バイトだー!/ゴリラ様
─
少し前──街中、タワーに続く道の途中で「彼女たち」は会話をした。
手紙のこと、世界のこと。
それから、少年のこと。
「──男の子の覚醒をね、手助けして欲しかったのよ」
「へぇ……それで、そいつは?」
「うまく、行ったみたい」
「お前、知ってたのか」
リル、はなんだかイライラした。
世界を破壊したいと涙ぐんだキャノは、数分経つと、少なくとも表面上は相変わらずの態度に戻っている。彼女が逃亡を阻止し、敵側に回るというのは現時点の状況のリルにとっても厄介だったため、一旦町を出ることは脇に置いて彼女と話をつける必要がある。
此処に来たときのことを思い返してみた。
手紙──そもそもそれが、彼女とリル、の接点となった。 けれど、それは男の子の覚醒、を手伝うためだったのだと彼女は言った。
立場を利用して、企業という形で個人に宛てた内容だったなど失礼にも程がある手紙だと思う。
それも、まだ何もわからない少年の能力を一方的に測り、企業として試す為だなんて。
なんて残酷な企みなのだろう。なんて思い上がりなのだろう。個人よりも偉く、個人には何も訴える権利が無いとでもいうかのようだ。
「──私はともかく……」
能力が気付かれると厄介なのは本当だ。
だから、当初、彼を適当に丸め込もうと思ったけれど、あの出会いすら仕組まれていたのだろうか。
「会社ぐるみで、そんな風に……! たった一人、個人を──計測して、舞台に引きずり込むなんてやり方! あいつは、なんなんだよ……どうしてお前らはそこまでするんだ……」
普通の人生、少なくとも能力に関係のない人生を歩んで来られなかった彼女は、コトが人間であることを自らに課している為の苦悩をまるで自身の痛みのように見ていた。
それなのに、一方的に利用したいがために企業が卑怯な手を使っているという事実に目眩がする。手紙もその一環だというのか。
個人対個人ならば無視すれば良い、だけどこれはいくらなんでも──あまりにも……
「でも、あなたも、協力してくれた」
目の前にいるキャノは、なびかせている白銀の髪が顔にかからぬようにと耳にかけながらも、何を考えているかわからない目で、淡々と呟く。
「違う、あの日、あいつに会ったのは!」
リル、にも、罪悪感があった。
けれど、ただ、たまたま見つけただけで、実験台に使おうだとか会社の下敷きにして利用しようとは考えて居なかった。
──おれ、わかるんです、昔から。なんていうか、そういう人が、いるって
──だって、自分だけがわかることって、辛いだろ。他の人と、壁が出来たみたいでさ。現代の、この町だと、特に……まるで、存在自体を、否定されてるみたいでさ
──……みんな、すごいって騒ぐか、白けたような冷たい目で見てくるかだったし……あなたの、その、反応……ちょっと、嬉しい。でも、平気です。普通にしていれば、気にならない
──そっか
──あの……こんなことを聞いていいかって、思うんですが……その……あなたは、そうだった、ですか?
