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【音闇クルフィ】  作者: たくひあい
炎と少女
3/230

炎と少女

挿絵(By みてみん)




.炎と少女


prologue

・・・・・・・・・・・・・・



音が闇に飲まれるのを見ていた。




□□



よく滅びなかった、と何度も言われつつも、続いてきた社会は、いつのまにやら地の環境に適応した特異な者が増え続けていた。


しかしその類いについては、あまり表沙汰にはならない。一般市民には、ほとんど、その、存在の噂くらいしか公表されない幻みたいなものだった。


これまでは。


ep.1 少女


        

「なんっでだよ、ねーちゃん!」


バスの中にいた少女が、いかにも面倒そうに腕をぶんまわし、バスのガイドさんに文句を言っていた。

金は確かに払ったぞ、とかなんとか。


この日の暑さを物語るような高々したサイドテールの茶髪は少し汗が滲み、そこそこ整った顔立ちは、いかにも目立った。

特に、高齢の方がほとんどのツアーバスの中と来ちゃ。もちろん、彼女が勝手に紛れ込んだ。


「このお金から、違法な力を感じました。造幣は禁止されていますよ、それにあなた、いつの間に――あっ、待て!」


ガイドさんは華奢ながら、勇ましく、彼女のお金を取り上げようとした。彼女の言う違法な力は、まだ詳しくは公開されない、それだった。

もちろん、なかには独自的に編み出す人もいたのだが。最初にこの町に伝えたのは、一人の異国の魔女だと言われている。


ぱちん、とサイドテールの彼女は指をならした。それ自体には、実質的意味などなかったのだが、合わせるように、そのお金は、ただの石に変わる。


「ありがとやっしたー!」

そして彼女自身は、非常ドアを開け、早々と退散したのだった。



車が多い。人も多い。自然が、少ない。

 暑い。

熱気がもわもわと影を作っている。

暑い。

 コンクリートが歪んで見える。

暑い。

 灰色の多い、息苦しいビルが互いに存在を競うように並んでいる。いくらかは看板が撤去されたりしていた一方で、そのすぐ横では建設工事をしている。かんかんかん、と何かを打ち付ける音がけたたましく続いている。


――キノコでーす! これお守り代わりにしてるんですけど、どうですか?

 誰かがキノコの形のキーホルダーを配っていた。断る。


(なんか、変な町……)


 少女はぼんやりとそれらを見上げた。

奇妙な光景だった。

まるでビル自体が生き物のように蠢き、変化し続け、月や太陽でも無いのに昼間からしつこいほど光る電飾。

それに大きなモニターが眩しい。

あちらこちらに歩道があり、右へ左へと入り組んでいる。



「で……こっから、どう行くんだろ」




 数分前に道に迷ったとき適当に買った、魚の形をしたお菓子をかじる。


甘い。



 喉に張り付くような甘さに、改めて熱気を思い出す。




「あー、あー、あー、だーりいー! なんだよなんだよー、あちーしさ」


少女、17歳人間としての年齢は嘆いていた。

 少女と言っても決まった呼び名は特になかった。

実際にはあるのだが、長ったらしいからいいや、という彼女の投げやりによって、ガールとかそこの人とか、無難に呼ばれてきた。



 彼女の、今は亡き母国では、産まれた子が自分で名前を決める。


『自分のことを自分で決める』ことこそ、力そのものなのだというのが、古くからの教え。名前も一番最初の「力」。



 とはいえ、まだ小さくて、言葉もほとんどわからない頃なので、候補のカードを選ばせる、とか、そういったものだ。(中には、最初から言葉を口にする者もいるらしいが)

 彼女も確かに自分で決めたはずなのだが、実はまったく、思い出せなかったので、適当に呼ばれるだけ。


 その国は力を持つものの住むところだったが、ある日不幸にもそれ以外の標的、研究対象になった。早い話、サンプルとして狩られたのだ。

生き永らえたものは、人間として隣国やあちこちの土地に逃げ込んでおり、彼女もその一人。

 


 いろいろあったけれど、この街にはドラゴンがこないし、平和だ。


「力」が、人々の間でどう呼ばれているかは国や村の土地柄で呪いとか、魔術とか様々だったけれど、彼女はそれを生まれもっていた。

 戦後はいづれにしてもあまり公にはされなくなっているそれだが、かといって体から消えるわけでもないのでなんというか、中途半端な感じ。


 いつまでも、何かが満たされないような、そういう漠然とした物足りなさが自分を蝕んでいる気がした。

※202006022259加筆



「ここで言うと、魔法とかってやつなんだっけ? 私魔族? なんでもいいんだけど取り締まり厳しい! なーにがいけないってんだよー! あのねーちゃんも、空港のにーちゃんも、すぐに見分けやがるしさー! あー、もー」






 もともとは小さな隠れ家で、つつましく暮らしていた彼女に、手紙が来たのは、つい最近のこと。

『日本という町に来て、やってもらいたいことがある』


差出人不明。

 なんだこりゃ、と彼女は眉をおもいっきり寄せた。変な態勢で座っていたこともあり、スツールからずり落ちかけながら、文面に目を通して、それから、鼻で笑って捨てようとした。

だが、封筒から漂った、何か嗅いだことのあるにおいに、手が止まった。力のあるやつはわかる。 力のにおいがする。香りというのには細かく分類出来ないだろうが、普通の、誰かとは、何かが違うものを、彼女は感じとれた。


 手紙から、伝わってくるのは、ひたすら、強く、燃えるような、熱い感覚。どこか、懐かしい。

熱くて熱くて、熱くて――燃えている――


「ん――今日は肉だな。焼き肉……」



 炎を想像して腹が減った彼女は、そう締めて、後に行き先を辿った。



 ただの、暇潰し。

いや、少し、手紙の差出人に興味が湧いたのもある。

良い報酬が出ると締めくくってあったのもあり、とにかく、悪くはないと、深くは考えずに、話に乗ってみたのだ。



 彼女は、昔から、それなりの、生きるに足る力だけはあった。

しかし社会での一般常識に興味を持たないため、作れるものを、わざわざ受け取って使う意味を理解してこなかった。

 能力の存在やその対策が、まだゆるそうに見える場所では特に、楽をするために力を使って遊んでいたのだが……


 ほとんどの対策はとられていなくとも、見分けることに関しては、この場所は、彼女が今まで経験した中にはにないほど正確なようで、彼女は少し舐めきっていたと反省し、ひやひやしながら追跡を逃れていた。



