氷の少年
「──にしても、リルが無事で良かったよっ……!」
カーディガンを着直しながら、キャノが抱き付いてきたとき、クルフィは距離が近いなあと思いながらぼんやり彼女を見つめていた。
それから、思い出したように、キャノの手の中にいるふわふわした物体を見て言う。
「そういや……お前の模造ペット、案外可愛いな。喋るやつ。あんなのも居るんだ?」
彼女としては普通の他愛ない会話がしたかったのだが──キャノが、可愛い、の部分に反応して、目を丸くして問う。
「ね、私とどっちが可愛かった!?」
「どこに対抗してんだよ……ベクトルが違うっての」
クルフィはつっこみながら、コトは告白されてた、なんて言ったが、そういえばそうなのだろうかと、改めて、ぼんやり考えてみる。妄言というか、妄想が先走り過ぎというか、過去の約束みたいなのを今になって引き出されても、答えにくいというか。彼女が好きかといえば好きな方だが──しかし「肉」が一番、という大前提があり、それを守り続けているからこそのことなのだ。
これまで同性にばかり(しかもみんな我が強いので話を聞かない)モテたという事実を、合わせて考えても、どう受け止めればいいのだろう……。
言われ続けてはきたが、特に真面目に取り合ったことは、そういえば一度もない。
昔から、体格が良いわけではないのだが、すらっと背の高い容姿や、さっぱりした言動のせいか、男に間違われることがあるために、こうも女子に好かれると、「あれっ、私は今、女子に見えているのか? 正しく現状が把握されてるのか?」と思ってしまって不安になる。
個人個人が何を好きだろうが、彼女にはどうでもいいことだし、関係ないのだが、なんというか。自分に向くと、困る。
馴れ合うのにも慣れていないし──
それに「肉を食べるよりも私を優先してよ」なんて言われたらと思うと、ちょっと嫌だ。
今まで、自分に何か好意を寄せる人がいたって、そう求める人ばかりだ。
キャノはそれとは違うけれど。
彼女を引き剥がす気力がないまま、こいつとは今会話が出来ないと諦め、続いてコトに話しかける。
「で──それより二人とも、結局どこで会ったんだ? 追っ手とかは大丈夫だったのか」
「あ、はい……まあ」
コトがよそよそしく答えた。それ自体は珍しくないが、またいつもに増してよそよそしい。
「なんだよ、さっきも呼び捨てだし──」
クルフィが少し不満そうに言うと、コトは諦めたように、不機嫌そうに言った。
「…………離れてくださいよ」
「はい?」
こいつは何を言っている。クルフィは一瞬固まって、聞き返す。
「……だから…………離れてください。キャノさん。リルが嫌がってるから……」
コトはそう言って、キャノを軽く睨むようにする。
どうやら、彼女に言っていたようだ。紛らわしい。
キャノはやだよーと、楽しそうにくっついてくる。
なんだこれ。どうなってやがる。
寒気を感じたクルフィは、ふいに『これは夢だ』と思った。きっと自分はまだ、夢の中にいるのだ。頬をつねってみるが、痛くない。
「うわあ、めんどくせぇ……」
なんで、こうなっているのだろう。様子のおかしい二人を見ながら、なんでもいいから、夢なら醒めてくれと、泣きたくなった。
__________________________
<font size="5">氷の少年</font>
◇◆◇
《彼女》にとって『アイス』というのは、氷ではなく、氷菓のことでもなく──炎をも凍らせるという、冷たい力を持つ、「彼」のことだった。
「俺は、呪われているんだ。小さな頃は山奥の、小さな村に住んでいたが、俺の爪に触れたやつは、たちまち冷たくなった。狩りには困らなかったがな、長老たちはみんな、気味悪がって──だから、この町に来た」
通っていた学校の、なにかの授業の合間に、そう聞いたとき、彼女──クルフィは、ふうん、と答えた。
別に、珍しい話ではない。彼女たちの住んでいた町は、そもそも、小さな村から、集まってきた『そういう』人たちが作って栄えたものだという。
「……まあ、気付かないまま、漏れだし続けてる力を『呪い』だと言われる話は、よく聞くよな」
「お前は、そういうの信じるか?」
