込神大図書館
(20216/1216:36更新)
昼。騒がしいビルの群れを抜け、コトがようやく帰宅したとき、ちょうど家のなかで誰かが騒いでいるようだった。見慣れた女ものの靴で、誰なのかは瞭然としていたけれど、彼女が帰宅早々騒いでいるなんて何があったのか、と思いながら玄関からリビングに続くドアを開け──たところで、彼女は、いきなりワンピース姿のまま怒鳴った。
「コトくんっ!!」
耳より短いくらいの髪が、コトの顔を覗き込もうと俯くたびに揺れる。
コトは彼女の気の強そうな目からなんとなく逃れようと視線を逸らす。なんでいきなり怒られてるんだろう。
「か──さん……帰ってきたんだ、おかえ……」
「あんた私ら共働きのなかで一日中家に居るよね!?」
コトの母はたまに帰宅する以外は大抵仕事である魔法と栄養素の関係を調べる仕事で滅多に昼間に会うことがなかった。帰ってきてもすぐ出掛けてしまうのだが、今日は早く片付いたのかもしれない。
「え、あ、まあ……」
「さっきお風呂に入ろうとしたら、水が溢れて来て! びっくりしたんだから!」
「風呂が?」
朝帰りどころか昼帰りな姿を咎められないのは安心したのだが、いきなり水が溢れてくるなんて、どういう事だろう。整髪料などを流した覚えはないけど、他の同級生に比べればコトは些か長風呂派だった。
表情をそれとなく隠したくて伸ばした髪の手入れのためだ。伸ばしておいて、へんにごわごわしていたらいかにもやぼったい引きこもりふうになるのが恥ずかしい、とせめて身なりだけは念入りに清潔を心掛けている。
だから、シャンプーかなにかとか、抜けた長髪が詰まるくらいなら可能性が──
「心当たりは、ないけど。え、と……詰まった、とか?」
「業者に見てもらった。
つまったとかじゃないって!! あんたなんかしたんじゃないの!」
彼女は、なにかがあるとコトがなにかしたと信じるくせがあった。事実なにかをしたこともあったからだろうが、それでも学生になって大分落ち着いたというのに。
いや、それにしても──だ。
「どんな感じだったの?」
「栓があるところから、ぶわって沸いて来て、もう、怖かったんだから!!」
彼女は、コトの数倍歳上でありながら、
うるる……と目を潤ませる。あまり似合わない。とか言うと更に怒られそうだから言わないけど。
「……そうなんだ、不思議だね」
ハハ……と苦笑いしながらコトは動悸を誤魔化す。まさか、まさか……な、いや、そんな……
階段を上がりながらポケットに入れていた端末でそれとなく検索をかける。
タワー近くの一帯で、あちこちにある水が独りでにグラスから飛び出して溢れたり、カフェでいきなり近くの人に水をかけてしまう人の続出などの騒ぎが起きていた。
「う────」
「もう、あのワンピース高いのに、業者呼びに行くとき覗きこんだら水が跳ねて来て本当ふざけんなよ!びしょ濡れなんだからね?」
階下から母の怒鳴り散らす声がしていたが、そんなことを気に止める余裕はもはやない
動悸が激しくなる。めまいがしそうだ。
「俺が────」
『彼女』もこのようなことが、あったと言っていた、指示の方向、圧、エネルギーの量、力そのものを扱う難しさ。
「風呂壊さないでよ!?」
怒鳴りつけてくる母の声が、今度はやけに、冷たく、鋭利な刃物のようにコトの心に突き刺さった。
「俺じゃ……ないよ」
痛い。言い返そうとする言葉もまっすぐに出てこない。「流れるプールの急速な水流の変化により8人が意識不明の重体────」
検索で見つけた関連記事をスクロールする。ちょうど朝や、明け方の時刻、水流や水の沸いてくることによる事故が連続している。家族や近しい人間に言うなというのは、こういう事か。
頭で、漠然と考えていたより、より直接的に影響が響いてくる。学校の前に魔法の力で皆が幸せになんて勝手に言う胡散臭い宗教の勧誘が居たときなどもあったけれど、そのときは、此処まで人間が身勝手なことを言っているのだとは考えてもみなかった。
「キャノさんが、あんな風に怒るのも、当然だ……」
何がなんだかわからない、けれど確かに、意識同調が起きている。
─
「……っ、なんなんだよ!!