「んーで、待ち合わせ、こーこだったかなー」


 赤い郵便ポストの横に立って、彼女は腕を組んだ。

少し錆び付いたそれは、長年、雨風を浴びてきたのだと感じさせる。


「よーぉ、兄さーん、なんとかタワーって、なんだ?これか?」


ポストのそばを、気の弱そうな少年が通りかかったので、捕まえて、深く考えずに聞いてみる。

びく、と彼は肩を小さくし、キョロキョロとあたりをみた。


「あ・な・た・だ・よ、そこの、キョロキョロしてるあなた」


「あ……っと、すみません」


「な、タワーってこれか? おーいお茶タワーではないよな」



 ぼやーっとした返答が珍しく、彼女は興味深げに訪ねる。

身内や、同じ学校だったが今は隣国にいる仲間は、気が強くてがさつなのが多い。なかなかお目にかかれないタイプだと、気に入った。中途半端に切られた、だらしない長い前髪に、ぼんやりした目。華奢な肩。ついでに、同じ駄菓子を20個くらい袋に入れている。


「あ、タワー……外国、の方……? ポストか……えっと、確かにそれも赤いけど……」


 彼は、自分に向けられた質問とわかった途端、のんびりと呟きながら考え出した。合間に、んー、とか、そうだな、とか聞こえる。

 あっ、としばらくして閃いた彼は、やたらバッジがついたメッセンジャーバッグから、メモ帳を取り出した。


「あの……地図……描きますか?」


 うつむくと、長い前髪が、ぱさ、と鞄にかかる。

お菓子を別に持ち、鞄にしまわないのはこだわりだろうか? それとも今食べているところだったんだろうか。



「絵! お願いします! 字はちょーっと、読みづらくてさー!」


「……あ、はい……ちょっと待って……」


 メモ帳に挟んでいたサインペンで、通りの数字や目印をところどころ入れ、細かく書かれたそれは、1分ほどで出来上がった。


「おー、すげー、こういう形してんだな! タワーって」


 手渡された紙をみながら興奮気味にしゃべる彼女は、タワーが何であるか自体からよく知らないらしい。


(この人、どっから来たんだ)


 少年は不思議そうにしながら、ふと、何か薄々気付いていた様子で口を開いた。



「あ、あなたって……その、もしかして異能力」


「おい、ちょっと黙れっ!」


 少年のぼそぼそした声より、あきらかに彼女の方が、声がでかかった。

しかしどちらも、町の雑踏で目立たない。


「来い!」


「な、なんで、おれ……」


少女は彼の腕をぐいぐい引っ張って歩く。

もちろん、地図の方向にだ。

早足で進む。早く、早く、早く。


「あ……えっと、タワー、行くなら、向き、反対…………」


「なにっ、これって、全部、紙の内容と反対向きか!」


 ぴく、と反応した彼女がショックで顔をひきつらせた。

 東西南北の記号も読んでないのか、文化が違うのか、そもそもわかってないのかもしれなかった。



「あの……わかりました、案内します、えっと、だからその、腕を……」


少年は仕方なさそうに、言い、痛そうに、細腕を見た。おそらく、赤くなっているだろう。

それに安心した彼女は、腕を離して礼を言い、とたんにぶっきらぼうに変わった。


「ああもう、ちっくしょ……なんで、お前にはばれたんだ? 目眩まし対策は万全なはずなのに」


ショックで苛立った彼女は、あなた、と呼ぶのも、礼儀も忘れて、少年に、敵を見るような扱いをする。


「……おれ、わかるんです、昔から。なんていうか、そういう人が、いるって」


 腕を離してもらった彼も、とことこと小さな歩幅で、後ろからついてくる。

彼が身につけているのは、たい焼きのワッペンがついている、奇妙なシャツだった。ここに着て、最初に買った昼飯が、たしかそれだった、と彼女は思う。

道に迷っていたときに屋台を見つけて、「おじょうちゃん、たい焼き買ってかないかい」とのことだったので買うついでに道を聞いてきたばかりだったがやはり迷ったのが先ほどだった。



「――それは、大変だなあ。つらく、ないのか?」


心配そうな瞳を向けられ、少年は戸惑ったように聞き返した。


「どうして」


「だって、自分だけがわかることって、辛いだろ。他の人と、壁が出来たみたいでさ。現代の、この町だと、特に……まるで、存在自体を、否定されてるみたいでさ」


「……みんな、すごいって騒ぐか、白けたような冷たい目で見てくるかだったし……あなたの、その、反応……ちょっと、嬉しい。でも、平気です。普通にしていれば、気にならない」


「そっか」


「あの……こんなことを聞いていいかって、思うんですが……その……あなたは、そうだった、ですか?」

「そーだな……秘密」


「はあ……」


にこ、と笑った彼女に、少年はやっぱり不思議そうな返事をした。


「やっぱりお前良いやつだな! 名前はなんていうの?」



「いつ……見込まれたのか、知りませんが……あの、コトって、言います」


「コトか! 私はな……、んー、名前か……何がいい? まんま名乗ったら、ちょっとマズいんだよ」


「や……えっと……空港とか、名前、どうやって……んと……じゃ、クルフィで」


「菓子か! 好きなのか?」


「……いや、なんとなく」




――彼女の故郷の町は、荒れに荒れていて、当時、魔法の町、として旅行客が描いてくる夢を、完膚無きまでに打ち破る荒れようだった。


誰かのために、わざわざより良いことをしようとするやつは、バカにされ、誰も、誰かのことは考えなかった。



あの国では、みんなが何かしら力を持っていた。とうとう規制も追いつかなくなり、それぞれが好き勝手していたのだ。


不自由はしなかった。

それなりに、楽しかった。悪いことも、良いことも、事実上、存在しなかった。悪いと言われれば、すぐに、何かしらで良い何らかに変えさせれば、それで良かったのだから。


不良も、優等生も存在しない。誰も、不満を漏らさないし、だいたい、不満を抱える前に、どうにかなっている場合が多くて、平和で、殺伐として────


「なにか、懐かしいこと、考えてますね……?」


突然ぼやっと声をかけられ、なおかつそれが図星の内容だったので、彼女──クルフィは、うおあああ!

