……またねー、野内くん……」


 少しして、さすがにこの空気にいたたまれなくなったつぼみが返事をしてあげたのだが、教室の空気は依然凍り付いたままだ。


 しかし、蓮はそれに満足したように手を上げるとごく普通に教室を後にしてしまう。


 その後ろ姿は、まるで何事もなかったかのように軽やかで、先ほどの寒い発言を恥ずかしがる素振りすらない。


「…………」


 藍は無言でその後ろ姿を見つめながら、こう思う。


 ――数名の生徒が談笑していたはずの10組の教室を一瞬で静まり返してみせたその手腕なら、それだけで評判など簡単に落とせるんじゃないか、と。


藍「…………」

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