第16話 クラス対抗イス取りゲーム⑧ 特別指定席の男
『3年生、全生徒が揃いましたので、これより獲得ポイントの結果発表を行います――――』
校舎のスピーカーから、そんな校内放送が響き渡った。
それを聞いたサクは後ろの二人に会釈すると、意識を切り替え前を向くことにする。
みずきとあずきも教室の空気を読んで、静粛に結果を待つ体制に入ったようだ。
前を見ると、既に1組の全ての席が埋まっている。
まだ空いていた2席の素数席には、どちらも男子生徒が着席していた。
先程まで何やら言い争いをしていたのが聞こえていたが、放送を耳にしてからはサクたちと同じようにお互いに大人しくしている。
そして順に、ポイントを獲得した生徒のクラスと名前が公表されていく。
やがてその放送も終わり、学年中が固唾を飲んでそれを聞き入った後、廊下の生徒たちが焦燥に駆られて各教室へと雪崩れ込んだ。
3年生は1組が指定ポイント合計6を獲得したが、10ポイントの特別指定席に座った生徒がいた10組が1位という結果に終わったようだ。
(指定席の法則が同じだったなら、3年1組は個々で見事に見抜いて複数席確保をしたのか、あるいは団結して独占を狙った結果なのか……どっちにしても、すごいな)
3年生は1組が圧倒的に力を持っているらしいことが如実に示された結果だ。
単なる幸運だけでは片付けられない。
10組の特別指定席獲得も、偶然とは思えなかった。
恐らく3年生にも、蓮のような規格外の人材がいるのだろう。
そう考えると、この学園の層の厚さに改めて驚かされる。
「へぇー……3年はあの会長はんといい、ほんまおもろそうな学年やなー。……それに比べたらうちらの学年なんて、可愛いもんやわー」
みずきが放送を聞き、自分たちの学年ではなく2つも上の学年に興味を示している。
彼女の瞳に同学年は映っていないらしい。
だがそれは、蓮を知っているサクからすれば、面白くない態度だった。
もうこの場では会話はしないだろうと思っていたが、つい振り返って口を挟んでしまう。
「結果も見てないのに、もう見切ったつもりなの?」
「結果なんて見んでも分かるやろ。早々に左後ろに座っとったあいつが10ポイントで決まりや。一応うちらより先に座っとった人らもおるけど、クラスはバラけとるし。他はドングリやドングリ。な?なんもおもんない結果やろ?」
「それは…………」
(見てみなくちゃまだ分からないでしょ)
蓮の実力を知っている身としては、そう反論したかった。
だが、肝心のその蓮が不参加では何も言えない。
それに、いくら蓮でも今からゲームに参戦したところでどうしようもない。
全ての指定席は既に埋まってしまっている。
だから、言いたい続きの言葉をサクは飲み込むことにした。
「それは?」
「…………いや、何でもない」
そそくさと前に向き直る。
何か言われるかと思ったが、それ以上みずきは話しかけてこなかった。
それから少し経つと、廊下の喧騒もいつしか消えていた。
3年生の結果発表がされてから、廊下に残っていた生徒たちがどこでもいいからと慌てて席に座りはじめたためだ。
今は静寂が全ての教室を支配している。
てっきり、これでようやく結果発表が行われるのかと思っていたのだが、一向に放送が始まる気配がない。
(……何だろう?何かトラブルかな?)