ときゃんきゃん響き渡る声を張り上げた。


「うぉま、お前、居たのかよっ!」


「ぐ、耳が……」


頭を押さえる琴に、彼女は、少し冷静になって謝った。


「……ああ、そーだったな、悪い、案内頼んでたんだっけ」


「目的地なんでしょう……忘れないでくださいよ」


ふいに、思い付いたことがあると話を聞かない彼女の癖が、ここで出てきた。

注意されたことなど頭に入っていない。


「あっ、そーだ、お前さ! 仲間にならねーか? いーよな、そーだよな! 名案!」


「え……あの、はい? 初対面の人物に、なんで……そんな、ぐいぐい来るんですか……」


せわしないヒトだなあ、と呟いた琴に、クルフィは全く無関心で、勝手にきゃいきゃい跳ね上がる。


「報酬は山分けすっからさ! ダメか? あ、物騒な話じゃないんだ、って言ったら余計怪しいよな……んー、一緒に、こう……そうだな、今みたいにだな」


「大丈夫、おれ……わかるので……あの」


「え?」


「……あなたが、根は、悪い人じゃないってのは……その、そういうのも、その人の、ステータスというか……変かもしれないんですが、一回、見たらわかるというか……あの」


驚きで、固まったままぽかんとする彼女は、彼の言葉に、信じられないほどの奇跡を感じていた。


一方で、変なことを口走っている気がしてきた琴が、眉を八の字に曲げ、申し訳なさそうにする。

泣きそうな姿は、まるで甘えている子犬のようだ。


「あ、あ、あの……」


見た目は猫っぽいのに。

と彼女は勝手に思う。


「それ、本当すげーな! お前、いや……コトさん! 是非ともお友達になってください!」


キリ、と目付きを変えて、右手から握手を求めてくる彼女に、琴は相変わらず不思議そうに、はあ、と呟き、両手で握り返した。

ため息ではなく、なんだコイツ? が凝縮されているみたいだった。


「あ、いいですよ……というか、うん……おれも、あなたみたいな人は、見ていて、飽きない気がします、よろ、しく?」


ぺこ、と頭を下げると、前髪が垂れてきた。それが、頭を上げると再び分け目の定位置に収まるのに、彼女はなんだか感動してしまう。



「コトっ、よろしくな! 町で会ってもクルフィって呼んでくれ!」


「いや、そもそも本名、知りません……」


「いや、それがさ、んー……なんだっけな、リライトなんとか」


「……えっと……覚えてないんですか?」


琴は、そのとき、初めて笑った。





・・・・・・・・・・・・・・・・


>16:40、晴天<


残念ながら、大手を振って中に入るようなことは、出来なさそうだった。


クルフィは、すっかり、一部の方々の間で有名人になっていたようで、すっかり人払い済みの中芯タワーは、異様な静けさで、お出迎えの準備、といったところだ。


入り口のガラス戸には、何やら緊急点検、の札が置かれているが、ほとんど、作業員らしき姿は見えない。中の点検だから、というにしたって、点検というにもなんだか違和感があり、むしろ徹底して警備をしている感が、すごい。


きょろきょろと、無線を持ってうろつくスーツ男ばかりが目立つ。


何より、視線が、数メートル先の歩道の、こちらにやたらと集中している気がするのだ。



「いや、これ確実に待ち伏せされてるって……イカした強面兄ちゃんが、正面に左右4人ずつで8人──と、別にまた、2人が、近くをうろうろしてる気がする」



「あの……いったい何を……、やらかしたんですか……」


「ちょうど良く乗り物があったからさ、ちょっと」


「え……ダメですよ、それ。お金、払わなかったんですか」


「いや、その……足りなくて」


「……はあ」



木陰からこそこそする二人だが、琴は至って冷静で、目が泳ぐのはクルフィだけだ。


「な、あの中に、見分けるやつが、いると思うか?」

「んー、正面8人中……一番右と、その隣と……3人、でしょうか……」


「おお、すげー、外の、しかも15メートル先でもわかるんだ」


「きみたち」


ふと、会話に、聞きなれない声が混じった。


 背後を見ると、胡散臭そうな風貌の、ひょろひょろした男が立っていた。

着ているのは線が入っている紫のスーツだ。襟に、ひらひらしたものがついている。


うわあああ、ということもかなわないクルフィはびっくりし、琴はさっと姿を消した。彼はなかなか生きる知恵に長けていそうだった。



「な、あいつ……」


「ねぇねぇ、こんなところで、何をしてるのかな?」


男をよくよく見てみると、オールバックの髪をしていた。50代ほどだろうか。

優しげだが、どこか、ぎこちない笑みに、裏がありそうに感じられた。


「いや……その、遊びに来てたんすよ、で、なんか、ものものしいっていうか……近くを、通りかかったから……」


適当に喋りつつ、背中で隠しながら、くい、と曲げた彼女の指先が、小さく円を描き、彼女の背中を指す。彼女が小さく何か呟くと、しばらくの間、高い耳鳴りのような音が、彼女だけに聞こえていた。



「──んん? ああ……のら猫か」


少しして、男は、急に、目が覚めたようなことを言い出した。その様子からすると、彼女の使った、一番得意な幻術が、一応成功したようだった。


変身ではないので、自分に使うと、自分で確かめられない。


彼女は思わずほっとしていたが、ふいに、男の目付きが変わる。


「……ハハハハ、私は、猫が、大っ嫌いだ!」


(げげっ、やばい……)


逃げ出そうとしたが、服を摘ままれた。鮭みたいな色の、薄い素材の上着が伸びる。


「きみはもうちょっと……世間を知るべきだね」


バレた、と思ってはならなかった。認めた時点で、術は無効になる。しかし、無意識の感情というのは、鍛練しなければ、そうそう咄嗟に誤魔化せなかった。

男は、ハハハハと笑い、彼女の前に手をかざす。


「おやすみなさい、お嬢さん」


だめだ、と彼女はふと思った。だけど、遠退いていく意識ではどうにもならなかった。



















<font size="5">17:42</font>


「ハッハッハッハ!」



 不愉快な声で目が覚めた。

クルフィは、咄嗟に、ここが、敵のアジトかなにかだと思った。

そして、敵というのは、もしかしたら、ハンターやそういう類いかもしれない。

ハンター撲滅運動だのの騒ぎも、過去にはどこかしらであったようだが、結局のところ、異能力というのは、多くの世界において、便利な道具か、化け物扱いに近いところを持っていたし事実に、それをものともしないほど根強い。

周囲がどう止めても、結局は、決断するのは本人でしかないという話と、似ている気がする。

言葉の内容よりも、その人が自分を哀れむ事実、の方だけに重きが置かれることは、それなりにあるのだろう。


もっと自分で、気を付けねばならなかったのだ。



ここは比較的安全なところだとは聞いていたが、てっきり油断していたらしい。

彼女は後悔が苦手だったので、とりあえず目を見開き、一秒の間に、目付きを変え、けろっとした。


『生きるのなら考え続けろ』

『無益な後悔はしない』


というのが、彼女自身のモットーだ。守れるかは常に微妙なところだが。


「ん……頭、いてぇ」

「おやおやおやおや」

 ぼやいていると、店の前で集まる若者を見たような座り方で、ずっとこちらを見ていたらしい男が笑った。しかしながら幼稚園の先生になれそうな雰囲気だった。さっきから、笑っていたのはこいつか、とぼんやり思う。

目の前で、ぴょこぴょこと、パペットを動かしていた。

(タヌキ……いや、ヒヨコ?)