端末は焦りで急いで閉じたページの代わりに、映画広告の表示に跳んでしまった。
~愛と呪いの物語~
大々的に表示される女優と俳優の写真と紹介からして何らかのファンタジーのようだったが、おおよそラブコメとかだろう。
『主人公は悪い魔女によって呪いをかけられた人たちを救うことが出来るのか?』
──あなたに、私の気持ちなんてわかりません!!
「最近も、面白い映画とか、無いな……」
ページの関連に、悪い魔女、黒い魔法使い、とやたらと並ぶのを見ながらため息をつく。
この役者は人間だ、と、コトには写真からもなんとなくわかった。
キャノを見たときのようなあの特有の、身体に電流が走るみたいにピリピリした感じがない。
人間が、人間以外の悲しみを再現するなんてよくあること。なのに、なんだかこの日はやけに虚しさを感じていた。
わかりもしない他人の不幸やコンプレックスで綺麗事を語って売り出して──ただ褒めたり慰めたりする側は良い。善人を気取ってれば儲かる、ボロい商売なんだろう。
所詮は何だって本人たちの自己満足に過ぎない茶番で、誰かが適当に楽しむ娯楽で、それが別に本物である必要性はないわけだ。
ただ、つまらないと思うんだろうな。と、
これからも、あらゆるなにかをずっと、そう感じて生きていくんだと改めて思う。
俺自身は、世間のこういった流行を楽しむことなどないだろうと、仕方がないことだが、なんとなく虚しい。
「いい加減にしろよ……鬱陶しい……」
何にたいしてかわからない愚痴を吐きながら
懐かしい感覚が身体に走った。
あの、心が冷えきっていく感覚だ。
禿げた男の目を見たあのときの感覚。
(6/143:17加筆)
なんとなくまずい気がして我に返る。
「なるべく、平和なことを考えよう」
そうだよ、ネタにするやつらは面白がっているだけだ。
本当に、人が苦しんでいるだとかは別に頭に入れていない、ただ効率よく良いとこ取りをして仕事をしたいだけ。
『自分に出来ないことに他人を利用する』なんて誰でもよくあることじゃないか。
今その標的が俺の身近に変わっているってだけ。
テレビを見てもネットを見ても、魔法使いの、普通の人間からの扱いは随分前からこんなものじゃないか。
そんな今更な狂言、紛い物に惑わされて……
「下らないな」
けれど、晒し者になるのがこんなにキツいことだとは。少数なだけあって、さらに家族にも言えないだけあって、余計に頭痛がする。
階下から母の声が続く。
「なんか、さむーい! 急に寒いんだけどぉ!? あんた何かしなかったー?」
「してない!」
何か飲もうと階段を降りていくとリビングの方から、母の声と共にテレビの音もしていたのに気付く。天気予報だ。明日は真夏日になりそうらしい。だからどうした、なんだかイライラしたまま台所に向かおうとするコトに、母が話しかけてくる。
「さっき水が溢れてきたとき本当にびっくりしたのよ? テレビやってないか見たけど、出てないみたい、でも、プールで8人が重体だって! やばくない?」
なんで俺の前でわざわざ天気予報をつけてるんだ、なんでそのニュースがちょうど話題になるんだ、なんで────
「ふふふっ」
まるで聞いているような偶然のタイミングで母の笑い声が耳につく。
イライラする。台所につくと真っ先に冷蔵庫を開けた。棚から出したコップに冷えた麦茶を入れて飲み干す。イライラする。
8人が重体だからなんだ、水の事故が増えたらなんだ、なんでこんな日に重なるんだ、なんで母が今日は家に居るんだ、なんで俺は──
「うわ……」
握りしめていた麦茶のボトルの中身に薄く氷の膜が張りはじめていたのに気がつき、慌てて冷蔵庫に戻す。
ばくばくと動悸が早まる。痛い。胸が苦しい。
「あんた何かした?」というのは、今大学生で家に居ない姉もよく言っていたことだった。何かがあれば必ずと言っていいくらい、コトが何かしたのではと疑われたりからかわれた。昔、近くの火山が噴火したときや、地震があったとき、姉は冗談のように笑いながら不謹慎な冗談ばかり言った。
「ちょっとォ、地震起こすのやめてくれる?」とか。心外だと怒っていたのに……。
相談なんか出来ない、家族に言うことも無理だ。心のノートにでもこっそり書き連ねるべきだろうが、見られたら一貫の終わりだ。
(とりあえず、必要ないときはほとんど観ないことにしよう)家族と距離を作る対策、晒し者になる対策はおいおい練ることにして……
「お茶、手前にあるのから飲めって言ったでしょう!」
