第221話 最高の素材とは
工房の中に足を踏み入れたヒカリは、圧倒されていた。
目の前に広がるのは、オレンジ色に燃え盛る巨大な炉、使い込まれた無数の金槌、そして床に散らばる希少な金属の欠片たち。
(おおー、テレビとかYouTubeのドキュメンタリーでは見たことあるけど、実物は初めてだな。この熱気といい、鉄が焼ける匂いといい、本物の『聖域』って感じだ……)
現代日本での入院生活が長かったヒカリにとって、こうした職人の世界は画面の中だけの憧れだった。思わずあちこちをキラキラした目で見渡して感動していると、不意に腕をグイッと力強く引っ張られた。
「おい! 何をボーとしてるんだ!」
ゴルグがヒカリの顔を覗き込み、不機嫌そうに怒鳴る。
「……感心するのは後だ。それより、まずは『ブツ』を見せろ! 嘘だったら今すぐつまみ出すと言ったはずだぞ」
ゴルグは仕事中も手放さないであろう、巨大な金槌を肩に担ぎ直し、催促するように手を差し出した。
「あ、ごめんごめん。あまりに凄い工房だったからつい……。はい、これだよ」
ヒカリは懐(体内)から、琥珀色に輝く小瓶と、エルフの森の香りが凝縮された蜂蜜の壺を取り出した。
蓋を開けた瞬間、熱気に満ちた工房の中に、清涼な花の香りと熟成された果実の芳香が爆発的に広がった。
「っ……!!」
ゴルグの鼻が激しく動き、その瞳が大きく見開かれる。
「こ、この香りは……間違いない。エルフの王家にしか伝わらぬという、あの『月雫酒』……。しかも、迷いの森の女王蜂からしか採れぬ『魔王蜜』だと……!?」
先ほどまでの殺気立った雰囲気が嘘のように、ゴルグの手が微かに震える。職人として、素材の「質」を見抜く力は本物だった。
「お主、一体何者だ? ただの使い走りが持てるような品じゃねぇぞ、これは」
ゴルグの視線が、単なる「使用人のエルフ」から「底の知れない人物」へのそれへと変わる。ヒカリはここが好機と判断した。
「少しいいかな、俺が持っているアクアジット鉱石を見てもらいたいんだ」
ヒカリがアクアジットの名を出した瞬間、ゴルグの眉がピクリと跳ねた。
「アクアジットだと……。あの脆くて扱いづらい、魔力の塊のような石か。あんなもん、形にするだけでも一苦労だぞ」
ゴルグは職人としての顔に戻り、忌々しそうに吐き捨てた。しかし、ヒカリはニヤリと笑う。
「普通のアクアジットならそうだろうね。でも、俺が持ってきたのは『これ』なんだ」
ヒカリは周囲の熱気を打ち消すほどの冷気と魔力を孕んだ、超高純度のアクアジット鉱石の欠片を一粒、取り出してみせた。
「……ッ!! なんだ、その輝きは……!?」
ゴルグの目が、獲物を見つけた猛獣のようにギラリと光った。
ゴルグの視線が高純度のアクアジット鉱石に移ったことを確認すると素早く差し出していたお酒と蜂蜜の壺を、ひょいっと懐(体内空間)へ戻してしまった。
「はーい、おーしまい」
「な、何すんだ!!」
ゴルグは血相を変えて、食らいつくような勢いでヒカリに詰め寄った。目の前で最高の宝物を取り上げられたような、絶望に近い怒りがその顔に浮かんでいる。
「酒だ! 酒と蜜を出しやがれ! このペテン師め!」
しかし、ヒカリは涼しい顔で人差し指をチッチッと左右に振った。
「あるって言ったけど、あげるって言ってないよ?」
「なっ……! 貴様ぁ!!」
「確かに『持ってきた』とは言ったけど、あげるなんて一言も言ってないでしょ?」
ヒカリの言葉に、ゴルグはグゥの音も出ない。ドワーフの直情的な性格を突いた、完璧な屁理屈であった。
「お、おのれ……。だが、わざわざ見せびらかしに来たわけじゃあるまい。条件は何だ! その酒と蜜、どうすれば寄こす!」
ゴルグは悔しそうに歯噛みしながらも、交渉のテーブルに着く姿勢を見せた。酒の香りを一度嗅いでしまった以上、もう後には引けないのだ。
「いやー、話が早くて助かるよ」
ヒカリの言葉に、ゴルグは屈辱に震えながらもグゥの音も出ない。酒と蜜という「欲望」と、見たこともない高純度のアクアジットという「職人の本能」を同時に人質に取られているのだ。
