第20話 動き出した天才学園生活
今回の話で「第一章 天才学園入学編」完結になります。
『特別指定席席に座った生徒1名――――10組=野内蓮。10ポイントを獲得です。おめでとうございます』
――「「は?」」
1組の教室で、二人の男の間抜けな声がただ響く。
その理由を知る者もまた当然、その二人だけだ。
しかし――
当然、蕨みずきと言えどそんな理由など知るわけもないのだが、その声が響くと同時に彼女はその余裕の態度を改め周りを真剣に見渡していた。
「これは何か自分たちの想定していた事態とは異なっている」のだと、後ろのあずきが即座に肩を叩いてきたからだ。
(…………なんやなんや?何が起こっとるん?)
みずきの妹――あずきの勘は一言で言えば、バケモノ。
獣ではなく、バケモノ、だ。
もちろんそれはそこまで便利なものではなく、彼女だけの力では大雑把にこの状況が「やばい」とかしか分からないのだが、その才覚を上手に使いこなしているのが、あずきの姉であるみずきだった。
姉のみずきがその合図一つで警戒態勢に移行できることが、その精度の高さの証明といえる。
あえて言葉にするのなら、その才能からも蕨あずきは【直感の天才】といったところだ。
そんなあずきの何が起こるか分からない合図が急に飛んできたら、誰だって冷や汗ものだろう。
――だがそれは、姉のみずきを除いて、の話だ。
(………ふーん、あの席と違うかったんか。10ポイントは)
冷静に素早く状況観察に移行したみずきは、二つの呆けた顔――目の前の島田朔と、教室の隅にいる31番席の男を見てそう判断する。
それが分かれば、問題の特別指定席の男探し……と普通なら移るだろうが、みずきはまず周りの反応を探る。
これは、みずきが事件解決に至る際の定石だ。
人は、何かが眼前で起これば大なり小なりの反応をする。
例えばそれは驚きだったり、悲しみだったり、喜びだったり……あるいは無反応という反応だったり。
今回でいうならば、指定席の発表があり、特別指定席の発表があった。
それに対して、悔しいだったり、喜びだったり、驚きだったりなどの反応があるのが自然。
しかし今は、二人の声に反応してる者が殆ど。
中には完全に興味がない者もいるが、それはこの場において自然ともいえる反応だ。
だけど、その中に、違和感のある反応を見せた人物を一人、みずきは見つける。
(……なんや?どこを見とるん?……スピーカー?……)
その人間――3番の指定席に座った彼女は後ろ姿と横顔くらいしか見えないが、些細だが他とは別の反応を見せていた。
隠しているが、何かに驚いている。
驚くこと自体は特に不自然ではない。
が、驚きを隠すということは不自然なのだ。
それは、間抜けな声を発した二人に対しての興味でもなく、結果に対しての感慨でもないように見える。
人は嘘をつくのが極端に下手な生き物だ。
多少自分は嘘が上手いと思い込んでいるくらいでは、それは無意識のうちに表に出てきてしまう。
それこそ、洗脳されて支配されている人間か、極端に自分を殺せるような人間でもない限りほぼどこかで襤褸を出す。
ゆえに、それは嘘を付いている顔に見えた。
――例えば、何か知っていることだったり、大事な目的なんかを表に出さないための嘘。
(一体、誰に何を隠そう思うてるんや。まだ入学式やで?……いや、もしかしたら”まだ”やないのか?)