『彼』が聞く。クルフィは少しも考えずに、首を横にふって笑った。
「ぜーんぜん。だってさ、私、超強いから!」
彼は、笑わなかった。
そりゃすごいな、と感心し、少し目を伏せて何か考えてから「じゃあ、安心」と言った。
彼女や、彼らが通っていた学校の校則には『誰かに強い魔法を向けたもの、危害をくわえたものは退学』という字が、やけに大きく書かれている。
過去にも『そういう』生徒が出た話を授業でも聞いたし、何人かが、実際に退学したり、ある日を境に、名簿から消されたりするのは、珍しくない。
そして、そのみんながみんな、悪意を持つというわけではなく、多くが、強すぎる力をうまく制御出来なくなった子どもだった。
だから、彼も、そのような不安を抱えて学校に通っているらしい。
──それは彼女と、同じようなものだった。
どんな力があろうと、暴走すれば、落第だ。
◇
彼と知り合った、春のある日。とうとうその彼も、学校には来なくなった。
なんとなく、予想出来ていたが、彼は、あの場所で生きるには、おそらく、真面目過ぎたのだろう。
クルフィは、普段、授業に手を抜いていて、ほとんど真面目に力を使わなかったから、あまり誉められる生徒ではないものの、なんとか適応して通っていけていた。
力を果たした上で、それを認められずに馴染めず退学になると、なんだか不条理なような気がしていたが、自分が怠けているだけなら、ある意味、道理があると思って、そうしていた。力加減も苦手だったので、そうするか、危ない橋を渡るしかなかったのだ。
それに、彼女は昔──実際に、加減を間違えて、退学になりかけたことも、あるくらいだ。そのときは咄嗟に掻き消せたお陰で、事なきを得たが、しばらく怪しまれた。
それがあってからは、真面目な顔などしないし、おどけていた方が、現実に向き合うよりも、よっぽど楽に思っている。
──彼は、彼女とは違っていた。力加減もできるような優秀な生徒だった。だけど、来なくなった。彼に対し、特にこれといった興味があったわけではない。
それでも、自分の前にある机に彼の席があったため、これまでは、嫌でも視界に入っていたのだ。
「どうしたのかな──」
彼女はとうとう思いきって、席の近い同級生に聞く。すると、彼は、死んだのだと言う。
信じられなくて、普段ほとんど自分には嘘をつかない幼なじみを、廊下で捕まえて聞くと、彼女は黙って俯いて、言った。
「……狩られたんだって」
「狩られた? 狩られたって、なにが」
「だから──彼」
アイス、と名付いていた彼は、狩られた。
それは、誰に聞いても、事実とされているようだった。
綺麗な、白と水色の混じった髪を持つ彼の──その顔立ちだけ、今も、どうしてか、思い出せない。
「あいつの居た村、なんて言ったかな──」
確か、ニホン、の……
「……クルフィさん、クルフィさん!」
「アイス……──」
「はい? お菓子なんて、買ってませんよ」
「だから、こういう幻覚は、私は、たちが悪いと思うんだよ──すげえびびったし……」
「リルっち、おーい。リル」
「……ああ、もう、やめて……私は今のところ食べ物にしか、興味がないんだって──」
「……だめだこりゃ」
「ですね」
□
タワー内の異変は、停電や、非常時にも蓄電で、何日か動く電話が繋がらなかっただけではなかった。
クルフィがいる地下の部屋に、二人がなんとかたどり着いてみれば、彼女のものではない、シャボン玉のような結界が、貼られていたのだ。
「私、この力を──どこかで感じたことがある」
キャノはそう言って、地下に着くまでの間背負ってくれていたコトの背中から降りた。
実は、ヒールだけでなく、ストッキングも、ツルツルしたこの場所の階段を渡るには、滑りそうで怖く、そして裸足になろうにも、彼の前で一旦衣服を脱ぐわけにもいかないため、先に行ってて、と彼女は訴えた────が「なにかあったらいけないから、置いていけません……」と、断られ、結果、彼が背負うという形になった。
キャノは重くなかったかと少し心配していたが、コトは相変わらず淡々と無表情で、階段を降りていた。何を考えているのだろう?彼女には、よくわからない。
とにかく、クルフィを覆う結界から感じるのは、ひんやりした、冷たい魔力だった。そしてそれは、コトにも感じ取れた。