男については、ほぼ知らない。オールバックで、エプロン姿の、ひょろ長い男だ。そして……得体がしれない力を持っている。


「お嬢ちゃん、起きたようだね?」


ぼそ、と彼女が数語呟くと、男のパペットが、グシャ、と音を立てて放られた。

「寄るな」


パペットを拾い、指ではたきながら、もう一度、右手にはめ直した男が、不気味に笑む。


「あら、寄るなとは、ごあいさつだね?」


クルフィは、頭のなかで、炎を浮かべた。

鮮明に浮かべることができる。脂の匂いも再現できる。腹が減ったらしい。今、炎に関する呪文を言えば、髪の毛に火がつくのかもしれない。


ふと、パペットを見た。こいつは食えない。


「ハッ、てめぇに挨拶なんてしたくないね」


「きみには皮肉がわからないのかい?」


「そう、そうそう、そうだよ! ……肉が、食いてぇ」


「良いことを教えよう」



「な・ん・だ・よっ! いちいち。こっちは肉が食いてぇんだよ……」


考える気がないクルフィは、ひどくだるそうにぼやいた。


「私は、きみの雇い主だ。挨拶したまえ」


「あ、ていうか……ここは、どこだ? あいつはどこに消えたんだよ……あーもうわかんねぇ!」


キョロキョロしはじめたクルフィは、話など聞いていなかった。聞く気がないともいうが、腹が減って、じっと出来ないともいう。


見回してはみたが、どこだかさっぱりわからない。ところどころ剥がれたり木の枠が縦横みえたりする白い壁。床は、ツルツルした、廊下にあるようなタイルだった。


物は特にない。

学校の、体育館のような広さがあり、窓だけはそれなりにある。

なんの為の部屋なのだろう。

眉を寄せていると、ふいに目の前の、一見、壁の一部と見紛うドアがスライドして開き、誰かが来た。


「……あ、クルフィ……もう、いいの?」


その姿を見止めるなり、彼女は目を見開き、わめく。

「──って、お前っ、どこにいたんだよどこに! 一人で逃げやがって!」


コトは、ぼやっとしながら、丸い盆に入れた急須と湯飲み類片手に中に入ってきた。緊張感のなさに、クルフィは混乱した。


「……この人は──その、おれを見つけたけど……普通の、おじさん、だった」

「はぁ!? コトはいつからそいつの味方にっ」


「……口を慎め」


拳骨が、彼女の頭上を狙った。彼女が咄嗟に避ける。男は、にこにこしているはずなのに、するどい目付きにしか見えない。

わざとらしい咳払いで、仕切り直した男が語り出す。


「まあ、さっき言った雇い主、というのは、嘘だ。きみの管理は一任されたが、しかし厳密には、違う。……上がね、きみを、こちらで」


「なあ、お茶うけ? は、なんだ、コト」



「……あー、これは……饅頭」



「聞けよ」








<font size="5">18:00</font>


男の説明によれば、どうやらここは、中芯タワーの地下にある、避難スペースらしかった。何から避難するのかは、見当がつかなかったが、だからこんなに広いのだろうか。



「無駄に目立たないでくれないか。きみの悪事やなんやらの後処理は、こちらに来て大変だった」


男の靴が、タイルを軽く蹴る。正しくは、茶色い事務用スリッパだ。


 仕事のプラン、という十枚ほど紙を束ねたものを渡された彼女は、仏頂面で目を通しているところ。

 なぜかそのままその場にいる事態になっているコトは、不満も表さず、興味深そうに、近くからそれを覗いていた。

 ノーマルホールド、アクションホールド……

長い名前が並んでいる。

魔法の圧縮率、波動……

(魔力のサンプリングレートについて?)

モノラルの場合とステレオの場合、それぞれから抽出できる固体が異なっている。

こういった本を読むのが好きな彼は、内容についつい興味を持って読み込んでいた。

 力の中にはなんらかの方法で、急速にゼロクロス(マイナスからプラス、プラスからマイナス値に変化する部分のゼロ地点)に戻そうとする時に結晶化するものもあるらしい。

こういう漠然としたのにもいろいろ理論があるんだな、と思う。

 しかし、こんなことばかりつらつらと並んでいるのは、いったいどういう業務なんだろう?

ところどころに、『ラブソング』とか『恋愛感情』という項目があるのがやけに気がかりだが……




「しっかしよー、いきなり後ろから来んのはヒキョーだろ! 手荒な歓迎にも、程がある!」


むすっとしたクルフィがぼやくと、男はハハハハ、と笑った。

「きみみたいな人以外が紛れこんだら、厄介だからね。警備は厳重にしていた。きみが、突っ立って何かに巻き込まれても、また厄介だからね。さっさと回収しないとと」

余裕の態度に苛立つクルフィが、拳を握りしめる。コトは、無表情で首を傾げながら男を見て呟いた。


「何か……調べる人だ…………とても…………うん、強大な力………力自体を否定するような……」


「きみは、いい目を持っているんだね」



「…………」


 これは褒められているのだろうか、それとも、睨まれているのだろうか。

男が全く笑いもしないので少し考えてしまった。もしかすると勝手にそんなことを言ってはいけなかっただろうか、あのときの少女のように――と、少し慌てているうちに、少女のほうははしゃいでいた。


