第13話 クラス対抗イス取りゲーム⑤ おしりおき
生徒会長からゲームが始まる前から離席を禁じられた10組は、お通夜状態だった……かと思いきやそうでもなく、意外にも和やかなものだった。
自分たちで考え行動が出来ないため、ゲーム自体はほぼ不参加状態で何の面白みもないのだが、ルール的には完全に不利というわけでもない。
何より自分たちの遅刻でそうなっていたために自業自得だという諦めもあり、この時間は初対面同士の交流タイムと化していた。
(…………)
藍は周囲の様子を眺めながら、その輪の中に入れていない自分もいるので複雑な気持ちになっていた。
強いて言うなら藍がまともに話せたのはつぼみくらいなのだが、今は彼女も左の方を向いて人間関係を広げている最中だ。
つまり、藍はこの時間独りだった。
さっきまでの絶望的な雰囲気は何だったのだろうか。
人間という生き物は、案外逞しいものなのかもしれないと藍は思う。
まるで修学旅行のバスの中のような、妙に和やかな空気が漂っている。
「やっほー!天才くーん!その落ち込み顔を拝みに来てやったぞいー」
そんな10組に、ずいぶんと高い異様なテンションで乱入してくる者が一人――――
――それが今朝、あの男と共に自分の後ろに並んでいたうちの一人だと、藍はすぐに気が付いた。
中性的な美貌、肩までの髪、控えめな胸。
性別すら曖昧だが、どちらにせよ見惚れるほどの美しさだ。
制服を着ていても、その美しさは際立っている。
雑誌から抜け出してきたモデルのようだった。
やってきた突然の来訪者に、教室が一瞬静まり返る。
「え?あの子、男の子……いや女の子か。うそ、めちゃくちゃ美人……」
「野内さんのことは残念だったけど、俺、この学校に来て良かった……本当に」
「え、だれだれ?ちょ、あの子、まじタイプなんだけど!ワンチャンある?」
「…………あんたじゃ無理でしょうね」
「おい誰だ!聞こえてんぞ!初対面で失礼な奴がいるな!どこだ!おいどこだ!」
そして、クラスのテンションが入学式前のように再び上昇した。
(また騒がしくなったわね……)
つい先ほどまで死刑宣告を受けて意気消沈していたクラスが、美しい来訪者一人でここまで盛り上がるとは。
さっきまでの空気だけでも相当にタフなクラスメイトたちだと思っていたが、今のこの盛り上がりはとてもタフという言葉で片づけられるようなものじゃない。
……控えめに言って、実は単純なバカばかりがいるんじゃないのかと疑いたくなってくるほどだ。
だが、そんな様子など毛ほども興味がないのか、注目の的である彼女は誰かを探している様子だった。
「……あり?天才くんいないじゃん。せっかく慰めがてら揶揄おうと思ったのに。ねね、先生、10組って席立つのダメなんでしょ?これってもしかして、天才くんが反則したってこと?」
教室の左前に座っていた担任教師に彼女が問いかける。
(天才くん?……って、もしかして野内くんのこと?)
藍は眉をひそめる。
彼女のあの男に対する呼び方が無性に気になった。
「……え、天才くん?って誰のこと?……いないって、もしかして、野内君のこと?それなら知らないわよー。私が来た時にはもういなかったし……そうだ、野内さんなら何か知ってるんじゃない?」
責任回避とばかりに、担任は藍に話を振ってくる。
これでもいないことを一応気にはしていたんだろう。
蓮の席に最も近く、衝撃の交際宣言があったばかりの藍なら、何か知っているだろうという安直な考えが透けて見えた。
ゲームの監視役として寄こされていた10組の担任教師が来たのは講堂が開錠される5分前くらいだったため、当然蓮の行方については知る由もない。
だがそれは、開式からずっと教室にいた藍たちとて同じことだった。
「すみません、私たちが来た時から姿が見えなくて……お手洗いかと思っていたんですが、まだ戻ってきてません」
入学式を含め、蓮が姿を消してから既に50分近くの時間が経過している。
誰がどう考えても確信犯のサボりだ。
