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第24話 蓮にとっての大問題②


 キーンコーンカーンコーン――


 学生の一日の終わりを告げる鐘の音が学校中に響き渡る。


 俺の情けない叫び声が朝から響いたこの今日という一日もようやく陽が落ちるということだ。


(はぁ……今日も疲れた)


 朝から夕方まで続いた授業を振り返りながら、俺は静かに溜息をつく。

 特に午後の数学の時間は地獄だった。

 先生から当てられたときの冷や汗は今でも背中に残っている。


(さてと、帰ったらさすがにサボってた荷解きをやらなくちゃな……)


 ああ、でも、ちょっと新作のゲームも買ってやってみたいな。

 どうしようか……


 なんて――これから訪れる平日の至福である、束の間の自由時間の予定を頭の中で組んでいるとき、当然のようにそれはやってきた。


「さ、帰るわよ」


「……え?」


 これがあたりまえだと言わんばかりに声をかけられる。


 顔を上げてみれば、そこには完璧な美貌を持つ女子生徒の姿があった。

 黒髪が夕日に照らされて絹のような光沢を放ち、制服の着こなしも完璧だ。

 その佇まいだけを見れば、まるで雑誌のモデルのようで、どこから見ても非の打ち所がない。


「え?じゃないでしょ。付き合ってるなら付き合ってるなりに彼氏として役に立って」


 彼氏のことを役に立つ、モノとして認識しているようだ。


 この物言いを聞くたびに、俺の心は重くなる。


「条件、覚えてるでしょう? ただ歩いてるだけなのに、男が寄ってきて大変なんだから」


「……へー、それはそれは、大変そう……ですね」


 心の中で皮肉を込めながら答える。

 確かに彼女は相当な美人だから男子の視線を集めるのは理解できるが、それを俺の責任のように言われるのは納得がいかない。


「……貴方が3日間も休んでサボってたせいなのよ? 認知が全然足りてないわ。しっかり働いてちょうだい」


 同じ人間とは思えないほどの、随分と上から目線な物言いだ。


 現代の世の中で男尊女卑が騒がれてるなんて信じられなくなりそうなほどに真逆を行っている。


 そんな、優しさなど微塵も含まれていない言葉を投げかけてきている目の前の見目麗しい彼女――野内藍は、俺の彼女だった。


 入学早々にダメで元々な告白をしてみたところ、恋愛ドラマの主人公もびっくりなまさかのオッケーを貰い交際を開始することになったのだ。


 まぁ――


 ――なった、のは良いんだけど……


「ちょっと、貴方話を聞いてるの?」


 ……現実は甘くなかった。

 いや、甘くないどころか苦すぎるほどに苦かった。


「え……でも……」


 俺が何か言い返そうとすると、藍は眉をひそめて不機嫌そうな表情を見せる。

 その美しい顔に浮かぶ不快感は、まるで汚いものでも見るかのような冷たさがある。


「私の貴重な時間をこれ以上奪わないで。さっさと行くわよ」


 藍はこちらの準備などお構いなしだ。


 待つ素振りすらなく、ひらりと背中を向ける。


 その仕草は確かに美しい。

 制服のスカートが軽やかに舞い、長い黒髪が風も無いのになびく様子は絵になる光景だ。

 だが、その美しさも今の俺には何の慰めにもならない。


「…………」


 席から動けず、無言で彼女の背中を見つめる。


「………………」


 沈黙。


 教室の中では、他の生徒たちが楽しそうに帰り支度をしている。

 新しい友達同士で明日の予定を話し合ったり、地元の他愛も無い話をお互いにしていたりと、青春らしい光景が広がっていた。


 だが俺にとっては、それらすべてが遠い世界の出来事のように感じられる。


「………………ッ!」


 やがて、顔だけが歪みはじめ――



(――――――――――別れたいッ!!!!!)


 別れたい!

 別れたい別れたい!

 別れたい別れたい別れたい!