リビングに居た母が、ドアを開けて、奥にある台所を見ながらいきなり声をかけてくる。「あぁ……うん……」
コトはたまらず急いで部屋に向かった。
次に鞄、携帯電話、財布をひっつかむと、部屋から出て階段をいつもより乱暴な動作で降り、玄関に向かう。
これで、意識同調が起きたら──そう考えるとあまりにも恐ろしい。
行ってきます、もなしに外に飛び出した。
外は昼間なだけあって、人が多かった。
カップルや、学生、主婦、サラリーマンに混ざり、横断歩道を渡り、行く宛もなく歩く。駄菓子屋に寄るのも良かったが、微妙に駄菓子の気分じゃない。
少し考えて、交差点からビルの多い通り──タワーや焼肉屋の方面に降りていくと、昔からある大きな本屋が目についた。
人間が魔法少女になる漫画の広告が目立っている。
(人間って、魔法使いが好きなのかな……)
人間が魔法少女になり、さらに魔法少女を増やしていく、よくある話だった。
(魔女狩り大戦なんか、あったのに──兵士や軍服みたいだ)
現実的に考えると、意識を他人と──ただの
人間と同調させずに親密になるのは不可能に近い、ような気がする。
人間と魔法使いとの間で友だちなんかつくれるのだろうか?
作れないから、輝くのだろうか。
「────」
だれかの、夢、だったりするんだろうか。
いや、自分のことでもあるんだけど。
「……はぁ」
(2021/6/16/16:11)
こちらの道に来たのには、古くからある図書館が建っているからという理由があった。
図書館、という建物はそもそも本が高級品で庶民には手が届かなかった時代にある人物が自室の本の貸し出しをしたことの名残らしい。
一般人にも貸し出されているさまざまな本の他に、大抵が持ち出し禁止の図書などだがちょっとだけ魔女狩り大戦前の資料も存在している。
いまの悩みをまぎらわす参考にするべく、図書館でそれっぽい本を探そう、というわけだった。ビルとビルの間でなんだか場違いにファンタジックな建物。それが込神大図書館
だ。
(こういう建築、なんて言うんだっけ、確か、ワインみたいな────)
入り口は、相変わらず不気味で人の気がない。ゆっくりと重たい引き戸を開ける。
奇妙なランプが上から釣り下がり、所狭しと本棚が立ち並ぶ異様な図書館が姿を表した。クーラーが効いているのか、建物内はどこかひんやりとしている。階段から二階から上に行くとなぜか細かい装飾のステンドグラスや、なぞの紋様のドアがあるのだが、何か用途があるのか単なるおしゃれなのかはわかっていない。
この不気味さから、子どものときにはよく、『大図書館には秘密の地下室があり、人間が誘拐されて悪い魔女に殺される』とか『魔女にされる』とか噂があった。願いを叶える代償に人間に理不尽な契約をさせるとかなんとか。昔からよくあるちょっと怖い都市伝説だ。
そういえば以前、人間に混ざり魔女をしている知り合いが、なにかの拍子で「コトちゃんは知らないだろうけど、魔女にもヤクザみたいなのも居るんだよー、あいつらに会ったら逃げた方がいいね」とか言っていたけれど
。
新聞を呼んだり、料理の本を探すべくちらほら居るお年寄り、はたまた、2、3歳くらいの絵本を楽しむ子どもと母親を避けながら、階段を上がる。
普通のガラスに混ざるいくつかのステンドグラスが、やけに神秘的な空気を醸し出していた。3階の奥、図書館でも、古い本が中心になる辺りの棚のところに着くと妙な緊張感で心臓がバクバクと高鳴った。
いつも、此処は見えない圧みたいなのを感じる。
(とりあえず……魔術の本、で良いのかな)
宗教や神秘、オカルト関係が多い本棚から適当に本を手にする。
火、や氷の話についつい目が行ってしまうが他もいくらか見ているうちに、陰陽師や術師の類いの本が数冊そこに並ぶのを見つけた。
『五行』
相生と相剋
木が燃え火を生じた、火は灰となり土を生み、土からは金の鉱物が生じ、金は腐食して水を生じさせ、水は木を生長させる。この木→火→土→金→水→木の順に相手を強める影響が相生である。
また逆に水→火→金→木→木→土と弱める影響が相剋である。
(木は、土より強いのか……)
陰陽五行は陰陽師に伝わる思想のひとつだ。
さすがに氷や雷は書かれていない。
ただ、少し──昔祖母に読んでもらった昔話を思い出した。聖者の森には人のかたちの木が居て、彼らは森を見守って暮らしたという。
「なに見てるんだ?」
いきなり声がかかり、思わずうわああああ!