「だろっ、すげーんだぜコイツ! 広範囲で見分けられるやつって、なかなか見ないしさ」


「あ、あの……別にその……おれ」


コトがすまなさそうな顔でうろたえると、クルフィは少し冷静になって言った。

「コイツは、組めると思ったんだ」


「……ふむ」


男がコトを見た。

コトは、どうなるの、と言いたげな表情で、肩を小さくしている。


「……彼女には、手紙などで、ざっと説明しておいたが、うちは、世界に散らばる力の源を、回収する業務をしているんだ」



「それは、何……どうして……そんなこと……するんですか」


男が、クルフィに目を向けて、聞いた。


「きみは、薄々気付いていただろう。この国ではね、他者に影響を及ぼす強力な力は、ほとんど使えない。一定を保たれてしまうんだ。国が、ものすごく複雑な、均衡呪文をかけているからね。幻術や暗示系は、ギリギリ。でも、他要素が必要になるような強い力はほとんど出せない」


「出る杭は打つ、ってことか……なるほどな。相手がいつもより強いんじゃなくて、こちらの力を制御されていたのか」


「結果の現象としては、同じだ」


「そうだけど!」


「それを、なぜ……回収……」


「ああ、そうだったな。目的のために必要な力を――集めている、と言っていいかもしれない」


男は淡々と答える。


「でも、やつらにとっても、良いことだろうよ。使うことが出来ないエネルギーは、蓄積していくと、脳や、精神に著しい影響を与えるんだ。

他の者の力と反発しあうと、制御が効かないほど攻撃的になる。それを助けるのが主には『この場所』のお仕事ってわけだ」



「それに、組んでくれってことですか……ほかに、誰かは……」



「極秘につき少数精鋭でな、さらに他の奴らは今は、いない」



「はぁ……今は、ですか」



「痛ぁっ! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い!」


ふいに、クルフィが悲鳴をあげた。頭を押さえて痛みに呻きだす。尋常ではなかった。コトは病院に連絡しようと、携帯電話を鞄から漁る。男は、それを止め、彼女にゆっくり手をかざした。次第に、彼女の、頭を押さえていた手から、力が抜けていく。

「……あたたかい波動」

 男の、その顔には似合わないな、と琴は密かに、失礼なことを思った

「あれ、楽になった……?」

クルフィは少しだけ潤んだ目で、俯いていた顔をあげた。男が、回復系の力を使っていたのがわかり、密かに、そんなに悪いやつではないのかもしれないと感じる。

 先ほどから見ている限り、彼も、彼女も、何らかの力がある……

 それについてもコトは少しだけ前向きな感情を覚えていた。


「今になって反動が来るとは、遅いな」


「反動? なんのだよ」


「力を無理に押さえられているからな。力を使うたびに、反動で力に見合った痛みがくると、覚えておくといい。場合によれば、死ぬぞ」


「筋肉痛……みたい……」

「なんだ、じゃあ……筋トレしろってことか?」


「お前ら、聞いてたか?」





自身が死ぬ、なんて言われても、クルフィはピンと来なかった。死んだ人は幾度も見てきた。吐き気がするようなおぞましい光景も、いくつも知っている。でも、結局は他人事だった。

自分は、他者にはなれないのだ。


ただ、気を抜くと、猛烈な痛みになって返ってくることは、理解した。


「――特に、持続性のある、外部に向けた呪文は、一気に使うと、お前が死ぬ。定期的に解除すれば、いい話だが」


「――持続性っていうと、誰かを操るとか、そういう類いのやつか。いや、あれは、暗示系だと思うし、ダメージなんて」


「それは、やったことがないが、例えば、そう――何かの封印、とかな」


「封印……」


黙るクルフィの隣で、琴は、自分がここに連れて来られた理由をまだ聞いていないと思い出した。


初めは、ヤバそうな人が来たから、さっさと姿を眩ませようと思っていたのに、気が付いたら、体が植え込みの影になる場所から動かなくなっていて、戸惑っているところを、倒れたクルフィを担いだ男に、来てくれと言われた。

 逆らうと、どうなるかわからないと思って、ついてきたのに。



「力の回収……」


想像よりは平和的とはいえ、なぜ、こんな物騒っぽい話になってしまっているのだろうか? クルフィと呼んでいるこの少女も、実は案外──というところまで考えて、自分の感覚を疑わないことにした。


話しかけようとしていると、天井に雑にかかったスピーカーから、盛大な警報が鳴り響く。


「う、うわ、な、なに!?」

クルフィが相変わらず元気良く跳びはねた。琴は、お?というくらいの反応を示した。

男がにやにやしながら、扉を指差す。



「さあ、初出勤だ。プリントは、さっき読んだな? 行って来なさい」


「うぇーい」


「そ、そんな、社会見学のしおりみたいな……」


帰るに帰れなくなったコトが、涙目でいるが、誰一人として助け船は出さない。

「んー、振り込みはあの口座だったな?」



「報酬より、まず仕事をしろ。それに、月末に払う。今回のことだが、まあ、要は、外にいるお客さんをもてなせということだな!」


じゃ、と男が出ていくと、残された二人はきょとんと目を合わせた。



「饅頭、全部食べてしまいました……」


「いや、たぶん、本当にもてなせということじゃ、ないと思うぞ」




<font size="5">18:32</font>



いつのまに、こんなに暗くなったのだろう。そろそろ、秋に近づいているのかもしれなかった。やや肌寒い夜の町は、相変わらずうるさくて、電気がピカピカと、寂しい足元を照らす。


彼女は、琴と二人で、エレベーターに乗って、まだ地下の範囲から出ていないガラスの向こうを眺めていた。光の中で、辛うじて残り続けるような、狭い闇は、無性に、心の中の弱い部分を、引っ掻き回すみたいで、彼女には、少し不愉快だった。



絶望的な孤独感は、どろどろした、真っ黒な感覚を生み出す。他者を巻き込んで、引きずって、落としていく、飲み込んでいく。


それのせいで、何人の友を失っただろう。寂しい、なんて思ったところで、鬱陶しい感情が止まらなくなるだけだと、知っているのに、なんだか感傷的になってしまう。


すべてが、嫌いで、憎くて、たまらなくなる。

ひたすら寂しくて、すべてがどうでもよくなって。

ときどき、自分では抑えられない。


「……あの町も、ここみたいなだったかな。私も、あんな感じだったかな」


小さく呟いたそれに、意味などなかった。切り替えないとと思うのに、惨めな気分が止まらなくなる。



「いいじゃないですか……おれは、誰とも違いました」


ふいに、隣に立っていた琴が、彼女の胸の内をなぞるように呟いた。


「……だから、町にも……人にも、繋がりみたいなの……感じられなかった」


彼女──クルフィが、意味を聞き返そうとしていると、ちょうど、エレベーターが、緊急停止した。


狙い済ましたかのようなタイミングに、ますます眉が寄る。首を傾げるコトを引っ張って、フロアに降りた。どうやらここはB2Fで、地上に出るにはあと2フロア足りなかった。