サクが腕時計を確認すると、教室中が静かになってから既に5分ほどの時間が過ぎている。
生徒会の準備が遅れているのか、それとも何らかのアクシデントが発生したのか。
周囲の生徒たちも同様の疑問を抱いているらしく、声にならない無音のざわめきが教室に広がり始めていた。
そしてそこからさらに5分ほどが経過したところで、痺れを切らした31番席の男が声を上げる。
「おい先生よ。もう全員座ってんだろ。はやく帰りてえからとっとと結果発表してくんねえか?」
教師に対する態度とは思えない不遜さ。
サクはそれを自分の席が特別指定席だという確信の表れだと感じる。
しかし、その男の言葉遣いは荒々しかったが、教室中の生徒が感じている苛立ちを代弁していた。
サクも内心では同感だった。
ただし、だからと言ってあんな風に教師に食ってかかる度胸はもちろんない。
「すまんな。我々教師は暴力など問題が起きないよう見守るだけで、権限は生徒会にある。放送があるまで、もう少し待ってくれ」
教師は監視役に徹している。
それは生徒会への絶対的な信頼があってこそだろう。
「……チッ」
舌打ちをすると、男は再び窓外に視線を戻した。
再び教室に静寂が戻り、5分、10分……と静かな時間だけが過ぎていく。
後ろのみずきも流石に苛立ちを隠せず、溜息をついていた。
貧乏ゆすりをしている生徒がいたり、誰かが関節をポキポキと鳴らしている音だったりが教室に響く。
サクも次第に苛立ちというよりは不安になってきた。
これだけの時間、結果発表がないということは、何か重大な問題が発生しているのではないか。
――――そんなことを考えていた、その時だった。
コツ、コツ――
教室棟のホールから、ゆったりとした足音が響いてくる。
コツ、コツ、コツ――
規則正しい足音が、静寂を切り裂く刃のように廊下に響く。
まるで舞台の幕が上がる直前の、あの独特な緊張感のようなものが教室に広がっていく。
コツ、コツ、コツ、コツ――
足音が近づく。
もうすぐそこだろう。
この長い待ち時間の後での来訪者に、1組全員が自然と息を潜めて注目してしまっていた。
コツ、コツ、コツ、コツ――
そして漸く。
静かな廊下へと、その足音がたどり着く。
足音の主が、サクたち1組の面々の前にその姿を現した。
(――――蓮!?!?)
先を急ぐ様子もなく、静かな廊下を悠然と闊歩しているのは、何を隠そうあの天才――野内蓮その人だった。
まるで散歩でもしているかのような足取りで堂々と歩いている。
1年生の結果発表が行われなかったのは、この男が原因だったのだと、サクは即座に悟ってしまった。
「何だあいつ、遅刻か?」
「ったく、迷惑な野郎だ」
結果を待たされている1組の教室から不満の声が漏れる。
他教室からも同様の陰口が聞こえてくるだろう。
(てっきり、さっきの人ごみに紛れてこっそり戻ったと思ってたけど、まだだったのか……)
単に戻るタイミングを逸しただけ。
サクはそう結論付けようとしたが、妙に堂々とした蓮の佇まいが引っ掛かる。
その佇まいが、普段の脱力系男子のそれではなかったからだ。
中学時代、幾度となく目にした"天才くん"の貌。
いつものどこか眠そうな顔ではない。
目に確固たる意志が宿っている。
何かを成し遂げるつもりの、強い決意を秘めた眼差し。
それに、獲物を前にした猛禽類のような、研ぎ澄まされた気配を纏っていた。
(…………だ、だけど、ここから何を……?…………いくら蓮でも……さすがに無理でしょ)
指定席どころか、全ての席が埋まっている。
選択の余地など微塵も残されていない。
いくら蓮が凄いとはいえ、ここからの挽回など不可能だ。
(…………分からない。勝負するなら必ず勝ちに来るはずだし…………だけど、サボるならこっそり目立たないように行動してるはずなのに……)
今の蓮の行動が、理解不能すぎる。
(……まさか、指定席の法則が間違ってるとか?)
理解不能すぎてサクは今までの自分の考え全てが怪しく見えてくる。
しかし、他の生徒の様子からも、それはないだろうということはかろうじて分かる。
そうやって、ああでもない、こうでもないとサクが頭を悩ませていると、学年中が待ち望んでいた放送がサラッと流れ始めた。
『1年生、全生徒が揃いましたので、これより獲得ポイントの結果発表を行います――――』
サクが色んな事を考えているうちに、蓮がどこかの席に着いたのだろう。
これによって、タイミング的に蓮が原因で待たされていたということが確定する。
『――まずは指定席の発表です』
……何にせよ、ここで法則が合ってさえいれば問題はない。
(…………!!)
サクはこっそりと両手を合わせる。
(お願いだ……!!)