──そーだな……秘密
あぁ、辛かったよ。
何処に居ても居場所なんかなくて、誰と居ても、居場所なんかなくて、何も救われなくて、何も役に立たなくて。
隠しておきたいような重大な秘密を勝手に世界に公表して、更に企業という枠組みの名を上げる一部にされていた、それが、あまりにも、昔を思い出す……
ギリ、と歯を食いしばり、心の悲鳴を押さえ込む。
「ただ──」
なにか、言おうとした声が、か細くなる。
此処に来た理由も、手紙に感じた懐かしい魔力から、何かにたどり着けるような気がしたから。
『あの日』失った何かが、そこにある気がしたから。
「うふふ、そう、例えばクラスメートを、声とかで操れば簡単に進行方向を操作出来るんだよ。車だって、渋滞させられる」
「…………」
はぁ、と深くため息を吐いて、改めてキャノの方に向き直る。
「わかったよ、わからんが……旅は一旦脇に置いておく。ただ、あいつの──コトについて、私も知りたいんだ……」
(知りたい、か)
自分は何一つ教えて居ないけれど、そんな台詞を平然と吐ける自分に嫌気がさす。
(よく言えたものだな……)
隠しておきたい秘密を、勝手に探っているに過ぎない。
(私も、彼ら──企業と同じなのだろうか)彼の肩を持つとか、関わってしまったからだとかそういうんじゃない。会社が何を目的として、コトや自分を利用しようとしているのかを把握しておきたい。
キャノは、「あのね」と後ろめたそうに周りをキョロキョロ見渡し、やがて覚悟が出来たというように告げた。
「私も、確かめたことはないんだけど、彼はね──」
・・・・・・・・・・・・・・
「コトちゃん、キャンディ、やっほー!」
エレベーターが地下に着くなり、キャノが
明るく出迎えてくれた。寝てないのに元気過ぎやしないか。
コトはというとちょっと眠くなってきている。
「キャノさん、こんにちは」
リルもいるよー、とキャノに言われた通り、いつもの部屋に向かうと少女が怠そうに目を瞑り、この部屋になぜか1つだけある立派な椅子の上で寝ていた。お疲れなのだろう。
「リルたーん! 今日も麗しい」
キャンディがふざけて抱き付こうとしたタイミングで彼女が起きる。
「……んあ?」
眠そうに目を細めていると、なんか睨まれているみたいだった。
「…………」
彼女は無表情のまま、抱き付こうとしたキャンディを横にかわすと、目の前で指をぱちんと鳴らした。彼の頭に猫耳と尻尾が生えた。ニャーン。
「わあ、可愛いですね」
コトは真顔で呟く。キャノはニコニコして見守っていた。
「おはよ──ふあ……ねむい……」
彼女はのんびりと起き上がりながら、猫耳になったキャンディを無表情で見ている。なにかと猫にしたがるが、猫が好きなのだろうか。
「ちっ、耳と尻尾だけか。魔力があると完全猫にするのに手間が」
ぶつぶつ言っている(たぶんまだ寝ぼけている)彼女の横でキャノがキャンディに聞いた。
「集合って聞いたけど、なにかあるの?」
キャンディは耳をふにふにと触り、自分でくすぐったがりながらも、諦めたように目を伏せ、キャノに聞いた。
「この部屋……蛍光灯じゃないスイッチがあったらしいじゃないか、小人が居ただのピラミッドがあるだのって」
「だな」
少女──クルフィが頷いた。彼女がスイッチが並ぶ壁を指差すとキャンディはなにやら陣を展開して壁に広げている。その状態で彼は聞いた。
「コトからちょっと聞いたんだけど、それってもしかすると」
「あぁ──あいつの魔法が完成してるのと関係があるかもしれん。探してはみたが、今のところ奴らしい気配は感じられない」
コトは頭のなかが?でいっぱいになった。
クルフィはちょっと嬉しそうに言う。
「まあ、このタワーになぜスイッチがあるのかは知らないけど、属性としては奴も此処と同じ光・幻術系統だからな……混ざり合うこともあるかもしれない」
「──奴って、誰なんですか?」
「後輩──まあ、弟子だな……」
壁際に居たキャンディが「なあ、その呼び方、そもそも何でそう呼んでるんだ?」とたずねる。
