ヒロインは様子を見る
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ここで、今私がいる乙女ゲームの世界の、大まかな話をしようと思う。
元平民で子爵令嬢の主人公は、貴族が通うこの学園で1年間過ごすことになる。なぜ1年なのかと言うと、どの攻略者のハッピーエンドも卒業パーティーの日のためである。それと1番人気の攻略者が今年で卒業する3年生というのも理由にあるだろう。
…そして入学式後、主人公はフィルリア・ローレンとその取り巻きによって罵詈雑言を浴びせられる。貴族の中でも高位の公爵家のフィルリアに対し子爵家の主人公は萎縮し何も言えずにいると、そこにフィルリアの婚約者…1番人気の攻略対象者が現れる。と言うのが最初のエピソードだ。
「ふぅ…とりあえず今日メインのフラグは回避できた」
取り巻きたちに呼ばれぬよう入学式を終えて、早々と寮の自室に帰った私はベットに体を沈める。
フラグ回避と言ってもこれから先、後ろ倒しになって呼び出される可能性も0ではない。ましてや明日からは通常授業が始まるのだ。今日に比べて学園内にいる時間も長く、休み時間に来られたらもう従うしかない。
…でも入学式の時、何故イアンは主人公の隣に座ったのか。ストーリー内でそんな事は無かった。彼との初対面はフィルリアの婚約者に助けられた後だったからだ。スチルにもなっていたし間違いない。
「私の記憶が違うのなぁ」
前世で死んだ記憶もないし、急に乙女ゲームの世界だと気がついただけで、ゲームの内容がうろ覚えのところもある。もしかしたら自分が間違っているのかもしれない。
ぐるぐると考えを巡らせるが事実を確認する方法はない。
「ダメだ、今日はもう寝よう…」
まさかの攻略対象者との(最悪な)交流もあり、気疲れがピークに達していた私の身体は目を閉じると同時に夢の中へと入っていった。
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学園に入学して1ヶ月が経過した。
がしかし、今のところ何のイベントも起こっていない。
「…おかしい、実におかしい」
もちろんフラグ立ちそうな裏庭だとか空き教室だとか屋上へ続く階段だとか、そういった場所に行かないがそれにしても何もなさすぎる。
てっきりフィルリア様の取り巻きに呼び出されると思っていたし、そうなった時の対処法も考えていたのだが、取り巻きが現れることも攻略対象者が現れることもなかった。
…もしかすると、
「ゲームのストーリーじゃない?」
教室の定位置である窓際の机でポツリと呟く。
私の独り言に気がついたクラスメイトがどうしたの?と話しかけてくれたのをなんでもないですと笑って首を振りかえした。
悪役令嬢フィルリア・ローレン。
三大公爵家と言われているローレン家の長女であり、その美貌と気高さに憧れを抱く貴族令嬢も多かったが、実際は傲慢で欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れる、自分より優れている同性に対して裏で陥れる、など悪行を行なっていた。
攻略対象者とは幼少期から婚約者で、近づく全ての女性に対していじめを行い蹴り落としていた。
そして弟であるイアン・ローレンは彼女から冷たくあしらわれていた。殴る蹴るなどの暴行は加えられてはいなかったが、「出来損ない」「近づくな」「ローレン家の恥晒し」と暴言を吐かれていた。
そんな幼少期を過ごしてきたイアンは姉に激しい嫌悪感を抱き、周りが助けてくれなかったことも相まって冷酷に育ってしまう。
そこに現れた主人公が彼の心を開き癒していく…という流れにゲームではなっていた。
…え?なんでそんな悪役令嬢が最推しなのかって?そんなの顔とスタイルの良さに決まってるでしょう?