キャノも、そしてクルフィも、このような力とは《違う》と、コトは思った。あのおじさんのものでも無いだろう。
「……もしかしたら。あの子の──?」
キャノが、なにか思い当たるような顔で呟く。
「あの子?」
コトが聞き返すと、彼女は真面目な顔で「いや、でも──」と言った。確信ではないらしい。
「クルフィさん、倒れたままだ」
コトは、透明なシャボン玉の中に彼女が倒れたままなのを見て、不安そうに眉を寄せる。キャノは慎重に結界に触れたものの、電気が走ったように弾かれる。
「どうしよう……」
「おれも、触ってみます」
「えっ。危ないよ。魔力がほとんど無い人が触って、もし何かあったら──!」
「大丈夫です」
なぜだろう。
コトは、なんとなく、大丈夫だという気がした。
なんとなく、このシャボン玉は、自分と似ている気がした。
ゆっくり、触れると、やはり、溶けるように手に馴染んだ。彼は、弾かれなかった。
「うそ──」
キャノが、驚いた声をあげ、息を飲む。コトは、黙ったまま、ゆっくりと眠るクルフィに手を伸ばす。
『──主様、ですね』
結界の真上に、ぼんやりと光の文字が浮かんだ。異国の文字だったのに、コトには、その意味が感じ取れた。懐かしい気がする。
「そうだ」
コトが答えた瞬間、シャボン玉は弾け、覆われていた部分の景色が大きく開ける。クルフィは眠っているままだ。思ったよりも、能天気な寝顔だったので、少し安堵する。
「アイス──なんで、こんな……ことを……?」
クルフィは、ずっと、アイスがどうと、何かに問いかけている。自分が夢を見ていると、まだ気付かないのだろうか。コトは、最初、氷菓を指す言葉かと思った。だが、もしかしたら。
キャノは、何が起こったかわからない、という顔で、コトを見つめる。
「結界は……結界は《同じ波形の魔力》を持つ、魔族にしか──解けない、のよ?」
コトにも、どういう状況なのか、よくわかっていなかった。
「同じ、波形──それって、一人一人、違うんですよね?」
「そう。だって、あの子は死んだ──魔族は、蘇生に魔法を使ってはならない……だから……なのに、おかしいよ、こんなの──」
動揺を隠せないキャノに、コトも、複雑な気分になる。あの子、とは誰なのだろう。
「んー……だから、一番いい肉を──持って、来い……」
シリアスな空気を壊すように、クルフィが寝言を呟く。二人してため息をついて、とりあえず、彼女を起こすことにした。
キャノはこの階まで、改めて転送しなおした電話を手に、送話口に声を吹き込む。もう電話も正常に動いた。
「リル──起きなさいっ!」
「うひゃあああっ!」
クルフィが悲鳴を上げて飛び上がり、そして、二人から距離をとったのは、そのすぐだった。
「許してくれ! 本当に! わ、私……私は、だから、そのまだなんというか──そういうのは、ちょっと」
「……なに? なにがそういうのなの……?」
キャノが、錯乱状態のクルフィに、少し冷めた目を向ける。続いて、コトを見たクルフィは、また怯えた。だから、この人は、夢でなにがあったんだ。
コトは、ぽかんとしてしまう。
「……いや、あの! そのっ! つーかてめぇ、生きてやがったのか! 私を欺きやがって。今度根にもってるのは、何年前の決闘だ? いまのお前が私に勝てるなんて──!」
「しっかりしろ」
ぺちん、とコトに両頬を挟まれて、クルフィは正気を取り戻す。コトは、つい命令口調になってしまったことに後で気が付いたが、クルフィは気にしていない様子で、なんだあ、コトじゃねーか! とはしゃいだ。
コトは呆れながら、少し安心して、軽口を叩く。
「なんだあ、じゃないですよ。アイスアイスって、うるさいし……クルフィに、アイスって……氷菓繋がりですか」
クルフィは明るく笑って答えた。
「……あ、いや。わりい。なんか、知り合いの魔力に、似ている気がしたんだ」
「知り合い? っていうか、なにがあったんですか」
「幻を見て、寝てた……私の消費のしすぎによる不調だけかと思っていた、けれど、どうも、私の結界とは違う結界も、貼られていたみたいだ。だから、いつもの倍、魔力の消耗が激しくて──消耗にさえ気が付かなかったらしい。言い訳にしか、ならないだろうが」