例えば――この入学時点でもう既に何か目的があったとしたら。
例えば――その目的に関する何かが今の一連のどこかで露呈していたとしたら。
(へー。…………野内蓮、か)
みずきは、そう結論付ける。
その目的はさすがに分からないが、ほぼ確実にその名前に反応しまいとしていた態度なのだと、仮定する。
もちろん、そうではないとみずきが感じただけで、自分が指定席を取れたことに驚いたり喜んだりしそうだったのを抑えただけという可能性もある。
それ以外の名前に反応した可能性、間抜けな二人の声に反応しただけという可能性も、だ。
それらの可能性は捨てはしないが、一旦は頭の片隅に置いておく。
すると、見えてくることも少なからずある。
(以前から知り合いだった、とかやろうか)
特別指定席、唯一の10ポイントの獲得者。
みずきにとってはその素性どころか顔すらも知らない、名前だけの人間だが、幸い手掛かりになりそうな情報源が目の前にあった。
「……あんた、野内蓮って人間と知り合いなん?」
依然として愕然としている、みずきの前の席の男。
彼は誰がどこからどう見てもこの結果の真相を知っているだろうと分かる数少ない情報源だ。
最初は喋る価値もないような無能だと思ったのだが、一応は篩代わりに着けているこの髪飾りから苗字を言い当ててきた男だ。
加えて全くの自力ではないにしても、指定席も見事獲得して見せた。
それ相応の能力を持っている才人なのだと、みずきも認めている。
「……あ、あぁうん。……そうだよ、中学からの友達なんだ」
狼狽えていたサクは、みずきからの声がかかると現実に戻ってきたかのように我を取り戻した。
その言葉から、みずきは先ほどサクと交わしていた些細な会話を思い出す。
「もしかして、さっきあんたが私に紹介したいって言ってた友達だったり?そんなに凄い奴だったんやな」
「うん。そうだけど……でも……まさかあそこから10ポイントなんて……さすがに……」
……さすがに思わない。
そう呟いたサクの言葉をみずきは疑問に思う。
「…………あそこからって?どういう意味なん?」
席を実力で獲得したことに違いはない。
そのことに知人であるサクならなおのこと疑いなど持ちようがないだろう。
それなのに、この結果に驚いてしまうということは、10ポイントの獲得以外にさらに驚くべき情報があったということだ。
「いや、だって……最後に廊下を歩いていったのに……」
「…………へぇー。廊下を、ね。」
ブワッ――と。
みずきはそれを聞いた瞬間、全身に鳥肌が走るように立つ。
……最後に廊下を歩いて行った。
確かに、それは思ってもみなかった。
みずきどころか、全員の記憶にある人物。
まさか――
あの遅刻男が野内蓮だったとは。
ぜひ会ってみたい。
そう思う。
実力至上主義のみずきからしてみれば、興味深々すぎる対象だ。
あの状況から特別指定席を獲得するなど、ただの遅刻男では到底不可能。
一体どんな手を使ったのか、その思考回路を直接確かめてみたい。
「……さっきはすまんな、あんな言い方してしもうて。良かったら今度紹介してや、サクくん?」
あんた、ではなく、サクくん。
二度目の、評価の格上げ。
みずきはまだ会ってもいないが既に野内蓮のことを一目置いている。
そんな蓮が仲良くする人材が、目の前にいるサクという男だ。
出会って初日の自分の評価よりも、自分の考えを一つや二つも上回った蓮の評価の方が正しいに違いないと。
そんな判断がいとも簡単に下せるほどにみずきは目ざとく合理的だった。
「……うん、了解。また聞いておくよ」
元々サクから言い出したことだ。
断られるとは思っていなかったが、一度は無下にしたというのにあっさり了承してくれたことを少し意外に思う。
きっと、サクにとっては自分のことのように嬉しく思えるほどに仲が良いのだろう。
そんな空気が感じられる。
「……ところで、ひとつ聞いておきたいことがあるんやけどええかな?」
約束が取り付けられたことで、ひとまずは落ち着いたのだが、みずきは抜け目なく忘れないように当初の目的に立ち返る。
「なに?」
「あんたの中学からこの学校に来た人ってどんくらいおるんか分かる?」
まずは遠回しに。
何か事故が起こらないよう丁寧に、自然に。