「おいおい、故障か?」


「……あ、おれの、ミニカツ、あのとき落としたのかな」


「ミニカツについて、今、閃かなくていいだろ!」



「でも、おれのミニカツ……」


ミニカツって大体なんだ、とクルフィは言おうとしたが、すぐに切り替えた。

それは、不思議な直感だった。


「最下にいるときは、気付かなかったのに……暴走した力の、においがするぜ。このタワー内」



互いに、無理に歩み寄ったり、噛み合う必要はない。割り切ってみるのも、それはそれで、心地が良い。

納得した気分になっていると、琴が、ぼやっと歩き出す。転ばないか、クルフィは内心で心配した。


「そう、ですね……、電気の、痺れるような痛みが、熱くて、頭が揺れるような、焦げた感じが……する……」


目を閉じる琴に、無防備さを感じつつ、クルフィはそのそばに立った。



ここで、問題だった。

彼女は今さら、気付いた。力の感じはあるが、敵の姿が、目視では全く見えないのだ。


「──で、どうやって、そのミナモトさんを、回収しろっての?」


「……見えない……ですね。てっきり、人が、使ってるのかと、思ってましたが。っていうか、お客さんは外にいるんじゃ……わっ」



頭が揺さぶられるような頭痛に、琴が一瞬、体勢を崩した。なんとか持ちこたえたものの、少しの間、痺れが続くようだ。


「大丈夫か? あのジジイ、なんとか回収して、箱に詰めて、頑張ってねーほし印ーくらいのことしか言わなかったよな。ちくしょ、騙されたかな……」



「ああ、わかった。リスクがあるなら、体から切り離して使うスタンス、と……なるほど……勉強になります……」



「あのさ、勉強になってる場合じゃねーよコト!?」


仕事内容についての説明を聞いた際、実体や、どんな姿で、どんなことが出来て、そもそもそれは何であるのか、という質問に対して「未知だ」で貫かれては、どうしようもなかった。


お前はお前の存在を説明出来るのか、という話になりかけて、退散したのは、少し前のことになる。


帰ろうかなーと文句を言いながら、ひとまずは外に出ないといけないので、エレベーターに乗った辺りで、出ていったはずの男が、にこにこ見送っていたりもした。腹立たしい。


しかも、がんばってねー、害虫駆除みたいなもんだから。と言ってどこかに、早々退散したのだ。


「あー、せめて、位置が特定出来ればいいんだけど……うわっ」


クルフィが、何かに右足を取られて転んだ。受け身はとったものの、中途半端で、少しアザが出来る。


「いたた……あ」


壁を見た。固そうな素材だった。床も、多分そうだ。薄暗い闇で、周りがどうなっているのか、実はよくわからない。


しかし、途方にくれていては、帰ることが出来ないのだ。どうにかしなければ。クルフィは、難しいことを考えるときの癖で、親指の腹を噛んだ。少しだけ、落ち着いて、何かがわかったような気がしてくる。

小さく息を吸うと、自分の髪の毛を一本引き抜いた。

「コト」


「なんですか……」


「なんか、個体、持ってない?」

「えっ……そんな、アバウトに言われても……えっと、何でも良いんですか?」

はい、と渡されたのは、やけにリアルな、赤い斑点のイカのストラップだった。金具が壊れたので、ポケットに入れっぱなしだったようだ。

「サンキュー」

イカに髪の毛を巻き付けて、少し念じてから放ると、バチっと音がして、何かがそれに食いついた。クルフィが、納得した顔をする。

「……ああ、わかった。これ、遠隔操作じゃなくて、システムエラーだ」

「え? え?」

「……波が、一定だった。意思を感じない。誰かが仕向けているなら、力とともにさ、強い意思を感じるんだよ」

「で……なんで、イカ、投げたんですか?」

「あー、そりゃあ、こうするため……」

クルフィが右手を軽く振ると、イカが右に、浮きながら引きずられるように走りだした。バチバチと、何かを集めている。

「……あ、こっち来た、逃げろ」

「ひぃ!」

イカが一周するために走ってきたので、何らかも、こちらに向かってくる。二人も避けるために走る。

「な、最上階まで、行けるか?」

ぜえはあと息を切らしながら、クルフィが聞くとコトはさらに辛そうに聞いた。

「え……エレベーター、ですか……」


「階段だ!」


「あ、あの……おれ……持久力が……」


「とりあえず、何かあったら、骨拾うから!」



「死ぬんですか! 嫌な前提です!」



疲れていても何がなんでも、とりあえず、走るしかなかった。


非常階段は、部屋を奥に進んですぐの、分かりやすい場所にあった。


鍵をこじあけて(なぜかすんなり力業で開いた)かけ上る。心臓が絞られて、ひっくり返っているような激痛に、喉が焼ける。琴は、本当に、虚ろな目で走っていることが、よく見えない闇のなかでも感じられた。

明日は、筋肉痛だろうか。

クルフィが、激しい股上げ運動に辟易し始めた頃、ようやく1階に着いた。

最上階までは、案外長い。

「つ、つら……お前、大丈夫か」

肩で息をしながらクルフィが訊ねる。

「……はい、今はまだ……骨格標本になりたくはありませんし……」

「知らなかった、お前、拾った骨を標本にして欲しかったのか?」

「ええ、せっかく拾うなら標本に……って、なりたくない以前に、死ぬ気はありませんよ!」

冗談を言い合いながら、一階を見回してみる。今さらだが、走るのに必死すぎて、イカの操作を忘れていたことに気がついた。というか、あのイカのストラップは、鞄に付いていたのだろうか。

「──悪い、なにか間違えた。あれ、見失ったわ。イカを呼び戻すから、離れてろ」

空気を変えたクルフィに、琴は、はっとして頷く。それから、少し距離を空けた。

「じゃあ、召喚しまーす」

「なあ……お前は、わざとなのか?