「──あれは、魔力を遮断するというか、まるで、底から冷えるような、捕らえたものを凍らせて閉じ込めてしまうな、そんな力に思えました。あの結界の内部に、おれが手を伸ばしたとき、内部からは、ほとんどの魔力を感じなかった」
コトとクルフィがそこまで互いに言ってから、考え込んでいると、キャノが言った。
「でも──でもっ、アイスは、死んだんでしょ?」
アイスとは、誰なのだろう。コトは、なんとなくもやもやした気持ちになる。そして、どうして、あの結界の持ち主の結界を、自分のものだと感じたのかと、不思議でたまらなかった。
「……ニホンの、小さなムラ──たしか、輿手鏡村……逢須は、そこが、出身地だ」
クルフィが、思い出したように呟く。コトは、それでふと、ある記憶を思い出した。
「こしてがみ、村……」
「ん? 知ってるか」
「いえ。輿手鏡村は、うちの、ばあちゃんの、出身地なので──」
「おお、そうなのか!」
「たしか、すごい山奥らしく、もう、ずいぶん前に雪に埋もれて消えちゃったみたいですが」
「……へぇ。じゃあ、お前は、知らないか」
「知らない?」
「──いや、なんでもない」
クルフィは、だいぶん元気になったようで、パチンと指を鳴らして消えていた電気を付けた。部屋がぱっと明るくなる。
それから、嬉しそうに笑って言った。
「ありがとう。コト。あの結界がなくなったら、すげえからだが楽になった!」
しかし、コトの気持ちは晴れなかった。
「──アイスって人、魔族なんですね……じゃあ、おれは……一体なんだろう」
もしかしたら、自分も、本当にただの人間ではないのだろうか。そう思うと、憂鬱だったが、腑に落ちる部分もある。複雑だった。
それから。
「世話になったな」
コトをまっすぐに見て、少女はすぐに目を逸らし、少し決まりわるそうに唇を尖らせた。
恥ずかしいのか、気まずいのか、そんな感じだ。
なんだか愛しく見える。
彼女は『弱さ』に慣れていない。
強さとは、弱さなのだ。
まるで自分を見ているかのよう。
だから。
「無事で、良かった」
彼が思っているのは、なによりそれだった。
「俺は、それだけで、本当に、嬉しい」
「コト……」
少女が、じっと彼を見つめる。珍しいくらい真剣な目をしていた。
おそらく彼女は本人が感じている以上の恐怖に打ち勝った。
ここですぐにり不安を口にしたり弱さをさらけだすような愚痴を吐かないのはやはり、感心する強さだ。
それから……
(あの結界が、俺が関係ないと、言い切れるか……)
コトは、そんな思いもあり、彼女にどう接するべきかわからなかった。
□
それから少しして、コトの携帯が鳴り、男から着信があった。
「もしもし」
「私だ」
「そろそろ、名前教えてください。呼びづらいですよ」
「七釜戸、柊男だ」
「ナナカマド ヒラオ?」
聞き返すと、電話の向こうから、やや恥ずかしそうな沈黙が数秒、そして男の咳払いが聞こえ、改めて、男の声がした。
「ああ。私の名前だ」
「……はあ」
「これを名乗ると、みんな、どっちかの木にしろよ、という顔をする。コトもそうらしいな」
「いや、あの。魔よけの木ですね……」
「そっちに食い付くか」
「あと、ひらおって意外でした」
「平社員だった頃、この名前で、いろいろあった。だから、あまりそちらを呼ばないでくれ」
「大変なんですね──」
「解決したか?」
「え?」
突然、何か心配するようなことを言われて、心配ごとがあっただろうかと、不思議な気分になる。しかし、そういえばそうだ。クルフィの、結界の件が──
「おっさんに代われ、コト」
クルフィ本人が、そう言って、コトから携帯電話を取り上げると、耳に当てる。
「あの火事の後、いつもより疲れ気味だったな。どうだ、体調は」
ナナカマドと名乗る男が、クルフィに聞いた。彼女はとても面倒くさそうに後頭部に左手を当てて、口を開いた。
「上々だよ。そっちはな。おっさん今どこにいんの?」
「病院だ」
「怪我かなんか?」
「違う。セラピストの仕事だ」
「?……セラ……よくわかんねーけど、お前に聞きたいことが、たくさんある。聞いていいか」
「答えられるものは、答えてやる」