けれど、直接的に。
そう尋ねる。
「あー、それなら3人だけど?……それがどうかした?」
……3人。
返って来た答えはみずきが想像していたよりも少ない。
もちろん、この学校の特色を鑑みれば十分すぎるほどに多い人数なのだが。
「いやー、特別指定席を取ったほどの男がいた中学やろ?そんな学校なら他にも凄いやつがおるんちゃうかなて思てなー」
当然の疑問から飄々と言い逃れる。
事実だがそうではない。
みずきはそれが知りたいわけではないが、その先に知りたかったことがあるからだ。
「……そのうちの1人が野内くんやろ?それじゃあもう一人は?この教室におるん?」
これが核心。
安直に考えるなら「同じ中学出身でもめ事があった」という線で間違いないのだが、サクからの同じ中学出身者が3人という情報とあの表情からも、みずきはこれを爪弾きたい。
それを確定させるための、核心。
「いや?もう一人は別の教室で適当な席に座ってるよ。でもまぁ、蓮に及ばずとも相当凄いよ。彼女は」
「そうなんやねー。そのお友達ともぜひ会ってみたいわー、お願いできる?」
「了解」
……ひとまず。
今のところの情報では、という段階だが確信した。
少なくとも彼女のあれは、同じ中学出身からの因縁などでは無いと仮定する。
もしかしたらその線も捨てきれない可能性だけは保持したまま、他の可能性をさらに精査していく。
だとしたら同じ学校以外での何か、例えば違う中学でも近くの学校だったり、小学校だけ同じだった、など別の何かしらの関係があることになるだろう。
それを推し量るにはさすがに、目の前のサク、あるいは野内蓮本人か、もう一人のお友達だという女子生徒……もしくは、疑惑の張本人に接触・確認するほかない。
これ以上の推理はただの妄想に等しいからだ。
――――蕨みずきは、言葉がきつい、ただの女子高生ではない。
(……うちも物好きやわー、ほんま)
みずきはそう心の中でぼやくと、ひとまずは約束通りに会えるはずの二人に意識を切り替え、3番席の彼女の存在は観察に留めることにしたのだった。
――――蕨みずきは、生粋の推理オタクにして、【推理の天才】だった。
探偵業とは通常、想像するような華々しい推理をするものとは程遠い。
その根底には、漫画やドラマで見るような鮮やかな推理による事件解決が現実では難しいからという理由がある。
だがしかし、彼女の推理はそれを可能とする。
アカウント名「相談わらび」。
――連続女子児童神隠し事件、通り魔殺人冤罪事件など……。
依頼は報酬さえ見合っていれば事件の種類を選ばず請け負う、匿名SNSでの名探偵を自称するアカウント。
そのネット上での推理ショーは随分と痛快で見事なもので、その界隈で知らぬものなどいないほどに有名だった。
罪ある者には断罪を。
罪なき者には救済を。
その一貫したスタンスと事件を一切曖昧にせず解決に導いてしまう断定力の高さゆえ、彼女は――
いや……彼女らは、ネット上でのその活動名から、たちまちにこう呼ばれている――
「双断Warabi(W|Algorithmic Reasoning And Bold Intuition)」
――断を下すは双つの才能。
推理(Algorithmic Reasoning)と、直感(Bold Intuition)。
まるで二人で一つだとでも言わんばかりのその俗称は、何も知らない者たちが付けたただの言葉遊びのようなもの。
しかし何たる偶然か、奇妙なことにそれは酷く的を得ているものだった。
まさか、その正体が本当にその名の通り二人の天才だったなどとは――未だ誰一人として知る者はいない。
◇
「ほう…………面白いな……」
放課後の生徒会室では、そんな声が聞こえる。
圧倒的なカリスマ性を感じさせるその声圧、行く者去る者関わらず目を惹かれてしまうような容姿をした女子生徒。
桜崎茉莉伊――マリー。
彼女はただ、そう呟いた。
「まさか……私の通告を予見していたのか?この男」
見ているのは今日、4月1日に城才学園にて行われた教室分けレクリエーション『学年別・クラス対抗イス取りゲーム』の最中を映した監視カメラ映像だ。
マリーが注目しているのは、予想だにしていなかった1年生の結果。
端的に言えば1年10組の特別指定席獲得について。