数秒後、太い声がして、イカのストラップを残酷に握りしめた、あの男が立っていた。




<font size="4">19:13</font>


「ひゃっほう、イカでおっさんが釣れたぜ、コト! さあ煮るか? 焼くか?」


「……即刻リリースします」


現象については、正しくは、システムエラーとは違っていた。


この場所は、最上階の司令塔から膨大なエネルギーで、タワー内の全コンピューターを一括管理しているため、少しどこかにエラーが起きたら本来エレベーターすらまともに起動していないのだ。


男によれば、誰かが放ったままにしていた、人間用に売り出された悪質な追尾系イタズラ用玩具の類いの、中身、が残っていたらしかった。

(しかし、なぜあの階でエレベーターが止まったのかは、謎のままである)


「純血の人間には、しっかり見える物だ。なのに、二人とも、見分けられなかったというのは、また、厄介だな」


「な、おっさんは見えた?」


「コト、この猫に首輪を付けておけ」


男が、クルフィの軽口を、険しい顔で琴へと流したが、琴は取り乱し、聞いていなかった。男がおや、と意外そうな顔をする。

それほどまでにショックなことだとは、クルフィも思っておらず、様子の変化に戸惑う。

「おれ……人間です、そんなはずないです、なのに、そんなはず……」

 琴は、震えながら、握りしめた指の先をナイフのように滑らせて、爪で左腕に力を入れた。皮膚がわずかに割け、だんだん血が染み出てくる。それは一瞬の冷たさが、じわじわ、燃えるような熱さへと変わっていくようだった。小さな傷痕が、それ以上に大きな彼の葛藤を、痛みに置き換え、必死に押さえ込もうとしている。うつむいた前髪が、涙を隠す。流れる血は、すぐに止まった。

「んー、よくわからないけど、まあ、そんなはずないってなら、信じるぜ。ほらさっさと笑ってくれっ。というか、とりあえず、なんか食いに行こう! 腹へった」

 クルフィは下手に気遣うこともしなかった。食欲第一に見える言葉だったが、きっと彼女なりの優しさなのだと琴は思った。

「……はい! 何が食べたいですか」

「肉ーっ!」













<font size="4">20:00</font>


 外に出てみると、すっかり冷え込んでいた。

至るところにある、ギラギラした灯りが眩しい。楽しそうな若い男女が、そばを通り抜けて、どこかに入って行くのを見ながら、苛立ちをこらえる今の彼女は、誰からみても物騒な形相だった。

 現にクルフィの頭の中はごちゃごちゃしている。一見すると、何も考えていないようだが、実のところは、気難しいのが、彼女だ。しかし、本人自身は本気で何も考えていないと信じてきた。常になにかをすることで、暗い感情を隠し、常に食べたり笑うことでごまかし、嘘をついて生きる。

醜い自分が悟られないように、彼女が身につけてきた処世術だ。

だから自分の本来の感情について、深く考えることもない。


自分と並んで歩く琴は、少し寒そうに身を縮めていた。嫌な気持ちを誤魔化すように、彼に呟いてみる。


「にしても、この町は、平和だな!」


「そう、ですね」


たくさんの笑い声が、今の自分に、手の届かないものの、抽象的表現のように思える。それが、腹立たしい。少しだけ話したあとは、長い沈黙だった。

互いに、話すことが浮かばず、疲れもあり、話す気力も少なくなってきていたのだ。

賑やかな町が、どうしようもなく、心をかき乱す。すべてを壊せたら、と物騒な考えに陥る。

 今のクルフィは、ほとんど余裕がなかった。歩くうちに体が上げはじめた悲鳴は、それほど痛いものだったのだ。自業自得とはいえ、軽く遊ぶ程度ならと、侮っていたらしい。



痛みを押し隠そうと、何か提案を出そうとは思った。なんでもいい、何を食べるか、とか、家はどこだ、とかそういえば、お金がないかもしれない。

頭では思うが、しかし、口に出すことが出来ない。指が痺れて、足がじわじわと締め付けられた。

動悸が激しく、息が辛い。何より、激しく頭が痛かった。

黙ったまま、痛みを隠すのに精一杯だった彼女は、琴の様子の変化にも、しばらく気付かない。




「空気……ヒリヒリ、してますね」


どのくらい経った頃だろうか。琴が、震えた声で、そう口にして、わずかに動揺してしまった。


「え?」


なんとか声が出せたことに、内心で安堵しながら、聞き返す。


「戻そうと、打ち消そうとする、強い空気を感じます…………なんて、言うから、変に思われるんですね、おれは」


琴は、寂しそうに言った。先ほどの話を思い出しているのだろう。


「変じゃないやつ、なんて、どこにも、いない」


そう言って、いつの間にか俯いていた顔を上げて、彼の目を見て、事態に気付く。今の琴の表情は、自分と同じ、何かを隠すのに必死な表情なのだ。

彼の顔にはうっすらと汗が滲んでいた。

「おい、お前、頭が痛いのか?」

「それは、あなたでしょう」

「……私は、別に」

 またしても沈黙。それは、心地悪いものではなく、いっそこのまま黙っていられたらと思うようなものだった。痛みが思考を麻痺させる。イライラさせる。背後の壁がいきなり、赤い光に照らされた。 救急車が道を空けるようにと促し始める。


「なにかあったのかな」

「…………そう、ですね……」

「目の前の……焼肉屋でいいか」

「そう、ですね……」

歩いて数メートル先にある木看板の焼肉屋に入ることにして、二人はまた歩き出す。



 まだタワーからそんなに離れてはいなかったが、そこで、気が付いたことがあった。

「──ん、あれ? なにか、おかしくないか」

「ええ、おれも、何度か言おうと思ってましたよ」


鞄の中の、琴の携帯電話が鳴った。曲はどうやら『メリーさんの羊』だ。それも、やけに楽しげなギターアレンジだった。

「はい……」

『場所を伝える』

かけてきた男の、第一声が、それだった。自分が忘れていたのだと思っている彼は、驚いて聞き返す。

「えーっと、つまり」

『すぐそこに見えるだろう。焼肉屋。もうじき、あそこが燃えるんだ。監視して欲しい』

「なっ、なんで、そんな――」

『タワーのシステムが、感知したんだ。さっきのアラームはその知らせで、それから、何かに力が使われることで場所の詳細が探知出来る。それまでは『外』くらいしか場所を絞れなくてな』