「この組織って、もう少し人数居たよな?」
その瞬間、ブチ、と音がして、通話が切れた。答えられないものだったらしい。
「……ったく。用が済んだらさっさと切るって、ばあちゃんみたいな切り方だぜ」
あーあ、と肩をすくめ、電話を返してきたクルフィに、興味を引かれたコトが質問する。
「あの──クルフィさんのお婆さんって、どんな方ですか?」
クルフィは、少し考える顔をしてから、穏やかに笑って言った。
「……厳しい人、さ。死ぬ間際に、だんだん優しくなっていった。あれはなんでだろうな。確かに、厳しくされたはずなのに、実は最初から優しくていい人だったんじゃないか、って思っちまうよ。ははっ」
「そう、ですか」
「おいおい。やめろ、お前がそんな顔をするな。だったら聞くなよと、言いたくなるぜ」
いつの間にか寂しそうな顔になっていたらしいコトに、クルフィは明るく笑って言う。彼女は、どうして今、こんなに、笑っているのだろう。
「はい……」
返事をしながら、コトは考える。彼女は、なにかを抱えて無理をしている。けれど、きっと、自分には、それをどうすることも出来ない。
それから。
「さーって全快祝いだ! 肉食いに行こうぜ!」
クルフィは体調が回復したことで、だいぶん機嫌が良くなったらしい。そう改めて言って、笑った。
「……はあ、またですか」
コトは、肉ばかり食べて、よくあのスリムな体系でいられるな、とぼんやり思う。体質もあるだろうが、やはりそれだけ魔力の消耗が激しく、肉の偏食によって、エネルギーを補っているのかもしれない。
考えていたら、キャノが、彼女に近づいてきて言った。
「……リル。それより、まだ解決してないって。なんで、アイスの結界が、かかってるのよ?」
「えー……まあ、いんじゃね? 私今、絶好調だし!」
「もー、そうやっていっつも後回しにして。いつもいつもは助けてあげられないよ?」
「えー、疲れたよ。肉食って寝るし」
「リル! ちょっとは考えて」
「遊びに行こうぜ! お前、近頃、ろくに遊んだりできてなかっただろ? ちょっと正体を隠してさ」
「えっ……行きたい!」
「キャノさんまで! 待ってください」
思わず釣られたキャノと、さっさと抜け出そうとしたクルフィを捕まえて、コトは言った。
「おれ、気になるんです。魔力とか無いはずなのに、あの結界を解くことが出来たんです。主様かって聞かれて──!」
ふむ、とクルフィは一度真顔になった。普段からあまり真顔にならない人が真顔だと、少し迫力がある。
「お前、魔力は無いんだろ?」
「え──、ああ、はい」
いきなり改めて聞かれて、コトは若干萎縮しながら頷く。
クルフィは、少し考えて、指先から、水の入ったグラスを出した。そしてその中身を──コトに向かってかける。
「なっ──」
なにをするんですか、を言えないまま、コトは頭から水をかぶった。
「……やっぱり、だめか」
クルフィは、首を傾げて、不思議そうに、納得する。数秒遅れて、なにするんですか、とコトは言った。
「びっくりしましたよ!」
「……ああ、悪い」
「とりあえず、着替えなきゃ」
コトはさっさと動こうとするが、納得いかない顔のクルフィは、じいっとコトを見つめている。キャノさえも、真剣にコトを見つめていたのに気付く。
なかなかそういう経験がないため、どぎまぎして、落ち着かないが、動くのを諦め、コトはなんとか平静を保った。少しずつ、肌に氷が貼りつくようになり、やがて、パリパリと音を立てて、地面に落下したのは、それからすぐだった。
「あ……」
「凍ったな」
「冷凍食品みたいだね」
コトと、クルフィとキャノはそれぞれ感想を呟くとか反応をして、それから、数秒、時を止めたみたいに固まった。
「……例えば今みたいに常温で、人間に、水をかけたら、凍りますか?」
「学校で習わなかったのか? そんなわけないだろ。風呂に入れない」
「……です、よね」
「お前、本当に……」
「……あの?」
クルフィは考える顔をして、コトを見つめた。コトは、彼女の考えがわからずに、ぼんやり立っているしかない。体は、水をかぶったはずなのに熱を持ち、火照っているし、破片は、いつのまにか跡形もなく、地面からも消失していた。
なにがなんだかわからない。