彼女の興味を引いているのは、その獲得に至るまでの過程だった。
集団遅刻という異例の事態、そしてそれに対する自分の処罰を唯一回避した男。
映像を巻き戻しながら、マリーはその男――野内蓮という新入生の一挙手一投足を観察していく。
すると、周りの人間の行動にも気になる点が多く見られた。
「天内、今すぐにこの男と……そうだな、この入口近くにいる二人の女子生徒の詳しい情報を寄越してくれ」
「はい、会長。そう言われると思って既にこちらに」
マリーが画面から目を離さずそう言うと、いつからそこにいたのだろうか、副会長は気が付けばすぐ隣へと来ていて目的の資料を手渡してくる。
「さすがだな。感謝するぞ、お前の先見ぶりにはいつも驚かされる」
城才学園3年1組、生徒会副会長――天内天智。
理知そうな眼鏡姿に、白髪に近い銀髪で清潔感に溢れている。
彼は1年の頃からマリーの右腕としてその「予言」ともいえる才を存分に振るってきた。
自他共に認めるほどの【予測の天才】だ。
「いえ。これぐらいなら誰でもできます」
「ふん、謙遜はよせ。お前の力はよく知っている」
この2年、その腕に助けられてきたことも多いマリーは彼の実力を一番に評価している。
「……ところで、お前はこれを予想できていたか?」
「……いいえ。もちろん存在は知っていましたが、正直に言えば噂以上でした。」
「そうか……」
そんな彼でも見誤っていたのだからマリーが予想できなくても仕方がない。
そう納得できるほどの信頼がある。
これにより、マリーは早々に事の顛末を整理しておくことにする。
「……すまんな、手間を取らせた。今日はもう帰っていいぞ」
今日はもう特段の仕事はない。
これから忙しい毎日が訪れることを鑑みても、貴重な休みの時間を無為に消費させるわけにはいかないとマリーは分かりにくく気を遣う。
それに………目一杯に時間を使うと小煩いのが目の前の男だ。
ここから居られてはむしろ不必要な存在だなと判断し、マリーは暗に「邪魔だから出ていけ」と示唆する。
「――では、お言葉に甘えさせてもらうとしましょうか。……会長も”お遊び”はほどほどにして早く帰ってくださいね」
そんなマリーの思惑を感じ取ったのか、天智は言葉通りに退散を決め込む。
しかし相変わらず、余計な一言を発さずにはいられない男のようだとマリーは呆れる。
その癖さえなければ、マリーを持ってしても文句のない完璧な男だといえるのだが。
「お前に言われずとも日が暮れる頃には寮へ戻るつもりだ。問題ない」
「日が暮れる前には戻ってくださいって言ってるんですよ、僕は。今年はアレ、夏にするんですよね?ならいくら会長でも……いえ、会長だからこそ護身のためにも早く帰るべきでしょう」
彼が言うアレとは、この時期代々の生徒会が任されているある重要な仕事の話だ。
その仕事の内容が非常に難あり癖ありで、しかし絶対に無視はできないものであるために、マリー政権下のこの生徒会でも例外なく頭痛の種となっていた。
マリーの表情が僅かに険しくなる。
去年の失敗が脳裏を過ったからだ。
今年こそは完璧にやり遂げなければならない。
「……ふん、誰に物を言っている。何があろうと問題などない。奴らに遅れを取るくらいならば私は名を捨てねばならんよ」
「まぁ、それもそうですね。会長の心配をする前に僕は自分の身を案じた方が良さそうだ。……でも、本当に時期をずらしても大丈夫なんです?その間にも確実に問題は発生しますよ?」
彼の見ている未来はあくまで自分勝手な予想でしかないのだが、その精度の高さは恐るべきものだ。
ただもちろん超能力などではないので、何もかもが見えているわけでもない。
今ある情報から未来の予測を演算する能力が飛び抜けているだけ。
情報が正確でなければ……
そもそも情報がなければ……それはただの妄言でしかない。
今回に関して言えば、過去の実際のデータという情報から”確実に”という言葉を使ったようだ。
聡明な天智が心配になるのも無理はない。
元々、この仕事を疎かにしていた先代の生徒会のせいで当時1年生だったマリーたちが台頭してきたという背景もある。
しかし、その反省を踏まえた去年は入学初日から早々にこの問題に取り掛かったのだが、思っていたよりも成果が振るわなかったのだ。