「そうならそうと、言ってくれれば……てっきり、さっきのは、既に、中まで上がり込んだのだと勘違いしました……」

『待つのは辛いだろ。不安だけ与えると、何をされるかわからなかったもんでね』


「……さっき、仕掛けたのは、あなたの時間稼ぎですか……」


電話が切れた。伝えたいことだけ伝える、ということだろうか。それとも電池が切れたのか。



「じきに、焼肉屋が、焼けるそうです……」


「はは、笑えない冗談だな……こっちを向け」


電話をそばで聞いていたクルフィが、複雑な表情をした。彼女は目を閉じて、ゆっくり、緑の光を思い浮かべる。それから、コトの頭に、いきなり手で触れた。

「な、なに……」


ひんやりと、体の熱が静まる感覚があった。楽になった、と感じる。痛くないと思っていたはずなのに、体が、軽くなったみたいで、視界が驚くほど開けた。


「ふふ、回復系は、案外、いけそうだな。気力が残ってる序盤のうちなら」


















     □



 いっておくが、おれは、就職した覚えがないぞ。と。羽浦琴は、思っていた。

ただ、口を動かすという動作……特に、言葉を発する、という動作が億劫でならないので、切り出せずにいる。彼には、なんとなく、流されやすい欠点があった。

別に遠慮があるとか、気遣いができるわけではないが、適当に相槌を打ち、適当に空気を読んでいれば、思慮深いとか、優しいとかだいたい言われてきたので、悪いこととは考えていない。


 ただ『余計なことを言わない』それだけで、周りから信頼されたり、相談事をされたりするようになっているし、別に都合も悪くなかった。


それでも。言うときは言う。言わねばならないのだが、この人を放っておくのも、別の事件が起こりそうで、不安になる。

結構、放って置けないのだ、こういうのは。



────と、見上げたのは、モデルみたいに、すらっとした、だけど、あまりいいと言えない目付きの少女だった。

背が高い。自分より年上なのだろうか。詳しいことは聞いていなかったが、なんとなく、いろいろな経験をしてきた風なので、漠然と考えている。


 怪しげな組織に、なんだか関わってしまったのも、この欠点が影響していたといえるだろうし、この綺麗な少女が、歳が近そうだったのもあっただろう。


 人をかぎ分けることは自信があるつもりだが、とはいえもし、変な売買とか始まったら、即座に逃げるつもりだった。


 危ないことなんて、好きじゃない。だけど。若さなのかなんなのか、好奇心に抗うのが、もったいないようで、ずるずると、引きずって……

本当になにを、やってるんだろう。

(幸いにも、そんなことはなかったが)



 放って置けないのには、彼女がなんか不安だ、という以外にも理由がある。彼女が、自分のものと、どこか似たような、暗い闇を抱えていることを、感じ取れてしまったのだ。


もう二度と、そんな人に会えないような気さえした。だから、今もこうして──


「あの、ありがとう、ございます……おれ」



「今日、付き合ってくれて、ありがとな」


 唐突だったので、突き放されたような、そんな気分になった。

慌てて絞り出した言葉を遮って、彼女は言う。

まっすぐに、建物を眺めて、小さく笑って。街の、光が──反射して、きれいだなあ。と、思うなんだか、切なかった。



「……危険なことに、引き込みたいって、言いたかったわけじゃない。私に関わると、危ないかもしれないから……だから、みんな」


みんな、私から離れていったから。と、彼女はゆっくりと言う。



「──私、結構、わがままでさ。嬉しいと、つい、ノリであんなこと言っちゃって。もともとおまえを引きとめる権利なんて、ないし。あのジジイには私が、改めて言っておくし……傷、治っただろ? 早く、帰れよ」



優しく、また明日ね、とでも言うように。


「……い、イヤです!」



反射的に、返していた。

遠くでパトカーの音がする。無線らしい雑音が、思考を乱す。琴は自分の意思で、そう答えた。はっきりと、流されずに決断していた。


「え」


 彼女は面食らったといった感じに、きょとんとした。それから、笑う。冗談だろというように。だけどわずかに喜びを込めて。


「いや、帰れって! マジであぶねーし、お前が死んでも、さすがに、焼けちまったら標本作れないし……物質が燃えちまったらどうにも再生出来ないし」


「結構です。自分の意思ですから。おれは……」



 ただ、確かめたいと、琴は思ったのだ。自分を、未来を、そしてこの人を。なんだか、初めて、自由になれたような、そんな気さえしていて、それを手放したくない。

「そっか……」


「はい」


あはははは、とクルフィは豪快に笑った。それから、言った。


「──そういうの、好きだぜ!」


彼女は、笑う。琴は答えない。腕を引かれた。クルフィは、何も言わなかった。二人は、奥へと進み出す。琴に、後悔はなかった。




・・・・・・・・・・・・


<font size="5">??:?</Font>

 

──電話は、好きじゃない。

声だけじゃ、本当の想いは完璧には伝わらないのだと、その男は、思って、考えていた。


周りの者に冷酷と言われる彼に、こんな一面があるとなれば、社員の何人かくらいは、好印象を寄せるだろうか。


電気も付いていない、タワー内の一室で、相手の声の振動波形を想像しながら、彼はいらいらした様子で、赤い印を付けたボタンを押す。

彼が相当に機械音痴であることは、部下にはまだ知られていない。


やあ、と受話器の向こうの者が挨拶をしたと同時に、男は、要件を切り出した。


「体質が変異する子どもが、人間に増えているというのは、確かなのだな。今までは信じたこともなかったが、今日、確かめたよ」


電話越しの男は、それを聞き、やっとわかってくれたかというように、早口で語り始めた。


「──おそらく、魔族たちは人間を惹き付ける特異なフェロモンを持っているだけではなかったのだよ! 私の考えでは、魔族と人間が関わる空間では、今までは普通の人間として育っていた子どもの正常発育におけるなにかが歪み、エネルギーとして引き出してしまうのだっ!」


その男には、今さら、彼のこの奇妙なテンションに突っ込みを入れる気力はなかった。

昔馴染みだが、変わらない性格である。


「何かってなんなんだ。漠然として、関係性への根拠が乏しい」


「焦るな。だから、今研究しているのだろうが。そんなものはない、という態度を取り続ける上にも内密でな」



「すまない。そうか。リミッター破壊の方は」



「まだ、抑制の限界が測れていないだろう? 振りきれるくらいの力があるやつが、そのうち、出てくるはずさ。ちまちました抑制の呪いを解きほぐしていくよりも、力で捩じ伏せた方が早いというのが、私の考えだよ」


「そうだったな――果たして、礎になるかな、彼女は」


「さあ……それにしても、きみは、上司に敬語を使わないねぇ」


「元クラスメイトに、使いたくはない。お前の口調にも腹が立つ」



「おいおい、どうしたんだ、気持ち悪い」

「いまさら翼といわれても、迷惑なだけだ、いっそ死んでくれ」

「翼が嫌いかね?」

会話を成り立たせるのが難しく思えたので、最後まで聞かずに通話を閉じた。

頭が痛い。今日は、どうしてこんなに疲れるのだろう。

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