第238話 穏やかな日
アインの食事(高級人参や果物)を抱えて、一行が辿り着いたのは白いパラソルが並ぶお洒落なオープンカフェだった。
テラス席は王都の美しい街路樹に面しており、心地よい風が吹き抜ける。令嬢たちが楽しそうにメニューを選ぶ中、ヒカリとカインの「食事事情」が話題にのぼりました。
「ヒカリとカインはどうする?」
クラリスの問いかけに、ヒカリは少し考え込んでいた。
(そういえば、精霊になってから空腹を感じたことなんて一度もなかったな。味覚ってどうなってるんだろう……)
しかし、ヒカリが悩むより先にカインが断言します。
「クラリスよ、精霊が食事を取ることはないぞ。我らは魔力そのもの。腹を満たす必要などないからな」
「あ、そうだったわね。ごめんなさい、つい人間と同じだと思っちゃって」
「気にするな。その代わり、アインには存分に食わせるが良い」
カインがそう言うと、アインは待ってましたと言わんばかりに、先ほど買ったばかりの人参を「シャリシャリ」と良い音を立てて食べ始めました。
令嬢たちがサンドイッチやケーキを頬張る中、何も注文せずに座っているヒカリとカイン。しかし、ただ座っているだけなのに、周囲からの視線が痛いほど刺さる。
近くを通る女性客や、店内にいる若い女の子たちが、頬を赤らめながらこちらをチラチラと見ては内緒話をしていた。
「こうやってヒカリとカインを見ると、本当に絵になるわね」
ファナがサンドイッチを頬張りながら、感心したように呟く。
ヒカリ(ザード): 穏やかで知的な雰囲気を纏った金髪の美青年。
カイン: 尊大ながらも圧倒的な存在感を放つ赤髪の美青年。
アイン: その足元で幸せそうに人参を齧る、光り輝くウサギ。
「まるで物語から抜け出してきた騎士様と王子様ね。ねえ、ヒカリ。本当に何も飲まなくて大丈夫? お茶くらいなら味を楽しめるんじゃないかしら」
クラリスが少し申し訳なさそうに、自分の紅茶を差し出そうとします。
「あはは……。じゃあ、せっかくだからお茶だけ頼んでみようかな。味覚があるか試してみたいし」
「む、ヒカリよ。我を置いて一人で楽しむつもりか? ……店員! 我にもその『茶』というやつを持ってこい」
結局、カインも興味を惹かれたのか、二人は並んで紅茶を楽しむことにした。
優雅なひととき、しかし……
二人が優雅にティーカップを手にした瞬間、周囲の「キャーッ!」という抑えきれない小さな悲鳴が一段と大きくなった。
(……人化して街に出るの、思ったよりハードル高いなこれ)
ヒカリが苦笑いしながら紅茶を一口啜ると、驚いたことに芳醇な茶葉の香りとほのかな甘みが、魔力の感覚を通して鮮明に伝わってきた。
「お、美味しい。精霊でも、味は分かるみたいだね」
「ふむ。悪くない。魔力の循環が少し良くなる気がするぞ」
平和な昼下がり。美味しい食事とアインの可愛さに癒される一行。
ゆったりとした午後のティータイム中、ヒカリは紅茶を一口啜りながら、頭の中でこれからのスケジュールを組み立て始めました。
(今日は……ゴング(ドワーフ)のところはパスかな。どうせ新しい武器の構想でまだ悩んでいる最中だろうし。先にユーリアのところへ顔を出してから、雷蔵くんのところに行けばちょうどいいか)
忙しく世界を飛び回るヒカリは、ふと思い立ちます。
「クラリス、悪いけどケーキを何個か追加で頼んでもらえるかな? お持ち帰りで」
「え? ヒカリ、やっぱり食べることにしたの?」
「いや、俺じゃなくて。これからエルフの国に行くから、ちょうどいい機会だし、ララとソラリスにお土産でも持っていこうかと思って」
「あら、素敵ね! 分かったわ。店員さん、すみません!」
クラリスが慣れた様子で、彩り豊かな季節のケーキをいくつか注文してくれた。
「ヒカリ、もう行っちゃうの?」
ファナが少し残念そうに、フォークを止めてヒカリを見上げる。
「うん。毎日の日課だからね。いろいろと様子を見ておかないといけない場所があるんだ」
「そっか、ヒカリの青年の姿、もう少し見ていたかったけど……仕方ないわね」
ヒカリは苦笑いしながら立ち上がると、アインを撫でているカインに視線を向けた。少し真剣なトーンで、カインに忠告を伝える。
