第11話 婚約の報せ
月日は流れクラリスは10歳になろうとしていた。
そんなある日の午後、クラリスはいつものように書斎で本を読んでいた。隣では俺――光精霊ヒカリが、ふわふわと浮かびながら彼女の様子を見守っている。
「ふぅ……今日の勉強はここまでにしましょうか」
クラリスが本を閉じて、軽く伸びをする。俺は優しく光を灯して彼女を労った。
「お疲れ、クラリス。今日もたくさん勉強したな」
「ありがとう、ヒカリ。あなたがそばにいてくれるおかげで、勉強も楽しく感じるわ」
「それは何より!」
そんな穏やかな空気の中、突然、書斎の扉がノックされた。
「お嬢様、旦那様がお呼びです」
「……お父様が?」
クラリスは少し驚いた顔をしながらも、すぐに表情を引き締めて立ち上がる。
「わかったわ。すぐに伺うわね」
俺はクラリスの肩の上にふわりと寄り添いながら、不安を感じていた。普段、公爵であるクラリスの父が直接呼び出すことは少ない。何か重要な話があるのだろう。
(何の話だろう……まさか、嫌な予感がするな)
そう思いながら、クラリスとともに執務室へ向かった。
***
「お父様、お呼びだと伺いました」
クラリスが扉を開けると、立派な書斎の中央に座る公爵がクラリスを見つめていた。
「来たか、クラリス。そこに座りなさい」
「……はい」
クラリスは緊張した様子で椅子に腰を下ろした。俺はそっと彼女の肩のあたりで光を灯す。
「話というのはな……クラリス、お前の婚約が正式に決まった」
「――!」
クラリスの体がわずかに震えるのがわかった。俺も驚いて、思わず光を揺らす。
「婚約……ですか?」
「ああ。お前はすでに知っているだろうが、王太子殿下とは幼いころから婚約の話が進められていた。しかし、これまで正式に決まることはなかった」
「それが……なぜ今?」
「王太子殿下が今年で十歳になられる。このタイミングで、王室から正式な婚約を確定させたいとの申し入れがあったのだ」
クラリスの指先がきゅっと握りしめられる。
「……お父様は、この婚約をどう思っていらっしゃるのですか?」
「ふむ……」
公爵はしばらく黙った後、低い声で答えた。
「王太子殿下との婚約は、ルミエール公爵家にとって大きな名誉であり、国の安定にも寄与する。私としては、断る理由はない」
「……そう、ですか」
クラリスの声には、どこか感情がこもっていなかった。
(クラリス、大丈夫か……?)
俺は光を揺らしながら彼女を気遣うが、公爵には俺の存在は見えていない。
「だが、お前の気持ちも無視するわけにはいかない」
公爵の言葉に、クラリスが顔を上げた。
「お前自身はどう思う?」
「……」
クラリスはしばらく言葉を探していたが、やがて静かに答えた。
「……公爵家の娘として、王室の求めに応じるのは当然のことだと思います」
「そうか」
公爵は満足そうに頷いた。
「正式な婚約式は、半年後に執り行われる。詳細は追って知らせるが、今後は王城での滞在時間も増えるだろう。準備を怠るな」
「……はい」
クラリスは静かに立ち上がり、一礼すると執務室を後にした。
***
クラリスは自室に戻るなり、ベッドに腰を下ろした。俺は心配そうに彼女のそばを飛ぶ。
「クラリス、大丈夫か?」
「……驚いたわ」
「そりゃそうだよな。いきなり婚約が正式決定だなんて」
「ええ。でも、分かっていたことでもあるの」
クラリスは静かに息を吐く。
「私は公爵令嬢だから、自由な恋愛なんて許されない。最初から、王太子殿下と婚約するのは決まっていたようなものだったわ」
「それでも……嫌なんじゃないのか?」
「嫌、ではないわ。でも……」
クラリスは小さく肩を震わせた。
「私は、まだ子供よ? それなのに、一生を決めるようなことを言われても、実感が湧かないわ……」
「……そうだよな」
俺は彼女の気持ちを思うと、胸が苦しくなった。
(俺にできることは……何かないのか?)
精霊の力で、婚約を取り消すことはできない。けれど、クラリスの心を少しでも軽くすることはできるかもしれない。
「クラリス」
「……なに?」
「お前が不安になったり、悩んだりしたら、俺がそばにいるからな」
「……ヒカリ……」
クラリスはゆっくりと顔を上げ、微笑んだ。
「ありがとう……ヒカリがいてくれるだけで、少し心が軽くなるわ」
「よかった……」
俺は安心しながら、彼女のそばで静かに光を灯した。
(クラリスの未来が、少しでも良い方向に進むように……俺は全力で支えていくからな)
そう誓いながら、俺はクラリスのそばで光を輝かせ続けた。