第241話 減らない魔物
世界樹の結界を丹念に確認し終えたヒカリは、そのまま深い霧が立ち込める「死の森」へと足を踏み入れた。
移動しながら、ヒカリは自身の魔力を練り上げ、慣れた手つきで人化の術を発動させる。
(お、スムーズにいけた。最近は魔力の変換効率が上がってきたな)
光が収まったあとに立っていたのは、精霊としての淡い輝きを脱ぎ捨てた美青年、ザードの姿だった。
森の奥へと進むにつれ、腐敗した樹々の間から醜悪な魔物たちが次々と這い出してくる。ザードは腰の剣を引き抜き、流れるような動作でそれらを討伐していった。
「はぁっ!」
一閃。襲いかかる魔物が黒い霧となって消えるが、すぐに次の個体が背後から迫る。
(しっかし、魔物が減らないな……。倒しても倒しても、まるで地面から湧き上がってくるみたいだ。リポップでもしてるのかな?)
普通の森であれば、これだけの数を討伐すれば一時的に気配は薄れるはず、しかし、この死の森だけは異常だった。
(もしかして……ここ、森そのものが巨大なダンジョンだったりして)
そんな冗談めいた考えが脳裏をよぎる中、ようやく視界の開けた修練場に到着した。そこには、刀を傍らに置き、目を閉じて瞑想する雷蔵の姿があった。
「おーい、雷蔵くん! ……あれ? レインは?」
ザードが声をかけながら歩み寄りるが、返事は無かった。
その瞬間、ゾクりとした魔力の奔流がザードの真後ろで爆発した。
『シャインバリア』!
反射的に展開された光の盾。
ガツンッ! と硬質な音が響き、レインが放った闇の刃が火花を散らして弾かれる。
「ちっ、これならどうだ!」
闇に紛れて追撃を仕掛けようとするレインに対し、ザードはさらに速い詠唱で応戦した。
『シャインプリズン(光の牢獄)』!
「わわっ!?」
逃げ場を失ったレインの周囲を、幾条もの光の柱が囲い込む。闇の精霊であるレインにとって、浄化の光で編まれた牢獄は天敵だった。彼は檻の中でジタバタと暴れ始める。
「だー! クソッ! もう少しで届きそうだったのに!」
「ははは、かなり上達してるね。でも、最後の一歩で魔力が漏れてたよ。一瞬の隙が命取りになるからね」
ザードは苦笑いしながら、指をパチンと鳴らしました。
「解除」
光の牢獄が粒子となって消えると、レインは地面にへたり込み、悔しそうにこちらを睨み上げました。
「わ、わかってるやい……。次は絶対に一撃入れてやるんだからな!」
そんな二人のやり取りを、瞑想を終えた雷蔵が静かに見守っていました。
「雷蔵くん、最近この『死の森』で何か異変とかないかな?」
ザード(ヒカリ)の問いかけに、雷蔵は刀の柄に手をかけたまま、少し首を傾げて答えた。
「……特に変わったことはござらんが。それがしがこの地で刃を振るい、レインが闇を練る。いつも通りの静寂でござるよ」
「そっか。いや、ここに来るまでの魔物の数が尋常じゃないなと思ってさ。倒しても倒しても減る気配がないし、なんだか感覚的に『ダンジョン』の構造に似てる気がしたんだよね」
ヒカリの懸念を聞き、雷蔵は納得したように深く頷く
。
「なるほど。合点がいったでござる。それはおそらく、点在する『瘴気の沼』が原因でござろう」
雷蔵の話によれば、森の深部には数え切れないほどの瘴気の沼が湧き出しており、そこから溢れる濃密な負の魔力が魔物を次々と形作っているのだという。
(なるほど、沼を浄化すれば魔物のリポップは止まるってことか……)
ヒカリは顎に手を当てて考え込む。浄化の魔法を使えば、この森を清らかな緑に戻すことは容易だろう。しかし、ヒカリはすぐにその案を打ち消した。
(……いや、今は浄化する意味は無いな。むしろ、このままの方がいいか)
