影とテネ
肩を掴んで揺さぶろうとして、黒い何かが纏わりついている気配に気が付いた。
じめっとした湿気を含んだ感覚が肌を這い上がって来た。
思わず腕を引いて顔を覗き込む。
――――真っ暗な、闇のような目。
驚いている間に、彼は目の前から消えた。
「え?」
頬の傍で鳥の羽根が舞った。下から来る風。
「まさか」
今居る屋根の下で何かが潰れるような鈍い音がし、そちらに目をやると、散らばる羽根に混じり人の原型ではないドロドロと液体化した黒い塊が地面ではじけていた。
「羽根……鳩の……?」
呆然としたまま。頬に触れた羽根を確かめる。
「我らが歴史は 年にあり……未来を拓くものとして……魔女狩りの続いた時代より、2000年前後から存在しています」
教祖である
アサ・パリュス様は、ある日、打ち倒した悪い魔法使いから一冊の本を盗み出しました。
「本には強い魔力が込められていました。なので何度も、何度も使っても、魔法はなくなりませんでした。そこでアサ様は貧しい人たちに施しをし、宝物を生み出しては分け与え、自らもご両親の病気の孝行をし、そして我々にも恵みを分け与えました。」
「魔法族は人間とは決定的に違う。人間のような心配をする必要は全くない、それこそ魔法そのものの種族なのです。
彼女たちをうまく利用する、いかに利用し、有効な資源として活用を広げていくか? これが学者たちの間で研究され議論されています」
「いくら使っても無くならない無限の資源。まるでアサ様を女神が許してくれたかのようですね!人々を幸せにするために使うべき新時代の素材、人々を恐れさせ、苦しめてきた魔法使いたちが、このように、人々の役に立ちます。この奇跡の本を我々が使ってやることは、彼女たちの供養にもなることでしょう! しかしこの奇跡はご教義に納得頂いている方からしか受け取れません。選ばれた我々の血が栄光に続きますよう……」
「…………なんだこりゃ」
殺して、奪って、使っただけじゃねぇか。
ただの強盗のくせに何が供養だ。許されたとかよく言えるなと思う。
男の子が屋根に置きっぱなしだった紙を入手したのだけれど、やっぱり人間は自分勝手で我儘で冷酷だと思う。少なくとも、こんな事を語って、こんなふざけた紙を配布しているやつが居るのか。
あの鳩が何かわからなけど、組織絡みとなれば……
「まるで、どっかの社長だな。以前、大魔女様が結界を張り替えるのを、所有者を書き替えようとして妨害したときのように……あいつらのせいで、銀器が」
大魔女様も、あれから結界の魔力循環が不安定なままで貼り続けておられるのだけれど、最近は顔色があまり良くない。
彼女――幻影の大魔女、が担っているのは、魔力が循環する領域のひとつでもある、『人間の意識より層がわずかに高い位置にずれた空間』に対して力を均衡に働かせる術だった。それは同時に街全体において安定した幻術を作る魔法ということでもある。
安定して循環していれば、一度の力の消費でしばらく効力が持つのだけれど……彼女の体調からしても、本人の消耗のほうが大きくなってきていた。
銀器と彼女が抑え続けている闇も、いつまで持つのか……
所有者を書き替えての同じ呪文の行使は力の反発を招く。それどころか、ただの『呪』(じゅ)になってしまう。
呪文は、術であるものの、ある意味では強い言霊のようなもの。
結界外の魔物も狂暴化してきている。
(更新2022年8月15日2時42分‐2022年8月16日14時57分‐)
――――呪文とは、
古より、主の孤独を利用したもので、
『主』を栄えさえなければ、あるいは……
「えっと、なんだったかな?」
とにかく、使用者に襲い掛かる。悪いものを呼び寄せてしまう。
孤独の所有者こそが『主』である以上、主はその絶対であって、その主を騙ろうとも、主の影響そのものが影響し――――
(って、俺らは聞いてきたけどなぁ……)
ばさばさばさ、と羽ばたく音がして、そうだった、と我に返った。
流石にもう、フェネックは生きていないかもしれない。
なんだか後味が良くないが、仕方がないのだろうか。
「はー……さっきの通話、録音しとくんだった」
同僚からキモッと言われそうなことを呟きつつ、キャンディはさっきの方角を思い出しながら屋根から屋根へ飛びうつる。
目的地に近づくにつれて辺りの空気に嫌な感じを覚える。黒くてドロドロとした、あの嫌な空気を肌で感じている。ただのビルの群れだというのに。
此処から、路地に降りていけば、という辺りまでくるとやや足が竦む。