と叫びそうになった。
「……!」
そこに居たのは、あまり出番がなかったキャンディだった。
「あまり出番がなかったは余計だ、ったく、探させやがって」
「──あぁ、えっと……」
ちょっと前のことだ。
彼が、半端に魔女化しているコトのために、なぜか会社からボディーガード的に送られてきたのだが……普段特に会わないため、正直言って、居るか居ないのかよくわからない。薄暗い室内でも比較的目につく見た目(目映い金髪碧眼)は、なんだかちょっとファンタジー感を加速させているような気がして、なんだかよくわからない気まずさに襲われる。
「五行思想についての本、ですね……」
びっくりしつつ何を見ているかの問いにどうにか答えてみた。
正直帰りたい。繊細な性格のコトにはこの謎に目立ちそうな空間が辛かった。
まわりはお年寄りばかりなのだが、それはそれで気まずい。
「あぁ、その本か、なにか魔術的な悩みが?」
とはいえ彼の方はわりと真面目に話をしているらしく、この微妙な居心地の悪さをわざわざ説明するのもむなしいので、コトはなかば投げやりに頷いた。
「力の、なんか、捉え方みたいなのがわかれば、世界が広がるかなあと……?」
「俺らが授業でやったのは、七行思想だったぜ」
「七行ですか……あと二つは何です?」
「さぁ……なんだったかな」
2021.6/19.16:16
─
なんだったかなって……まあいいか。
「で、俺に、なんか用ですか?」
「いや、別に、用って程じゃない。彼女たちに様子を見てこいってパシられただけだ。人使いが荒いよなぁ……」
キャンディは実に面倒そうなのを隠すわけでもなくぼやいた。
「様子?」
彼女たち、とはあの彼女たちだろうかと思いながらもひとまずコトはキャンディの『様子』をうかがう。
「そう、様子。何があったか知らないが、気象情報は変わるわ、数分だが水の速度に変化が起こるわで──こんな状態で、制限・制御装置のレゾリューションの数値に何もないと思うか?」
「うっ……」
確かに、短い感覚で急速な波形変化が生じていても不思議ではない。制限レベルに達しているにも関わらず、制限されなかったというエラーになっていればむしろ不正と疑われ兼ねない。
そしてあれだけ真面目に力を消費したのだから、
ある程度の測定値になるだろうという気がした。
「だるいよなぁ……ったく、本当にだるいな」
「──あ、あれは、仕方がなかったんだ! 閉じ込められて、小人からいきなり幸運なのが赦せないとか、自分よりいい人生を送る価値があるように見えないとかって言われるし、わりと本気で埋められそうだったし、俺にも、ああするしかなかったんだ!」
「んん? お前、なにを言ってるんだ?」
キャンディがぽかんとした顔でコトを見る。急にちょっと恥ずかしくなってきたが、話を続ける。彼にもなにがなんだかわからなかった。小人ってなんだよ。
「だ、だから……小人が居たんだよ、仮想通貨が埋まってて、皆で1リルとかの価値が──あぁ、じゃなくって、土に埋めようとしてて、それで俺に価値がないとかって」
「悪い、さっぱりわからん、なんだ小人って」
「た、っ、タワーの……地下の部屋に、なんか蛍光灯とかじゃないスイッチみたいなのがあって、そこからピラミッドに繋がってて……ピラミッドだけど込神川があったんだよ」
キャンディは実にだるそうに、コトの額に手を翳す。
「あー……あぁ、わからんが解った」
記憶かなにかを読んだのだろうか、最初からそうして欲しかった気もするが、とにかく解ったならいいか。なにが?