しかし、単純なサボりにしては妙にタイミングが良すぎるし、時間も中々のものだった。
「うーん、それは心配だけど、トイレでも……ありえなくはない時間、なのかなー?まあ、とにかく反則じゃないみたいよー」
誰も見ていないという事実確認が出来たことで、まあ反則じゃないならなんでもいいかといったふうに担任が適当に結論付ける。
「ふーん、反則じゃないんだ。ならいいや、ありがとー先生」
一方の彼女は、そんな先生の適当な返答にあっさり納得した。
「んー……天才くんいないならもう私もどっか座りにいこうかなー。おっと、そうだ連絡しなきゃだ」
携帯を取り出し、誰かにメッセージを送っている。
その瞬間の表情は、先ほどとは別人のように知的だった。
そして、用が済んだとばかりに踵を返そうとした彼女と、入り口付近にいる自分の視線が交錯する。
途端、彼女の表情が明るく変わった。
「およよ、なにやら私の可愛いセンサーがビンビンしてる!……と思ったら、そこにいたのは、あいあいじゃないか!」
「……あ、あいあい?」
(今度は私が、いきなり愛称で呼ばれた……)
今日は一体どうなっているのだろうか。
出会った人間は揃いも揃って、距離感がおかしい。
この学校の生徒は皆こうなのだろうか。
それとも、たまたま自分が変わった人たちと遭遇しているだけなのか。
「ふっふっふ……わたしは文音。……千条文音という女さ!これから、おしりおきをよろしくね!じゃ、また!」
彼女はそう颯爽とかっこつけて言い放つと、こちらが言いたいことなど待つ素振りもなく廊下に出て行ってしまった。
(……おしりおき?)
それを言うなら”お見知りおきを”でしょ、と柄にもなくツッコんでしまいそうになったがふと思い止まる。
……おしりおき?もし言い間違いではなく、意味があるとしたなら何を指していたのだろうか。
彼女の去り際のひと言が、ただの挨拶じゃない気がして妙に引っかかった。
ただの言い間違いにしては、あまりにも自然すぎる。
まるで、意図的に、あえてそう言ったかのような……
藍がそんな違和感を覚えていると、間髪入れずに左後ろの席のつぼみがすぐに話しかけてきた。
「文音ちゃんかー。つぼみ、あの子好きだなー。藍ちゃんとも絶対気が合う子だと思う」
つぼみは何故か、確信めいた真剣な表情で意味の分からないことを言っている。
「そう?私はあそこまで元気な、……自由奔放な子はちょっと苦手かも」
事実、今のやりとりだけでも悪い子ではないんだろうな、という印象を藍は受けたが、
一方で、合理主義的な自分とは水と油のような気がしていた。
自由人というのは、合理的な考えの対極にいると言っても良いからだ。
それに、彼女の視線に自分への興味は全く感じなかった。
あんな親し気な言葉とは裏腹に、ほぼ無関心だったんじゃないだろうか。
少なくとも、つぼみが言うほど気が合いそうには思えない。
むしろ、価値観が正反対で相性は悪そうだ。
「いや、絶対バッチリだって!つぼみの人間相性診断は中学だと有名だったんだから信じてくれて大丈夫だよ!」
「え……人間相性診断?……何?それ」
非科学的だが、気になる話だと藍は思う。
藍は占いのような非科学的なことに意外と弱かった。
適当な事を言っているのかもしれないが、そうじゃないかもしれないので一応聞いておく。
「ほらあるじゃん。この人とはなんかリズム?みたいなのが合わないなーとか」
つぼみは手をくるくると回しながら説明する。
「話が微妙に合わないなーとかさ。そういうのって、意外と分かるまで時間がかかっちゃったりするんだけど……」
ここで彼女は得意げに胸を張った。
えへん。とでも言うかのように。
「つぼみ、そういうの一瞬で見抜けるの。だから相談してくれた子のリズム?とか空気?っていうのかな。そういうのを感じ取って、他人との相性の良し悪しを教えてあげてたってわけ」
なるほど。
その場の空気を読む力が極限まで秀でてる、ということだろうか?