――そんな、祈るような気持ちで放送に耳を傾けた。
『――指定席に座った者、10名。1組=宴竜、押切芽衣、灰原堅実。2組=蕨あずき、蕨みずき。4組=頼実リボン。6組=島田朔。7組=稲荷沢紫苑。8組=上垣内遥輝。9組=スカーレット・イヴ・ブラックストーン。それぞれ1ポイントを獲得です。おめでとうございます」
(―――――――――よかった!…………)
放送が始まり、みずきとあずきの名前が呼ばれた瞬間、サクは心の中で自然とガッツポーズを決めていた。
「ふぅーーーー………」
それから自分の名前も確実に呼ばれると、サクは無意識に安堵の息を吐いた。
素数の法則が正解だったことに。
そして何より、みずきたちとの出会いが幸運をもたらしてくれたことに感謝をしながら。
……蓮を見かけてからというものの、サクは自分の考えが間違っているのではと不安で仕方なかったのだが、どうしたことだろうか。
今回に限っては全くの杞憂だったようだ。
この指定席の法則が合っていた時点で、蓮の行動は少なくとも勝ちを取りに来ているわけではなかったということが分かる。
(……じゃあ、蓮は……ほんと、何のためにあんなことを?……)
あの面倒くさがりな蓮が、わざわざ悪目立ちするような行動を取っていた理由が余計に分からない。
(まぁ……後で聞いてみようか)
どうせ問い質しても、いつものように煙に巻かれるだけだろうけど。
それでも駄目元で聞いてみようかとサクは思う。
そうやって取り乱されていた思考がようやく蓮から解放されたので、サクは意識を後ろで退屈そうな顔をしていたみずきに向けた。
「みずきのおかげでポイントゲットできたよ。素直にお礼を言わせてほしい……ありがとう」
みずきのおかげでこの席に座れたようなものなので、礼の一つでも言っておくべきだろうと考えたからだ。
しかし、それを聞いたみずきは、より一層つまらなそうな顔をする。
「…………虎の威を借る狐っちゅう言葉あるやろ?」
少しの間を置き、突然そんな事を言う。
「ああ、それくらいなら分かってるよ。――僕が狐だってことをね」
それを今の自分の状況を揶揄したものだと解釈し、サクはやや自嘲気味に笑ってみせる。
当然その解釈通りのものだと思っていたのだが、対するみずきは首を振り出した。
「いいや?何も分かってへんな。……この言葉な、虎の力を借りた狐を詰って使われることばっかやろ。けどな、実際はまるでちゃう。狐にも狐なりに、虎に付いていくだけの能と嗅覚が必要なんや」
なにやら遠回しな物言いだが、その話し方と内容的にサクのことを称賛しているようだということが分かる。
みずきの言葉には、思わぬ深みがあった。
確かに「虎の威を借る狐」という諺は、往々にして狐を卑下する文脈で使われる。
しかし、みずきの解釈は違った。
狐が虎を見つけ出し、その後を追う――それ自体が一つの才能だと言うのだ。
「…………えっと……もしかして、褒めてくれてる?」
「それ以外にないやろ」
実力主義を地で行くような性格をしてそうな印象があるので、尚更本気で言っているのが分かる。
サクの力を正当に評価してくれているのだろう。
「はは、じゃあ素直に喜んでおくよ。みずきは僕の友達に会ったら大喜びしそうだね。今度紹介するよ」
蓮に会ったらこのつまらなさそうな表情にも変化があるのではないか。
楽しそうな光景が頭に浮かんだので、是非とも引き合わせたいとサクは思ったのだが、みずきはそれには顔を顰める。
「どうだか。あんたが今一人っちゅうことは、その友達とやらは指定席も取れへんかったんやろ?期待薄やわ。……うちはそれより、あの男前の実力の方が気になるなぁー?」
左手の親指で、31番の席を指す。
それと同時に、放送の続きが流れ始めた。
『続いて、特別指定席の発表です――』
31番席の男は、依然として傲岸不遜な態度を崩さない。
机に上げた足も、そのままだ。
ふんぞり返っているともいえる状態だった。
満を持して、放送が確信に迫る。
彼が待ち望んだ瞬間――栄光の時が訪れようとしている。
サクもみずきも、法則を理解した生徒たちも、その席に座る男の名前を聞いておくために、意識を耳に集中させた。
教室中の視線が31番席の男に注がれる。
彼こそが、今回のゲームの真なる意味での勝者。
特別指定席を射止めた英雄として、その名が皆の記憶に刻まれる。
――――はずだった。
『特別指定席席に座った生徒1名――――10組=野内蓮。10ポイントを獲得です。おめでとうございます』
「「――――は?」」
呆気に取られた声が、見事なまでにユニゾンする。
1組の教室では、
その名前を知っている17番席のサクとは別に、
31番席――素数の玉座に鎮座していた、今頃は覇者だったはずの男が……
……ただの道化と化していた。
――――どうやら。
今日も今日とて、運命の女神は野内蓮と共にあるらしい。
サク「…………」