第2話
リディア・ヴァレンティアが“呪われた令嬢”と呼ばれるようになったのは、十年前の冬のことだ。
彼女が十歳、王太子ユリウスが十一歳、カイル・レイフォードが十歳──
彼ら三人が、まだ分け隔てなく笑い合っていた頃。
「ユリウス様、こっちです。早く! 雪が積もってますよ!」
「待って、リディア。そんなに走ったら転ぶよ」
王宮の裏庭、雪の降る午後。
リディアは無邪気に手を振り、ユリウスとカイルを振り返った。
その頃の彼女は、まだ“美しかった”。
白い肌、整った顔立ち、大きな翡翠色の瞳。
誰もが将来を嘱望する、公爵家の令嬢。
ユリウスも、そんなリディアのことが好きだったのだ。
──あの夜までは。
事件は突然起きた。
城内に潜んでいた敵国の呪術師が、王太子を狙った。
暗黒魔法の呪い。その魔力は、十一歳の少年には到底耐えられるものではなかった。
「っ……ユリウス様が……死んじゃう……!」
その場に居合わせたのは、リディア一人だけ。
誰も助けに来ない。魔術防壁は破られ、警備も遅れていた。
彼女はただ、目の前で苦しむユリウスの手を掴んだ。
「お願い……私に、ちょうだい……ユリウス様の、呪いを……」
それが、リディアの家系──聖女の末裔としての力だった。
本来、他者の命や傷を肩代わりできる“受け皿”の力。
しかしその代償は重く、呪いの質によっては身体の一部を蝕む。
ユリウスの呪いは、命を刈り取るものだった。
それを彼女は、顔と魂の一部で受け止めた。
気がつけば、彼女の片目は赤く染まり、左頬には黒い蔦のような紋様が刻まれていた。
肌は青白く変色し、指先は異様に伸びていた。
魔力に侵された証──呪いの痕。
「……あら、お気づきですか? 王太子殿下はご無事です」
血を吐きながら微笑んだ十歳の少女を、ユリウスはただ、怯えた目で見ていた。
その時、彼女は悟った。
(ああ……この人は、もう私を見てはくれない)
それでも、彼女は言わなかった。
自分が身代わりになったことも。
呪いを返すことができたのに、愛していたから拒んだことも。
誰にも告げず、王太子の命を守る代わりに、“呪われた令嬢”となることを選んだ。
そして──今、十年が経った。
彼は、私を捨てた。
だがそれでも、私は、あの日の選択を後悔していない。
王太子殿下が笑って生きていてくれるのなら、それでいい──
その想いだけを胸に、リディア・ヴァレンティアは一人、王都を離れる決意をした。