「まず『誰かの意思を必要とした怪現象……つまり意識を持たせて、意図した現象を引き起こせるもの』が──この世界では魔力って、呼ばれている」
クルフィは、そう言いながら、手にしていたグラスを、どこかの空間に送った。
「はあ……」
コトは、きょとんとしたまま、話を聞いている。
「個人に割り振られる周波数みたいなのがあって、ぴったりそれが一致する、同じエネルギーを受け取れる人ってのは、ほとんどいないんだ。これが前提」
「……それぞれのチャンネルに、それぞれが居るってことですね?」
それに次いで、キャノが、不安そうに眉を寄せて呟く。
「魔力を、取り込める、吸収出来る人間がいるって噂──本当なんだ……」
「え?」
クルフィが、初耳だと言うように彼女を見た。
キャノは、不安そうな目をしたまま続けて喋る。
「……テレビのリポーターをしていたときに、偶然聞いたんだ。番組スタッフさんと話をしていた、黒いスーツの男の人が、体質変異者っていう、『都市伝説』を話してるの」
クルフィは、また少し考えてから「コト」と呼ぶ。
なんですか、とコトが見上げた瞬間、着ていた服が、タコの着ぐるみになっていた。駅前のたこ焼き屋さんに、コイツが居た気がする……
「な、なんで、タコ!?」
「……うーん。私の力は、ダメだ、吸収出来ないらしい」
クルフィは納得したようで、元に戻しもせずに、キャノを呼んだ。彼女も、少し考えて、指先からマイクを取りだして、言う。
「美味しいドーナツを、人数分買ってきて!」
「おいおい……いきなりパシるなよ」
クルフィがあきれぎみにキャノを見る。コトは、その頃には、部屋を飛び出していた。
「じゃ、コトちゃんが来るまでの間に、大人の話をしようよ、リライト」
「……そっちで呼ぶなよな」
「それより、コトちゃん、タコの着ぐるみのまんまだよ?」
「……あ」
クルフィが慌てて、なにか、手を動かしたあと、息をほっと吐いた。
「大丈夫、まだビルを出る前に、なんとか直した」
キャノもほっとして、それから改めて、口を開く。
「で、私のも、ダメだったわけだけど、アイスの魔力は、使えたということだとしたらさ」
「あいつ、生きてるのか?」
「……それはわからないけれど、火をあちこちで付けてたのも、もしかしたら《業火の魔女》に、対する挑発なんじゃない?」
それは、クルフィの懐かしい呼び名だった。世界を滅ぼしてしまうほどの強い力を持つ数人の魔女に与えられた、忌み名。そしてあまり好きではない名前だった。
「……そんな名前もあったな。ったく、名前なんかひとつでいいだろうに」
「……でも、生きてたとしてもなんで、アイスはそこまで」
「さあな。それに、まだ、体質変異者かも、はっきりとわからない」
「……でも。さ。魔女と人間の間に生まれた子どもは、人間なのに、魔力耐性があるって噂も、あるんだよね……」
「あいつの親、か。気になるな──」
□
それから、しばらくしてコトがタワー内に帰ってきた。もちろん着ぐるみを着ていなかった。
……ただ、ぐったりした様子で、二人の目の前にドーナツを置いた。
「おかえりー!」
キャノが嬉しそうに箱を受け取り、近くの小さな事務机に持っていく。この場所の家具は、どう見ても『お偉いさん一人』ぶんだ。立派な事務机と椅子。それだけが、端っこにぽつんと置いてある。
「他人に自分を動かされるって、結構体力使いますね……」
コトはぐったりしたままそう言い、項垂れる。キャノは楽しそうに、キャハハハハと笑った。小悪魔だ。
「そりゃ、自分で自分を動かすのと違って、他人は細かい加減をしないからね。はい、お金ー!」
「あ……どうも」
キャノは、ポケットから出した二人ぶんのドーナツ代金をコトに渡す。コトは慌てて財布(クマノミが描かれた青い楕円のもの)に入れた。
「コト、どこまで行ったんだ?」
ドーナツってなんだ、とか言っていたクルフィが思い出したように聞く。
「……駅前の『ドーナツ男爵』まで」
「ここから駅前って、25分くらいあるな。お疲れ」
「……はあ。どうも。数指定しなかったから、6個買ったんで好きなのとってください……ん? さっき、4個ぶんの代金をもらったような」