その影響が今もどこかで燻っていたとしても不思議はない。
ならばここは違うやり方で攻めるしかないとマリーは考えたのだ。
「それでいいんだ。あえて問題を起こさせる」
天智は渋い顔をするが、マリーは話を続ける。
「……去年の速攻戦では網目をすり抜けられることも多かったからな、苦肉の策だが仕方あるまい」
「会長なら去年と同じやり方でも、もっと上手くできるのでは?その方が確実でしょう」
「上手く、じゃダメだ。やるなら完璧に、文句の一つすら出てこないほどにやらなければ――桜崎の名がそれを許さない」
マリーには、この学校の生徒会長であるという肩書の前にさらに大きく有名な肩書がある。
――桜崎財閥。
今の日本において、数多の系列企業を抱える経済界不動のトップに君臨する財閥。
その直系にあたる血を引いている才女こそが、桜崎茉莉伊だった。
この学校での生活でも、たった一度であれ大きなミスは絶対に許されない。
自身ですぐに尻拭いが出来るような些細なミスならば何も問題はない。
しかし、ミスが形に残ってしまうような大きなものだけは、それだけは避けなければならない。
その時点でマリーの――後継ぎとして優秀な一番の才女という立場は失われ、ただの政略結婚に使われるだけの運命を辿ってしまうことになるからだ。
そんな環境に置かれている。
「徹底的にやるためにも――『新入生狩り』は夏まで辛抱だ。ただその分、厳重に生徒を取り締まるようにと生徒会役員にはよく伝達しておいてくれ」
「意思は固いようですね……分かりました、すぐに伝えておきます。――では僕はこのへんで」
マリーは判断を間違えることを許されない。
それはすなわち、家を追われることになりかねないから。
それを理解しているからこそ、天智はこれ以上食いついては来なかった。
「さて……」
一人になったマリーは意識を切り替え、渡された資料に目を通す。
そこにはお願いした三人の詳細な資料だけでなく、天智が独自にリストアップした人物たちや指定席確保者などの情報も一緒に纏められていた。
中には非常に詳細な情報が記されているものも見受けられる。
特に野内蓮の項目は、他と比べて明らかに情報量が多い。
中学時代の逸話、成績、人間関係……そして今日の行動パターンの詳細な分析まで。
「…………中々に読みごたえがありそうだな」
マリーの口元に、獲物を見つけた肉食獣のような笑みが浮かぶ。
こうして――
マリーは、大して面白くもない結果に終わった3年生と2年生の詳細になど目もくれず、日がな一日1年生について研究していたのだった。
◇
キーンコーンカーンコーンーー
学校のチャイムが鳴り響き、最初の一日がようやく終わりを告げる。
バタンッ!
それと同時に、少し遠くなってしまった1年1組の教室を勢いよく飛び出した男がいた。
「………くそが!バカにしやがって!」
男の名前は――帝友恵。
『クラス対抗イス取りゲーム』にて、特別指定席に座った者として一躍有名に――なるはずだった男だ。
しかし、現実は違った。
結果を見てみれば、友恵の想定とはまるで逆。
誰もが特別指定席だと思っていたその場所は、特別どころか指定席ですらないただの席でしかなく、31番席という中途半端な番号に座っただけの大まぬけ。
当然、1ポイントすら獲得できなかった。
「こんなの……ぜってー認めねえぞ、俺は!」
友恵はそう言い放ちながら、ずかずかと廊下を歩いていく。
その姿に、午前中までのような余裕な態度は微塵も残されていない。
あの頃の友恵は、特別指定席を獲得できる自信に満ち溢れていた。
頭もキレるしガタイもいい。
困ることなど何もない。
そんな自分の能力なら、当然の結果だと思っていたのだ。
だが、蓋を開けてみれば完全な敗北。
それも、自分以外の誰かが圧倒的な結果を出してしまうという、最も屈辱的な形で。
目的地はまず、自分が得るはずだった名声を手にした者がいる10組の教室。
野内蓮という男がどんな奴なのか、直接確かめてやりたかった。
しかし――
「………くそっ!」
その最も下駄箱に近い教室では、ほとんどの生徒がチャイムと同時に解散、帰路についてしまっていた。
