⒊「可愛い!!推したい!!」
「可愛い!!推したい!!」
と叫びたくなる気持ちを抑えるタクト。
アイドルオタクとしての彼の魂は、異世界に来ても忘れるはずもないあの「くずにゃん妊娠騒動」によって蹂躙され破壊されたのである。
しかしすごすごと路地裏に帰るにはあまりにも少女の歌唱は魅力的すぎた。
「わたしの恋心〜熱く燃やして〜」
華奢な体には不釣り合いなギターのような楽器、というかギターを両腕いっぱいに抱えながらジャカジャカと鳴らし、
「そう〜あなたはまるで炎の谷の〜」
真っ直ぐ前を見つつ、時折時折自分を囲む人間たち一人一人と目を合わせながら、しかし決してギターの手元を見ないところから日頃の鍛錬度合いも感じられ、直向きに頑張れる素晴らしい方なんだなあと思う。
「ファイヤ〜ドラゴン〜うう〜」
歌詞のベタさは置いておきつつ、そのフォークっぽい曲調が、彼女のややハスキーながら芯のある声によく合っている。
などと考えているタクトの目に、彼女の眼差しが飛び込んできた。
「あ、初めての顔だ!嬉しい!」という彼女の気持ちを、雄弁に物語るそのキラキラ輝く瞳。
これは決してタクトの思い込みではないだろう。
いかん、このままでは異世界に来てまでもまたアイドルを推す生活に戻ってしまう。
その先にはまた、絶望が待っているかもしれないというのに……
一度はかつての潤いを取り戻しかけたタクトであったが、流石に社会人になる一歩手前の年齢なだけある。すんでのところで乾きと諦観の念を呼び戻し、引かれる後ろ髪を軽やかに抜き去り、聴衆の輪を後にするのだった。
「……こっちの世界にも、アイドル、いるんだ……」
呟きトボトボと帰路に着くタクトの耳に、
「〜行かないで〜空に帰らないで〜ああ〜」
彼女の歌は残念ながらもう届かない。