金属の意思
少しずつ薄暗くなっていく廊下を進む。
今のところとくには何もなくて、ただひたすらに退屈な時間が続いていた。
確かにお通夜のような空気はなくなったけれど、それでも落ち着かないような変な空気がなくなったというわけではなかった。
背中の向こうからジンの声が聞こえている。
――ワシは思うがお前達が平和に過ごせているのは、有名じゃ無いからだ
――有名だったなら、とてもこうはいかない。世間に隠されていて、だからこそうまくやれているんだろうに、壁から出ていくというのはおかしな話だ。
今の状況じゃなかったらすぐに消されているかもしれない。
――みんな壁の向こうになど行かずワシの舞台を見て喜んで居ればいいじゃないか、これは、お前達への贈り物なんだ。せめてものこの世界への申し訳なさというカタチでお前達のことを想って世界中に知らしめてやっているんだから、
声は辺りに反響しながら少しずつ小さくなっていく。
(壁の向こう……舞台……?)
舞台俳優とか支配人でもしていたんだろうか。悲劇の少年少女を集めて……
「なんか、キモいよな」
しばらくしてからキャンディがボソッと呟いた。
「知らしめてやっているなんてどこ目線なんだか」
ジンの主張は偏っている。
「彼が何をしてたのか知らないけどきっと碌な事じゃないだろう」
コトも静かに首肯く。
優しさ、と本人は言っているけれどコトには理解ができなかった。
下着泥棒が戦利品をネット上等で公開するとか、好き勝手暴れた後で死体を後から送り付けてくる殺人鬼とか、
そういう自分がどう見られるかにすら頭が回らない気の違ったイメージしかない言葉に思える。
歪んだ承認欲求と他人で満たそうと必死な自己顕示欲――
他人の気持ちが想像出来ないか、知的な問題があるか、あるいは悪い方に幼稚。
(そもそも世の中の大半の人間は有名人でも何でもないんだから……)
ただ、コトがあえてそれを口に出すことは無かった。
そうしてしまう事で、もしかして本当に殺人鬼かもしれないと考えるのが恐ろしかったし、また会ったときにギクシャクしそうな気がする。
「キモい」という言葉は確かに言い得て妙だ。
彼も、同じように思っているのだろうか。
何気なく、壁の方をチラリと横目で見てみる。
マオちゃん(?)が、後ろに向けてべーっと舌を出していた。
何か喋っているのかもしれないが音声ファイルが無いのでわからない。
キャノはただ黙っていたし、さっきよりも青ざめている。
《――意思を考えずに、勝手に晒し者にする》
それは、彼女自身の行った事である。
彼女がやっていなくても仮に悪意が無くともその同意の一部になったのだ。
契約書を描いたのは彼女自身であり、何よりも近い身内が、妹を世界に売り渡した事と変わらない。
もし、自分がキケルの立場だったら。
家族に取り返しのつかないことをされて、一生それと向き合うと考えると、身内がしたことだからなんて迂闊に受け入れられるだろうか?
(自分だって、こんな寂しいところに残され、ただ鑑賞されるのはゾッとする。
――何より、誰からも可哀想な目で決め付けられて見られるなんて……)
キャノが根っから悪人という風に見えなくても、それを簡単に擁護する事は流石に出来そうにない。
(それに――)
悪気や悪意が無くても人を殺すことができる。
罪の重さには関係無いのだ。
それは、誰にも言わなかったけれど、コト自身も内心に恐れている。悪意や憎悪は踏みとどまることのできる人間が持っている感情であって、
(俺はときどきそれすらも欠落する。……ククク)
俺は、俺だよ。
そう、何のためらいもなく、何かを壊すだけになるんだ。
(厨二病みたいだ。)
(どうかな、そうだったら、どうするんだ)
(あのときの俺には、憎悪も悪意も無かった)
「コト?」
キャンディが不審そうにコトを見た。コトは「なんでもない」と答える。
さっき以上に気配が薄くなっているテネはというと、さっきより増して何か考え込んでいるようだった。
不穏な空気の中、唐突に着メロが流れ始める。
ミライちゃんがあのときもらった水色の端末に直前に設定したものだ。
彼女は慌てて、順番通りにパスコードのキーを押して解除し、通話に出た。
「はい」
《私だ》
と、スピーカーモードになった電話から低い声が漏れる。
《ちゃんと通話に出ているという事は、みんな今のところは無事なようだな》
「はい」
ミライちゃんが頷くと、『彼』は唐突にそれで要件だが、と話し出す。
《コト君と話をさせて欲しい》
(俺に……?)
