第240話 動揺と逃避
王都エルナリアの、緑に包まれた一室。
ヒカリが音もなく扉を通り抜けて現れると、そこにはいつも通り、ララと、どこか超然とした雰囲気を纏うソラリスの姿があった。
「こんにちは」
「こんにちは、ヒカリ。今日は遅かったわね」
「ちょっと用事があってさ」
ヒカリの言葉にソラリスがため息をつきながら呟く。
「はぁ⋯⋯精霊が用事があるって言うのはお主ぐらいじゃ」
「ハハハ、俺、毎日用事あるよ」
ヒカリは笑いながら答えた。
「あ、そだ!」
ヒカリはふっと思い出したように、収納空間から丁寧に梱包された箱を取り出した。
「ヒカリ、それは何?」
「ナダルニアのケーキ、持ってきたんだけど……食べる?」
「えっ、ケーキ!? 食べる、絶対食べる!」
ララは、期待に胸を膨らましていた。ララの食いつきぶりに、ヒカリは思わずクスリと笑ってしまった。
「な、なによ! そんなにおかしい?」
「いや、なんでもないよ。はい、どうぞ」
ヒカリが箱を開けると、中には宝石のように色鮮やかなケーキが6個。ナダルニア王都でも評判の店で、クラリスたちが選んでくれた逸品。
「ふーむ。では、一旦休憩にするとしようかの」
「コリン、紅茶を淹れておくれ」
「あ、はい。ただいま」
少し黒髪の混じったエルフの女性、コリンが手際よく香りの良い紅茶を準備する。三人がテーブルを囲むと、静かだった部屋が華やかなティータイムの会場に早変わりした。
ララは箱の中をじーっと見つめ、眉間にシワを寄せて真剣に悩んでいた。
「……これ、上に乗ってるのは苺かしら? こっちのピンク色のフリルみたいなのは……クリーム? なんでこんなに可愛いのよ、食べるのがもったいないじゃない」
「何を迷っておる。好きなものを取ればよいではないか」
「あ、はーい……。じゃあ、私はこのお花が乗ってるやつにしようかな」
ソラリスは呆れたように言いながらも、自分はちゃっかり一番大きなモンブラン風のケーキをキープしていた。
(あはは。やっぱり、甘いものや可愛いものに対する反応って、種族は関係ないんだな……)
人間だろうが、エルフだろうが、あるいは獣人だろうそこは変わらない。
美味しいものを目の前にした時のワクワクした表情はみんな同じだった。ヒカリは、先ほど考えていた「ヒロイン補正」のような小難しい理論が、目の前の平和な光景に溶けていくのを感じていた。
「ヒカリってケーキとか食べれるの?」
ララがケーキを一口頬張り、幸せそうに頬を緩めながら尋ねた。
「味覚はあるみたいだけど副作用とかあると怖いからね」
「へぇー。……んんっ! これ、すっごく美味しい! ナダルニアのパティシエって天才じゃないかしら?」
ヒカリに尋ねたララだったがケーキに夢中でそれどころでは無かった。
「美味しいケーキに、美味しい紅茶。……平和じゃのう」
ソラリスはケーキに舌鼓をうっていた。
ララはフォークを口に運び、生クリームの甘さにうっとりしながらも、ふとした疑問をヒカリに投げかけました。
「ねえヒカリ、さっき『毎日用事がある』って言ってたけど、具体的に何をしてるの?」
「イグニスのゴングの所に行って依頼してる武器の進捗状況を確認して、ガルド王国のユーリアの所で体調確認と少しおしゃべりをしてからここに立ち寄って、後は世界樹の結界の確認して死の森の雷蔵くんに結界を張り直すんだ」
その内容を聞いたソラリスは、飲もうとしていた紅茶の手を止め、驚きに目を見開きました。
「……お主、さらっと言っておるが、それは一日で移動する距離ではないぞ。普通なら数ヶ月は、かかる道のりじゃ。本当の意味で世界を股にかけておるんじゃな」
ソラリスは呆れを通り越し、心底感心したようにため息をついた。
「まあ、俺の場合は移動時間はそんなにかからないよ。本気出したら光の速度で飛べるし」
ヒカリとソラリスが話をしているとララが割って入って来た。
「ヒカリ、ユーリアさんってどんな人なの?」
「え、ユーリア?」
「うん」
「ユーリアは、囚われの姫君だね、獣人族の王女で四百年間瘴気によって苦しんでいたんだ」
「今は、俺の浄化で瘴気を払らえたから療養中だよ」
「四百年……?」