(……………もう、別れたい……)


 心の奥底から湧き上がる感情は、もはや押さえきれないほどに強烈だった。


 ……今はただひたすらに、あの告白をひどく後悔している。


 その理由は言うまでもないだろう。


 藍の態度や性格にまったく惹かれないからだ。

 いや、惹かれないなんて言葉は明るい表現すぎる、今の俺の気持ちを表すのに相応しくない。


 あれはプラスじゃないだけではなく、マイナス方向に限界突破しているのだ。


 人間として大事な部分が欠けている。

 思いやりや優しさ、相手を尊重する気持ちといった、人として当たり前に持っているべきものが、彼女には決定的に不足していた。


 そして何よりも質が悪いのは、その態度が俺に対しているときのみだということだ。

 他の人と会話している時はこんな感じじゃない。

 もっとこう、物腰柔らかい。


 隣の席のつぼみん(呼んでいいよって言われたからそう呼んでる)と話してる時なんかは、まるで別人のように優しい声色で会話していたりする。

 笑顔も自然で、本当に感じの良い女子に見えるのだ。


 思い返してみれば、確かに告白する前に会話したときはそれほどキツイ感じではなかったと思う。


 あの時の藍は少し距離を置いているような感じはあったが、それでも普通に会話ができる相手だった。

 むしろ、その控えめな感じが魅力的にすら思えていたのだ。


 いくら俺でも、そこでこのヤバすぎる雰囲気を感じ取ることが出来ていたら、告白なんて馬鹿な真似はしなかっただろう。


 俺が告白した直後から態度が豹変したことからも、明らかに藍は普段その本性を隠しているのだ。


 まるで獲物を捕らえるまでは優しい顔をしていて、いざ捕まえた途端に牙を剥くような、そんな恐ろしさがあった。


 ……まぁでも、そのことを抜きにしても、高圧的すぎて本当に好きになれない女ということには変わりない。


 美人は3日で慣れるなんて話も世の中にはあるけれど、それは人間に限った話で、中身が悪魔な彼女には通用しないらしい。

 もはや、目を惹かれるような見た目すらも怪物に見えてくる。


 ……もしかしたら俺は、とんでもない爆弾を手にしてしまったのかもしれなかった。



 ――そして、こいつが今言っている条件のひとつというのは、学校中に俺たちの関係を認知させることだ。


 そこから今ハッキリ分かったことだが、どうやら俺を男避けに使いたかったらしい。


 条件に認知の話があったときは全く問題なかった。


 むしろ、そんなことでいいのかと軽く受け流していたくらいだ。


 しかし、その意味がちゃんとあったんだなと今更ながら思い知る。


 俺は藍みたいな高圧的な人ではなく、丁寧でお淑やかで強気なところもあるような……そんな人と付き合いたかったのだ。


 だからこの条件は、今になって遅効性で俺に効いてきていた。


 ……だって、俺と藍が付き合ってるなんて皆に知れたら他の理想の女子とお近づきになれないから。


 学園生活はまだ始まったばかりだ。

 これから出会うかもしれない素敵な女子との可能性を、こんな形で断ち切ってしまうのは勿体なさすぎる。


 だからこの際ハッキリ思うが、もう俺は藍と別れたい。


 もうそれは相当に、だ。

 心の底から、魂の奥底から、別れたいと思っている。


 なのにこれから交際関係を広めろと指図されているんだから堪ったもんじゃない。


 ……なら、早く別れてしまえばいい?


 それはそうだ。


 というかそうするしかない。


 この状況を続けていたら、俺の精神が持たない。

 毎日こんな思いをして過ごすなんて、とても耐えられそうにない。


 ……ない。ない、んだけど。


 ここでもまた一つ問題がある。


 俺から告白して付き合った手前、非常に言い出しにくいのだ。


 まだ付き合ってから1週間しか経っていないし、そのうちの3日と半日は俺は学校を休んでいた。


 関係性で言えば、お互いに友人以下のような存在だ。


 そんな状態で告白した側から別れを切り出すなんて意味が分からない。


 それに、平穏な学園生活を望んでいる俺からしたら、既にクラス中に周知されてしまったこの交際をすぐに手放してしまうのはすごくまずい。


 当然俺から告白したことはみんな知っていることだし、俺から速攻振るなんて外野から見たら俺が100%悪いだろう。


 ……まぁつまり。


 今の俺にはできる事なんてないってことだ。


 ――そんなこんなで、今日の帰りは文音とサクとではなく、藍と共に歩くことになったのだった。


 そして今、俺の隣には絶世の美女が優雅に歩いている。


 下駄箱から1分ほどが経つが、未だ会話は無し。


 この沈黙が重すぎる。

 まるで葬式の帰り道のような、陰鬱な雰囲気が二人の間に漂っていた。


 周りを見れば、他の生徒たちは楽しそうに会話をしながら歩いている。

 羨ましくて仕方がない。


 地獄すぎる下校デートだ。


(いや、もうほんと……勘弁してくださいよ神様)