彼女はきょとんとして、私が呼べと言ったからと答えた。
「すぐ別れる予定だったからな……結局長い付き合いになってきたから、考えるとこだよ」
「なるほどな、お前をリルとは呼ばない訳だ」
町中ではよく、怪しいカルト宗教が日本は氏名の重要性を理解できてない国になった! とか言っているのをコトはなんとなく思い出した。
そのタイミングで突如キャンディがやっぱり、と声を上げる。猫耳がしなやかに揺れる。
「……」
「何か見つけたか?」
クルフィは気にせずに聞いた。
(2021/6/2914:46─16:40加筆)
「循環系統の魔力だ。キロ範囲で指定してあって、壁に通じて回路になっている。わりと新しいな。スイッチで起動する仕組みだったらしい」
キャンディはよくわからないことを言った。
「広範囲指定の、循環系統の魔法ってことは、何かを維持している──タワー内部に……」
キャノが、それって、と口を挟んだ。
クルフィが首肯く。
「この規模は、まず通常の街中では制御がかかって出来ない──だが、例外のひとつというわけか……」
コトはしばらくみんなの様子を見守っていたが、あの、と口を開いた。
「つまり──どういう」
クルフィは何かを懐かしむような目をして、ぽつりと語った。
「何年も昔だ。
私の弟子に、魔術師見習いが居たんだ。
元々の師匠に酷い扱いを受けて家を追い出されてたところを拾ってな。
ずっと、師匠ーって、ついてきてたんだが、まあ、いろいろあって、別れて、今は立派にやってるだろう。
彼女は研究費を健気に稼ぎながら、
ずっと旅を続けて──
いつか、世界を見通す究極魔法を完成させるって言ってた」
世界を見通す──それが一体どんな魔法なのか、コトには想像がつかなかった。
彼女はそのまま話を続けた。
「世界中を繋ぐ目──なんて、私にもよくわからんが、一度に意識を見たい場所に繋げる魔法なんだと思う──カメラなんか比じゃないような──なんていうか、そういうすごいもの、らしいんだ……
おそらく、その魔法クラスの力だと思う。もしかしたら」
「えっと……範囲が広いって、だけでは?」
コトが口を挟むと、彼女はまだ眠そうに顔を擦りながら答える。
「──いや、他にもあいつらしい根拠はある。ただなんというか、今話す話では無いんだよな」
キャノもあり得るかもね、などと言っている。キャンディは「弟子のことは知らないが、ゲートを開く為の空間通路の維持を結界の強度で固めているらしい、何かの移動手段か?」と言った。
クルフィは「ここまでの前提を踏まえて、
まず広範囲指定の魔法は、街中では通常国が使う大規模規制用の均衡魔法が主だ」と言う。
いつになく、というか久々に見た真面目な表情だ。
「はい……」
「しかし、その指定範囲が重なるとまれに、空間そのものの指定範囲が僅かにずれて、ひずみが生まれるのかもしれない」
「つまり、均衡魔法と、その、世界を見通す魔法の陣が重なっている、為に生れたバグだと?」
「わからない──それだけじゃ、ない気がする……なんだか、嫌な、予感がする」
彼女が悲痛な表情になる。
コトはどうしていいかわからないなりに、とりあえず近くに居るキャンディに聞いてみた。
「回路が新しいってことは、最近誰かが、利用したってことですよね?」
「らしいなー。ほら、これが回路」
キャンディは無表情で首肯く。彼が壁に手を当てると、光の筋が壁一面に現れて光る。
ちょっと綺麗。
何かのゲートに通じている……小人がいる、町がもうひとつあった、魔法で維持されている、コトはぼんやりと思考を巡らす。
「1リルが100円……か」
「なんか言ったか?」
独り言に、リル、が反応してコトは慌てた。
「い、いや、何も──ないです、本当に」
架空通貨を、集める小人。
架空通貨は、情報そのものの価値。
ちょうどそのタイミングで壁の電話が鳴ったため、ふらふら彷徨いていたキャノが応答した。
「はいはぁい!」
・・・・・・・・・・・・・・・
「────で。なんだこれは……」