この「死の森」に魔物が溢れているおかげで、皮肉にも魔族の不用意な立ち入りが制限されている。もしここを安全な森に変えてしまえば、誰でも容易に『世界樹』へと近づけるようになってしまう。
魔物たちは意図せずして、聖域を守るための天然の「防波堤」としての役割を果たしていたのだった。
「謎が解けたよ、雷蔵くん。ありがとう」
ヒカリがすっきりした顔で言うと、雷蔵もふっと口元を緩めて微笑んだ。
「さて、今日はもう帰るね」
今日はドワーフのゴングの元へ行くのを飛ばしたとはいえ、朝からナダルニア、獣人国、エルフの国と飛び回り、すでに時間は押しに押していた。
「もう行くのかい! もっと遊んでくれてもいいじゃないか!」
レインが不満げに声を上げるが、ヒカリは苦笑いしながら二人の肩を叩いた。
「ごめんごめん、また明日ゆっくり来るから。……その代わり、結界を新しくしておくね」
ヒカリは手をかざし、二人の周囲に強固な光の結界――『シャインバリア』を多重に展開し直した。これで、瘴気に汚染されることは無い。
「じゃあね、雷蔵くん、レイン」
光の粒子に包まれ、ザードの姿から再び精霊の光へと戻ったヒカリは、夕闇の迫る空へと一気に舞い上がった。
ナダルニア王国に着いたヒカリはそのままクラリスたちの部屋へと向かった。
クラリスたちの部屋に着くと窓から滑り込んだヒカリは、ようやく大きく息を吐いた。
(ふぅ……今日も一日、世界中を飛び回ったな……あれ?クラリスたちの魔力がまだ遠くにあるな)
クラリスの魔力を辿るとナダルニア王国の広場に行き着いた。
そこで、ヒカリが見たのは、平和な夕暮れ時とは程遠い、全力疾走の光景だった。
「はぁ、はぁっ……! ちょっと、アインちゃん速すぎだってば!」
「待って、アインちゃん! 食べないから! 襲わないからぁ!」
クラリスとファナが、令嬢とは思えない、なりふり構わぬ足取りで広場を爆走していた。
そしてその背後を、真っ白な残像となったアインが「キュッキュッ!」と鳴きながら猛烈な勢いで追いかけている。
ヒカリは空中で静止したまま、呆然とその光景を眺めます。
(え? どういう状況?? 俺、さっきカインに『甘やかしすぎるな』って釘を刺したばっかりだよね?)
よく見ると、広場のベンチではカインが腕を組み、満足げにその様子を眺めていた。
「……カイン、これ何やってるの?」
ヒカリが地上に降り立ち、ザードの姿でカインに歩み寄る。
「ヒカリか、クラリスが『アインちゃんと追いかけっこしたい!』などと抜かすから、ならば貴様らが獲物になれと言ってやったらこうなった!まぁ、アインも、良い運動になっているだろ」
「キュイーーーッ!」
アインが地面を蹴ると、一気に距離を詰められたファナが「ひゃあ!」と悲鳴を上げて当たりそうになるが、アインは寸前でヒラリと身をかわし、楽しそうに彼女たちの周りを円を描くように走り回る。
「いやいや、こうなったじゃなくて⋯⋯」
(クラリスが楽しんでるからいいんだけど⋯⋯)
クラリス第一主義のヒカリだが流石にアインが忠犬に見えてきた。
ヒカリはクラリスに声をかける。
「クラリス、もう日も傾いてきたし終わりだよ」
ヒカリの声にクラリスは膝に手をついて肩で息をし、ファナは乱れた髪を直しながら、それでも楽しそうに笑っていた。エリーナ、モニカ、セシリアは、その場に座りこんだ。
「ハァハァ⋯⋯あら、もうそんな時間なのね」
「そろそろ寮に戻らないと怒られるわね」
アインはカインの足元へと戻った。
「アインよ、なかなかよい動きだったぞ!」
「キュ、キュー」
カインの言葉にアインは嬉しそうに鳴いていたが、ヒカリは溜め息をつく。
(はぁ⋯⋯アイン野生に戻れるのかな⋯⋯)
「カイン!後で話がある」
真剣な顔のヒカリにカインの顔が少し引き攣っていた。
「う、うむ⋯⋯」