残されているのはわずかな生徒だけで、思わず目を引いてしまうような美女もいたのだが、他はごくごく平凡な男だったり、見てくれだけで中身のなさそうな男だったりで、友恵の目的だった傑物はきっとそこにはいないだろうことが一目で分かる。
(野内は……どんな顔をしてるんだ)
特別指定席を獲得した男。
きっと得意げな表情を浮かべているに違いない。
そう思っていたのに、肝心の本人は既にいない。
非常に苛立たしいが、それは仕方がないことでもあるのでここは割り切ることにする。
あちらからすればただ普通に帰宅しただけで、待ち合わせはおろかお互いに顔すら知らない間柄だ。
なので友恵は、苛立ちを足に込めて次の目的地へと歩みを進めることにした。
次は、こんなふざけた真似をしてくれた生徒会長の元へと向かうつもりだ。
あの女が友恵のあの席だけを嵌める罠みたいな法則にしたせいで、自分の計画は台無しになった。
文句の一つでも言ってやらなければ気が済まない。
しかし――
(………どこだ?生徒会室は)
迷惑なことに、この学校はただ敷地が広いだけでなく、建物が多い。
どこに何の施設があって、何の教室があるのか、新入生である友恵からしてみれば迷路のようなものだった。
建物の詳細が記してあるような案内図を探しては次に行き、そしてまた別の建物でも同じことを繰り返す。
そうやって時間を消費してようやく、目的の生徒会室がある建物を見つけ出せた。
「ここか……文句の一つでも言ってやろうと思ってたが、一発くらい殴ってやろうか。ったく、とことん腹の立つ学校だぜ」
そう物騒な独り言をしながら、建物に記されていた案内通りに生徒会室へと向かおうとする。
ようやく目的地に着きそうになったことで、腹の虫も収まりそうだった。
しかし――
「そこの新入生。ここは君みたいな生徒が来るような建物ではないですよ」
案内を確認して歩き出そうとしていた友恵の前に、突然眼鏡をかけた銀髪の男が現れる。
友恵でもまったく気が付かないほどに気配が感じられなかった。
それに驚愕するのと同時に、不意を突かれた気がして何故か神経を逆撫でされたかのように感情が昂ってくる。
その男の態度が、どこか見下したようなものに感じられたからだ。
「……あ?うっせーな、てめえにゃ関係ねえだろうが。俺はあの生徒会長に用があって来てんだ、邪魔すんな」
これ以上思い通りにいかない事態に巻き込まれたくない。
きっとそんな思いがどこかにあったのだろう。
昂った感情はそのままに、目的地を目前にして足止めを食らうのはもうこりごりだったので、その男を無視して先を急ごうとする。
しかし、全くそんな友恵の態度など気にした様子もなく男は淡々と話を続けた。
「ほう。会長に御用でしたか。それでしたら、今生徒会室に行かれてもお目当ての会長はいませんよ」
と、そんな話の内容に友恵の足はその場に留まってしまう。
「……なんでてめぇがそんなこと分かんだ?」
「何でも何も……一応、生徒会副会長ですからね、僕」
「……んだと?」
思わぬ邂逅。
生徒会長に腹を立ててはいたが、ゲームの内容から姿をよく知らない副会長も関与していることは明らかだった。
言われてみれば、講堂で舞台袖にいた眼鏡の男にも似ているし、結果発表時の放送と声が同じように感じる。
この出会いは友恵にとって――まさに僥倖。
会長でなくとも、責任者の一人には違いない。
こいつに文句を言えば、少しは気が晴れるだろうと考える。
「……くく、そうかい。てめぇがまさか、副会長様だったとはなぁ。なら……別に会長じゃなくても、お前でいいわけだ!!」
この苛立ちを早くどこかにぶつけたい。
そんな願いがきっと神様に届いたのだろう。
格好の的が目の前にのこのこと現れた。
何もかも、”自分の力だけ”で切り開けるはず。
――そんな人生を、歩んできた。
ゆえに、その振り上げられた拳に迷いは一切ない。
これもまた、必ず自分のためになる行動になるだろうと、そう思ったからだ。
――だが。
「――――くっ!?…………カハッッ……!?!?……」
拳がその眼鏡をかち割ろうかというその瞬間。
友恵の視界がぐるっと――回った。
かと思えば、身体中に鈍い痛みが走る。
鍛え上げられた肉体が、床に打ち付けられたのだ。
(な、何が……起こった?)