キャンディが猫耳のまま、カウンターの裏方越しに狼狽える。キャノは元気よく「ご注文をお伺いしまーす!」と叫んでテーブルに向かって行った。
「……ええと」
コトは周りを見渡す。
どこからどうみたって、普通の飲食店だ。
ちょっとおしゃれな……カジュアルな。
ログハウス風の憩いの場って、感じ。
「コトちゃん、ぼさっとしない! 8番テーブルに、クリームソーダだよ!」
伝票を確認しながら、キャノはてきぱきとテーブルの間を動き回る。
ウエイトレス姿も似合うな……などとぼんやり思った。
「え、あっ……はい」
コトは少し緊張しながら厨房の方に向かって行く。
「これ、頼むぞ!」
厳つい感じのオネエさんが、笑顔でお盆を渡してくる。コトはただ頷き、目の前の仕事をこなすことにした。
なんだってこんな面白い事態になったかというと、簡単に言えば資金集めだ。
先程は上司の男、からかかってきた電話だった。
タワーの整備不良が存外に深刻らしく、整備員が内部に向かったまま行方不明。
自分たちを調査に向かわせたいが、タワー内部は制限装置の影響をもろに喰らうらしい。そのまま向かっては命が危険ということで、提案されたのが、装備を集めるか、薬局でも3000~5000はする痛み止めを大量に買うことだったが、誰もそんな資金はなかった……
調薬にも限度があるし、大量生産はかなりコストが必要。コンクリートジャングルな都会で薬草を探し回るのは結構大変で、もはや買った方が早いまであった。
──と、いうわけで、いつでも人手大募集だよ!という、キャノが昔バイトしていたカフェに駆り出されたという流れである。
(本当に人手が無いのか、意外とみんな面接をパスした)
(2021/072/19:36)
テーブルにクリームソーダを置いて、また厨房に戻ろうとしていると、ちょうどキャノが注文を伝えに行くところだった。コトはこっそりと彼女を呼び止める。
「なに?」
「えっと……」
聞きたいことは色々と浮かんだ。
此処でバイトしてたなんて知らなかったとか、クルフィは猫が好きなのか、バイトなんて初めてだ。
ウエイトレス姿似合いますねはなんだか如何わしい気がして言わないでおいた。
とりあえず──「……あの、クルフィさんは猫が好きなんですか?」
カウンターの裏にちらっと見えた猫耳を見ながらコトはこっそりと質問した。
キャノはああ、と何か思い当たるように言う
。
「そりゃ、そうでしょ、付き合ってたもん」
「え?」
「だから──猫……というより、獣種っていう、子どもの頃は人間なんだけど遺伝子が獣に変わっていく──うーん、狼みたいな、猫みたいなやつなんだけど、とにかくそいつと数百年前くらいに付き合ってたのよ」
「──へぇ」
頷いてから、そういえばそんな話もあった気がするな、とは思ったが、どちらにしろ本当にそうなのか、違うのかはコトには判断つかないため。曖昧な反応をしてしまった。
「結構良い仲だったみたいよ。あいつ私には意地悪するからムカつくけど」
キャノはそう言って少し眉を寄せた。
意外な事実が聞けたが、聞きたいのはそこじゃなかったような……
キャノとよく居るので、まさか女の子が好きなのかと誤解しかけていたのは内緒である。
「あっ、いらっしゃいませー!」
キャノはすぐに、店に入って来た客の案内を始める。空いているテーブルを探して辺りをうろつく彼女がコトを通り抜け、奥の部屋に向かう。コトはぼんやりと、クルフィの趣味について想像してみた。
「……猫耳……やっぱり趣味なのか?」
異種姦だなんだと今さら考えても虚しいだけだった。魔女たちの恋愛観は、幅広い。それは勿論神様にも言えた。人間は……どうだろう。知らないだけかもしれない。
「猫──か」
猫にちゃん付けするなよと言ってたけれど、なにかあれにも特別な意味が?
「コトちゃん、4番テーブル行ってきて!」
キャノがちょっと怒ったように言うので、ハッと気がついたように我に返る。
──おいしいわ。
──わぁ、喜んで頂けて良かったです。
──ほら、このケーキ、私の服の色とちょうど色が一緒じゃない?