「遠隔で見張ってたよ! 私の声が届く範囲は縄張りだから、駅前で何をしているかわかるの」
「全品110円セールだったのもですか」
「うん」
この人たち、やっぱりよくわからない、とコトは思った。
「そういや、ずっと引っ掛かってたけど、呼ばれたわりには呼んだやつ出てこないし、別に仕事らしい仕事、してない気がする」
先ほどの電話でより一層、不信感が募ったのか、少しして、突然クルフィが呟く。ピンクの、イチゴフレーバーのドーナツを、興味深そうに腕にはめていた。ブレスレットじゃないのだが……
コトは、チョコと生クリームのたっぷりついたドーナツをかじりながら、頷いた。
「……そういえば、そうですよね」
「私も、思ってたけど、コトちゃんは、私生活とかで、用事無いの? リルっちに連れて来られただけなら別にそっちを優先しても──」
キャノは別のことが気になった様子だった。
手に持たれた、白いシュガーがまぶされたドーナツは、彼女のように儚い見た目だ。
「……おれは。別に。みんなと同じ学校も、飛び級して先に卒業しちゃいましたし……なんか暇になったんで、今は家と近所をうろついてて、大学どうしようかなってとこです。まだずいぶん期間がありますしね……」
「えっ、すごい、優秀なんだね」
「……おれは、別にそんなんじゃ無いんですよ」
「そんなんじゃ無いって?」
「どーでも良いことばっかり、なぜか頭の中でわかってしまって、でもそれが周りにどう見られてるかって、思って怖くなる。そんな、小心者なんです。いつか皆に『ずるしてる』って思われるんじゃないか、とか、先生に『言動が子どもらしくない』って言われたりするたびに、怯えたりとかして、無駄に胃炎になったりしてました。……だから、逃げたんです。みんなと同じ《期間》から」
この町でも、近年わずかに飛び級制度が表に出てきたものの、やはり同級生との間に出来る溝は、どうしようも無く、コトはいろいろと嫌になっていた。
仲良くしていても、同学年には行かないと言うと、急に手のひらを返すクラスメイト。可愛いげがない、と言う大人たち。もちろんそうでもない人も居たが、彼は疲れてしまった。いろんな感情に巻き込まれるのに、うんざりした。
あの日もそうだ。駄菓子をとりあえずやけ食いしながら、家に帰るつもりだった。そんなとき、《彼女》に会った。
知識がどうとか、難しいことがどうとか、小さなプライドの比べあいにはもう飽き飽きしていた彼には、彼女は新鮮だった。
うんざりしていたそれらを全部放り出して、笑うことが出来た。ただ一緒に話したり走り回るだけで良かった。今までの誰と居たときよりも、気楽で、楽しいと思えた。
「──コト?」
しばらくぼんやりしていたらしい。彼女──クルフィが、心配そうに、顔を覗きこんでくる。気恥ずかしい気持ちになって、コトはひええ、と思わず後ろに飛び退いた。
「──なんなんだよ。大丈夫か?」
「……す、すいません……」
呆れている彼女を見上げながら、足元に、ドーナツを落としてしまったことに気付く。
3秒ルールは適用出来るのだろうか。
コトが、固まっていた体をなんとか動かして、ドーナツを拾い上げたそのときだった。
「……っ」
彼の身体中に、鋭い痛みが走った。腕を中心に、血管の一本一本を絞られるかのような苦痛が与えられる。
痛い、とさえ口に出せない。
「……コト?」
クルフィが、不安そうに、急に挙動不審になった彼を呼んだ。コトは何も答えられない。キャノは咄嗟に何かを感じ取り、クルフィを彼から引き剥がそうとする。
「……お、れは」
床にしゃがみ込んだ身体から漏れ出す冷気は、コトを包み込んで、青い渦を描き始める。クルフィは、ようやくわかった。暴走だ。
彼の中にあった力は、暴走している。
恐らく、長い間、使われて来なかったものが、急に目覚めたためだろう。
「……リル!」
クルフィは、距離を取るどころか、彼に近付いた。キャノが悲鳴のような声を上げた。
「コト、お前──」
大きくなる渦や、どこかから唸りだした風の音に紛れるか紛れないかくらいの声で、クルフィはなにか言おうとする。
今の彼の目は、凍てついたように真っ暗で、ほとんどの光を映さない。クルフィが近付いたのを察知して、彼は、空間から氷の粒を降らせた。
