第1話 野内くんの普通の学園生活
――突然のことなんだけど、聞いてみたいことがある。
『――――続いて、特別指定席の発表です』
俺は野内蓮、15歳、普通の男子高校生。
そう、”普通”の男子高校生だ。
だというのに――
「どうして俺は入学初日からこんなところに座らなくちゃならないんだろうか?」
――と。
誰でもいいから、そうやって聞いてみたい。
そんなことを一人で考えている間にも、目に入ってくる人達は各々が手を合わせ、天を仰ぎ、何かに祈りを捧げている。
『特別指定席に座った生徒1名――――――』
だけども俺は、そんなことをする必要が無い。
自分の頭の中で、どうでもいいことだけを考え耽っているだけでいいのだ。
何故なら……
今この放送の内容は、俺に全く関係のないことだから。
耳を澄ましたところで何が何だか分からない。
聞くだけ無駄だ。
放送の続きがかかるまでは――
たしかに、そう思っていた。
『――――――10組=野内蓮、10ポイントを獲得です。おめでとうございます』
だけど――
どうやら、そうでもないらしい。
なのでもう一度、さっきの質問を改めて聞き直すべきだろう。
神様だって何だっていい、とにかく誰かに聞いてみたい。
「何で……どうして、こうなった!?」
――と。
◇
4月1日、入学式。
日本でも有数の高偏差値を誇り、しかも校訓が「変人たれ」などと、どう考えても冗談にしか思えない文言を掲げた私立城才学園高校——通称“天才学園”。
全国から天才や奇才、そしてよく分からない規格外の連中が集まると噂されるその学び舎に、俺―野内蓮も入学していた。
校門を潜れば、案内役の上級生たちが新入生たちをキビキビと誘導しているのが見える。
空には春らしい薄い雲がたなびいており、桜はこれでもかと言わんばかりに咲き誇っている。
なんだか花びらに歓迎されてるみたいだ。
そんなふうに新生活への期待に胸を高鳴らせ立ち止まっていると、冷たさが若干残りながらももう暖かいと感じるような春の風が、制服の隙間から肌をかすめた。
下駄箱前では、ピカピカの新入生たちが、不安と期待と、ちょっとした見栄の入り混じった顔で屯している。
「やった!一緒のクラスじゃん!」
「10組、10組、10か……常に1じゃなきゃダメなんだ俺は……」
「あの、トイレどこですかね?、緊張でお腹が……あっ。」
天才しかいない異空間かと思いきや、意外にも普通の人間も多いらしく、少しだけ肩の力が抜ける。
(ここなら、俺だって――”普通の学園生活”くらい送れるはずだ)
俺は中学までとは違う。
絶対に中学のような”失敗”はしない。
そのために、できる限り自分を知っている人間がいないだろうこの学校を選んだのだ。
――そんなことを考えながら、改めて決意をするように拳を握りこみ立っていると、早速後ろから声がかかった。
聞き馴染みのあるその声の主に、思わず身体が身構える。
「やあやあやあ、お久しぶりだねー”天才くん”」
目の前に現れたのは、艶やかなブロンズ色のショートカット。
肩までの髪が春の風を受けてさらさらと揺れている。
男子と見紛う細身のシルエット。
でもよく見れば、ただ胸が控えめなだけの、可憐な美少女——千条文音だった。
(な……なんで文音がここに!?……いや、よく考えてみればこいつならここ選びそうだな……)
「やっぱりここ受けてたんだね!ここは良さそうだもんねー、うんうん、天才くんはお目目でかい!」
テンションが高いことからも、彼女は随分とご機嫌なようだった。
「それを言うならお目が高いだ!……………ああ、久しぶりだな文音。そんで、早速だがその呼び方をやめろ、今すぐにだ」
千条文音。
見た目は天然ぽくて可愛らしいが、才覚としては常人ならざるものを持っている。
五か国語を一年でマスターし、プログラミングも合気道も一人前になるまで既に嗜んでいるという、まさしく【習得の天才】だった。
ただし、言動が馬鹿っぽい、いや馬鹿なのが玉に瑕な美少女である。
「おひさー蓮。同じ中学はこの三人だけっぽいよ」
そんな文音の後ろから、もう一人の知り合いが現れる。
島田朔。
耳にピアス、金髪、俺よりも三寸ほど低い背丈をしており、雰囲気は俗にいう可愛い系男子というやつだ。犬系男子とも言える。
そんな可愛い系の見た目なことを中学時代から気にしているのがまた、何とも可愛いらしいと思える俺の男友達だった。
だけど、こいつの成績は俺よりもずっと良いし、何より――とにかくモテる。
加えて、殆どのことは恙なくこなせるというハイスペックぶりを誇っている才能人だ。
世の中、本当に不公平だと思う。
……羨ましい。
余談だが、俺はサクと気軽な感じで呼んでいる。
「なんでサクまでここに……ていうか、その恰好はアウトだろ」
元々は当然金髪などではなく黒髪だったため、より見た目を男らしくしたかったのだろう。
だけど、全力でチャラくしようとしているのが、背伸びをしようとしている感じで別の可愛さを新たに生み出してしまっている。
これを見るに、イメージチェンジは何とも難しいことだったんだなと今理解できた。
「なんかこの学校、もんのすごく校則緩いらしいよ。ま、ただ変人を御するだけの労力を考えた結果だろうけど」
……こんな格好が許される学校、本当に大丈夫なの?
