第11話 クラス対抗イス取りゲーム③ 開戦
「それでは、新入生の皆さん、開錠です。」
学年別クラス対抗イス取りゲームの火蓋が、司会進行役の教師によって切って落とされた。
その瞬間、サクの前にある扉の鍵が解かれる音が聞こえる。
金属が軋む小さな音だったが、それは今から始まる戦いの合図としては十分すぎるほど印象的だった。
同時に、堰を切ったように1年生たちが廊下へと雪崩れ込んだ。
サクも例に漏れず飛び出したが、彼の頭の中では既に戦略が確立していた。
個人戦として、急遽追加された10点席を最優先で狙う。
ただし、最低でも1点は確保する――それが今回のミッションだ。
とりあえず講堂を抜けた地点で一度立ち止まり、後方を確認する。
他者の動向を探る、基本中の基本だった。
振り返って見える光景は、まさに百鬼夜行といった様相だ。
「半々ってところかな」
血気に逸って飛び出した者が半分、10分の猶予でクラスをまとめようとする者や、マイペースに行動する者で残り半分。
予想より少ない出足は、サクにとって好都合だった。
「これで、少しは当たりの予想をする時間ができるね」
そう独り言ちして、再び教室棟を目指す。
講堂から教室棟までは地味に遠く絶妙に嫌な距離なため、体力のない生徒は1~2分走ったあたりの場所で歩き始めていた。
息を切らせてる生徒もちらほら見える。
いくら天才学園だなんだと呼ばれていても、全てに秀でた文武両道の完璧超人など滅多にいない。
当然体力のないものも多くいる。
そう言った事情もあるため、1クラスの独占は、クラスをまとめたところでかなり難しいだろうと踏んでいた。
体力格差というだけの問題が、1クラス独占という理想論を打ち砕いている。
だからより一層、蓮のやってのけた自クラスの独占には凄味があった。
あの友人は一体どんな手を使ったのだろうかとつい考えてしまう。
それにサクは軽く首を振る。
今はそれよりも自分の戦略に集中すべきだからだ。
そしてサクがそのまま一人で戦略を練りながら、先頭から少しだけ後ろのあたりを走っていると、右の肩を力強く叩かれた。
「うおっと!?」
「サクちゃんやっほー!!」
振り返れば、汗一つかかずに並走する文音の姿があった。
「危ないってー、文音。………あれ、一人みたいだけどクラスの方は大丈夫なの?」
講堂を出る際、1組と思われるクラスがまとまっていたのを確認していたはずだ。
「いやあ、どーやらアルファ雄が多いみたいでね。何だかクラスの中で殺し合いが始まりそうなふいんきだったから、こっそり抜けてきちゃったんだー。ま、すぐ来ると思うよ」
「雰囲気、ね」
どうやらまとまっていたのではなく、主導権争いで膠着していたらしい。
一見すると無能な烏合の衆だが、実際は真逆なのだろうとサクは思う。
それぞれが確固たる自信を持つ才能の持ち主――それが証明されたようにも感じる。
自分ならばこのゲームを制する自信がある才能人たちが多くいるということだ。
城才学園らしい現象とも言える。
普通の高校なら誰かがリーダーシップを取ったら簡単に纏まりそうなものだが、ここでは全員がリーダー気質を持っているのかもしれない。
「……で、クラスは文音から見てどうだった?」
うーん、と普段とは別人のような知的な表情を浮かべ、文音は思案する。
こういう時の文音は、本来持っている聡明さを垣間見せる。
「正直まだわっかんないかなー。みんなそれぞれ強そうだし、誰が一番ヤバいかもよく分かんない。……ま、サクちゃんも頑張ってね。私は天才くん一筋だけど、サクちゃんのことも大好きだから応援してるよ」
「分かってるよ」
文音の蓮への想いは、中学一年の一件以来、揺るぎないものだった。
その事実を知るのはサクだけだが、彼女の露骨すぎる態度を見れば、誰でも察しがつくだろう。
問題は、肝心の蓮が鈍感の極みだということだ。
全く気付く素振りが無い。
恐らく文音もそれを自覚しており、今朝の賭けもその焦りから生まれたものだ。
自分としても悪くない作戦だと思い、敢えてあの場では賭けに乗っておいた。
蓮がこの高校でまず目指しているのが、彼女を作ることだということは以前から分かっていたため、あとはその意識の対象を文音に向けさせればいい。
文音は誰が見ても美少女だし、蓮も度々そう漏らしている。
単に仲が良すぎてずっと一緒に行動をしていたから、無意識に恋愛対象から外してしまっているのだろう。
ならば、誰かに振られてから、サクと文音がそれらしいことを言って上手く誘導すれば、さすがにあの朴念仁でも意識せざるを得ないはず。
そう考えての行動だった。
「だけど、まずは蓮に勝つことと、この学校に僕の実力を示さなきゃね。運が良いことに、今回蓮は物理的にこれ以上動けないし、これは入学早々にチャンス到来だよ」
そんな話をしているうちに、下駄箱で靴を履き替え教室棟へと足を踏み入れるところまで来ていた。
教室棟に入ると急に人の声が反響して聞こえるようになる。
既に各教室では席取りが始まっているのだろう。
ここでひとつ、大事なことを確認しておかなければならない。
「文音は指定席に座るつもりはあるの?」
「いいやー、まったくないんだなー。これが」
――文音の欠点は、興味の幅が極端に狭いことだった。