何が起きたのか理解できない。
自分の拳が当たる前に、いつの間にか床に倒れている。
これまでかなり喧嘩はしてきたが、こんな経験は初めてだった。
「すぐに暴力とは……愚かですね――――”神童くん”……いや、”落ちた神童”――帝友恵くん?そんなだから特別指定席も取れないんですよ」
友恵よりもふたまわりは小柄で細い身体だというのに、その研鑽された技術で友恵の身体をしっかりと拘束している。
「……っ……てめぇ……その、ことを……どこで……」
思ってもみなかったまさかの連続。
振り上げた拳が当たらないどころか、逆に押さえつけられ、名乗ってもいない名前を呼ばれたどころか、過去の情報まで突きつけられてしまう。
"神童くん"――小さいころから呼ばれ続けた、あの忌まわしい名前。
そして、"落ちた神童"――今の自分を表す、より屈辱的な呼び名。
どうやったって、友恵から”神童”という言葉が離れることは最後まで無かった。
――だが、なぜ、この男がそれを知っている?
打ち付けられた衝撃から上手く言葉が出せず、友恵は心の中でそう問いかける。
「優秀な業者を知っていましてね。入学前から注目していた新入生のことは事前に調べてもらってたんです」
その入念な手の回し用に驚愕する。
友恵はまさかこんな遠く離れた土地でまでその呼び方をされることになるとは思ってもみなかった。
ここに来れば、過去をリセットできると思っていたのに。
「…………はっ、こんなチンピラのことを業者まで使って調べてるなんて、副会長ってのは随分と暇な役職らしいな」
その動揺を知られたくないという思いから、必死に小物めいたセリフを吐く。
しかし、そんな挑発を目の前の男は受け流すどころか嬉々とした表情で真に受けていた。
「嬉しいことを言ってくれるじゃないですか。僕の仕事はまさにそれなんですよ、帝くん」
「……あ?」
「重要な仕事は殆ど会長が済ませてしまいますからね。それに雑用も他の役員がこなしてくれてますし。僕は情報収集以外にあまりやることがないんですよ」
どうやら、友恵のした挑発はとんだ的外れ……いや、ドンピシャだったようだ。
本当に暇らしい。
「しかし――情報は所詮、情報でしかない。だから実際は聞いてた以上に凄かった、なんてことはいくらでもあるんです。”神童くん”と呼ばれていた君にも期待していたんですよ?少しは。まぁ……実際は、情報通り《《落ちて》》いましたけどね。残念です」
「てめえ!………ぐっ、ぁあぁあ!!……」
罵られたことで友恵は抵抗しようとしたが、確保された腕の締め付けがより一層きつくなる。
片方の腕がもげそうなほどに痛い。
この男は、ただの情報収集係ではない。
実戦でも十分に通用する技術を持っていると感じる。
「それに比べて………10組の野内蓮――”天才くん”は予想以上でした」
副会長は床で苦しむ友恵に向かってというわけでもなく、ただの独り言のようにそんなことを語りだす。
「はっ……”天才くん”だあ?……なんだその何の捻りもねぇ、くそみてぇなあだ名は……それに、たかだかゲームの結果だろうが。そこまで凄いことでもねぇ」
友恵は自身のあだ名も至ってストレートなものだったために、そこにつっかかってしまう。
「いいえ?彼は凄いですよ。会長も興味を持ってましたしね。本当は君も分かっているのでしょう?その、”たかだか”ゲームの結果すら出せていない君たちと比べて……いかに彼が優れているのかを」
そんな苦し紛れな友恵の返答に、男は一切の容赦なく現実を見せつける。
「ゲームの存在を察知してなのか集団遅刻の扇動を行い、それに対する会長からの処罰を彼ただ一人だけが回避。極めつけには特別指定席の鮮やかな確保ときました。結果はもちろんのこと、その過程に至るまでのすべてが大胆でいて完璧でした」
(…………集団遅刻の扇動?一人だけ回避?)
