【回想】幻影の大魔女
「そろそろ、『戦闘用の司書』を配置しておきましょうか」
彼女はふと、ぼうっと彼の方を向いた。
魂が連れていかれそうになる、吸い込まれるような真っ赤な目。
ナナカマドは咄嗟に目を反らした。
「そうですね、それも定めかもしれません。込神大図書館にもおかしな動きが現れているようですし……」
しばらく竪琴を弾いていた彼女は、ふと、呻いた。
「うっ……ぐぅ……う……」
背中に刺さっているカトラリーから夥しい血液がぼとぼとと滴り落ちる。痛みを堪えながらも彼女は表情一つ変えなかった。
「あの人の、銀器が、また、誰かが――」
彼女はその場から立ち上がり、咄嗟に手を上に掲げた。
暖かい光が満ちて身体に降り注ぐと、いくらか出血が収まる。
「あぁ。だめね。時とともに、縛りが緩くなってきているみたい」
大昔の『あの戦い』の傷を負ってもなおその姿を保っているのは彼女の力がそれほど強力だからだが、世界に変わらぬものが無いように、幻影は時とともに移り変わっていく。こうしている間にも、魔法で保護している肉体が溶かされ、すこしずつ朽ちていくのがわかった。何かが喉に引っかかるようで咳き込む。胃に穴が開いているらしく、わずかに血を吐いた。
「ごほっ、ごほっ、魔力が減っていくばかりだわ。どこかに、そう、空とか、山に、居ついた方が、本当は良いのだけれどね……」
ナナカマドは何も返せず、床板を睨みつけるように見つめた。
この街は、力に頼りきりだ。そして、それをなんとも思っていない。
魔法ということは、おおよそはいつか効力が薄れる。
幻の力が強いということは、現実から切り離されているから。
そして、創造主に近いから。
魔力も定期的に循環させなければ続かない。
山や海に居つくことで安定して供給されるものだが、ここは都会だ。
一度、契約した魔女自らでより強力に契約を宣言、術をかけ直す必要がある。それも、効力が街全体に及ぶには、当人自らが、新たに効力の範囲を指定しなければならなかった。
魔法魔術会議は普段は人間との間を取り持つための区画制御の関係の話が多いが、ほかにはそのための話し合いが行われる場のひとつでもあった。
しかし、一部のものは工作員を用いて会議の参入を遅らせるべく動いている。それが意味することはいつかは死ぬかもしれない魔女をそのまま殺し、いつかは切れるかもしれない魔法を、そのまま使い続けるということに他ならなかった。
「いづれ……」
血で汚れた唇を拭いながら、彼女はよろよろと立ち上がる。
「私本人の力で、もう一度、指定しなおす日が来る……
いえ、このままだと、来ないのかしら」
ナナカマドは苦虫を噛み潰したように微かに顔をゆがめた。
何かを生かすということは、代償に何かを殺すということ。
何かが生きるためには、必ず何かが死ぬ。
肉や魚を食べるのとなんら変わらない。
この街は、魔女たちや、精霊、天使や悪魔を、ほとんど肉や魚だと言っているようなものだった。何故だろう、怒りに震えているはずなのに笑ってしまう。
(なるほどな、お前らは純粋な人間じゃないなら殺すのか)
術を改めて張り直すことは、彼女の背中の銀器を新たに補われた魔力で押しとどめることでもある。銀器は神族が好んだ魔除けのひとつで、大戦の記憶とともに彼女の身体に、忌々しい闇を封じているそれは、いつ再び災いの引き金になってもおかしくない。
『社長』が現れたのは少し前。
そしてその社長の嫌がらせが本格化したのは大規模な結界の張替えと再契約が行われていた頃だった。
ずっと見張り続けていたらしい『社長』はあろうことか、その日突如診療所に現れると、そこに居た彼女のデータを強引に機械に吸い取らせ、そのデータ上に自らの名前を重ね、そして呼び出した。
――否、何かを、呼び出そうとした。
『幻影の主は私だ!』
そう言って彼は何度も『我こそが主である!』
『我こそが此の親である!』と念入りに繰り返したらしい。
繰り返す、というのはある程度のまじないの初歩ではあった。
術の最中に動くことは出来ない。
抵抗しない彼女の横に立つと、彼は儀式の矛先を強引に自らに変えようとした。
―――ウワアアアアアアアアア!!!!