鋭いナイフのような氷は、咄嗟に避けるにも、いくらか肌に突き刺さる。
「……あー、こりゃ私が、見えてねーな」
「リル。この子、やっぱり、危険だよ! 普段は、いいけど、でもあのときだって……」
普段は温厚な人でも、残酷になれる。それを見せつけられたダメージは、キャノに僅かな恐怖を与えていた。クルフィはどうなのか、ただ、うつむきはしたが、場からは離れる気が無いようだった。
「でも、このまま放っておけねぇ……」
再び、氷が彼女を狙ったが、クルフィはにやっと笑って、片手で弾き返した。
「なあ、知ってるか。私、強いんだぜ?」
「ちょっと、リル。やる気?」
キャノが心配したように聞く。クルフィは頷いた。容赦なく部屋の中に、次々氷が降って、当たったところを、凍らせる。今のところ、ナイフのような氷と、周囲を凍らせるものを使い分けているらしい。
「……おいおい、もっと派手にやろうぜ。ちょうど退屈してたしな。どうせ後から筋肉痛になるだろうが。まあ、『痛み止め』打っときゃ、しばらくは動けるだろ」
声が聞こえたのかどうなのか、今度は散弾銃のように氷の刃が飛んでくるようになった。しかも、しばらく追尾する。
クルフィは全て、細かく焼き払って、だんだんコトと距離を詰める。遠隔射撃用の攻撃らしく、近くに行くと、僅かに刃の広がりかたが少なくなり、方向が予測しやすい。もちろん、そんなことをするのは、それなりに対策があればの話だ。
「キャノは、逃げるかなんかしたらどうだ?」
ふと、クルフィは思い出して、背後にいるキャノに言う。彼女は首を微妙に傾けて、笑った。
「意識を操る場合、意識がちゃんと働いてないと、操れないし、音を操る場合、音がちゃんと聞こえてないと操れない……私、こういう場所向けじゃないの。どうしよう」
「……あー、今のコトには無理っぽいから、とりあえず、私を手伝うか、どっか行ってろ」
「うん……」
クルフィは、彼に近付き、とうとう炎で囲った。魔力で作られた火は、広がったり小さくなることなく、やはり一定の感覚で、一定の場所に留まり燃える。炎に囲まれた彼は、身動き出来ない。
「……どうだ、動けるか」
クルフィは、半分、もうこの時点で勝てそうな気になっていたが、コトは少しして両手を広げて何か白いたくさんなシャボン玉のような物を作り出すと、炎を全て包み込んだ。燃えるエネルギーを奪われた炎が、たちまち消えていく。
「わお……」
ちょっとびっくりしたクルフィに、コトは表情を変えなかった。真っ暗な目をしたまま、勝ち誇ったように笑うと、鋭く尖らせた長剣を手に造り出す。
昔、それを愛用していた人物を、クルフィは知っていた。長剣だったからか、出てくるまでにやや時間があった。その隙に、クルフィは、彼にまた近付き、抱き付いたままキスをした。
コトは混乱したのか、急に弱々しくなって、氷を放つことをやめてしまう。精神が乱れると、誰だってまともに力を使うことは出来ない。うろたえて、そのまま、膝から崩れ落ちた。降参したらしい。
「びっくりしたか? あはははははっ」
クルフィは、人間年齢的には17歳だが、魔女としては何年も生きてきたので、そして、彼女の価値観はちょっと変わっていたため、こんな行為は別に何も思わなかった。
しかしコトは、普通に、人間として生きてきたし、ただでさえ、異性に触れられる経験など、そう何度もあるわけではない。
暴走が止まり、正気を取り戻した後も、しばらくコトは俯いて、顔を赤くした。
「……な、なんで、そんな」
おろおろしているコトと、状況がそれほど重大でないと捉えているクルフィ。そしてキャノは、意外にもそれほど驚かず、ふうん、といった様子だった。
昔、彼女を拾って世話していた、という頃をぼんやり思い出しただけだ。
あの生活は、わりと楽しかったと、キャノは思う。当人の彼女には、若干トラウマなようだが。
「リル、終わった?」
「ああ、まあな」
「コトちゃんは大丈夫?」
「………あ……はい」
コトの反応は、最初に会ったときよりも、鈍くなっていたが、クルフィは気付かない。キャノは、少し人間社会で生活して、彼の心境にも想像がついたので、頑張って、と心のなかで思った。いつもの彼になって、安心する。