壁の中へ
壁に空いた穴から恐る恐る中へ入る。
懐中電灯で照らしながら踏み出したそこは――想定していた以上に飾り気のない景色だった。
光沢のある白い壁の所々が崩れ、砂っぽいものが舞っている為独特の匂いがする。
どこか湿ったよう空気もあって……
ずっと居たらカビでも生えそうというか、あまり長く居たい場所では無い。
足元のタイルもところどころ割れて土が出てきており、定期的に管理されている様子ではなさそうだ。
「今のところは、特に何も見当たらないな」
先頭を歩くキャンディが呟く。
「そうですね」
そのすぐ後ろを歩くコトが頷く。
入ってすぐ高圧電流に襲われるのかと思ったが一応入口は安全らしい。
考えてみたら、そんな近い位置に高圧電流が流れていたら少し壁が壊れただけで大惨事だったのかもしれない。
「でもなんだかやけに静かですね。それに、暗いし」
コトはそう言いながら、何気なく近くの壁に手を付いた。
正確にはついたというより、入り口付近の道がやや狭く、壁が近いので歩く際にうっかり肩がぶつかったといった感じだが。
――その瞬間、次々と頭上が点灯する。
「え?」
周囲がパッと明るくなると同時に、壁に何者かの姿が現れる。
床の上に立っている、ではなく、壁そのものに。
コトの後ろを歩いていたミライちゃんが、目を見開いたまま小さく悲鳴を上げる。
「何……どうした」
何気なく振り向いたコトの視界にもそれは衝撃的な光景として飛び込んで来た。
意味の解らない光景だった。
衣服を着ていない女性の写真が壁一面に敷き詰められている。
屈んでいたり、体育座りしていたり、眠っていたりする裸の画像。
そしてその上に「寒いね」「寒いね」と表示される。
そこまで見て、これがホログラムの一種であると気が付いた。
「なにこれ、不気味」
ミライちゃんが怯えたように呟く。
彼女のすぐ後ろにいたキャノが、「ぁ……」と何か思い当たるふしがあるかのように声を上げる。
なにか知っているのだろうか。
――表立って言いづらいが、この写真の少女の面影は、確かに彼女にどことなく似ているような……
「なんで、こんな、通路にこんな画像が隠してあるんだ」
最後尾に居るテネが怪訝そうに言う。
誰もその答えを知らない。
場に沈黙が訪れる。
寒いね、寒いね、
見ていると無機質な声が聞こえて来るような気がする。
意味は解らないけど、その文字を眺めているだけで不安になってきそうだ。
早く此処から去りたい。
先に進もうとしているコトやキャンディの後ろで、ミライちゃんが怯えたように固まっている。
気になるのはわかるけど、止まっている場合じゃないんだ。コトは彼女に「早く、行こう」と言おうとして────彼女の更に背後も視界に入り、言葉に詰まる。
「寒い。のね」
キャノも、その場から動かず、恐る恐るという風に壁に触れている。
表情が虚ろで、青ざめている。
「ごめん、ね……ごめん、ね……」
その瞬間、写真の映像がパッと消え、巨大な一人の少女の姿に変わる。
にっこり、というよりもにんまりと言った方が正確なような、やけに絡みつくような不気味な笑顔。
白銀の髪に紅い目。
その姿は彼女そのもので――
特に言葉は発しないが、何処か怒っているようでもあった。
「あれは、きっとマオちゃん……キケルだわ」
キャノが悲しそうな声で言う。
マオちゃんというのはキャノの双子の妹でキケルという名前だった。
制限装置の開発の初期段階の頃機械事故に巻き込まれ、彼女は肉体を失った。
その妹の人格――を元にデータ化されたのがマオちゃんというわけだ。
彼女が合意したのは、彼女の種族がセイレーン系の血筋を持つ魔女で歌に特性を持っている事に起因する。
広範囲に歌を届ける事で幅広い魔力制御を行い、暴発を留める事が可能だったのは彼女たちだけだった。そして機会事故の際に、キャノが合意した。
町の中心に聳えるタワーからなら街中に平等に効果を付与する事が出来る。
けれど
「怒ってるんだ。私が……、政府に貴方を売ったから。機械事故のデータを、貴方の意思も考えないで」
やや取り乱しているようで、俯きながら頭を振っている。
確かに彼女にそっくりで、タワーの壁一面にこんなことが出来る人物は今のところ一人しかいない。
(規格が統一してある筈の画像データが乱れている……意図して、モデルを拡大しているのか。【本人】が……?)