■■店にもあるかしら。
── くるみさんの地域の店舗ではたぶん売ってないと思います、この機会に食べてみてくださいね。
「……よしっ」
とにかく、バイトをこなさないと。うまくやり過ごして、資金──
この経費、あとで返って来るんだろうか。
まあ、どっちにしろ、こんなに賑やかなのは初めてで、ちょっと楽しい。
ずっと──何処にいても、誰とも、繋がりを感じられなかったから。
客が食事を終えた皿を下げ、厨房に向かうと、厨房のおばちゃんが冷凍庫を開けながらチェックをしていた。
「アイスは、ちゃーんとしまったかな?」
ちょっとドキッとする。
「うん、あるある、アイスはあるねー?」
──ちがう、ちがう、と自分を落ち着かせる。氷や水を見ても、変な動揺をしちゃだめだ。制御、制御。ぐっ、と唇を噛み締め、皿を専用の流しに分けて置く。
そういえば、帰宅したら母と会わなくてはならないのだろうか。自分が正気を保てているかわからない。
──風呂壊さないでよ!?
──怖かったんだから!!
──あんたまたなにかしたんじゃないの!?
「──俺は……」
足元がぐらつく。
全て投げ出して消えたくなる。心が痛い。
母さんが、家に帰るのは当然だ、あれは俺が買った家じゃない。
でも────
考えるな、考えたって、どうしようもない。
「──はい、おまちどおさん!」
手ぶらなまま、厨房に立って居ると、スッ、と目の前に料理の乗った皿が向けられる。ミートスパゲティだ。
「……!?」
「なんだよ、固まってると次が来るぜ?」
クルフィ──つまり、リルが普通にエプロン姿で料理をしていた。
「あ……、はい……」
「それは1番だ」
「あの……ウエイトレス」
「接客するくらいなら、料理の方がましだ」
早口で述べられるその台詞に、大体を察したのでなにも言えない。
「……はあ」
ちょっと見たかったな。なんて思ったけれど。
「料理、好きなんですか?」
「いや、好き嫌いはないけど。ばあちゃんと暮らしてたとき、ずっと料理してたからな」
ほら行った、と促され、コトがテーブルに向かって行くと、部屋の奥──一角からキャアキャアと黄色い悲鳴が聞こえてきた。
料理を届けてからちらりと覗く。
「なにそれ、耳? かーわいい!」
「えー、ウケるんだけど」
女性たちに囲まれる猫耳。たぶん料理を置きに来ていたらしいキャンディが囲まれていた。
(そういや、本人から猫耳は趣味なのかどうか聞けば良かったな……)
彼の方はまあどうにかなるだろうと、厨房に向かう。店内では穏やかな曲とともに、さまざまな会話が突き刺さり、流れていった。
一人になると人目がやや気になり、ちょっと落ち着かない。
──ランチ。タンパク質が多そうなのにしたんだけど、そのぶんちょっと価格が張るわね。
──ほら、あそこの長男。
犯罪を犯したって言うじゃない、若いのに。
──いくらでも、逃げたっていいよ?
──レトルト様を応援しますから。
「…………」
しばらく黙って働いていたが、ふと、客の声に気付く。すぐ近くのテーブルの婦人たちが今朝のことを話し合って居たのが目についた。
「あのいきなり変わる水、怖かったですね」
「私も、風呂場が渦を巻いたりして、まるでテレビの中の世界だった」
「ちょっと前、近くの国の水害──魔法使いの幻術だとか言うのもあったし
」
目眩がする。
此処に立って居たくない。
怖い。でも、家に帰ったって────
母さん……
なんで、そんなことばかり言うんだ。
いや、変わってしまったのは、俺なのか。
学生の間はまだ、それでも母の言葉があんなに露骨に響いて来ることはなかったのに。
表情を悟られないように裏方に駆け込む。
痛い。なんで、そんな話。
だけど、だってあのままじゃ埋められていた
。
『しまったああああああああ!!職場と飲み屋を間違えてしまいましたあああ!!これ、使えるかな?』
『うるさい。ここ飲み屋じゃないし』
『飲み飲みやかましいー。いっぺん死んでこーい☆』『蚤って虫みたいで嫌だなあ』
『それ私も思ったー。ノブのせいだからね!?』『はい、死刑ー☆』
「……」
(だけど俺は、何も、悪いことなんかしてない……はずなのに、あんな場所で、訳のわからない理由で埋められるなんて冗談じゃない、埋められるくらいなら上がってやる)
現実に、戻りたかった。