なんだか、この先に進みたいような、進みたくないような。
腕にはいつものように赤い水玉の布が巻かれていて、彼を少し勇気づけていた。
彼女には言えないが、キャノがいつものように怒っていても、なんだかむしろ安心するのだ。麻痺しかけている心を、どうにか繋ぎとめているみたいで。
(まだ、俺は此処に居るんだな、と……)
「しゃがんで!!!」
地上に降りようとしたと同時に突然の声。
「!?」
反射的にしゃがむと、彼の頭上を掠るように何かが飛んで行った。
振り向くと、背後で黒い鳩が浮いたまま停止している。
地上、声の方を確認すると、猫、いや、フェネックを肩に乗せ、手にナイフを携えたテネが拗ねたように手を振る。
白い肌、亜麻色の髪。
どことなくリルに似ている面影があるけれど、どこか柔らかい雰囲気を纏っていた。
「おぉ! お前、無事だったのか!」
「ちょっとぉ!! そこで突っ立ってるなら、手伝ってくれる? 銀器は魔法じゃ量産出来ないから、数が足りないんだ」
「銀器!? じゃあ、こいつらって!」
「そー! 頭を取られた鳩から生まれた『カゲ』!! あいつらの半端な黒魔術のせいだよ」
キャンディの背後で、鳩のカゲが煙となって消えていく。
ナイフだけが浮いていたのを慌ててキャッチする。
「ほんとムカつく。僕、仮にも誇り高い神族なんだから、あんまりサービス残業を増やさないで欲しい!」
テネが地上に残っているいくつかの鳩を片付けつつ、服のほこりを払う。
銀器は神族の血を引く者が『魔除け』の為に好んだ武器だ。
主には心臓とかに突き刺して使う。
「えーっと、マユとカフカは?」
「しーらなーい! どっか呼ばれて行っちゃったよ!!」
「どっかって、アサ様?」
「え? 誰それ」
「……いや、カゲって、まさか、あの男の子」
「え?」
なぁ、さっき、数が足りないってと、聞こうと思った瞬間にばさばさばさ、と背後で鳩が舞った。
平和の象徴の筈のそれは、すでに不気味な『カゲ』と化している。
「ただ魔法で殺しても、実体が無いからすぐ出てくるから、魔法だけじゃ、ね」
傷だらけのフェネックが、やや恨めしげにキャンディを見た。
……ちょっとかわいい(不謹慎)。
「ので」
銀器を持っていないキャンディの方に一斉に全力で向かってくる。
「ひぃぃぃ!!」
手にしているナイフは一本だけだが、こんなもの振り回したことが無い。
軽いし、小さいし、不安定で何処に投げればいいのかわからない。
なるべく一撃で仕留めるのが信条だが、今は仕方ない。
「時間を稼ぐか」と反射的にハンマーを取り出して振り回すと、空中に描かれた軌跡が熱を帯びて鳩を焼いていった。一回、二回、と遠心力を利用し、一旦逃げてまた向かってくる鳩に同じように攻撃、それらが全て沈黙した辺りで地面に着地。
「ふぅ、びっくりした」
と、一息つく暇もなく、黒い影が揺らめき、起き上がる。
「はい、ナイフ」
キャンディはそっちを見たまま、テネにナイフを渡す。
同じく空中を見上げ、受け取りながら、さっきまでずっと戦っていたらしいテネがぼやいた。
「どもども。あー。ほんとさ、おばちゃんから、あの背中に刺さってるナイフとフォーク借りて来たいなぁ……今日は簡易なものしか持ってきて無いのに、ついてないや」
鳩のカゲはあちこちから、高く飛んだり、低く飛んだりして攻撃をよけたり嘴で突いたりしてくる。共通するのはどれも頭が無いと言うことだった。
「しっ。大魔女様の耳に入るぞ。っていうか、それ借りたら元も子もないからな」
「わかってるよ、言ってみただけ」
テネが、黒い冗談を言いながらも敵に投げたナイフ以外、魔法だけで倒しても、倒しても、起き上がって来て、キリがない。
何より自尊心に傷がつく。
「なぁ、今こうやってるの、俺さんの体力の無駄じゃないかな?」
「あっ、そうだね!」
テネが驚いた表情で答える。
今気づいた!みたいに言っているが、絶対もうちょっと前から気づいてただろう。まだ倒れて居ない鳩のカゲがあちこちから起き上がる。
形は鳩なのだけど、実体がないカゲなので、実質カゲだ。
「俺のプライド、めちゃくちゃ可哀想」
キャンディが独り言を言いながら、ハンマーを構えなおしている間にも、カゲが次々と生み出される。おとぎ話では『影を盗まれると大人になれない』とよく言われたものだったけど、『これ』は、そのカゲだけが残されてしまっている。なんだか、そのことに妙な虚しさと徒労感があった。
2022年8月18日0時27分