感情的な推察よりも先にその事が脳裏にチラついてくるがあえて言葉を飲み込んだ。
それにそうだ、ナビが居なくなったって話は此処に来る前に聞いていた。
「でも、どうしてこっちに居るんですか? ただのタワーの観光用のプログラムで此処まで来るなんて」
「いいえ、厳密にいえばあの子はナビじゃないの。どう言ったらいいのかわからないけど、人に与えられるはずの……処理できないデータが、裏側に集まっているんだわ」
ぐにゃぐにゃ歪みながら、『彼女』は此方を見降ろしている。
「いつものコスプレデータは、こっちには無いのかな」
ミライちゃんが不安そうに呟く。
長い髪でかろうじて局部が隠れているが、それでも寒そうだ。
などと、あまり直視出来ないながらに横目で見ていると、
ミライちゃんが息苦しそうにし始める。
「だ、から……長……は……駄目……の」
「ちょう?」
小さく、なにかを呟いている。
長、は、駄目なのに、どうして、
何の事なのか聞こうと思ったが、彼女は気分が悪そうに口元を押さえているまま、此方に目を合わせようともしない。
だから。
長……は。駄目……、
の。
とにかく映像で脅かして来る以外に特に攻撃されたりしないようだ、とキャンディがさっさと、先へと進む。
コトたちもそうした。
同時にすいーっと泳ぐように『彼女』もついてくる。
何を思っているのだろう?
なにか彼女なりの目的があってついてくるのか、案内してくれるのか。
彼女は思っていることがあるのかもしれないが特に何も言わない。
たまに、さっきしまった写真をまたばら撒いたり、動き回っているくらいだ。
口は時々動いている気がした。
(それにしても――)
歩きながら、辺りに散らばる夥しい量の写真を横目で見る。
あらゆる角度で撮影されている。
こんな状況でなければ喜ぶ者も居たかもしれないけど、とてもそういう気分にはなれなかった。美術館の裸婦像だとか、鑑賞の為の芸術品のような、自分の欲求などとは切り離された感覚だ。
明かに自撮りでは成し得ない角度のものもある。
誰が、一体何のために。
――制限装置の製造にこれほど膨大な肉体のデータが必要だったのか?
彼女だけがこれほど執拗にデータをとられ街中に晒される必要があるのか?
――柱ですよ、人柱、聞いたことがあるでしょう。
昔何処かで聞いた言葉が脳裏に過った。
人柱。
――生きたまま武器にされる。どれだけ痛くても、辛くても
――鉄の方がまだマシだぜ
実感が無かったけれど、こうやってまざまざと見せつけられるとやはり異常だと身をもって理解出来る。
あの人は。
彼女たちは、知ってたんだ。
「これ──機械事故より前に撮られてるってこと、ですよね」
しばらく真っ直ぐに続いている道を歩いていると、途中の壁に何か文字がある事に気が付いた。最近ペンで書かれたもののようでインクがまだ真新しい。
「魔法文字、ですね」
コトが壁を見詰めているとキャンディがちらっと振り返りながら、「そうだな」と言ったあと、再び進行方向を向く。
「さっさと行こうぜ」
「あっ、なんて書いてあるんですか」
魔法文字。魔法使いたちが普段の言語と別に併用する術用の文字だ。
辛うじて片言で解るくらいで、細かい会話やスラングはまだまだ理解出来ていない。壁に殴り書いてある筆記体に至っては意味の解らない文字も多かった。
(月とか星の記号って会話に用いる事があるんだ、といった具合に単語から把握する必要がある)
彼はなんだか戸惑ったような、困ったような表情になる。キャノやテネもそれを目にしたようだったが、それを見た途端になんだか悲しい表情になった。
「……なんて書いてあるんですか」
もう一度聞いてみたが、彼女たちも、何も言わない。
(そんなに、まずいことが書かれてるのか?)
しばらくそれぞれが無言のまま、前方に伸びているタイルの道を歩いた。
2023年10月25日5時37分