俺が憧れる“普通の学園生活”が、ちゃんとここで手に入るのだろうか。
なんとなく、期待で膨らんだ胸中に既に不安が芽生え始めていた。
「んで――蓮の目的は遂行できそう?」
「………ん?天才くんの目的って?」
はて、なんのことやらと文音が首を傾げている。
……いや、俺はもう“天才くん”じゃないんだってば。
ただの一般人としてここにいるんだ。
贅沢は言わないから、本当にただ……普通に過ごしたいだけなんだよ……
「…………」
そんな切実な思いを吐露したかったが、この二人にぶちまけるのは何だか情けなかったので、ギリギリで堪えられた。
この二人とは中学時代からの腐れ縁だ。
1年生から3年生まで同じクラスだったこともあり、相応以上に仲は良い。
言葉を濁さずに言えば、俺にとって数少ない、気の置けない大切な友人たちだ。
だがそれでも目的のためならと思い、聞かれても頑として進学先を教えなかったというのに、サクたちのこの様子だとどこからか情報を嗅ぎつけて入学してきたようだ。
やたらと俺に絡んでくるのも、相変わらずだった。
「なんで黙っちゃうのさ!なんだなんだ気になるじゃないかー」
気になると言いつつ、文音は軽くチョップを入れてきたり、ほっぺをつねったりしてくる。
これも相変わらずの、いつも通りのスキンシップだ。
……まあ、痛くない程度なら許してやろう。
彼女は一度興味を持ったことにはとことんのめりこむ。
が、自分にとって必要なことや大事だと思うことにしか興味を示さない。
そして、興味を失えばあっという間に放り出す。
その興味範囲の狭さと飽き性という性格が無ければ、もっと数多くの分野で名を轟かせていたであろう習得の天才こそが千条文音という女だった。
そうして少しの間じゃれる俺たちを見守った後、サクは遠慮がちにこう切り出してきた。
「文音、蓮はね、”天才くん”じゃない、普通の学園生活を送りたくてこの学校を志望したんだよ」
それを聞いた文音は、不思議そうにサクの方を少し見つめてから、また俺に顔を向ける。
「なんで?天才くんは天才くんだから天才くんじゃないかー。そんなぷんぷんだっぷんなこと言うなんて天才っぽくないぞー天才くん!」
「それを言うなら、ちんぷんかんぷんです!!あと、ちんぷんかんぷんなのはお前の発言だな!そんな臭そうなこと言ってないからな俺は!…………ああ、それとな文音。その天才くん呼びはやめろとさっき言ったはずだ!高校ではぜっっったいにダメ!」
こんな感じで、文音とのふざけたやりとりは中学時代から何も変わっていない。
というよりも、一切改善される気配がなかった。
文音は中学に上がるまではアメリカに生まれ住んでいたようで、1年生の当時は英語しか話せなかった。
だが、日本語を覚えていく過程で言語学習自体に興味が沸き、生まれ育った母国言語の英語はもちろん、中国語、ドイツ語、フランス語、韓国語の計五か国語をたったの1年でマスターしてしまったというとんでもない実績を持っている。
しかし、その反面、一目散に覚えるべき日本語がいまいち習得しきれていないまま飽きてしまったという、なんとも残念な状態の子なのだ。
「…………ま、なんて目的は建前で、本音は可愛い彼女が欲しかっただけだろうけど?」
そのまま立て続けに、サクが俺の心中をかき乱してくる。
「ぐっ!……」
…………バレている。
………………どうしてだ……こいつには何もかもバレている!