 無宗教な俺だが、神様頼みは大好きだ。

 こんな無力な自分でも縋ることができる唯一の存在だから。


 しかし、それでもいまいち神様の存在を信じきれないのが俺という人間だ。

 だって、神頼みが上手くいったことなんてほとんどないんだから仕方がないだろう。


 もしも神様が本当にいるなら、なぜ俺をこんな目に遭わせるのか。

 俺が何か悪いことをしたというのか。

 ぜひとも色々聞いてみたいものだ。


「ねぇ貴方。何か面白い話の1つでも出来ないの?」


 そんな神様への愚痴をこぼしていると、突然藍が話を振ってくる。


(この女……)


 その口調はいつものように高圧的で、まるで召使いに命令するかのような調子だった。


 それに、こんな無茶ぶりまでも突然しだすのだから、本当に性格だけでなく何もかもが終わっているのだろう。


 見た目に反比例してその他全てが最悪に思える。


 見てくれは良いだけに、相当にタチが悪い。


「面白い話、ねー。そう言われましてもねー。中々」


 気だるそうな態度。


 こっちも願い下げなのだ。


「何か質問してくれれば出来るかもなんですけどねー」


 話が聞きたいならせめて質問でもしてくればいい。


 まぁ、そんなことはしてこないだろうけどと思いながら適当にそう返す。


「それもそうね。じゃあ聞くけど……貴方、先週ずっと休んでたけど……一体何をしてたの?」


「……!?」


 当然「あ、そ」くらいで終わるかと思っていた会話が続けられたことに驚きを隠せない。


(ま、まじか……質問してきたよ)


 正直、藍がこちらに関心を示すなんて思ってもみなかった。


 てっきり俺のことなんてどうでもいいと思っているものだと考えていたからだ。


 しかし、何でそんなどうでもいい話を聞きたいのだろうか。


 その真意はまったく分からない。


 だが、顔は真剣そのものだったので、気まぐれに面白おかしく話をしてやることにした。


 ……ほら、質問自体は意外と嫌な感じではなかったし、せっかくの会話チャンスだ。


 これを機に、少しでも性格を直してもらえたなら……と思える俺はきっと優しいのだろう。


「あー、その話ね。ただ体調が悪かっただけなんだけどさ――」


 俺は自主連休1日目のことから順に話を始める。


「まず、色々買い出しに行ってみたんだけどさ、ここのコンビニデカいのなんので――」


 大したことなんて無かったわけだが、できるだけ面白く話そうと努力する。

 せっかく質問してくれたのだから、楽しんでもらいたいという気持ちがあった。


 ――のだが。


「小型のスーパーかってくらい品揃え良くってテンション上がっちゃってさー。あ、行ってみた?」


「敬語」


「…………そ、そうでしたね」


 意気揚々と話し始めた俺だったが、早々に出鼻をくじかれてしまう。

 今更ながら、恋人同士で敬語というのも妙な話だ。

 まるで上司と部下のような関係性を求められているようで、違和感しかない。


「……あーそうだ。そういえば、寮の部屋に小さいけどキッチンあるじゃないですか? 俺、こう見えてちょっと料理出来ちゃう系男子?みたいな?だからそこにもテンションあがっちゃってー」