見えていなかったその結末に至るまでの過程が、大まかに伝えられたが友恵は全く理解できない。
ただ一つ分かるのは、野内蓮という男が自分の想像を遥かに超える相手だということだ。
「……新入生の中では、帝くん――”神童くん”と同じくらいの期待値だったんですが、その差は歴然でしたね」
同じくらいの期待値。
つまり、最初は友恵と同格だと思われていたということ。
それなのに、結果は天と地ほどの差がついてしまった。
「……このっ……好き勝手言いやがって……クソ眼鏡野郎が……」
殴り飛ばしてやりたいが、身体は全く動かせない。
振り払おうとしても、手を後ろで拘束されているため痛みが強く力が入らない。
正々堂々とした武道というよりは、小でも大を御せるように編み出された、逮捕術のような類のものだろう。
力だけでは、この男には勝てない。
それを思い知らされた。
「……くそっ……って……?」
どうしても力で抜け出せない友恵は、この状況を抜け出すためにはどうしたものかと思案し始めていたのだが、ここで突然手の拘束が解き放たれる。
振り向けば、パンパンと手を払う副会長の姿がそこにあった。
「どういうつもりだ……何で急に手を放しやがった」
「どういうつもりって、いつまでもああしてるわけにはいかないでしょう?お互いに。暇じゃないんですよ、僕も」
「さっき暇つってたろ、てめぇは」
この男は真面目なようで、実は真面目ではないのかもしれない。
さっきまでの発言だって、人と人との争いを楽しんで見ている節があると友恵は感じていた。
まるで実験動物を観察するような、冷めた視線。
それが何よりも腹立たしかった。
「……チッ、白けたぜ。また近いうちに、てめぇのその腹立つ眼鏡面をぶん殴りに来てやるから覚悟しておけよ」
そう言い残すと、友恵は踵を返して外へと向かい歩いていってしまう。
これから生徒会室に行くことはもう無理だと判断し、居心地の悪い空間からいち早く退散することを選んだのだった。
あまりにタイミング良く現れた副会長――天内天智の名前を聞くことすらせずに。
「はぁー、まさかここまで愚かだったとは………いや、あれは《《愚かになりたがっている》》だけですかね」
資料にあった友恵の過去を思い出すと、天智はそう結論付ける。
能力が高いゆえの苦悩。
16歳と、絶対的にまだ短い部類のその生涯は、けれども彼を神童から今の姿にたらしめた。
いや、彼自身が、それを選んだ。
「ま、何にせよ早く探偵業者変えないと……しばらく休業するとか連絡入ってましたし。あの人の情報結構気に入ってたんですけどねー」
――――彼、天内天智はただの真面目で利発そうな眼鏡の男子、などではない。
――――彼、天内天智はかなりゴシップ好きな情報通系男子、【予測の天才】だった。
今の状況も、彼の予測通りの展開。
野内蓮の大活躍とて、ただ彼の予測を上回っただけに過ぎず、完全に予測できていなかったわけでもない。
情報さえあれば、それから派生する可能性を考え、比較し、対応することができる。
特徴的なのは、過去や現在に起こっていることを推理・推測したりするわけではないということだ。
過去や現在のことは情報として吸収し、それをもとに未来に起こる可能性を予測する。
そこに秀でた才能。
より正確に言うならば、彼のそれは他の数多の天才たちの才能とは少し種類が違う。
その才能は、決して閃きや直感、元来の頭の出来の良さなどからくるものではない。
単純に”情報が好き”で、”ずっとそれを眺めていられて”、”そのことだけを考え続けられる”力。
そんな、変態染みた好奇心だけが為せる天才性だった。
「――でも、神童くんと天才くん。直接対決だと……どっちの方が強いんでしょう?……まぁ、殴り合いでは帝くんかな」
――彼の見ている未来は、彼のみぞ知る。
作者「第一章、最後まで読んでくれてありがとうございます!」
作者「まだまだ続く蓮の『普通じゃない』学園生活……果たしてこれからどうなっていくのか……」
作者「これからも、☆評価やブクマなどで支えてもらえると、本当に助かります!ぜひポチっと気軽にやっちゃってください!」
作者「では、第二章もよろしくお願いします!」
蓮「…………え、普通じゃないってどういうこと?」
蓮「……ていうか、まだまだ続くって……何?」
(第2章は9月上~中旬開始予定です)