けれど──今、こうやって、現実に、立って居ても、ただ、辛くて、痛い。
ロッカールームの部屋の隅で俯いて居ると、
「休憩……って、早いな?」
とドアを開けながら少女の声がかかる。
「──あ」
どうせ数分で休憩なのは壁掛け時計で把握していたが、サボったみたいになってしまってないかと、ちょっと不安になる。
「って、どうした? なんかあったか?」
彼女の興味はそこではなかったらしく、驚いたように聞いてきた。
「ああ、クルフィさん……ちょっと……あの、水のことで」
それだけ、を告げたが、彼女は察したらしかった。エプロンを外して髪をほどきながら寂しそうに笑う。
「そうか」
どうせ、今日は夕方までだし、と帰る仕度をしながら彼女は話を聞いてくれている。
いつのまにか客足は大分落ち着いて居た。
「客もみんな、その話だし、母さんもその話してるし、なんだか、俺だけおかしくて──でも、埋められたくなかったし……だけど、これからずっと……!」
これからずっと、あの、居場所が無いような気持ちを味わって生きて行くのか。
これが、ずっと、彼女たちの、感情だったのか。
体温が、無くなりそうな、声が、無くなりそうな、かといって、完全に無視されるわけでもない、曖昧で絶望的な、此方に理由があるだけの感覚。
当たり前のようにただ、『人間』であることを求められる。
「思って、居た以上に、痛い……」
──魔物とほとんど一緒の扱い。
『お前らには理性がないから、無理矢理縛らなきゃ決まりが守れねーだろ! 人間様に服従しやがれ』と遠回しに言われている。
キャンディが言っていたのは、こういうことか。
バイトを終える頃にはキャンディの猫耳は戻って居た。キャノは店を出る前にと、飾られたサインをちょっと紹介してくれたりしていた。
「いやぁー、みんな、どうもね!」
途中からやってきた店長(がたいの良いオネエ)が腰をくねくねしながら礼を言う。
みんなそれぞれに挨拶をして外に出た。
2021/7/6/01:02
──もう、表の人間に容易に混じることは出来ないと思うぞ。魔力がある人間は、排除されるのだ。ちょっとでも社会に怪しまれ、目を付けられると、生きてはいけない
コトの脳裏に『あの男』がフラッシュバックする。
(俺はただ──生き延びようとしただけ)
それすら、罪なのか。
フラッシュバックが、今度は少女が結界にとらわれた場面を呼び起こす。
『──主様、ですね』
結界の真上に、ぼんやりと光の文字が浮かんでいた。異国の文字だったのに、コトには、その意味が感じ取れた。懐かしい気がした。
懐かしい────?
俺は……何を言って…………
コトが答えた瞬間、シャボン玉は弾け、覆われていた部分の景色が大きく開ける。
「水の制御と、コトの力の関係はわからないが──」
店から出て、それぞれがビル街を目にしていたとき、唐突にクルフィが口を開いた。
しかしすぐ黙りこんでしまう。
「どうしたんですか」コトは続きを促した。
「いや────まるで、測って居るみたいだと思って」
測る? どういう意味か聞こうとしたときには、彼女はタワーのある方角を目を細めて見つめていた。
皆で、タワーへと一旦戻る道を歩いて居るとガラの悪そうなチンピラ──のような男たち4人とすれ違った。
肩に刀を担いだりしながら、だらしなくズボンを腰まで下げて騒いでいる。
そういう校則でもあるのか全員が緑のパンチパーマに揃えていて、そして何より
「絶対机叩く!」と一人が言うなり、一人が
「バンバンバン、だぞ!」と言い、更に残りのメンバーが復唱する。
「バンバンバン、だぞ!」
「バンバンバン、だぞ!」
「バンバンバン、だぞ!」
合いの手のように、一人がまた「絶対机叩く!」と入れると、三人が「バンバンバン、だぞ!!」と歌い出した。そういう歌でもあるんだろうか。
「机バンバン高校──校歌斉唱、かも」
キャノがぼそっと言い、コトは「愛校心が溢れて良いことですね」と呟く。
続いて「マジックは!」と一人が(リーダーだろうか?)と唐突に叫ぶ。
「消せ」「消せ」「消せ!」
三人がそれぞれ一人ずつ合言葉を歌い上げ、またリーダーが音頭をとる。
「机、机!」
「バン」「バン」「バン!」
肩を揺らして、愉快に歩きながら、4人は歓喜の声を上げる。fooooo!みたいな。
やがては揃って、絶対机叩く!!!
