第38話『わたしの恋人は、王女です』
ふたりで、ひさしぶりの街へ――
お忍びで出かけた先は、懐かしい広場とにぎやかな市。
そこでティアナがふと気づいた、“恋人”としての気持ちと誇り。
小さな手を握りながら、彼女は心の中で、静かに思う。
「……この前より、人が多いですね」
街の入り口に立ち、ティアナはそっとリュシアにささやいた。
その隣で、王女はふふっと笑いながら、マントのフードを深くかぶる。
「きっと今日は市の日だからよ。面白いお店もいっぱい出るのよ」
「でも……あまり目立たないように、気をつけてくださいね」
「わかってるわ。“ただの恋人”として、こっそり歩いてるだけだもの」
そう言いながら、リュシアはそっとティアナの手を握った。
(あ……)
その手の感触に、ティアナの胸が少しだけ高鳴る。
(――この人は、王女。
でも今こうして歩いているのは、わたしの“恋人”)
どこか現実味のないような、でも確かに温かい感覚だった。
* * *
街の広場は、活気で満ちていた。
音楽、笑い声、焼きたてのパンの香り――
そのどれもが懐かしく、ふたりを包み込んだ。
「ティアナ、見て! かわいい髪飾りがあるわよ!」
「リュシア様、声が……あっ、すみません、今は“ただのリュシア”でした」
「うふふ、やっぱりあなた、忠実すぎる侍女ね」
「それはもう性分ですので……」
リュシアは屋台の前で、ひとつの花飾りを手に取った。
「……これ、ティアナに似合いそう」
「わたしに?」
「うん。ちょっとだけ、“甘い雰囲気”を足してもいいと思って」
そう言って、ティアナの耳元に花を挿してくれるリュシア。
その距離が近すぎて、ティアナは少しだけ視線をそらした。
「……まるで、恋人みたいです」
「恋人よ」
「……はい、そうですね」
ふたりは視線を合わせて、少し照れながら微笑み合う。
* * *
そのあと、ふたりはパン屋でお昼を買い、公園のベンチで並んで座った。
「……ねぇ、ティアナ」
「はい?」
「こうやってふたりで出かけるの、好き?」
「……大好きです。
でも、王女としてのあなたがどう思われるかを考えると、少しだけ怖いときもあります」
「そっか……」
リュシアはしばらく黙っていたが、ふっと笑って言った。
「じゃあ、言ってあげる。
“わたしの恋人は、ティアナです”って、堂々と」
「えっ……」
「そう言える日が来たら、きっと全部怖くなくなるわ。
だから、それまではこっそり、ふたりだけの恋人時間を大切にしましょ」
「……はい」
ふたりの手が、静かに重なる。
騒がしい街の中で、誰にも気づかれないように。
けれど確かに、恋人としての時間がそこにあった。
王女と侍女。
“立場”を超えた恋人として歩くには、まだ少し勇気がいる。
けれど、ふたりはその一歩一歩を、丁寧に積み重ねているのです。
次回、第39話は:
『わたしだけが知っているリュシア様』
王女としての姿じゃない、“素のリュシア”。
その姿を知ることができるのは、世界でただひとり――恋人だけ。




