第227話 ザードとユーリア
ヒカリは、ダンジョン攻略の合間を縫って、毎日決まったルーティンをこなすようになった。
朝からゴルグの様子を見に行き、次にユーリアの状態を確認し、最後に雷蔵とレインに光の障壁をかけ直す。
これが、ヒカリの新しい日課となっていた。
「……」
今日もヒカリがゴルグの工房を覗くと、ゴルグは相変わらず作業台の前で腕組みをし、石像のように固まっていた。
その視線の先には、美しい輝きを放つ精霊結晶と、大量のアクアジット鉱石がある。
(……これは当分かかるな)
ヒカリは静かに見守った。
ゴルグが動かない理由は明白だ。アクアジット鉱石は山のようにあるが、核となる精霊結晶は拳大ほどの大きさしかない。
失敗は絶対に許されない。そのプレッシャーと、素材のポテンシャルを最大限に引き出すための最適解を模索し、ゴルグは思考の迷宮に深く潜り込んでいるのだ。
「邪魔しないように……と」
ヒカリは音を立てないように近づくと、先日のダンジョン攻略で手に入れた素材をそっと作業台の隅に置いた。
三十五階層のボス『白金鋼の番人』からドロップしたプラチナ鉱石。
四十八階層の『奈落の重装騎兵』からドロップした、闇を吸い込むような黒曜石。
どちらも一級品の素材だ。
ヒカリとしては「何かの足しになれば」という軽い気持ちだったのだが、ゴルグの眉間にはさらに深い皺が刻まれた。
(……ぬぅ、この輝きはプラチナ……それにこの深淵な黒は……! 混ぜるか? いや、あくまで主役は精霊結晶……しかしこの硬度を活かせば……あああぁぁ……!!)
声には出さないものの、ゴルグの脳内では新たな選択肢が増え、さらなる苦悩が生まれていたことを、ヒカリは知る由もなかった。
ヒカリは静かに工房を後にすると次に向かったのは、ガルド王国にあるユーリアの私室だ。
王都ガオンに着いたヒカリは、ユーリアの私室へと向かいベッドで眠り続けるユーリアの顔を覗き込んだ。
「……ユーリア、調子はどう?」
ユーリアからの返事はない。
ヒカリが付与した楽しい夢の効果で、ユーリアの表情は穏やかだ。悪夢にうなされることもなく、幸せな夢の中にいるのだろう。精神的な摩耗は防げているはずだ。
しかし、ヒカリの表情は優れない。
(……このままだと、体力がヤバいな)
人は眠っているだけでもエネルギーを消費する。
魔力による生命維持は行われているものの、長期間食事も摂らず、筋肉も動かしていない状態が続けば、いずれ体は衰弱しきってしまう。
今はまだ大丈夫だが、この「眠り」がいつまで続くか分からない以上、対策を考えないといけないと判断する。
ヒカリはユーリアの痩せた腕をそっと布団に戻すと、深刻な顔で考え込んだ。
(うーん⋯⋯楽しい夢にしたから夢に閉じこもってしまったのかな)
(ただ、このままだとヤバいな)
ヒカリは、眠り続けるユーリアの体力が限界に近いと判断し、少々手荒な「荒療治」を行うことにした。
まず、ヒカリは以前ユーリアにかけた「楽しい記憶を見せる魔法」を解除する。
そして間髪入れず、新しい夢の魔法――かつて彼女を蝕んでいた「悪夢」を再現する魔法をかけた。
(ごめんねユーリア。でも、こうしないと君は深い眠りから戻ってこれない)
しばらく待つと、ユーリアの眉間に深い皺が刻まれ、呼吸が荒くなり始めた。苦悶の表情を浮かべる彼女を、ヒカリは静かに見下ろしていたが、やがてユーリアの手を握り同調する。
(何故なの……何故また、あの苦しみが始まるの……)
夢の中のユーリアは、身体中を蝕むどす黒い瘴気に冒され、冷たい床の上で震えていた。かつての絶望。逃れられない呪縛。彼女の心が折れかけた、その時だった。
カツン、カツン……と、闇を切り裂くような足音が響き、扉が開かれた。
「俺はザード。今こそあなたを苦しみから解放してやろう」
逆光の中に立つ、金髪の麗人。ヒカリ(ザード)は、ユーリアに向けて颯爽とレイピアをかざした。
「……私の苦しみは永遠よ。誰であろうと、この呪いから私を解放する事は出来ないわ……」
ユーリアの諦めきった言葉に、ザードはフッと鼻で笑う。
ここでヒカリの中に眠る「カッコイイ英雄像(厨二病)」が完全に炸裂した。
「ふっ……常識に囚われるのは凡人の癖だ。俺は、不可能を可能にする者だ」
ザードはレイピアを掲げ、切っ先を天に向ける。