と熱く絶叫。
机バンバン高校──
キャンディが、コトの後ろを歩きながら舌打ちする。確かに、マジックは消せだとか、いかにも魔法使いを嫌って居そうだった。
だが、机とはなんのことなんだろう?
絶対に叩かなくてはならないのか?
何を察したのか、クルフィ、は来た道を黙って引き返し始める。コトも足を止めた。
キャノはそっとマイクを握り、声にならない声を出そうとした。
「もしもぉし……えっ、社長!」
タイミングよく、机バンバン高校の一人が、おもむろにズボンから出した端末に応答する。
2021/7/6/01:02─7/67:05加筆
「マジックを消す……はい、わかりました!」
何か通話したあと、リーダーらしき男(微妙に他より一回り大きい)が、また奇声を上げた。
「皆の者ッ! ゴリラ様に続け!!」
唐突にそういうとズボンのポケットをがさごそとなにかを引っ張るように探す。
「ヤー!」「ヤー!」「ヤー!」
他三人も奇声をあげてポケットに手をいれた。
「ゴリラ様は思うッ!!あの水の異変! 魔法使い《マジック》たちの仕業に違いねェーー!!
やつは、この近く、どこかに居るハズダァー!!」
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
嫌な予感がして、コトたちは咄嗟に走ることにした。
今のところ街中で派手な戦いは避けたい。もし、避けられない戦いがあったとして──魔法に頼れない場面だったら、何か武器でも買えば物理的に戦えるのだろうか。
(──戦ったことなんて……)
魔女狩り大戦以後に生まれた彼と違い、周りの魔女たちはあるのだろうな、と、ぼんやり考える。それもあの、痛くて絶望的な気持ちなんだろうか。
走る理由──?
背後を見ると、塀や壁を飛び越えながらみんなの想定通り『おもちゃ』が向かって来る。
(やっぱり……)
「なんであれ、出回って居るんだ」
走りながらキャンディがぽつりと呟く。キャノはいくら規制しても闇ルートがあるのね、とため息を吐いた。リル、は黙ったまま、けれど何か考えて居るように見える。
やがて「社長…………」というつぶやきが聞こえた。
──特殊な通路を使うので私から離れると、魔力で遮られて迷子になりますよ! 電車ごっこしていきましょう、しゅっしゅっぽっぽー、と!