ララがケーキを運ぶフォークを止め、目を見開いた。一人の女性がずっと苦しみ続けていた時間としては、あまりに重すぎる。
「ちょっと、さらっと言ったけど……四百年も瘴気に侵されてて、よく精神が持ったわね。獣人族の寿命を考えても、普通ならとっくに……」
「そうだね。彼女の魔力が強かったのもあるけど、本当に強い意志を持って耐えていたんだと思うよ。今は瘴気も消えて、少しずつだけど自分を取り戻してるところなんだ」
ヒカリの説明を聞いて、隣で静かに紅茶を啜っていたソラリスが、ふと遠い目をして口を開きました。
「瘴気によって囚われた獣人の姫か……。四百年前といえば、世界が混沌に包まれていた時代じゃ。その頃から時が止まっておったとは、彼女にとって今の世界はどう映っておるのじゃろうな」
「やっぱり、少し寂しそうだよ。知っている人がもう誰もいない世界だからね。だからこそ、ソフィア……あ、彼女の世話役の女の子なんだけど、その子が側にいてくれて良かったと思ってる」
ヒカリは、先ほど見てきたユーリアのどこか影のある微笑みを思い出していた。
「瘴気の原因は分かっておるのか?」
ソラリスの問いかけは、単なる好奇心ではなく、この世界の理を知る者としての深い懸念がこもっていた。
「それが、全く分からないんだ」
ヒカリは腕を組み、困ったように眉を下げます。
「状況としては、ユーリアに大量の低級な闇精霊が群がって、その負の魔力に当てられる形で彼女が闇堕ちし、身体を瘴気が包み込んでしまった……という感じかな。でも、低級の精霊には知性がないから、なぜ彼女に群がったのか、理由を聞くこともできないんだよね」
知性を持たない精霊は、本能のままに特定の魔力や感情に引き寄せられる。しかし、一国の王女を四百年もの間封印するほどの「群れ」を作るのは、自然現象としてはあまりに不自然だった。
「ただ、精霊同士なら何か分かるかもしれないと思ってさ。今度、俺の知り合いに知性を持った闇精霊がいるから、ユーリアに会わせてみようと思ってるんだ」
ヒカリは、ユーリアとレインを会わせる事で何か分からないかと考えていた。
「それまでに体力を回復してるといいんだけどね」
「精神的な事だからのう」
「だからさユーリアに友達を作れないかなと思ってナダルニアの学園に来ればって誘っといたんだ」
「えっ、学園に?」
「そうしたらさ、現王女のソフィアも『私も行く!』って言い出しちゃって。まあ、あそこなら賑やかだし、いいリハビリになるかなって」
「ちょっとヒカリ、ナダルニア王国の学園に獣人族が通って、虐げられたりしないの? 人間至上主義の貴族だっているでしょうに」
「確かにそういう人もいるかもしれないけど、俺の知り合いのクラリスなら全く問題ないと思ってる。クラリスは種族で人を判断しないし」
「クラリス……?」
ララの手が止まる。
「あと、学園にはグロリア帝国の王女のファナもいるし。彼女たちがいれば、ユーリアもソフィアもすぐに馴染めると思うんだよ」
ヒカリが「クラリス」「ファナ」と女性の名前を出すたびに、部屋の空気がみるみるうちに冷え込んでいくのを、鈍感なヒカリでも流石に感じ取りました。
「……へー。クラリスさんに、ファナ王女ね。それはそれは、楽しそうですこと」
ララの言葉に、目に見えるほどの「トゲ」が混じり始めた。フォークを握る手に力が入り、背後にはどす黒いオーラさえ見え隠れする。
(えっ!? なんで……? ララの言葉にトゲがあるのはなぜ……。ケーキが口に合わなかった!?)
慌てたヒカリは、本能的な危機回避能力をフル回転させ、思わず口にした。
「あ、あはは……。そ、そうだ! ララも一緒に学園に来ればいいんじゃないかなー!」
ララはプイッと横を向くが、耳の先がほんのり赤くなっているのをソラリスは見逃さなかった。
「こ奴らは毎回、何をやっとるんじゃ……」
ソラリスが一人、全てを察したように紅茶を啜った。
「じゃ、じゃあ、みんなが揃ったらもっと楽しくなるね! とりあえず、俺は世界樹に寄ってから、死の森の雷蔵くんのところに行くね」
「また明日」
ヒカリは嵐が去るのを待たずに、逃げるように飛び立った。