「じゃあ本題に入るね、アクアジット鉱石を使って、杖系が四本と、剣が一本。合わせて五本の武器を作ってもらいたいんだ」
ヒカリがさらりと告げた条件に、ゴルグの表情が一変した。
「な、五本だと! ふざけるな!!」
ゴルグは持っていた金槌を床に叩きつけるように下ろした。工房内に激しい金属音が響き渡る。
「俺は自分が打ちてぇと思ったもんしか打たねぇ! ましてや五本もまとめ買いのような注文を受けるほど、俺の腕は安くねぇんだよ! 帰れ! その酒を持って今すぐ消え失せろ!」
激昂するゴルグ。だが、ヒカリは全く動じなかった。
むしろ、困ったように肩をすくめてみせる。
「えー、無理かー。イグニスの王様や門番のドワーフたちが『ドワーフで一番腕がいいのはゴルグだ』って言うからわざわざ来たんだけどな……」
ヒカリはわざとらしく出口の方へ一歩踏み出した。
「ドワーフ一番の腕でも五本は荷が重すぎたかな。……うん、しょうがない。他を当たるよ。イグニスに戻って、ドルガン王に『ゴルグさんは自信がないみたいだから、他の鍛冶師を紹介してください』って言ってくるね」
「なっ……自信がねぇだと!? 貴様、今なんと言った!!」
ゴルグの額に青筋が浮かぶ。ドワーフ、それも職人にとって「腕が足りない」と言われることは死を意味するほどの屈辱だ。
「だって、できないんでしょ? 五本も最高級の素材を形にする集中力が持たないってことだよね。あーあ、残念。このアクアジット鉱石を完璧に扱えるドワーフが、イグニスにはもう居ないんだなぁ……」
ヒカリが追い打ちをかけるように呟くと、ゴルグの全身から湯気が立ち上らんばかりの魔力が溢れ出した。
「待てッ!! 誰が他を当たれと言った!! この俺が……ドワーフの頂点に立つこのゴルグ様が、打てねぇ素材などこの世に存在しねぇ!!」
ゴルグはヒカリの前に回り込み、その胸ぐらを(背丈の都合上、少し見上げる形で)掴みかからんばかりに詰め寄った。
「アクアジットを出せ! 杖だろうが剣だろうが、お前の腰を抜かしてやるような傑作を五本並べてやるわ!!」
(よし、乗った!)
ヒカリは内心でガッツポーズをした。
しかしやられっぱなしのゴルグは、屈辱に震えながらも必死に考えた。
(クソ! このままこの小僧のペースに飲まれてたまるか……。何とかして、こいつをギャフンと言わせる方法はないか……!)
ドワーフの意地が彼の脳細胞をフル回転させる。そして、何かを閃いたのか、ゴルグの口元がニヤリと歪んだ。
「いいだろう、作ってやるよ! 俺の生涯の中でもとびっきりの、神話に並ぶような傑作を五本揃えてやる! ……ただし! 条件がある!」
ヒカリは首を傾げた。
「条件? 何?」
「フンッ! 道具を作るのは俺の仕事だが、その『器』に見合うだけの最高の素材を持ってこい! お主が今見せたアクアジット以上の、伝説級の素材だ。それがない限り、俺の槌は本気を出さねぇからな!」
高らかに宣言したゴルグだったが、言った直後に自分でも首を傾げた。
(……最高の素材って言ったはいいが、具体的に何だ?)
実はゴルグ自身、これ以上の素材が何なのか分かっていなかった。ヒカリのアクアジットが既に伝説級の純度だったため、それを超えるハードルを勢いで上げてしまったのだ。
「えーと、ゴルグさん。その『最高の素材』って、具体的に何を持ってくればいいの?」
「そ、それは……! 決まっておるだろう! その……あれだ! 誰も見たことがないような、凄いやつだ!」
(やばい、具体案がねぇ……!)
ゴルグの目が泳ぎ始める。ヒカリはジト目でそんなゴルグを見つめた。
「もしかして、自分でも分かってない?」
「ば、バカを言うな! 職人の直感というやつだ! お主が持っている素材を全部出してみろ。その中に、俺の魂を震わせる『何か』があるはずだ!」
ゴルグは苦し紛れに、ヒカリが空間魔法で溜め込んでいるであろう「在庫」をすべて見せるように要求した。
しかしヒカリは、ゴルグの要求に見合う物は持っていない。