確認しにいくか。
イアンを含めた2人のルートは必ずフィルリアが絡んでくる。そしてフィルリアに絡まれない限りそのルートに入る事はできないのだ。
どうしても気になった私はクラスメイトに聞いてフィルリアがいる教室へと向かった。
***
3年生が多い渡り廊下の隅でフィルリアがいるであろう教室を見つめる。
教室内は和気藹々としており、フィルリアがクラスメイトをいじめているなどは無かった。それどころかフィルリアのことを尊敬し憧れを抱いている、と言う話が色々なところから耳に入ってきていた。
どういうことだろう。ゲーム内の彼女はクラスでも恐れられており、取り巻きを周りに侍らせて自己中心的な態度をとっていたはずだ。それが尊敬なんて…
「あれ、1年生?どうしてここにいるのかな?」
声に反応して振り返ると、私より幾分高い身長のイケメンが立っていた。
色素の薄い金髪に濃い緑の瞳。人当たりの良い笑顔でこちらをみる青年。彼はゲーム人気No. 1の攻略対象者であり、
「…リアム・デマントイド」
フィルリア・ローレンの婚約者である。
私の声に反応した彼は首を傾げて私のことをじっと眺める。その深緑の目に見つめられて動けなくなった私はなんとか口角だけは上げて笑うように努めた。
「僕の名前知ってるんだね?」
「え、あ…はい。学園内で知らない人はいないのではないかと。この国の第一王子の…あ!」
ニコニコとしている彼に釣られてぎこちなく笑っていた私は、一瞬にして石のように固まった。そうだ、彼はこの国の第一王子。私はそんな彼に対してマナーである挨拶どころか彼を呼び捨てにしてしまった。
「大変申し訳ございません!」
顔面蒼白で頭を下げた私に対し彼は優しく肩に手を置き、気にしないで顔を上げてと声をかけてくれた。
王子の心は海のように…いや、宇宙のように広く寛大なのだと心から感謝した。
お言葉に甘えて顔を上げ、彼と向き合うと、後光が差したようにキラキラとした本物の王子様がそこにいた。あまりの眩しさに直視できずに目を細める。
うわ、ビジュ良…
「君は表情豊かだね」
「い、いえ。そんな事はないで…ございません」
「無理して丁寧な言葉使わなくていいよ。…もしかして半年前に子爵家に養子として入った子かな?」
「はい。サキ・グラジオラスと申します。先程の無礼お許しいただき誠に…」
「無理しないで。その挨拶は公式の場だけでいいからさ」
「ですが、」
「いいって。学生のうちは身分関係なく交友関係を広げていきたいからフランクにって、そうみんなに伝えているんだ」
そう言って微笑んだ彼は確かに怒っている感じでもない。それではお言葉に甘えて堅苦しい言葉遣いはやめよう。
「しかし何故君は3年の渡り廊下に?迷子になった?」
「いえ、あるお方を一目見ようと考えておりまして」
もちろんあるお方とはフィルリア様である。
実際はどういう人物なのか、クラスでの様子はどのような感じなのか偵察する…というのは二の次で。
本当は画面越しではなくをこの目で、最推しである彼女を見てみたいという欲にかられてここまできた。
「私が連れてこようか?」
「い、いえいえ!そんな!」
「遠慮しなくていいんだよ、それくらいしてあげ…」
「最推しのフィルリア様とご対面するなんて、眩しすぎて目が溶けてしまいます!」
私の発言にリアムは少し驚いたような顔をしてからクスクスと笑い始める。
「フィルリア様のあの深青の瞳に見つめられるだけで腰を抜かしてしまう自信があります!切れ長で大きな瞳に長い睫毛。手入れの行き届いた美しい漆黒の髪に白く陶器のような小さなお顔…」
「うんうん」
「そんな最推しが私を見るなんて、見つめるなんて…そんなことあってはなりません!」
力説をしていた矢先、リアムは耐えきれなくなったように笑い出した。
そんなに面白いことを言っただろうか。あなたの婚約者のビジュの良さについて語っていただけなのだが。
…しかし彼女のことを話していた私をずっとニコニコと楽しそうに見ていた彼に違和感を感じる。
ゲーム内のリアム・デマントイドは、主人公と出会った時からフィルリアのことを嫌っていたからだ。
事実最初のルートでいじめられていたヒロインを助けた彼は、誤解だと擦り寄る彼女に対して冷たい対応をしていた。
彼が嫌っている婚約者の話をして、こんなに笑うなんて。
「あの、デマントイド様は…」
「リアムでいいよ」
「り、リアム様はフィルリア様の婚約者ですよね?」
「そうだね」
「…フィルリア様はどのような方ですか?」
おそるおそる顔色を伺いながら聞くと、彼は顎に手を当てて少し考えたあとニッコリと笑って、
「とても愛おしい婚約者だよ」
とゲームの内容を知っている私にとって、大きな爆弾を投下した。