いや、場というよりはコミュニケーションに限ったものなのかもしれない。
どちらにせよ、確かにそれは人気が出てもおかしくない。
重宝されそうな稀有な能力だ。
藍だって自分と波長のあう、友人になってくれそうな人を見つけてくれるなら有難いし、人間関係を作るのにハードルが一つや二つ下がるだろう。
ただ、つぼみのそれがどの程度正確なものなのか分かったものではないので、今この時点での診断は対して意味が無い。
もっと他の組み合わせの結果を聞いてみて、未知数な精度を確かめる必要がある。
幸い、検証として今この場で聞ける組み合わせが藍にはあった。
「つぼみ。じゃあ私とあの男……野内くんの相性を診断してもらえない?」
そう言うと、つぼみの顔が一気に輝いた。
「きゃー!まさか入学してすぐにこんな乙女な会話ができるとは思わなかったよ、つぼみは!」
つぼみは恋愛話が大好きなようだ。
(この子、本当に分かりやすいわね……)
藍は苦笑しながら、つぼみの素直すぎる反応を見ていた。
きっと中学時代も、こういう話題で盛り上がる友達がたくさんいたのだろう。
これまで藍の周りにつぼみみたいな子はいなかったので、尚更すごく眩しく見えた。
「うるさいっ、それで?つぼみから見て相性はどうだと思う?」
はいはい、といった様子で考える間もなくつぼみは即答する。
「もうそれはそれはバッチリだね。これ以上ないくらいに完璧な相性だよ!」
バッチグーと親指を立てている。
完全に確信しているようだ。
「実はね……自己紹介の前から、この二人いいなぁ、付き合っちゃったら良いのにって思ってたし、つぼみも絶対友達になりたい!って思ってたんだ」
それは嬉しいような否定したいような……
「ですが!なんとなんと、その二人はもう既に付き合っていたではありませんか!」
つぼみは大げさな身振り手振りで驚いて見せる。
「だから、つぼみの感覚もどんどん冴えてきてるなって自信が増えたくらいだよ」
「……………………」
「あれ?どうしたの?藍ちゃん?おーい」
――――つぼみの人間相性診断が、全くあてにならない眉唾物だと藍が確信した瞬間だった。
(……あの男と相性が完璧に良い?)
嫌悪感すらあるんだ。
そんなわけがない。
冗談にもほどがある。
あの利己的で身勝手な男と、自分が相性が良いなどということは、絶対にありえない。
むしろ、これほど相性の悪い相手も珍しいのではないだろうか。
「つぼみ、悪いことは言わない。……もうその診断、やめたほうがいいわよ」
「それって悪いこと言ってると思うんだけど!?」
診断結果に満足するどころか不満たらたらな自分に驚きまくっているつぼみを面白く思っていると、
気が付けば教室の外が騒がしくなっていた。
どうやら、1年生の殆どが教室棟にたどり着いたらしい。
座る席を決めかねている生徒が廊下を埋め尽くしていた。
(……もうそんな時間が経っていたのね)
藍が時計を確認すると、確かにゲーム開始から相応の時間が経過していた。
つぼみとの会話が、自分にとって時間を忘れさせるほど楽しいものだったんだなと思うと少し嬉しくなる。
他のクラスの生徒たちも、続々と各教室の席に着席し始めているようだ。
しかし、そんな生徒たちだが、10組の様子を横目でちらちらと窺っている者も多い。
――もちろん、その理由は分かっている。
入り口の最も近くに座る藍と、その後ろの席がぽっかりと空いているからだ。
本音を言えば、藍に近づくために後ろの席に座りたい。
ただ、独占されているはずの10組の教室に1席だけ空きがあることへの明らかな違和感に加え、純粋にこの独占状態の10組に単身座りに来る勇気のある生徒がいなかった。
そのため、ただ遠巻きに様子を窺うだけという、なんとも歯がゆい状況が生まれている。
(これが、普通なのよね)
いつも通りの見慣れた視線が注がれていたが、今日は何故か平静でいられる自分がいた。
それは恐らく、つぼみという友達ができたからだろう。
一人でいるときと、誰かと一緒にいるときでは、こんなにも気持ちが違うものなのか。
そこでふと、先ほど一切臆する様子もなく、堂々と独占状態のこの教室に乗り込んできた女子生徒がいたことを藍は思い出す。
(……そういえば、おしりおきって…………おみしりおき、の言い間違いだと思ったんだけど。……何か別の意味があったりするのかしら?)
そんな彼女――千条文音の去り際の言葉を何となく頭で反芻する。
すると、段々とあれは単なる言い間違いではないような気がしてきた。
あまりにも自然に、まるで意図的にそう言ったかのような印象が今も強く残っている。
「おしりおき…………おしり置き…………便座のこと?………いや違う、この場合…………椅子……?」
そんな取り留めのない、突飛な思考回路でも一応は筋が通っているように感じてしまった。
文音「うーん……どこ座ろう……」