なにが解ったのかと、キャンディの言葉を待つが、彼は真剣な眼差しのまま独り言を呟いた。
「まさか、そんなところにあったとはな」
コトが不思議そうに彼を見ていると、キャンディは「探し物は済んだのか?」と聞いてきた。
「あ……、いや……その……別に急ぎじゃないし」
「だったら行こうぜ」
キャンディは言うなりさっさと下に向かい降りていく。
「ど、どこに……!」
コトも慌ててあとを追いかける。
彼はいつもよりなんだか緊張した面持ちで応えた。
「決まってるだろ、他のやつらのところだ」
6/200:52加筆
2021/6/2211:53
階段を降りて行こうとしたとき、ちょうど少し目線の先、奥にある本棚の影のほうで唸り声が聞こえた。「うーん……うーん……!」
なんだろうという好奇心と、どうせ進行方向的に降りる側だからついでにという気持ちで、進み、そちらを向く。
短めのツインテールをした中学生くらいの女の子? がなにやらスポンジで本棚の間の壁──に取り付けられた予定表を背伸びしながら擦っている。
「消えないよぉ……マジックで書いたから……!」
「こんにちは。どうかしましたか?」
「こんにちは。マジックで書いちゃったから……消えなくて」
ぺこり、と礼儀正しく頭を下げた女の子はそう言うと目の前の予定表を指差す。
「それなら……油性ペンでもう一度──」
彼を待たせているなと階下に意識を向けつつ、改めてコトが何か言おうと彼女を見たとき、女の子は急に声を張り上げた。
「消えたー!!」
「はぁ」
確かにスポンジが黒くなり、急に文字が消えている。
「ありがとうお兄さんっ!」
「良かった、ね」
何だったんだ、と思いながらもコトはさっさと階段を降りていく。
「私まどか! 人間を脅かす悪い魔女を退治する勉強をしています」
階段を降りていく最後に聞こえたのは、そんな──痛烈な言葉だった。
「……」
1階につくと、 キャンディがなぜか主婦に混じって料理の本を読んでいた。
「…………」
シュール!!
「……あの」
コトはこのまま眺めていたくなりながらもひとまず主婦たちに避けてもらい、声をかける。
「あ? やっと来たか」
キャンディはちょっと楽しそうに、
けれどそれを取り繕うように真面目な顔でこちらを向いた。
「それ借りるんですか」
「いや、暇だからぱらぱらめくって見てただけ」
『さっき人間を脅かす魔女を退治するとかいう女の子に会いましたよ』という話をするか迷ったが、まあ後で良いだろう。
「なんだよ、らしくないとか言うのかぁ?
こう見えて、家はお菓子の名を冠するからな……さすがに魔女化するまで鍛えるのは考えものなんだが」
「いや……俺も簡単な料理ならするので」
キャンディは珍しいほど真顔だったので、なんだか落ち着かない。
「大根の煮物って、なんか苦くなりがちなんだよ」
「はぁ……」
やがて、3、4人ほど近くに居た主婦が此方を見てキャアキャア騒ぎ始めた。騒がしくなる前にと慌てて二人とも本棚から離れ、怪しいランプが釣り下がるロビー側に向かった。
「…………やっぱり変な建物」
コトはボソッと呟く。
頭上のステンドグラスの光が、ランプと相まって不思議な空間を醸し出している。
魔女化するまで鍛えるのは、と言っていたが、あれはどういう意味だろう──
いろんな考えが脳内に溢れる。
魔女、という始祖が女性だから、エネルギー変換の際に女性的になってしまう、俺も……。
けれど……それは、つまり──
……それににしてもお菓子の名、か。
名前。彼女たちにとって、とても大事なものなんだろうな。
玄関のドアを開け、まとわりついてくる熱気にややうんざりしながらも、コトは考え続ける。
マジックを消そうとしていた少女が過る。
俺ももしかしたら──人間として在りたいと、それだけにとらわれていたら、あの道を選んだのだろうか。
(けれど、なんか……寒気がするな)
2021/6/2211:53
真夏日なだけあって、外は暑かった。
弱火で照り焼きになっているアスファルトの上を、車が行き交う。
楽しそうに学生が本屋に向かって行く。
「本、か──」
コトは、随分前から、『本』を積極的には読まなくなった。正確には、ある理由でまともに他人の記述を捉えることに苦痛を覚えるようになったからだ。
ページをめくると身体が凍り付くような拒絶が起きる。かつては強引に読まされそうになった小説を引き裂いて先生を泣かせた。
なぜ先生がその本をそんなに読ませたがっていたのかはわからない。
ただ、とにかく、しつこかった。
しつこかったから、突き飛ばした。
恐ろしかったから破ってやった。
ただ、開かれたページが怖かっ
た。張り裂けそうな程に、他者の文字を追う行為自体が痛かった。
視界に、入れたくなかった。
──やめろ。
──俺に、強要するな、読ませようとしないでくれ!!
