第5話
王宮の大広間には、きらびやかな光と音楽が満ちていた。
年に一度、国王主催で行われる“春の大祝宴”。
上級貴族と王族が一堂に会す、この国で最も格式ある夜会に──
その夜、“呪われた公爵令嬢”が姿を現した。
リディア・ヴァレンティア。
彼女の姿を見た瞬間、会場中の視線が一斉に向いた。
淡いブルーのドレス。
胸元や裾には、深い蒼の宝石が織り込まれている。
それはカイルが贈ってくれた特別なドレス──彼の瞳と同じ色を宿していた。
けれど、その美しい衣装の上に刻まれるように、
リディアの左顔半分には今もなお、黒い呪いの紋様が残っていた。
赤い魔眼、冷たく青白い肌、黒ずんだ指先。
その異形の姿は、会場の華やかさの中で、あまりに異質だった。
「まさか……あの人が本当に来たの?」
「呪われたままの姿で? 何を考えてるの?」
「でも……あのドレス、カイル様と色が合ってる……まさか……」
ざわめきは止まらない。
リディアの隣には、誇り高く立つカイル・レイフォードの姿。
彼は周囲の声など意に介さず、リディアにそっと囁いた。
「大丈夫。リディアは、ここにいていい」
その言葉に、リディアは小さく頷いた。
だが、貴族たちの囁きは止むどころか、さらに増していく。
やがて──その声が、明確な敵意を帯びた。
「久しいな、リディア」
聞き慣れた声が背後から響く。
振り向くと、王太子ユリウスと、彼の現在の婚約者・伯爵令嬢アリシアが立っていた。
美しい装いに身を包んだ二人の視線は、冷たくリディアを見下ろしていた。
「まさか、本当に姿を現すとは。周囲の視線が気にならなかったのか?」
「この国の夜会には、美しい者がふさわしいのよ。場違いな人は、控えた方がいいわね」
アリシアの甘く毒を含んだ声に、周囲の貴族たちが微笑を浮かべる。
だが、リディアは微笑みすら浮かべず、静かに言った。
「私には、果たすべき役目があります。今夜は、そのために参りました」
「“役目”? ふふ、あいかわらず綺麗事ばかりね。相応しい姿でない人間が、ここに立つ資格はないと思うけど?」
リディアは、何も言い返さなかった。
自分の正しさを叫ぶことも、過去を告白することも──何も、しなかった。
あの夜、王太子の命を救ったことも──決して語ることはなかった。
──その時だった。
ゴォォン──……
大広間に、深く重い鐘の音が響く。
夜の十二時。
それは、リディアの二十歳の誕生日を告げる音だった。
次の瞬間──
リディアの体が、まばゆい光に包まれた。
「な……なに……!?」
「リディア様が……光ってる……?」
白銀の光が、彼女の中心からあふれ出し、周囲をやわらかく照らしていく。
蔦のように刻まれていた黒い呪いは、光に溶けるようにして消え──
紅い魔眼は、翡翠色の穏やかな瞳へと戻る。
冷たく青白かった肌は、しなやかで優しい輝きを宿していた。
──聖女の覚醒。
それは、神の奇跡ではなかった。
十年間、自らを責め続け、
それでも人を癒し、愛し、誰かを信じた心が──
ついに、彼女を赦した瞬間だった。
だが、その変化に──リディア自身は、気づいていなかった。
「……え……?」
静かな驚きの中、リディアは自分の手を見つめた。
その指先は、もう黒くなかった。
顔に感じていた重さも、魔眼の熱も、もうどこにもない。
「……何が……起こっているの……?」
戸惑いに立ち尽くすリディアの前に、カイルが歩み寄った。
そっと彼女の手を取る。
「リディア」
「……カイル様?」
彼は、ゆっくりと微笑み、優しく囁いた。
「おめでとう。たぶん、リディアの中で……聖女の力が覚醒したんだと思う」
リディアの瞳が揺れる。
「呪いは……消えたの?」
「呪いが消えたんじゃないと思う。リディアが、自分自身を赦したから──“本当の姿”を取り戻したんじゃないかな」
その言葉に、リディアの目から涙がこぼれた。
何も言い返さず、誰も責めず、ただ自分と向き合って、ここまで来た。
この姿は、“愛された結果”ではなく、
“自分自身を許した証”──そう、カイルが言ってくれたから。
「ありがとう……カイル様」
「誕生日、おめでとう。リディア。愛しているよ。」
その夜、誰よりも美しかったのは、リディアでもアリシアでもなかった。
彼女を信じ、すべてを受け入れ、黙って支え続けた男のまなざし──それが、王国中の誰よりも美しかった。