通路、か……
コトは、なんだかあの変なハンターを思い出す。
(2021/7/8/13:06)
とにかく逃げなければと、ゴリラ様のいない方に向かって、さっきよりさらに急いで走った。
たぶん、彼らが投げてきたのは遠隔操作で魔力に吸い寄せられるというおもちゃ──いや、おもちゃと呼ばれているが、実際は悪質なイタズラグッズだ。
攻撃でなくとも何か、力が使えればとも思うが、コトは、今のところ水の騒ぎがあったばかりで勇気を持つのに覚悟が必要だった。
これまでは、無意識なのだ。
ビルとビルの間に逃げ込むコトたちの耳に、どこからか、愉快な歌声が聞こえてくる。
「ゴリラはね、優しいんだ~フフフフーン」
「優しくて」
「臆病で」
「すぐ下痢になるのさ~」
「なっ──ちゃんと歌えよ!!」
「ヤー!」「ヤー!」「ヤー!」
ビルとビルの間に入りながら、ちら、と、顔だけ覗かせる。ゴリラ様たちは来ていないが、追尾用のおもちゃが行き来している気はしなくはない。
「魔法を使うとすぐ見つかるしなぁ……」
キャノは小さく唸った。
「ゴリラは人間の判別法だとB型?が多い……んでしたっけ?」
コトはふと思い出す。
「O型も居るらしい。ニシローランドゴリラはB型とか……いってたな」
なぜかリル、が答える。
なんでゴリラトークしてるんだろ。
キャンディは黙って周りを見ている。
「…………」
その間にも外から不気味な歌が聞こえていた。社長直々な命令だとするなら、こうやって鬼ごっこしてても埒があかない。
このままだと一日中探し周られそうだ。
「──しょうがないなぁ」
キャノがそう言って、ビル横の階段を上り、屋根に手をかけると屋根の上に乗った。
他三人は頭上を見上げる。
「私も、アイドルらしく、歌ってあげようかしらね」
「悪ぃ、私、制限されやすい街中だとどうもな……一気に燃やすとかいうわけにいかないし」
リルがキャノに手を振る。
まかせて! と彼女は明るく答えた。
ホルスターから出したマイクを手に、彼女は言う。
「はーいゴリラさん、こーんにちはー!」
コトはあわてて走った。見張りに見つからないよう、慎重にビルとビルの間から抜け出すと、効果範囲──というかある程度の効力が届きそうな区画をイメージする。
ファンがやってきたらそれはそれで面倒というやつだった。
本気を出せば町全域を動かせるらしいのだが、今はさすがにそこまでしないだろう。
ゴリラ様たち、人間一行がキャノの声の方に向かう気配がした。
コトたちが動いているのにはまだ気付いて無さそうだ。
「見張りくらいはしておこう。ここからは別れるか」
リル、が言うなり右側に走って行ったので、「そうですね」と、コトは正面に向かう。
ゴリラ様が後ろを向かないうちに通り抜けるか、回り道をして、ポイントの方に向かう。キャンディも左側に向かったかもしれない。
(やっぱり、魔法使いの反抗勢力が街に増えているのか……魔女狩りみたいだ)
一応、今のところ増援などは来ていないけれど、ちょっとドキドキする。
「──子守唄、一番!」
キャノが頭上の方でなにやら歌い始めた。 地上の方では追尾用のおもちゃが行き来しているらしく、道のあちこちにある制限装置に何度かぶつかりながらどこかに向かって来ている。ゴリラ様たちは眠っただろうか……?
「──って、うわああ! これ、どうするんだ……!」
何やらゴリラを模した奇妙な機械?(アルミかなんかの塊)がコトの方に一体向かって来た。
「ええと……」
ゴリラの口が開き、バーナーみたいなものが伸びると炎を放ってくる。……イタズラってレベルじゃない。
けれどなんとかするしかなかった。
そろそろ護身用にナイフかなんかでも持つべきだろうか。
銃刀法が気になるけれど。
「よし!」
こうなったら攻撃系統じゃない魔法なんかわからないけど「とりあえず叩くか……」
少なくとも、タワーのなかで見たやつより精度は低そうなので、見分けが付かないでもないそれにちょっと安心。
(ただ、炎が────)
叩こうとするとすぐに炎を吐いてく
るだろうことから、うかつに近付けない。
(どうするかな……)
考えているとちょうど屋根の上からキャノが何か衝撃波を放つ。
一瞬、炎が止まった。
「今だ!」
再起動する前にコトは意を決して小さなゴリラに強い蹴りを入れた。
(しかし、これ、なんて名前なんだろう)
蹴られた衝撃で一度遠くに跳ばされていったが、じきに向かってくるはずだ。ピシ、と僅かに音が聞こえてヒビが入ったのを確認して、もう一度体勢を構え直す。どうせ追いかけられていてはややこしくなりそうだし。
「頑張ってー!」
頭上から声がする。
「…………」
装置の名前とかを考えていると、またすぐに向かって来た。
「魔法……か……」
そのとき、ちょうど電話が鳴った。
コトは少し緊張しながらも端末を耳にあてる。
「はい……」
『男』の要件は相変わらず短い。
《気を付けろ》
「な、なにが……?」