そう――
サクの言う通り、俺がこの学校を選んだ理由は”天才くん”としてではなく、ごくごく普通の生徒として“普通の学園生活”を送りたかったからだ。
だけどそれは表向きの理由であって、裏では人生で一度くらいは彼女というものが欲しかったという本音があった。
だって……中学の時は、“天才くん”とか持ち上げられてたせいでさ……
勝手に壁作られて、誰ともそういう雰囲気になんてならなかったんだよ……
……だから別に彼女くらい欲しがってもいいじゃないか!
「はえーあの天才くんがねー……でも確かに、一回も彼女いなかったっけ、中学の時は。……運動神経良くて、スタイル良くて、顔も芸能人並みなのにね」
俺が彼女を作ろうとしていると知り、文音が感心している……ように見せて、ただケタケタと笑って馬鹿にしていただけだった。
「お前のせいでもあるだろうが!」なんて怒鳴りつけてやりたいが、何とも見っとも無いのでここは辛抱する。
しかし、改めて自分の評価を聞いてみると、条件はそれだけで十分すぎるんじゃないの?なんて思ってしまった。
自分で言うのも恥ずかしいけど、これは相当な優良物件なんじゃないだろうか。
だって、高身長でイケメンで運動できるなんて、例え頭の出来が悪くともおつりがくるほどのスペックだろうに。
これだったら登校してるだけでも彼女くらい出来るでしょ普通。
(…………ほんと、なんでこれで彼女できないのよ……)
そんな俺の心中を見透かしてか否か、「天才くんなら、何もしなくてもすぐに出来ると思ってたんじゃないのー」などと文音が言っている。
まあ、文音の言うように、すぐ彼女の一人や二人くらい作れると思っていたのは事実なんだけどさ……
でも、原因はそんな俺の心持ちとかではないと思っている。
今思い返してみても、“天才くん”というレッテルが思った以上に厄介だったのだ。
尊敬という名の壁は分厚く、女子も男子もいつも皆遠巻きにいて、気が付けば俺の恋愛面の事情は常に氷点下にあった。
この見栄えだけは一丁前に良い高スペックに加え、頭脳明晰・神算鬼謀・機略縦横・英明果敢etc…なんていう評判まで加わってしまえば、それは最早ただ見上げるだけの存在となる。
俺自身でもそう思えるほどなんだから、他人から見た自分の評価は青天井だったに違いない。
まったく……本当に迷惑な話だ。
そんなふうに、俺が頭の中で反省まがいの悪態をついていた時、文音の声に周囲の新入生が耳をそばだてているのが分かった。
少なくともサクの言葉を信じれば、入学者の中で同じ中学出身者は俺たち3人以外いないはずなのだが、どうにも“伝説”だけが独り歩きしている気がして、なんだかむず痒い。
いち早くこの場を離れたくなった。
「……まあ、中学はあんまり恋愛に興味なかったんだよ。新しい出会いでもあれば楽しそうだなって思ったから、知り合いが少なそうなここに来ただけで…」
俺は内心、ちょっとだけ強がりながらそう言う。
しかし、文音とサクの目は、子供の嘘を見抜く大人のそれだった。
「ふうん。ま、できるといいね!彼女。どうせ1年後2年後になって同じように焦ってると思うけどねー……ぷぷぷ」
文音が人懐っこい笑みを浮かべて小馬鹿にしてくる。
サクもニヤリと口元を吊り上げていた。
思わずそれに反応した口が勝手に開いてしまう。
「う、うるさいな!……見てろよ、彼女なんて1か月……いや1週間あれば作れる!作って見せる!絶対だ!」
馬鹿にされたのが恥ずかしく、ついつい勢いでそう宣言してしまっていた。
瞬間、文音の目がきらりと光ったのが分かる。
サクも、静かに大きく頷いていた。
「おおー……言うねぇー。それでこそ天才くんだ!……よおしサクちゃん、私は”できない”に駅前の肉まん10個だ!」
「じゃあ僕は”できる”に10個で」
えっ……俺に彼女できるかどうかで肉まん賭けてるの?
ああは息巻いたものの、正直そんなすぐにできると思ってないんだけど?