「……………」


 これがつぼみんだったら「えーすごい野内くん!料理できるんだ!おとなだねー」くらいの相槌を打ってくれるだろうが、藍は一切の反応を示してくれない。


 表情も変わらず、まるで機械が音声を聞いているかのような反応の薄さだった。


 こういう、何を考えているのか分からないところが本当に苦手だ。


 まるで一人芝居をしているような気分になってくる。

 相手が反応してくれないと、話している方としては非常にやりづらい。


 サクと文音が恋しくて仕方がない。


「………そ、それで……料理とかしちゃおうかなぁーなんて、思って……その、買い物ついでに必要そうな物とか買い揃えたんですけど、うっかりコーヒー零しちゃって、買ってきた延長コードダメにしちゃってさ……はははは!なにやってるんだって感じですよね!まじで!」


 自分でも薄っぺらいと分かっている話を必死に続ける。

 だが、藍の反応は相変わらず薄い。


 いや、薄いどころか皆無だった。


「………………」


 無言の時間が続いている。


 この沈黙が耐え難い。

 まるで真空の中で声を出しているような、そんな虚しさがある。


 きっと傍から見たら、一人で喋り続けている変な人に見えているのではないだろうか。


「……そ、それでさー」


 諦めるな挫けるなと、自分を鼓舞する。

 きっと、反応が無いだけで、きちんと藍も話を聞いてくれているはずだ。

 何だかんだと言ってはいたが、藍だって人間なのだ。

 希望はまだある。


 そう信じて、俺は話を続けようとした。


 しかし――


「ねぇ」


 そんな、俺の中身も無ければオチすらも薄っぺらい話が突然遮られる。


(も、もしかして……見るに見かねて、ボケてもないのにツッコみを入れてくれるんじゃ……!)


 と、サクと文音といるときの調子で淡い期待をしてしまったのだが――


「その話全然面白くないわね」


 何を言ってくるのかと思えば、彼女は刃物のような鋭利な視線でこちらを見ながらそう言ってきた。


 その目は氷のように冷たく、まるで不良品を見るかのような軽蔑の色が浮かんでいる。


(…………こ、こいつ……)


 ほんと、どうにかなりそうなほどにイライラしてくる。


 面白い話をしろと言ったのは藍の方なのに、いざ話してみれば面白くないと一刀両断。


 こんな理不尽な話があるだろうか。


 俺だって好きで面白くない話をしているわけじゃない。


 藍が求めているから、一生懸命話そうとしているというのに……


 こんな綺麗な見た目をしていなかったら殴りかかっていたかもしれない。


 いや、まぁ……そんな暴力的なことは絶対にしないんだけど、とにかくこいつはそれぐらいにやばい。


 人としての最低限の思いやりや配慮というものが、完全に欠如している。


「あと、横に並んで歩かないでくれる? 三歩半は後ろに下がって斜め後ろを歩いてくるようにして」


 そんなことをしみじみと考えている時、藍がさらなる追い打ちをかけてきた。


(…………はい?)


 驚きのあまり、何も言い返せない。


 三歩半後ろって、まるで時代劇の世界だ。


 主人と従者、いや、それ以下の関係性を求められているようで、屈辱的すぎる。


「はぁ……守れないならもういいわ。二度と一緒に歩かないで」


「あ、ちょ、待っ――」


「さようなら」


 藍は俺の制止も聞かず、さっさと歩き去ってしまう。

 その後ろ姿は迷いがなく、振り返る素振りすら見せない。


「……………」


 俺は……ただただ、立ち去る彼女を見送り続ける。


 取り残された俺は、一人で立ち尽くすしかなかった。

 周りを歩く生徒たちの視線が痛い。

 きっと変な目で見られているに違いない。


 どうやら……俺もまだまだ野内藍という悪魔の底を見誤っていたようだ。


(駄目だこいつ……早くなんとかしないと……)


 ……さきほどまでは別れづらいの何のと悩んでいたが、今の今で覚悟が決まったかもしれない。


 出来る限り早く、この女と別れる作戦を考えなくてはならない、と。


 ――だが当然、別れる際の問題解決策など俺の頭ですぐに出てくるわけもなく……


「……………はぁー……」


 重い足取りで寮に向かいながら、俺は深いため息をつく。


 夕日が校舎を染めているが、その美しい光景も今の俺には虚しく映るだけだ。


「……帰って昨日のカレーでも食べよ」


 だからそうして――


 控えめな現実逃避は、今日も今日とて続いていくのであった。



藍「私、普段はこんなんじゃないですからっ!」

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