2.稽古場
その日の夜、私と椿さんは蝋燭の明かりが灯る稽古場に正座で向き合っていた。板張りの稽古場に時折夏の夜風が通り、髪を揺らす。
「椿さん」
「はい」
「椿さんは、また刀を握りたいと思いますか」
二人の間に置いた侍型用の太刀を一瞥して椿さんを見れば、静かにただ私を見つめていた。
「いや、ごめん」
椿さんに感情があるかないかは分からないけれど、ロボディアはロボディアだ。椿さんに尋ねたところで返ってくる答えは、これまでの私の発言や思考からつくられるのだろうし。つまり、さっきの質問は自問自答でしかない。
「私に訊かなくても、貴花の心は決まっているのではないですか」
「……え」
「競技を辞めたあの日、貴花は刀を振るのが怖くなったと言いました。楽しくなくなったとも。まだ同じ気持ちですか」
同じ気持ちか、か。私はどうしたいんだろう。戦闘競技が楽しくてしかたなかったあの頃みたいに、椿さんと刀で戦いたいのか、それともやっぱりもう戻れないのか。
「刀で相手を斬る戦い方が怖いっていう陰口を聞いてしまったあの日、私、椿さんに泣きついたでしょ?」
「はい」
当時は自分が陰口を叩かれたというよりも、大好きな椿さんの悪口を言われたことに腹が立ち、悔しくて、わけもわからず泣きじゃくった。
「でもそれはもうあまり気にしてなくってさ。そういう相手には、勝って実力で示せば良いと思っているし」
「では、今は何を恐れていますか」
「ん。ブランク……かな」
ただ純粋に楽しくて自信があった当時とは違って、今は3年間のブランクがある。
せっかく刀を握ったのに、私の落ちてしまった体力や、技術力が追い付かなかったせいで椿さんが負けてしまうかもしれない。それが怖い。
「今日はアマチュア部門だったから刀無しでも勝てたけど、次のセミプロ部門はそんなに甘くないし」
「貴花には、勝ちたいという気持ちがあるのですね」
「え……あ、うん。そうだね」
ぼちぼちやっていけば良いかって思っていたつもりだけど、私結構勝ちを意識してたんだな。椿さんに言われるまで気付かなかった。
「では、勝ちたい気持ちを優先させて刀を握るのか。万が一負けても刀を使わなかったからだ、という安心をとるのか。どちらを重要視していますか?」
それってつまり、最も強い方法で勝ちを目指すのか、負けた時の言い訳を残しておくのかってことだよね。
「それは」
「ちなみにですが」
私が言葉を発しようとしたと同時に、椿さんも言葉を発して立ち上がった。
二人の間に置かれた太刀を取り、少し離れたところに立つ。刀の鞘を左腰に付けると左ももの側面パーツが開き、鞘が内蔵された。
そして風が止み、虫の声も鳴き止んだ束の間の静寂がおとずれた瞬間、刀を構えた椿さんは目にも留まらぬ速さで技を繰り出し始めた。
「わ……綺麗」
次々と披露されるその太刀捌きは、初めて見るわけではないのに、思わず息を呑むほど美しいと感じた。
そうして数秒間技が繰り出され続けて、最後に大きく刀が振られた時、その風で蝋燭の灯りが消えた。
「あ」
真っ暗になった稽古場に、暗視モードになった椿さんの目がぼうっと青白く浮かぶ。
「失礼しました」
「ふふっ」
暗闇の中で刀を鞘に納める音が聞こえた後、点火棒で再び蝋燭に火がつけられた。
「心は決まりましたか」
「あははっ。あんな太刀捌きを魅せられた後に訊くなんてずるいよ」
刀を置き、私の正面に正座した椿さんに訊かれて、思わず私は大きく笑った。
「余計なお世話でしたか」
「ううん。ありがとう。背中を押してくれて」
小さい頃から四六時中一緒にいるせいか、椿さんは時々こうして、私の決断を後押ししてくれることがある。
まるで人間のように意思を持ち、意見を言っているようにも思えるけれど、そうではない。
それは重々承知しているけれど、時々母のように感じることがある。
「ねえ、椿さん。私なら刀で勝負に出る方を選ぶって分かっていたの?」
「はい。今までの思考パターンから推測しました」
ロボディアは『人と共に』をコンセプトにうまれた生活密着型ロボット。家族のように一緒に生活することで、その人の思考や出来事をインプットして親密になっていく。相棒のような、家族のような、自分の分身のような存在になるのだ。
「その回答、すごくロボットっぽいなあ」
「ロボットですから」
「ふふっ。ね、もう少し縁側で話していこう」
「はい。今後の計画を立てましょうか」
計画ね。夜風にあたりながら雑談程度のつもりだったけど、確かに来る勝負の日に向けて早速プランを練るべきかな。