わかりました、と彼女の手が伸ばされ、端末を渡される。
プライベートな話であればとスピーカーモードを解除してくれているらしい。
「電話、代わりました」
コトが端末を耳に当てると、彼――ナナカマドは落ち着いた声で改めて話しだした。
《君の、母上……お母さんのことだ》
「え? あ、あぁ……はい」
なんとなくそのような連絡がある気はしていたが、こんなに早く掛かるとは思わず内心少し動揺する。
《どうやら治療の為、身体に金属を入れる事になりそうだ。それで良いか》
「あの。本人に言えば良いのでは」
母の身体の一部が金属になったところで、母は母であり、どうにもならないしどうもしない。支払いは必要になるけれどその辺は父さんも居るんだし……
そこまで考えて、コトは首を傾げる。
(あれ。そもそも、どうして自分ばかり母親の事を任されているんだろう、口ぶりからして父さんは見舞いにも行ってないのか? どうして、父さんがいないんだ?)
彼は数秒黙り、そして《母親本人が、許可が取れない状態だ》と答える。《――理由はわからないが、意識に混濁が見られ始めている。代わりに親族に決めて貰う事にしたようだ》
「俺、戻った方が良いですか」
コトは迷いながらも出来るだけ冷静に訊ねる。
彼はその必要は無い、と言った。
《どのみち面会謝絶だろう。私も君に繋いでほしいとのことで医者と話をしただけだ》
そう言われて、少しほっとした。
どんな顔をすればいいのかわからなかったし、自分がどんな感情なのかすらわからなかった。被害者なのか、加害者なのか。誰が被害者で誰が加害者なのか、何も、何一つわからない。
こんな状況になっても大人は何も言ってくれない。父も同じだ。
だから、唯一自分に出来そうで、解りそうな事がこの戦いにあるように思った。
自分で動くしか残されていないのだから。
――意思も聞かずに決めてしまうけれど、
向こうだって、俺の意思も聞かずに決めて来た事もある。
「お願いします、母に金属を入れた方がいいなら。それで」
彼はフォローのつもりなのか優秀な医者だという事や、金属を入れる手術は保険や町の医療補助金制度の申請がある程度利く事等を教えてくれた。
通話を切り、端末をミライちゃんに返すと「何か言ってた?」と心配そうに聞かれた。別に隠す話でもないだろう、とコトは母親に金属を入れる話をした。
「そうなんだ、お母さんが金属になるの?」
「金属にはならないけど、少し金属が入るみたい。結構いい医者なんだって。でもそのことで口が利ける状態じゃ無いから俺に掛かって来たんだ」
「そうなんだ」
ミライちゃんは、コトを見上げた。
「なんか……暗い顔、してる」
コトはなにも答えない。
「お母さんが、心配?」
コトは、またぼんやりしていた、と気付き苦笑した。
「自分の見られ方が、自分の責任じゃないところで決められているなんて――って考えただけ。
二次創作自由のフリー素材じゃないんだからさ。自分だけで持っていたい感情もあるはずなのに」
見てると、なんだか存在そのものが
自分が責められているみたいで嫌になる。
『――お前見てると、自分たちを侮辱しているみたいで不快なんだよ!比べられるみたいで!』
劣等感も感情も決め付けられたまま、
世界中と、比べられるみたいなんだ。
許可してる奴もいるだろうけれどそれはそいつがやってることで……関係ないのに。
「『画面にお前みたいなのが、映ってる。お前を思い出す! あぁ!ほら、やっぱり俺みたいに才能が無いのは、駄目なんだ!駄目なんだ!』」
唐突に、消え入りそうな声で変な台詞が聞こえた。
自分の回想かと思ったコトは驚いて顔を上げる。
「え?」
自分だけで持って居ればよかった感情。
そうすれば失わなかった世界。
そうすれば、隠して、うまくやれたのに。
そうすれば、
「ううん、――なんでもないよ!」
ミライちゃんは笑う。
楽しそうに。
2023年11月9日23時25分