しかし術に割り入ったところで、完成されるはずが無い。
契約の張替えを咄嗟に打ち切り、彼女は突然入ってきた侵入者を診療所の敷地外で待っていた男に報告した。
ナナカマドは慌てて男を取り押さえる。
術の中で自身の幻にとらわれていた社長は突如発狂し、その場でのたうち回った。
「意識が同調してしまったみたい……」
呪文は、術であるものの、ある意味では強い言霊のようなもの。
彼は彼女の近親者ではなかったものの、直接術の一部に触れてしまい、濃度の高いまじないをじかに浴びたことになる。
まじないの一種をやろうとしていた彼と僅かにであれど、同調が起きてしまうのは必然だった。
それどころか、無謀にもいきなり契約者を変えるという大掛かりな術をやろうとした。
「何で止めたぁ!!! 何で俺じゃない!!!!」
彼は叫びながら近くにあった分厚い本を手にして床に投げつける。幻のせいなのか、顔を真っ赤に高潮させ、目が釣りあがり、人が変わったようになっている。
「なんで俺じゃないんだぁ!!」
もう一度取り押さえようにも、暴れまわっていてなかなか手がつけられない。唱えかけていた、広く幻影を指定する呪文が、そのまま彼に襲い掛かっているらしい。
「頭が痛い。此処はどこだ?
ここは、俺の知っている込神か?
あれ? なんだか、あれ? 俺は誰だ? あれ? なんだこれ。
俺は、だってどう考えても俺の世界じゃないかよ。俺の世界は此処だろ? 違うのか? だってどう考えたって俺の世界をお前らが考えているとしか思えないだろ? 俺は……あれ?
アーーーーーーーー!!!!!!!!」
ぐるぐると辺りを旋回しだしたと同時に、社長は突然泡を吹いて倒れた。病院に搬送されるが、それからというもの、社長は更に此方への恨みを募らせている。
ナナカマドには別の確執もあるのだが、此処では割愛する。
「万が一のときは、私が」
ナナカマドは幻影の大魔女に言う。
「えぇ。そんなことが、あれば」
彼女は薄らと唇を歪めて妖艶な笑みを見せた。
術の最中に、承諾されていない近親者や意識の近い者が立ち入ってはならない理由は複数ある。
遺伝的に言語イメージが似通っており、激しい炎、と唱えると、同じような炎を描くことがあるといったように、意識同調の度合いが濃いため。
また、一種の術系統によっては依り代に用いたものなどの効力に引き寄せられてしまったり、何かに憑かれるなど、よくない影響にあうため。
彼女――幻影の大魔女、が担っているのは、魔力が循環する領域のひとつでもある、『人間の意識より層がわずかに高い位置にずれた空間』に対して力を均衡に働かせる術だった。
それは同時に街全体において安定した幻術を作る魔法ということでもある。この術において第一に同調に関わらずとも近親者等に立ち入らせないことは純度の意味で必然だった。
細かくするとむずかしい定理になってしまうためいくらか割愛しなくてはならないが、神社などの境界としての鳥居のようなもので、層を現実とその間にある層とで仕切ることと関係している。
そこに置いて、この『現実と自分の間に根が繋がっているもの』置いて層に関わることは『穢れ』とされていた。
これは冥界の食物を食べることがその世界を取り込むというようなものと類似している。
あちらとこちらの間にある境界にそういった『穢れ』が割り込んで来るということは、あってはならないのだ。
(202108042339)
その『約束ごと』を無視した巻き込み事故は毎年のように起きてはいるが、だからこそ魔法使い側からの取り締まりは常に存在する。
しかし近年ではやけに『それ』が頻発するようだった。まるで悪戯な者がわざと、意識を同調させるべく付きまとっていて唱えるところを見張り、誰かが魔法を使うとすぐさま同じ内容を繰り返して唱えるような……
(術者の背後に、繰り返す者が居る?)
まるで、反復機能がついたおしゃべり人形ではないか。
『リンゴ!』というなり、すぐさま『リンゴ!』と繰り返す者が──社長のときのように控えて居るのだろうか?
けれど、これも、通常ならただこれだけで術は完成しない。
単に唱えただけでは、なんら指定出来ていないため発動しようが無いからだ。暴走させるとしても、あの事件のように同じような式を複数の箇所に同時多発は難しい。術者の届く範囲や、指定した場所や要素からずれて居たり、焼肉屋の上で歌っているだけの状況から使って居なくても発動はありえない。
例外はある。本などのアイテムを使うことだ。
図書館にもごく稀に、魔力を持った本が紛れており、一部の人間が狙うことがある。
最近は彼女とわけあって、ちょうどの話をしていたところだ。確かに人間にも魔力を行使出来る可能性、手に入る手段としては『記述言語』を用いる方法はあった。
しかし、これは重要な魔法に関しては数千年前の魔女の本などで、地上に居る大魔女を襲撃するのとは違い直接的な契約者変えは困難となる。
つまり一時的なもの、何度も読んでごくたまに上手くいく程度の代物でしかない。
人間の魔術師計画の拠点を図書館にする噂があるにはあったのだが、大魔女ほどには、ナナカマドは重視していなかった。
なにより、こうも、安定的な魔力で頻発するとなればちょっと本を読んだ程度とは思えないし、繰り返すにしても、多発するとは思えない。
繰り返す者が居る、というだけではまだ足りない……何か……バックにあるものがあるはずだ。
(20218/720:05)