「このレイピアに賭けて、ユーリア君を解き放つ! ゆくぞッ!」
空間が震えるほどの魔力を込め、ザードが高らかに詠唱を叫ぶ。
「我が全能の母よ、悪しき者の全てを浄化せよ! 『ピューリフィケーション』!!」
ザードがレイピアを振り下ろすと、まばゆい金色の光の奔流がユーリアを包み込んだ。
「キャー……ッ!」
瘴気が光に焼かれ、霧散していく。ユーリアはその場に倒れ込みそうになるが、寸前でザードが滑り込み、彼女を華麗に抱き留めた。
「……悪しき者は消え去った」
ザードは呆然とするユーリアの手を取り、その指に「指輪(現実で渡した魔道具)」を夢の中で、はめた。
「これは俺からの手向けだ。もう二度と、闇が君を捕らえることはない」
指輪の輝きを見て、ユーリアが涙を流しながら呟く。
「これで……本当に終わるのね……」
現実の世界で、ユーリアの苦悶の表情が安らかな笑顔に変わったのを確認すると、ヒカリはザードの姿のまま、彼女の耳元で腹の底から大声を張り上げた。
「おっきろー!!!」
「は、はいッ!!」
ユーリアはビクッ!! と身体を跳ねさせ、弾かれたように目を開けた。
心臓が早鐘を打つ中、視線の先には……夢の中で自分を救ってくれた金髪の青年、ザードがニカッと笑っていた。
「おはよう、ユーリア」
ユーリアは呆気にとられ、パチクリと瞳を瞬かせた。
「あ……お、おはよう……ザード?」
彼女は自分の手を、そして周囲を見回す。見慣れた自分の部屋。そして指にはめられた指輪。
「これは……夢なの?」
ユーリアの震える問いかけに、ザードは優しく首を横に振った。
「いや、現実だよ。君はもう、悪夢を見る必要はない」
その時だった。
ドンドンドンドン!!
「ユーリア様!? 今、男の声が……! 開けてください、ユーリア様!!」
部屋の外で、異変を察知した護衛の兵士たちが叫びながら扉を叩いていた。しかし、扉にはヒカリが施した強力な「光の結界」が張られており、彼らは中に入ることができない。
「くそっ、開かないぞ! 誰か、ガレオン様をお呼びしろ! ユーリア様の部屋に曲者が侵入したぞ!!」
護衛の一人が慌てて王の元へと走り出す気配がする。
しかし、ヒカリが展開した「防音結界」のおかげで、外の騒がしい音は中には一切聞こえていなかった。
静寂に包まれた部屋の中で、向かい合うザードとユーリア。
「さて……目が覚めたなら、まずは水を一杯どうかな?」
ザードはあくまで紳士的に、サイドテーブルの水差しを手に取った。
ザードは弱り切ったユーリアの体を少しだけ起こすと、水差しを彼女の口元へと運んだ。
ユーリアが何かを口にするのは、あまりにも久しぶりのことだった。水の冷たさと喉を通る感覚に、感極まって彼女の目から涙が零れ落ちる。
「私……本当に生きているんですね……」
「ああ、君は生きてるよ。これからは色んな場所に行けるし、好きなことが出来るんだ」
ザードが軽く彼女を抱きしめると、ユーリアは彼の胸の中で、子供のように声を上げて泣いた。ザードは、彼女の心が落ち着くまで静かに待った。
その頃、扉の外では異変を察知した国王ガレオンや宰相、医師、そして多くの兵士たちが集まり、騒然となっていた。
「クソッ! 何故開かないのだ! 」
ガレオンが怒号を上げながら扉を叩くが、ヒカリの施した強力な光の結界により、扉は微動だにしなかった。
(うーん、かなり集まってきたな)
外の気配を察したザードは、抱きしめていた腕をそっと解いた。
「さて、ユーリア。外が騒がしくなってきたから、俺はもう行くね」
「えっ……」
「これから毎日来るからさ。ただ、ずっと寝てると会えないよ?」
ザードはユーリアに悪夢を見ないよう結界を張り直すと、その場でポンッと音を立てて小さな「ヒカリ」の姿に戻りました。
「え、ええっ!? その姿は……?」
あまりに劇的な変化に目を丸くするユーリアに、ヒカリはいたずらっぽく笑いました。
「ユーリア、また明日ね」
「あ、はい!」
ヒカリが扉の結界を解くと同時に窓から飛び出していった、ヒカリが消えた直後、扉が勢いよく開く。
「ユーリア様!!」
なだれ込んできたのは、必死の形相をしたガレオン王たちだった。
彼らはそこで、自力で上体を起こし、穏やかな表情で窓の外を眺めているユーリアの姿を目にした。