文音の意中の男子、つまり興味津々な天才くん――蓮のためならばいかんなくその能力を何の分野にも向けてくれる彼女だが、他の人が促したところで言うことを聞いた試しがない。
例外として唯一、共にした時間が蓮と同じくらいに長いサクの言うことには多少動いてくれるが、それでも彼女の才能を動かすには至らない。
これは中学時代から変わらない文音の特性だった。
「だと思ったよ。なら1組以外の教室ならどこでもいいから、適当に座ってて」
「1組以外?んー分かったけど、一応なんで?」
「僕の読みだと、1組の教室に全ポイントが集中してるから」
目前の1組教室では、既に監督の教師が着席し、先頭集団が席の確保を始めていた。
「ええ?それ本気?じゃあ、どっかのクラスが1組独占でもしたら即ゲーム終了じゃん。1組なんて一番近いんだしさ」
「一番近いからこそだよ」
サクは1組教室を目で指しながら続ける。
「全員が通る一等地だから、競争が激しくて独占は無理。……でも、これって本当にクラス対抗なのかな?」
文音が首をかしげる様子を見て、サクは自分の推理を整理した。
このゲームの本質は団体戦ではなく”個人戦”だ。
運がテーマとはいえ、最初から最後まで運任せではないはず。
統率して戦うことを想定していない仕組みになっている。
それだけ聞いた文音は少しすると、ほほーと感心したように頷く。
理解力のずば抜け方が、そのまま天才ぶりを物語っている。
「つまり……これは全部の教室を使ったイス取りゲームじゃなくって、1組の教室だけのイス取りゲームってことでおけ?」
「その通り。だけどその先は今のままだと運頼みになるからね。だから、確実にポイントを得るためにもギャンブルに出ようと思う。ギャンブルって言っても、運というよりは僕の審美眼に賭けるって意味だけど」
「そのギャンブルって?」
サクは1組教室の入り口付近に立ち止まり、教室内の様子を観察し始める。
「あえて、この1組が見える位置で席が埋まっていくのを待つんだ。ほら、ここはあの噂の”天才学園”でしょ?……蓮ほどのとは思わないけど、それ相応の化け物じみた感覚を持つ人たちがいるだろうしさ。そういう人たちを見極めて、指定席の法則を見つけ出す」
サクの目は、教室内で席を選ぶ生徒たちの行動パターンを追っている。
誰がどの席を選び、どんな基準で判断しているのか。
表情、迷いの有無、座る瞬間の躊躇――全てが重要な情報だった。
天才学園と呼ばれるこの学校なら、必ず何人かは法則を見抜く者がいるはずだ。
「ははーん、それは確かにギャンブルだね。席埋まっちゃいそうだしねー」
既に1組では10人ほどが着席していたが、まだ大半の生徒は到着していない。時間はある。
「あ、でも天才くんってば10組独占状態なんだよね?それってサクちゃんの考えと真逆なんじゃない?」
「あー……そうなんだよね。そこだけがどうしても引っ掛かってて。……だけど、この考えは結構いい線いってると思うんだよ。蓮の動きだけがいつも通り読めないって感じかな」
そこが最大の懸念事項だった。
蓮の行動は時として常識を超越する。
それが天才くんと呼ばれる所以でもあるのだが、同時にサクにとっては最も予測困難な要素でもある。
「まあ、天才くんは相当な面倒くさがりだし、ポイント狙ってないのかもよ?」
――しかし、野内蓮という天才に弱点があるとすれば、その素と思われる怠惰な性格だろう。
追い込まれれば獅子奮迅の活躍をするが、運動以外は基本的に極力何もしたくないという性格をしているのだ。
中学時代、蓮によく発破をかけて無理矢理表に出させていたのはサクと文音だった。
だから今回の奇妙な動きも、蓮が動いているのか動いていないのかはっきりとは判断できない。
「……それもそうだね。入学式が面倒だからってクラスごと遅刻させて欠席しただけ、って可能性も蓮なら十分あるし」
「あ、私席どこでもいいわけだし、ちょっと10組の様子見てこようか?振られて落ち込んでる天才くん揶揄いたいし」
文音の表情が急に生き生きとしてくる。
蓮のことになると、彼女のテンションは一気に上がるのだ。
「ならお願いしようかな。あ、あとで連絡ちょうだい。そのまま適当なとこ座ってていいから」
「らじー!あばよだサクちゃん、懸垂を頼むぜ!」
そういうと文音はスキップしながら10組へ向かっていく。
その後ろ姿を見送りながら、サクは苦笑いを浮かべる。
「懸垂?…………健闘を祈る、かな……」
相変わらず日本語、特に慣用句には弱い文音だった。
蓮のもとへ向かう時の文音はいつだってハイテンションで楽しそうだ。
その一途さは、ある意味羨ましくもある。
「さて、僕も本腰を入れるかな」
文音が去った後、サクは改めて1組教室の観察を続けた。
席を選ぶ際の生徒たちの行動には、確かにパターンがあるように思える。
窓際を好む者、前方を避ける者、角の席を狙う者――それぞれに理由があるだろうが、指定席の法則を見抜くにはもう少し観察が必要だった。
時間はまだある。
サクは慎重に、しかし確実に、自分なりの答えを見つけ出そうと決意を新たにする。
――この観察が、彼にとって蓮に勝利する第一歩となることを信じて。
文音「天才くんどんな顔してるのかなー」