「カイン。アインを連れて歩けるようになったのはいいけど、あんまり頻繁に町へ連れて来ないほうがいいよ」
「ん? なぜだ? アインも楽しそうではないか」
カインが不思議そうに聞き返す。
「アインが町の人間に可愛がられすぎて慣れちゃうと、自分で餌を取る意欲もなくなるし、野生の勘も鈍っちゃうからさ。そうなると、いざという時に『危険』を認識できなくなる。それはアインのためにならないよ」
ヒカリの言葉は、単なる心配ではなく、一匹の「魔物」としての生を尊重してのものだった。
「……む。確かに、我が目を離した隙に隙を見せるようでは困るな。アインよ、聞いたか? お前はあくまで我の弟子。甘えてばかりではいかんのだぞ」
「キュ、キュー……」
アインは少し寂しそうに鳴きましたが、カインがその頭を大きな手で不器用そうに撫でるのを見て、ヒカリは安心したように微笑みました。
注文していたケーキが可愛らしい箱に詰められて届いた。
「じゃあ、みんな。俺はこれで。カイン、ほどほどにね?」
「わかっておる! 」
クラリスたちに見送られながら、ヒカリはカフェの喧騒から少し離れた路地裏へと向かった。人化を解き、再び本来の精霊の姿へと戻り。
手元には、甘い香りが漂うケーキの箱、そのケーキの箱を体内に収納するとヒカリは飛び立った。
「さて、まずはユーリアの所に行くかな」
王都ガオンにあるユーリアの部屋へと向かったヒカリはユーリアの部屋の窓際へと降り立った。
400年もの間、封印されていた彼女の体は、まだ現世の空気に完全には馴染んでいないようだった。窓の外を遠い目で見つめる彼女の横顔には、どこか寂しげな影が差している。
「ユーリア、起きたんだね」
「ええ……ヒカリ様」
ユーリアが優しく微笑みます。
「ご飯は食べたの?」
「ええ、少しだけね。ソフィアが用意してくれたのだけれど……」
長い間、魔力だけで維持されていた彼女の消化器官は、まだ普通の食事を受け付けるには心許ない状態だった。食が細くなっているのは、体力が戻りきっていない証拠でもある。
(今は体力の回復を優先しないとね。……でも、なんだか元気がないな)
ヒカリは彼女を元気づけようと、人化した「ザード」の姿になり、そっと隣に腰を下ろした。
「何か、気になることでもあるの?」
そう問いかけようとした瞬間、扉の向こうから聞き慣れた声が響きました。
コンコン!
「ユーリア様、起きてますか? 昼食をお持ちしましたよ」
(やべっ、ソフィアだ!)
ヒカリは慌てて精霊の姿に戻り、ユーリアの影に潜り込む。ソフィア以外の人がいると、突然知らない男が部屋にいたら、話がややこしくなるのは目に見えていた。
案の定、ソフィアと共にメイドが入ってきて、手際よく食事の準備を済ませていく。
メイドが退室すると、ソフィアがクスクスと笑いながら部屋の隅……というより、ユーリアの影の方を向く。
「ヒカリ様、そんなところで何をやってるんですか?」
「え!? なんで分かったの?」
「ふふ、ヒカリ様の周りがキラキラ光ってますから。私の目は誤魔化せませんよ」
光属性を持つソフィアには、精霊であるヒカリの存在は隠しきれなかった。ヒカリは苦笑いしながらユーリアの影から姿を現す。
「そうだ。ソフィアとユーリアに見てもらいたい物があるんだ」
「何かしら?」
「何ですか? もしかして、珍しいお土産ですか?」
ヒカリは二人の前の床に、学園のダンジョン五十階層でドロップした例のアイテムを取り出しました。
『黒曜石の杖』と『黒曜石の小手』。
深い闇を凝固させたような漆黒の輝き。そして、見る者を圧倒する禍々しくも美しいオーラが、部屋の空気を一変させる。誰も扱うことができなかった、呪いにも似た魔力を持つ装備品。
「これ……扱えるなら、二人にあげるよ」
その言葉を聞いた瞬間、ソフィアの目が輝く。
「えっ! ザード様からのプレゼント!? やったぁ!」
ソフィアは天真爛漫に喜ぶが、一方でユーリアはその杖をじっと見つめ、その強力すぎる魔力の奔流を感じ取っていた。
「これは……ただの黒曜石ではありませんね。深淵の魔力が宿っている。……ヒカリ、よろしいのですか? このような強力なものを」
「うん、どうせ重くて誰も扱えないし」
ソフィア、ユーリアは重い黒曜石の武器を扱うことができるのでしょうか⋯⋯