ものの数秒で話が勝手に進んでいく。
こうやって周りが好き勝手に盛り上がるのは、中学時代と何も変わっていない光景だ。
なので拒否反応はあれど、そこまでの驚きはない。
「じゃ、蓮は誰にも告白しなかったら反則負けで肉まん20個ってことで」
「――――え?それ俺も賭けるの?てか、その賭け、俺に何のメリットもないんだけど……」
文音とサクが、どこか意地悪そうに、見るからに心から楽しそうな表情でニヤニヤと俺を眺めている。
……俺の普通の学園生活は、この時点で既に四面楚歌みたいなものなんじゃないだろうか。
「ふっふっふ、約束だぜー天才くん!面白くなってきたねー!新学期最高だよ!」
「そうだねー。じゃ、この絆で結ばれた3人が同じクラスになることを祈って、前へ進むとしますかね!」
「あのー、それで、俺のメリットは………」
会話の余韻もなく、二人はピロティのほうへと颯爽と向かって行ってしまう。
「はぁー……」
そんな文音とサクの後ろ姿を見ながら、自然と溜息が漏れた。
周囲の新入生たちもどこかクスクスと笑いながら、ちらちらと騒がしかったこちらを見ている。
それにしても、校内を歩く新入生の列は、まさに百花繚乱?だなと思う。
この光景を表すのにその表現が正しいのかは分からないけど、きっとそんな感じだ。
日本人として一般的な黒髪に、明るいブラウン、ポニーテールやショートカット。
制服の着こなしも千差万別で、どこかパレードのような賑やかさがある。
そんな新入生たちの顔ぶれを眺めている時、ふと俺たちの隣を通り過ぎる一人の女子生徒が目に入った。
腰まで伸びた長い黒髪。
凄く丁寧に手入れされているのだろう。
歩くたびに光を受けてきらきらと輝いて見えた。
その姿はただ綺麗と一言で片付けるには惜しい、空気ごと雰囲気を変えてしまうような存在感がある。
「おおお、さすがは天下の城才学園だねー、あんな綺麗な子がいるなんて。多分同い年の新入生だよねーあの子」
「だろうねー」
俺がその麗人に見惚れている間にも、二人はなんてことのない感想を言い合っている。
気が付けば、俺はしばらく言葉を失っていた。
いや、別に惚れたとか、そういうわけじゃないよ……多分。
しかし、そんな彼女に見惚れていた俺を見て、いじるチャンスとばかりに二人が茶々を入れてきた。
「いやー……蓮はああいう文句のつけようもない大和撫子的な美人が好みだったんだねー、そりゃ中学の女の子には目もくれないわけだ。そうだったんだね、うんうん、分かるよ。……でも、僕もすごく良いと思うんだけど、あの子はやめといた方が良いんじゃないかな?……ほら、蓮のルックスならいけるは思うんだけどさ、期間が短すぎるんじゃないかな……ってね?」
「いやー、私はお似合いだと思うんだけどなー。天才くんにはああいう超絶美人がお似合いだと思ってたんだよ、前々から。今日せっかく出会えたことだしさ、ここでアタックしない理由なんてないんじゃない?……そうだよ、恋は思い立ったが即実だよ!!」
こいつら…………
…………早速賭けに必死になってやがる!
彼女ができるできないで争っているのに、どっちも『あの子は無理』って見解が一致しているのが余計に腹立たしい。
あとね文音さん……
…………思い立ったが吉日、だよ!
そんなアグレッシブな恋のことわざはないんだよ!
と、心の中で一応ツッコミを入れておいた。
──まぁ、だけど実際、あの子はすごく綺麗で、正直タイプではあった。
ただ、現実的に考えても、そんな美人が見た目と運動ができるだけの俺に振り向くとも思えないし、もし仮に付き合えたとしても上手くいくビジョンがまるで見えない。
…………ダメだ、やっぱり俺にはあんな高嶺の花は分不相応。
ここは潔く撤退するのが無難というやつだ。
よし、思い立ったが即あきらめるとしよう。
「い、いやぁー、たしかに綺麗な子だったなー。でも、クラスも違えば接点も少ないだろうし、今はやめとこうかな……なんて。……あ、あれだよ?クラスが同じだったら速攻アタックしてると思うよ?…………全然、俺ならいけるよ?」
せめてもの精一杯の強がりを置いておく。
……まあ、我ながら見苦しい言い訳だ。
それを耳にした文音とサクの顔には、いつものように見る者を苛立たせる、憎らしい笑みが浮かんでいた。
蓮「……え?もう1話読み終わっちゃったの?7,000字くらいあったと思うんだけど……早くない?」
蓮「あ!じゃあ、もしよかったら第一章最後までとりあえず駆け抜けてみたりなんて……どうですかね」
蓮「……い、いや!強制じゃないから!気が向いたらでいいから!」
蓮「(なんで俺こんな必死にお願いしてるんだろう……作者がやってよ)」