あんたにとっては単なる紙のインクだ。だけど俺は────
自分の絶叫が自分の脳裏に木霊する。
紙は可哀想だが、先生についてはどうしても悪かった、とは思えない。
気分が悪いものを押し付けて来やがって、と今でも、イライラするほどだ。
普段、今はこんなに凍りついたような感情で過ごしているのに、あれを思い出すときばかりは、どうしようもなく腹が立った。
だから。若い学生が本屋に向かうのを見るとなんだか少し、胸の苦しさに見舞われる。
彼らは、享受する側だ。
俺とは、違う。
──自分もあんな風に、世界を信じていた時期があっただろうか。
世界が、与えられるものであると信じていた時期が。
与えられる世界を、与えられるままに受け入れられると信じていた時期が。
「──読んでいた時期も、あったっけな」
図書館に行ったのは、データが欲しかったから。あれは、読書とは違う……。
前方を歩くキャンディはいつになく静かだったので、コトもいつものように静かにしていた。
「──なんかあったのか」
黙ったまま信号待ちをしていると、ふいに彼が聞いてきて、コトは首を傾げる。
「──こっちが聞きたいですけど」
「俺さんの用は、あっちに着けばわかるから良いんだよ」
タワーを指差して、彼はなげやりに言う。なかなか信号が変わらない。
「図書館の壁に、ボードがあるんですよね、入荷予定とか書いた──」
独り言みたいに、コトはぼんやりと言う。
「そこ通りかかったら──女の子が、マジックで落書きかなんかして消えない、みたいな、騒いでて」
「マジックでぇ?」
キャンディはなぜかマジックに食いついた。女の子の方じゃないのか、とコトは驚いたが、ひとまず首肯く。
「ええ、マジックが、消えない消えないって」
「そう──マジックは、俺らの隠語でもあるんだ。マジックを消せ、マジックが消えない、そうやって袋を叩いてロバを打ったつもりになるんだな」
「……なるほど」
微妙に気まずい空気になったとき、信号が青に変わったので、二人ともタワー側に向かって歩く。
《名無しの魔女さんよぉ!今から俺の言うことを聞くんだ!!》
ビルのモニターが、大音量で漫画の広告を流す。
「うるせええええ!!!」
「誰が聞くんだよ!!!!」
キャンディとコトがそれぞれこっそり雑踏に紛れて叫んだとき、ちょうど画面が切り替わり、曲が流れ出し、アイドルの映像が映る。ライブの模様らしい。
『みんなー!日本は、好きですかぁー!!』
ファンがわあっと沸き立つ。
『日本! 平和だ! 良い国だー!』
「キャノさん──」
彼女はいろんな意味で世間を賑わせてるくせに、未だになぜかファンが多く、なぜかときどきこうやって映像が映されていた。
さすがに最新の映像ではなかったが、事件が起きていながら、平然と流されるMVに、まるで何もなかったかのようにさえ錯覚しそうになる。
甘やかしじゃないのか、スタッフを誘惑しての枕仕事らしい、等言われている噂を耳にすることもあった。
(──まあ、そう思うよな……)
広告の下を早足でくぐり抜けて、ビルの立ち並ぶ歩道を歩く。
やっと騒音がなくなったという安堵と、他人とこんな風に昼間から出歩くのが思えば久々なのだという不思議な感情──と、コトがぼんやり広告に見とれている間にキャンディが先に行ってしまっていて、慌てて追いかけた。
タワーの入り口は相変わらずスーツ姿の男たちが5、6人は固めているものの、コトたちが来ると黙ったまま道を開けてくれた。
展望台から綺麗な青空が見えそうなのに、これから向かうのは地下だ。
2021.6/25.23:53




